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【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 06月07日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-07 05:10:48 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 誕生花は薔薇。花言葉は「燃えるような愛」でも「甘いひと時」でもなく「嫉妬」「薄れ行く愛」だったりする。更には、“むち打ち治療の日”……交通事故は後を絶たない ◆ カトリック諸国の商船を襲っては暴利を貪っていた海賊の本拠地に天罰が下る(1692年=ジャマイカのポート・ロイヤルで大地震=)。 ◆ 多摩川の河川敷を使って日本初の珍走チャンピョンシップが開かれ、ホンダのオヤジやNISSAN財閥のオーナーもエントリーするが散々な結果に終わる(1937年)。

◎ ◎ 20世紀まで残った決闘 中心地だったフランス、紳士の事情  =前節= ◎ ◎

- - -王の禁止令を無視してまで、決闘による解決で守りたかったものとは? - -

=National Geographic Journal Japan 〉ニュース〉旅&文化〉 / 2018年 08月09日 / 文:ALFONSO LÓPEZ/訳:米井香織 =

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 1627年5月12日午後2時ごろ、フランス、パリのとある広場で、ブートビル伯爵とブーブロン侯爵が対面した。名誉を守るという明確な目的があった。27歳のブートビル伯爵は決闘の強者で、決闘した相手の半数以上を殺した剣術の名手だ。こうした犠牲者の1人にブーブロン侯爵の親類がいた。ブーブロン侯爵は決闘による報復のため、数カ月を費やし準備してきたのだ。  2人はコートを脱ぎ、決闘を開始した。最初は剣と短剣で、その後は短剣のみで戦った。2人は互いをつかみ、喉元に短剣を突き立てる。それでも、決闘した当人同士は2人とも命を落とさなかった。でも、見守っていた友人たちは乱闘に巻き込まれ、1人の死者と1人の重傷者が出た。 (参考記事:「“左利き”の生き残り戦略」) https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/967/  

目的は名誉  決闘の慣習は多くの国にあったが、フランスはヨーロッパにおける決闘の中心地だった。パリを筆頭にフランスの各都市では、「構え!」という掛け声と剣を振る音が日常の一部となっていた。フランスを象徴する物語には、決まって決闘の場面が描かれている。その好例が、アレクサンドル・デュマが1844年に発表した「三銃士」で、17世紀の決闘を題材にしている。それほど決闘は、フランス人の心に深く根付いていた。  決闘はときに、正式な準備がなく、偶然の出会いから始まることもあった。例えば、1613年には、ギーズ騎士がパリのサントノーレ通りを歩いていたとき、1人の男性が目に留まった。父親の悪口を言ったルズ男爵だった。ギーズ騎士は馬から降りて剣を抜き、ルズ男爵にもそうするよう求めた。ルズ男爵は高齢で、若く衝動的なギーズ騎士から身を守るだけで精いっぱいだった。ギーズ騎士は一突きでルズ男爵の命を奪った。この事件は、さすがに当時の基準から見ても、決闘というより殺人に近い出来事だった。

 通常、決闘は一連の手順を踏んで行われる。まずは決闘の申し込みだ。ある男性の名誉が傷つけられたとき、その男性は言葉、平手打ち、文書で決闘を申し込むことができた。例えば、ルズ男爵の息子は父親を埋葬した後、ギーズ騎士の自宅に従者を送り、次のように書かれたカードを手渡した。 「ムッシュ。あなたは私と会う光栄に預かることができます。剣を手に取り、私の父親の命を奪った報いを受けるのです。この紳士(従者)があなたをご案内します。私は1頭の良馬、2本の剣とともにあなたを待っています。あなたは2本の剣のいずれかを選ぶことができます」  そうして決闘が行われた。ルズ男爵を殺したギーズ騎士は息子の命も奪った。  決闘は多くの場合、当局の邪魔が入らない町外れで行われた。パリでは、セーヌ川沿いのプレオクレア地区が決闘の名所として有名だった。しかし、町中で行われることもあった。リシュリュー枢機卿は1630年代、「フランスでは、決闘が広く行われるようになり、通りが戦場の様相を呈しています」と不満を漏らしている。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・  

