【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《河江肖剰》 =026=

2017-06-26 06:14:46 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

新たなピラミッド像を追って、エジプト考古学の魅惑の世界=河江肖剰=

= Webナショジオ_“河江肖剰-新たなピラミッド像を追って”より転載・補講 =

☠ 発掘調査と先端技術によって、古代のピラミットの実像に迫る ☠ 

◇◆ エマージング・エクスプロラーの受賞 = 1/3= ◇◆

 それは2016年1月13日のことだった。 国立科学博物館で、以前からお世話になっている東京工業大学の亀井宏行先生の研究の展示を見学しているとき、1通のメールがスマートフォンに届いた。

 件名を見ると、英語で “2016 National Geographic Emerging Explorer Award” とあった。 「〜賞の受賞!」というのは、ジャンクメールによく見かける件名なので、ナショジオの名前を冠した新手のものかと思い、削除しようとした。

 しかし、迷惑メールとして振り分けられていないため、一応本文を読んでみた。 するとそこには、2016年度のエマージング・エクスプローラーに私が選ばれたこと、この賞を受け取るにあたり、6月11日から17日までのナショナル ジオグラフィックの年次シンポジウムに参加すること、1万ドルの研究助成金が与えられることなどが書いてあり、最後にいつもの四角い黄色の枠のシンボルマークと、担当責任者の名前が書いてあった。

 明らかに本物のようだったが、それでもやはり半信半疑だった。 本当にそういった賞があるのか検索してみると、確かに存在していた。 メールの内容も公式HPと一致していた。

 少し呆然となりつつも、徐々に嬉しさがこみ上げてきた。 思わずガッツポーズを取り、「よし!」と呟いた。 し呆然となりつつも、徐々に嬉しさがこみ上げてきた。 思わずガッツポーズを取り、「よし!」と呟いた。

 この場所でメールを受け取ったのもなにかの縁だろう。受賞のプロセスや理由は明らかにされていないが、ナショジオのウェブには先駆的な活動をしている科学者や探検家、芸術家などに与えられる賞であると書かれていることから、私がいま推進している古王国時代のピラミッド群の3D計測調査が関わっているのだろう。そして、3D調査をエジプトで最初に始め、私に「サイエンスとしての考古学」を教えてくれたのは、他ならぬ亀井先生だった。

エクスプローラーとは?

 選ばれたのは嬉しかったが、このエマージング・エクスプローラーとはなんだろう?

 エクスプローラーは通常「探検家」と訳される英語である。 しかし、ナショジオの定義はかなり広い。 昨年度企画され、現在、この連載が掲載されている『日本のエクスプローラー』でも「未知の知識を探りに行く人」という意味で用いており、そこには探検家だけでなく、天文学者、生物学者、陸水学者、恐竜学者など、多岐にわたる分野の人たちが紹介されている。

 調べてみると、アメリカのナショナル ジオグラフィック協会では、エクスプローラーは単なる呼称というより称号に近かった。 その名のもとに助成金を受け取り、研究あるいは創作活動に邁進する。 ここでは研究員もエクスプローラーと呼ばれるが、公式にはどうやら2つのカテゴリーがあるらしい。 まず、プレスティージが高いものが「エクスプローラー・イン・レジデンス(Explorers-in-Residence)」と呼ばれ、これまで、霊長類学者のジェーン・グドールや、エジプトの考古大臣であったザヒ・ハワス、ピュリッツァー賞を受賞したジャレド・ダイアモンド、タイタニック号を発見した海洋考古学者ロバート・バラードなど錚々たるメンバーが選ばれていた。

=資料・文献=

エジプト古王国時代(第3 - 6王朝)

紀元前2686年頃成立したエジプト第3王朝からは、エジプト古王国期と呼ばれ、エジプト最初の繁栄期に入る。 首都は一貫してメンフィスに置かれた。 古王国時代には中央政権が安定し、強力な王権が成立していた。 このことを示すのが、紀元前2650年頃に第3王朝第2代の王であるジョセル王が建設した階段ピラミッドである。 このピラミッドは当初それまでの一般的な墓の形式であったマスタバで建設されたが、宰相イムホテプによる数度の設計変更を経て、最終的にマスタバを6段積み重ねたような階段状の王墓となった。

これがエジプト史上最古のピラミッドとされるジェゼル王のピラミッドである。 このピラミッドは以後の王墓建設に巨大な影響を与え、以後マスタバに代わりピラミッドが王墓の中心的な形式となった。 紀元前2613年にはスネフェルが即位し、エジプト第4王朝が始まる。 この第4王朝期には経済が成長し、またピラミッドの建設が最盛期を迎えた。

スネフェル王は紀元前2600年頃にヌビアリビュアシナイに遠征隊を派遣して勢力範囲を広げる一方、まず屈折ピラミッドを、さらに世界初の真正ピラミッドである赤いピラミッドを建設した。 スネフェルの次の王であるクフの時代に、ピラミッド建設は頂点を迎え、世界最大のピラミッドであるギザの大ピラミッドが建設された。 その後、クフの2代あとにあたるカフラー王がカフラー王のピラミッドとその門前にあるギザの大スフィンクスを建造し、さらにその次のメンカウラー王がメンカウラー王のピラミッドを建設し、ピラミッドの建設は頂点に達した。

この3つのピラミッドは三大ピラミッドと呼ばれ、エジプト古王国時代を代表する建造物となっている。 この後、エジプト第5王朝に入ると経済は引き続き繁栄していたものの、ピラミッドの意味が変質してクフ王時代のような巨大な石造りのものを建てられることはなくなり、材料も日干しレンガを使用したことで耐久性の低いものとなった。

続くエジプト第6王朝も長い安定の時期を保ったが、紀元前2383年に即位し94年間在位したペピ2世の治世中期より各地の州(セパアト、ギリシャ語ではノモスと呼ばれる)に拠る州侯たちの勢力が増大し、中央政府の統制力は失われていった。 紀元前2184年にペピ2世が崩御したころには中央政権の統治は有名無実なものとなっており、紀元前2181年に第6王朝が崩壊したことにより古王国時代は終焉した。

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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