【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 06月27日(木曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-27 05:10:54 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 陸軍の軍人さんがこっそり黒竜江省へハイキングしていたところ、中国軍がスパイと認識し嬲り殺しにする(1931年=中村大尉事件)。 ◆ 練馬区の不動産屋が、不法に物件を占有している一家を血祭りに挙げて退去させることに成功(1983年)。 ◆ 松本智津夫が、ビートたけしの向こうを張って自分の名前と同じ都市で毒ガスパフォーマンス(1994年=松本サリン事件)。

ジェームズ・ボンドを生んだ、英国のスパイ組織「非紳士的な戦争省」 =前節= ◎ 

- - -「ヨーロッパを燃え上がらせろ」と英首相チャーチルは命じた - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉

・・・・2024.05.12 / 文=Erin Blakemore/訳=米井香織・・・・

 1942年、スペイン領ギニア(現・赤道ギニア)の港町サンタ・イザベルで、イタリアとドイツの商人がパーティーに誘われたとき、手の込んだ策略だと疑う者はいなかった。しかし、商人たちがグラスを傾けているとき、英国の極秘スパイ集団が船を盗む準備を進めていた。当時は第2次世界大戦中で、枢軸国の武器を積んでいる疑いがあったためだ。

 「ポストマスター作戦」として知られるこの大胆な任務は国際的な事件に発展し、破壊工作や騒乱の種まきを専門とする英国の極秘組織「特殊作戦執行部(SOE)」の力が証明された。また、ガイ・リッチーが監督を務めたコメディー映画「The Ministry of Ungentlemanly Warfare(非紳士的な戦争省)」では、SOEの極めて真面目な目的に潜む愚かな側面を掘り下げている。(参考記事:「『原爆の父』オッペンハイマーを極秘計画から外しかけた疑惑とは」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/23/071300363/

  しかし、SOEとはいったいどのような組織で、なぜその行為が今なお反響を呼んでいるのだろう? ここでは、「ジェームズ・ボンド」をはじめとするスパイ映画の題材になり、第2次世界大戦で連合国の勝利に貢献した「非紳士的」組織について詳しく紹介しよう。  

「非紳士的な戦争省」の本当の姿は?  SOEは第2次世界大戦初期の絶望から生まれた。1940年までに、ドイツはヨーロッパの大部分を占領し、英国はヨーロッパ全土で秘密裏の破壊工作とゲリラ戦を展開する必要性を感じていた。その年、英首相のウィンストン・チャーチルがまさにそれを実行する組織の設立を促し、「ヨーロッパを燃え上がらせろ」と命じたのは有名な話だ。

  SOEは広大な組織で、英国の同盟国、つまり、英国に亡命しているヨーロッパ諸国の政府でさえ、その存在を知らなかったほどの極秘組織だった。

  SOEの包括的目標は、枢軸国に対する破壊工作とプロパガンダ活動だった。しかし、おそらく最もよく知られているのは、占領された国々でレジスタンスグループの秘密軍を組織しようとしたことだろう。諜報(ちょうほう)員として訓練された英国人またはヨーロッパからの難民がヨーロッパにパラシュートで降下し、レジスタンスグループ内に人脈を築き、武器と資金、人員を提供した。(参考記事:「ドイツは2度降伏した、第二次大戦の知られざる真実」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/051900304/

  約1万3000人の諜報員が、占領下の国々と連合国の無線通信の確立、兵器工場の破壊、1944年のノルマンディー侵攻計画の支援などを指揮した。また、ユーゴスラビアでクーデターの準備を整え、武器輸送を妨害し、船を盗むなど、極秘の勇敢な偉業をいくつも成し遂げた。

……資料.

特殊作戦執行部(Special Operations Executive, SOE)とは、第二次世界大戦中のイギリスに設置されていた秘密組織である。1940年7月22日、内閣の承認のもと戦時経済相 (Minister of Economic Warfare)のヒュー・ダルトン(が設立した。その任務はナチス・ドイツを始めとする枢軸国の支配下にあるヨーロッパ各地における諜報・秘密作戦・特殊作戦・特殊偵察・不正規戦などの展開、現地レジスタンス運動の支援などであった。

 設立当初にはナチス・ドイツによる英国本土侵攻に備えた秘密対独抵抗組織である補助隊 (Auxiliary Units)の編成もSOEの任務に含まれていた。 当時、SOEの存在はごく一握りの者しか知らされていなかった。これら少数の人物らはしばしばSOEを「ベイカー街遊撃隊」と通称し、他には「チャーチル秘密軍」(Churchill's Secret Army)や「非紳士的戦争省」(Ministry of Ungentlemanly Warfare)といった俗称でも呼ばれた。保安上の理由から、SOEの各部局は「合同技術委員会」(Joint Technical Board)や「相互勤務調査局」(Inter-Service Research Bureau)といった曖昧な秘匿名称が与えられていたり、場合によっては航空省(空軍省)や海軍本部(海軍省)、戦争省(陸軍省)などの部局に偽装されていた。

 SOEは英国の主要な同盟国であったアメリカ合衆国およびソビエト連邦の合意の元、これらの同盟国が特別に定める場合を除き、基本的に枢軸国および被占領国全域での展開が認められており、任務によっては中立国領内で活動する場合もあった。SOEが直接雇用していた構成員は13,000名ほどで、そのうちおよそ3,200名が女性であった。 第二次世界大戦終結後の1946年1月15日、SOEの解散が公的に宣言された。

 SOEの結成 1940年6月13日、新首相ウィンストン・チャーチルの指示を受けたランカスター公国宰相モーリス・ハンキーは、セクションDとMI Rの活動の範囲に関する調整を行った。7月1日、秘密組織の統合に関する閣僚級会議が開かれる。7月16日、戦時経済相 (Minister of Economic Warfare)のヒュー・ダルトンが統合後の新たな組織の政治的責任者に就任し、SOEは7月22日付で正式に発足した。この際、ダルトンはアイルランド独立戦争中のアイルランド共和軍(IRA)を新組織のモデルとして用いたという。またチャーチルはこの組織に「ヨーロッパを燃え上がらせろ」(set Europe ablaze)と命じたという。統合後、グランドとホランドは通常の任務に復帰し、キャンベル・スチュアートは組織を離れた。

 MI Rの部局のうち、不正規戦向け装備の開発を担っていたMI R(C)はSOEに統合されず、MD1と改称され独立した組織として存続した。MD1は「チャーチルの玩具屋」(Churchill's Toyshop)と通称された。 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・  

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