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今日(狂)の狂言 : 06月06日(木曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-06 06:51:45 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 恐怖の日=聖書に登場する獣の数字666にちなむ=。 だが季節的に怪談はちょっと早い。別名「オーメンデー」。 ◆ 第二次世界大戦から復員してきた元戦士・屈強な男たちが娯楽のために、「タマをいじくりまわして目標物にぶち込み快感を得るスポーツ」のリーグがニューヨークで創設される(1946年)。 ◆ ソ連で、単純作業による人民洗脳用インターフェース『テトリス』が誕生する(1984年)。だが、何故か資本主義国の愚民どもも洗脳を志願する事態に。

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今日(狂)の狂言 : 06月05日(水曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-05 07:06:54 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 6月に結婚を挙げる花嫁は幸せになるそうだが、6月5日は婿の日にしてろうごの日。話は別だが元帥追憶の日=1934年-東郷平八郎、1943年-山本五十六=である。 ◆ イギリスの陸軍大臣が、敵による美人局に遭ったばかりに政治家生命を終了させられることに(1963年=プロヒューモ事件=)。 ◆ イスラエルがエジプトに不意打ちを食らわし、僅か6日間で植民地を戦争前の4倍にまで増やす(1967年=第三次中東戦争=)。

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今日(狂)の狂言 : 06月04日(火曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-04 05:57:55 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ この日だけは、大人も子供も動物園の中の動物も口に毛のはえた棒を突っ込み出し入れして、最後に白い液体を出す行為に勤しむ。何時もはサボるのにw=虫歯予防デーにして歯と口の健康週間初日= ◆ 大リーグの過ぎたファンサービスが原因で酔っ払いが大勢グラウンドに乱入、試合どころではなくなる破目に(10¢ビールナイト、1974年)。 ◆ 中国共産党が、北京は天安門に屯していたブルジョア民主主義にかぶれた不良学生に対し人民解放軍を使って無理矢理蹴散らす挙に出る(1989年=天安門事件=)。学生たちが文化大革命の紅衛兵になりかねないと思った鄧小平の意向があった模様。

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今日(狂)の狂言 : 06月03日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-03 06:17:19 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 痛みに耐えてよく頑張ったトキノミノルが日本ダービーに優勝するも、17日後に病死する(1951年)。感動した!!、NHKがプロ野球の試合をテレビ中継した日でもある。 ◆ 日本の病院のエレベーターが落下。ドイツでは車両が橋脚に激突、101人が死亡。後のシンドラーへの下地に(1998年)。 ◆ エクストリーム・鬼ごっこにエントリーしていたオウム真理教のランナー・菊地直子が、警察によって強制的にゴールさせられる(2012年)。

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今日(狂)の狂言 : 06月02日(日曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-02 06:01:45 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ ぐうたら感謝の日。&so、裏切りの日=織田信長が明智光秀に裏切られて攻められ、本能寺で自害=。Also, 路地の日。 ◆ 裸の男たちが組んず解れつやるのを公衆の面前でやるのは不道徳ってことで、両国に専用の建物が完成(1909年)。しかし太平洋戦争のドサクサで日本大学に横取りされる。 ◆ 米空軍のF-4ファントム戦闘爆撃機が、箱崎地区内で九州大学に建設している大型電算機センターへ特攻(1968年)。&so、ドジャースへと逃げ出した野茂英雄が竜巻旋風でメジャー初勝利(1995年)。

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今日(狂)の狂言 : 06月01日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-06-01 05:10:35 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 日本全域の気象観測を開始(1875年)。9年後のこの日は朝6時に日本初の天気予報を発表=警察署・派出所に掲示=するが、全国一般風ノ向キハ定リナシ天気ハ変リ易シ 但シ雨天勝チ。これで人々が信用すると思う? ◆ イギリスでしぶとく逆らい続けているデブを抹殺しようとしたナチス・ドイツが、手違いで二枚目の映画俳優を血祭りに挙げる (1943年=英国首相チャーチル暗殺が、映画俳優R.ハワードが犠牲となる) 。 ◆ 警察捜査の攪乱・妨害を繰り返す迷探偵の排除が目的として、探偵業規制法が成立 (2007年) 。

◎ ◎ 氷菓からアイスクリームへ、4000年のあくなき探求の物語 =後節= ◎ ◎

- - -現代の冷凍技術なしに人々はどうやって冷たいスイーツを楽しんだのか - -

=National Geographic Journal Japan 〉 旅&文化 〉 2018.08.09 / 文: Alfonso López/訳:桜木敬子) =

  

  氷菓を作る「自然の魔法」

 乳製品を冷菓に取り入れるようになったのがいつなのか、はっきりとはわかっていない。一部の歴史家は、アジアで発展して、マルコポーロによって西洋に持ちこまれたと考えているが、それはまったくの作り話だとして、強固に反論する人々もいる。

 乳とクリームをしっかり混ぜて滑らかに凍らせるために、吸熱反応が利用された。コックたちはアイスクリームの材料を金属製の容器に入れ、さらにそれを氷と塩、あるいは硝石の入ったバケツに入れた。塩は氷の融点を下げるので、氷が解けやすくなる。氷は解ける際に周囲から熱エネルギーを吸収するので、アイスクリームの材料から熱を奪い、その結果、冷えて固まるのだ。

 1550年にはローマ在住のスペイン人医師ブラス・デ・ヴィラフランカが、この吸熱反応を利用した技術がヨーロッパで用いられていることを論文に著している。この技術はイタリア中に広まっていき、1558年にはナポリ人ジャンバティスタ・デラ・ポルタが『Magia naturalis(自然の魔法)』の中でこう書いている。

 「パーティーで最初にしたいことと言えば、氷のように冷えたワインを飲むことでしょう。特に夏は。なので、ただ冷やすだけでなく、すすらないと飲めないほどに凍らせる方法を教えましょう。ワインをジャーに注ぎ、凍りやすいように少し水を足す。それから木製のポットに雪を入れて、硝石を振りかける。その雪の中でジャーの中身をかき混ぜると、徐々に凍っていきます」。このフローズンワインのレシピを元に、イタリア風シャーベット「ソルベット」の作り方が知られるようになった。  

   気候と文化があいまって、ソルベットはヨーロッパのどこよりもイタリアのナポリで人気を博した。1690年には凍らせる過程で氷をなめらかにした「ソルベッティ」についての初めての本がナポリで出版された。『New and Quick Ways to Make All Kinds of Sorbets With Ease(様々なソルベを簡単に作る早くて新しい方法)』だ。レシピに記載された材料を見る限り、貴族の家庭で読まれていたと考えられる。

 その後、ナポリのスペイン総督の下で働いていたアントニオ・ラティーニによる『The Modern Steward』が1692年から1694年にかけて出版された。料理や邸宅内のマネジメントについて書かれたこの本には、氷についての章が含まれている。

 ヨーロッパでアイスクリームが生まれたのは、やはりその頃のイタリアだったと考えられている。17世紀にはフランスにレシピが伝わり、その後英国に広まって、いよいよ大流行となった。「アイスクリーム」という英単語が初めて登場したのは、1670年代のことだ。1671年5月、ウィンザー城における聖ジョージの日の晩餐で、様々な豪華な料理とともに振る舞われたとの記述がある。

 みんな大好き、アイスクリーム狂想曲

 ソルベと違い、アイスクリームを作るのには大変な労働力を要した。まず手で氷を砕き、岩塩とともに大きな桶に入れる。クリーム、乳、砂糖、風味付けのための材料を入れたポットを、その桶の中に入れ、ポットの中身が固まってアイスクリームとなるまで手で何時間もかき混ぜる必要があった。多くの場合、アイスクリームはその後、果実や花をかたどった型に入れられた。アイスクリームを作り、供するためには莫大な費用がかかったため、ほとんどのヨーロッパ人は手が届かず、主に王族が楽しむものだった。

  ソルベットは18世紀にかけてヨーロッパの大都市で人気となっていった。当時育ちつつあった中流階級の人々が、店で冷たいスイーツを購入するようになったのだ。

 凍らせる過程で氷をなめらかにした「ソルベッティ」のほか、果実と氷を混ぜてザラザラの状態にした「グラニータ」や、氷にミルクを足した「ジェラート」、アイスクリームの前身である「ソルベッティ・コン・クレーマ」などがあった。パリ近郊で王室御用達の陶磁器を製造していたセーヴルなどの工場は、一般の人々もソルベットを楽しむようになると、店舗や家庭に向けてアイスクリーム用のカップアンドソーサーを製造するようになった。

 一冊まるごとアイスクリームの作り方について書かれた最初のレシピ本は、1768年にフランスで出版された『L’Art de bien faire les glaces d’office』だ。サブタイトルには「菓子を凍らせるための真理」とある。アイスクリームの流行は間もなく北米の植民地にも広まったが、合衆国の独立後も、18世紀の間は贅沢品だった。ニューヨークの商人が残した記録によると、ジョージ・ワシントン大統領は1790年の夏、アイスクリームに200ドルもかけたそうだ。今日の金額にすると数千ドルにもなる。

 アイスクリームがついに大衆にとって手が届くものとなったのは、米国においてだ。1843年、ニューヨークのナンシー・M・ジョンソンが、大幅に時間を短縮できるアイスクリームメーカーを発明し、特許を取得した。国内の企業がこの設計に改良を加え、アイスクリームを簡単に低コストで製造できるようにした。

 1851年にはメリーランド州ボルティモアの牛乳屋、ジェイコブ・ファッセルが初のアイスクリーム工場を建設し、アイスクリームが手に入りやすくなると、南北戦争後、アイスクリームの人気は米国中で爆発した。かつては王や女王しか味わうことのできなかったこのスイーツを、米国中の人々がアイスクリームショップやソーダファウンテンで楽しめるようになったのだ。 ・

・・・・・・・おわり 

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今日(狂)の狂言 : 05月31日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-31 05:10:32 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 数学者のガロアが自分の数学的知見を説明してる最中に決闘して死亡(1832年)、あまりに端折った説明だったため後世の学者の苦悩の種となる。がしかし、恋愛を巡る決闘で死亡と史実は言う。 ◆ 第一次世界大戦で変態紳士の艦隊と技術大国の艦隊が双方で撃ち合いを始め、あまりの激しさに双方で何隻か沈んだため、参加した誰しもが今日の我が艦隊はなにかおかしいんじゃないかと呟いたという(1916年=ユトランド沖海戦が始まる)。 ◆ 33年の時を経て、リチャード・ニクソンのスキャンダル絡みでぴーしたディープ・スロートが名乗り出る(2005年)。 おオ---今日は、拝火教信者にとっては地獄の一日とも言うべき世界禁煙デーであった。

◎ ◎ 氷菓からアイスクリームへ、4000年のあくなき探求の物語 =前節= ◎ ◎

- - -現代の冷凍技術なしに人々はどうやって冷たいスイーツを楽しんだのか - -

=National Geographic Journal Japan 〉 旅&文化 〉 2018.08.09 / 文: Alfonso López/訳:桜木敬子) =

 

 冷凍スイーツを楽しむためには現代の冷凍技術が不可欠に思えるが、実は冷たい菓子は何千年も前から存在している。中国 からメソポタミアに至るまで、あらゆる古代文明の特権階級が楽しんできた。 古来より乳製品を天然の氷や雪で冷やして飲む習慣があったと見られている。

 中国大陸の殷や古代エジプトにはシャーベットのような冷菓が存在したとされ、 ユリウス・カエサルやアレクサンドロス3世(大王)が乳や密に氷や雪を加えて飲んだり、 マルコ・ポーロがイタリアに伝えたとする説もあるらしい。

 4000年前の中国にはすでに、凍ったシロップのようなものがあった。紀元前400年頃のペルシャ帝国では、サクランボやザクロ、バラ科の果実であるマルメロなどから作ったシロップを雪で冷やした「シャルバット」が人気だった。現代の「シャーベット」「ソルベ」「シロップ」という英単語は、この「シャルバット」から派生した。

 一説によると、紀元前330年にペルシャ帝国を征服したアレキサンダー大王は、風味付けした氷にハチミツをかけたものを好んでいたという。古代ギリシャ人や、その後の古代ローマ人も、飲み物を冷やすことをしていた。ローマ帝国初期の皇帝ネロは、晩餐において果汁にハチミツと雪を混ぜたものを楽しんでいた。(参考記事:「暴君ネロ 明かされる真実」)  

 さらに千年の時を経て、1290年代にはマルコポーロが中国から様々な味の氷のレシピを持ち帰った。中にはミルクを使うものもあった。

 16世紀ヨーロッパのルネサンス期錬金術最盛期に、現在知られているアイスクリーム製法が見いだされた。  硝石の溶解熱(吸熱反応)による冷温を、パドヴァ大学の教授だったマルク・アントニウス・ジマラが発見した。 さらに、氷と硝石を混合するとマイナス25℃まで温度が下がる寒剤を、ベルナルド・ブオンタレンティ(Bernardo Buontalenti, 1536年 - 1608年)が発見し、人工的な氷結が可能となった。

 そして硝石は再結晶による回収が容易なので、この操作は繰り返し行うことができた。  現在のアイスクリームの原型は16世紀中頃、フィレンツェでブオンタレンティがメディチ家のために創作したセミフレッドのズコットとされている。フランスのオルレアン侯アンリ(後のアンリ2世)に嫁いだメディチ家の カテリーナ・デ・メディチ(Caterina de' Medici, 仏名:カトリーヌ・ド・メディシス(Catherine de Médicis)、1519年 - 1589年)が、菓子職人とともにフランスに持ち込んだとも言われる。

 しかし、米国ニューヨーク大学のローラ・ワイスは、この話には根拠がないと述べている。  1686年、シチリア出身のフランチェスコ・プロコピオ・ディ・コルテッリ(仏名フランソワ・プロコープ)がパリでカフェ「ル・プロコープ」を開店し、1720年、シチリアの氷菓グラニータをアレンジしたグラス・ア・ラ・シャンティ(glace à la chantilly)を売り出した。これはホイップクリームを凍らせた氷菓であり、アイスクリームの商業的成功の最初の例と見なされている。  

  イギリスには1624年、カトリーヌの孫アンリエット・マリーがチャールズ1世(1625年 - 1649年)の元に嫁いだ時にジェラート(アイスクリーム)職人を伴い伝わったと言われる。チャールズ1世の宴会でフランスの料理人ド・ミレオによって作られ、大いに賞揚されたという。チャールズ1世は、アイスクリームの製法を秘密にし、王にだけアイスクリームを提供する見返りに、アイスクリーム職人に一生年金を与えたという伝説がある。

 しかし、この逸話は19世紀以前の文献には現れず、アイスクリーム売りによる創作とされている。なお、この時代になってもアイスクリームはまだ乳製品をほとんど使用しておらず、代わりにメレンゲを使用したシャーベットに近いものであった。 調達が難しい、貴重な氷  現代のアイスクリームの元となるこうした冷たい菓子を作るには、凍った川や湖か寒冷な山間部などから雪や氷を調達し、それを保存する必要があった。集めた雪や氷は、解けないように藁や枝とともに詰めて都市部まで運んでいた。

 到着後、雪や氷は熱と光を避ける氷室で保管された。また、氷を断熱用の藁やおがくずとともに深く掘った穴に入れることで、熱から守った。  中世になると、ヨーロッパ各地で雪を山から氷室に運ぶようになったが、氷の調達には多くの人出と手間がかかるため、非常に貴重な品だった。17世紀になると、個人所有の氷室が多く建てられるようになり、18世紀の終わりまでには町の中に大きな氷室が建設され、行商人たちが家から家へ氷の塊を売り歩くようになった。

 一部の都市では、氷の取引が当局によって規制され、価格や違法売買の罰則が設けられた。1807年のナポリには、43人の「氷売り」がいたという。規制によって、氷は夏季にのみ販売が可能だった。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・  

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今日(狂)の狂言 : 05月30日(木曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-30 05:10:01 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 聖女ジャンヌ・ダルクが汚染されたので、焼いて消毒した(1431年)。百年戦争: ジャンヌ・ダルクがピエール・コーション司教による異端審問により火刑。 ◆ 全米の自動車バカがインディアナポリスに集結し、500マイルのチキチキマシン猛レースを挙行(1911年)。 ◆ 全国の名無しさんのパラダイス「2ちゃんねる」が開設。その影響によりネット中毒が急増(1999年)。仕掛け人は西村博之。

◎ ◎ ドミニカ、手付かずの自然を体験する極上の旅へ ◎ ◎

- -カリブ海の島国で「沸騰する湖」を訪れ、渓谷へ飛び込もう - -

=National Geographic Journal Japan 〉 旅&文化 〉 ドミニカ、手付かずの自然 =

 ・・・・・2020.07.27 / 文=GINA DECAPRIO VERCESI/訳=米井香織 ・・・・・

 

 カリブ海の島国ドミニカ(ドミニカ共和国とは別)を訪れた人は、自然の中で一日を過ごすことになる。熱帯雨林が広がる山地、黒い砂のビーチ、ドラマティックな水中世界。仏領のグアドループとマルティニークに挟まれたこの島国が今、世界でも指折りのエコな旅先として注目を集めている。

 カリブ海の典型的なリゾート・アイランドを思い浮かべてはいけない。ドミニカは、開発が進んだ周囲の島々とは一線を画している。マッコウクジラとのシュノーケリングなど、一部の体験は意図的に縮小されている。動物福祉の観点から、ワイルドライフ・フォト・ツアーズをはじめとする少数のツアー会社のみに認可を与え、厳格なルールを課している。

 ドミニカは、2017年のハリケーン「マリア」の被害から驚異的な復興を遂げた。そして今、外来魚捕りや沸騰湖トレッキング、キャニオニングなど、日常では味わえない体験を提供している。  それでは、手付かずの自然が広がるドミニカの楽しみ方を紹介しよう。

「沸騰する湖」までトレッキング  ドミニカの山地には、数え切れないほどの小道が縦横無尽に走る。断崖から黒い砂浜を見下ろせる道もあれば、うっそうとしたジャングルを蛇行しながら進む道もある。美しい滝つぼ「エメラルド・プール」に続く道や、野鳥と出会える「シンジケート・ネイチャー・トレイル」、カリブ最長の約185キロにわたる「ワイトゥクブリ・ナショナル・トレイル」も魅力的だ。

 しかし、ドミニカへ行ったらぜひ訪れたいのは、熱帯雨林の奥深くに隠された“沸騰する湖”「ボイリング・レイク」だ。モルヌ・トロワ・ピトン国立公園を6時間歩けば、蒸気が噴出する穴、泥水の泉、荒廃の谷として知られる硫黄泉など、見たこともない景色に出会える。  

  深い渓谷を下ろう  ドミニカには毎年、7600ミリ以上の雨が降る。何千年もかけて形成された深い渓谷には、人の手が入っていない滝や急流が隠されている。これらの地形は自然のウォーターパークのようなもの。クライミングや懸垂下降、水泳などがスリリングに融合したキャニオニングに最適だ。

 石が転がる斜面を下ると、こけむした岩壁の割れ目からブロメリアやシダが芽を出し、はるか下に透明な水たまりが見える。エクストリーム・ドミニカが提供する初心者向けのツアーに参加し、思い切って飛び込んでみよう。まずは小さな渓谷から始め、その後、トラファルガー滝での約80メートルの降下やヘッドランプを装着したナイトアドベンチャーに挑戦するといい。  

外来魚を捕って食べてみよう  ミノカサゴはもともとインド洋や太平洋の魚で、カリブ海では外来種にあたる。食欲旺盛で、捕食者もいない。ただし、おなかをすかせた人間は例外だ。島の南西に行けば、ネイチャー・アイランド・ダイブのサイモン・ウォルシュ氏がスキューバダイビング経験者を対象に、ミノカサゴをやすで突く方法を教えている。ドミニカを代表するダイビングスポットでミノカサゴ漁を体験できる。

 海底火山のクレーターがあるスフリエール・スコッツ・ヘッド海洋保護区でも、外来魚捕りが体験できる。サンゴが広がるこの海は、カラフルな海の生き物たちを育んでおり、海岸からのアクセスも容易。シュノーケルでも楽しむことができる。

・・・・・・・・おわり ・

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今日(狂)の狂言 : 05月29日(水曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-29 05:10:26 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 1000年以上も続いたローマ帝国の命脈がイスラム教徒によって絶たれてしまう(1453年=東ローマ帝国滅亡)。このため誰もが戸締りに気をつける様になったとか。 ◆ エベレストが人類に凌辱される(1953年)。この壮挙が自然破壊と揶揄する社会問題となり、翌5月30日は「ごみゼロの日」となった。 ◆ イギリスのフーリガンがベルギーに乗りこんでイタリアからの観光客に殴り込み、同時開催のサッカーの試合よりも視聴率を稼いだ(1985年=ヘイゼルの悲劇)。

◎ ◎ ウクライナの伝統 豪華な花の冠の人気が復活した理由  =後節= ◎ ◎

- -結婚式や夏祭りで女性たちの頭を飾る「ヴィノク」は、ウクライナ国民の伝統と誇り- -

=National Geographic Journal Japan 〉 旅&文化 〉 苦ウクライナの伝統 豪華な花の冠の人気が復活した理由 〉 2016.10.04

/ 文=EVE CONANT/訳=ルーバー荒井ハンナ

 

プルシュコ氏は、ヴィノクの衣装合わせを必ず自分でするようにしている。「リボンやタイを選ぶ段階から関わらないと、冠のボリュームが決められません。冠の傾き加減も重要です。前方または後方に傾けるか、それとも頭のてっぺんに載せるかによって変わってきます」  

 ヴィノクには、科学、神秘、そして芸術の側面がある。植物が何を象徴するのかだけでなく、冷凍されたり乾燥させたりした場合、または「水なしでどのように変化する」かまで知っておく必要がある。生花を長持ちさせるために、ブドウ糖を染み込ませたコットンボールをアレンジメントにテープで貼り付け、花に吸わせる。ドライフラワーは脆く崩れやすいが、糊で簡単に貼り付けられる。冠自体、見た目は緩やかに、しかし花嫁がダンスしてもずれないように、しっかり固定する必要がある。そして、「花が肩を寄せ合って互いを支えているかのように、隙間なく並べます」と、プルシュコ氏は説明する。

  プルシュコ氏や他のアーティストたちによる作品は変わっても、それらが意味するものは歴史の中に深く根付いている。「結婚式の数日前に、花嫁が涙を見せたのです。私は花を輪に編んでいました。リボンの下に茎を差し入れていた時に、彼女は本当に結婚するのだと気づいたようです。胸が熱くなる思いがしました」

祖国の誇り

  恋愛や結婚式だけではない。ヴィノクは愛国心の象徴でもある。 「2004年、大統領選に抗議して始まったオレンジ革命をきっかけに、ヴィノクの人気が高まりました。この革命で国民の意識が高まり、人々は自分たちのルーツを見直し、伝統の素晴らしさに気付いたのです」と、プルシュコ氏は言う。 (参考記事:「歴史から見たウクライナの武力衝突」)  

 2014年、ロシアの干渉をめぐって再び騒乱が起こり、伝統への回帰がさらに深まった。リヴィウで民族衣装の店を営むウリャナ・ヤウナ氏は、この騒乱の後でビンテージファッションが流行り出したと語る。「でも、ヴィノクはそれよりも早く、オレンジ革命の頃から役割を担うようになっていましたね。当時多くの女性が、何かの象徴のように花の冠を着けて抗議活動に参加していました」 (参考記事:「混迷のウクライナ、その歴史的経緯」) 

米フロリダ州にあるステッソン大学の歴史学准教授で、ロシア、ウクライナ、東ヨーロッパの文化史が専門のメイヒル・フォウラー氏は、ソビエト時代、連邦を構成していた共和国では伝統文化にある程度の制限が設けられていたと話す。「公認の民族衣装や民族の踊りはありましたが、それは上から押しつけられたものでした」  

 ヴィノクのような花の冠は長い間結婚式の伝統とされてきたが、ソビエト時代の結婚式は、ほとんどが役所の建物など民族や宗教色のない場所で行われていた。その土地の伝統を祝うのではなく、より大きな政治的環境の一部に組み込まれるようにというメッセージだった。「そこから大きく外れることはできませんでした。決められたレールの上を歩み、反ソビエト派に見えるようなことは一切避けなければなりませんでした」  

 それが今、芸術家たちは多様な伝統を学び、民族モチーフに影響を受け、それらを現代芸術に作り替える自由が与えられている。例えばフォウラー氏によると、「ヒップスターのようだけれど刺繍の入ったシャツを着たり、以前はお祭りでしか着なかったヴィシヴァンカが、モダンでセクシーな普段着になったりしています」という。  

 音楽祭では、花の冠を頭に載せて、ビールを飲み、仲間と過ごす女性を多く見かけるようになった。キエフにあるショップ「オール・アワー・オウン」では、デザイナーが店に展示スペースを持ち、地元産の服を求める消費者へ販売している。「ウクライナ人とは何であるかに人々は気づき始め、消費という世界のなかでそれを喜び祝っているのです」と、フォウラー氏は言う。「また、民族的なモチーフを使って今の時代を表現しています」  

 ダイカ氏の作り出すヴィノクも同様だ。伝統的に、結婚式のヴィノクは一生に一度だけと決まっていたが、新しいエネルギーを一つひとつ丁寧に編み込んだ現代のヴィノクに魅了された女性たちは、少しばかりルールを破っても構わないと思っている。「今では既婚女性も、若く美しい気分にさせてくれるヴィノクを、好んで着けるようになっています」 ・・・・・・・・おわり  

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今日(狂)の狂言 : 05月28日(火曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-28 06:33:36 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ パリを占拠していたアカどもを約3万人ぶっ殺してフランス政府が鎮圧に成功(1871年=パリ・コミューンが瓦解)。
◆ 田中角栄の剛腕によって山一證券に日本銀行が金を融通することが決定(1965年=無制限・無期限の日銀特融)、それにも関わらずその32年後に同社は涙ながらに自主廃業に追い込まれた。&so、その角栄の剛腕を記念して、この日は角栄が愛したゴルフの日。
◆ あまりにあれな王様に国民が愛想尽かしして、240年も続いたネパールの王制=ゴルカ朝=がこの日を以てお仕舞いに(2008年)。

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今日(狂)の狂言 : 05月27日(月曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-27 07:50:33 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 大日本帝国海軍がロシア帝国海軍と日本海で砲戦を開始。結果、何千㎞も航海して草臥れていた当時最強だったロシア帝国海軍をフルボッコすることに成功(1905年)。 ◆ サンフランシスコの入口にデカい吊り橋が架かり、太平洋をはるばる横断してきた人たちを感動させ始める(1937年)。 ◆ ドラクエ(1986年)・ときメモ(1994年)など神ゲーにとっての特異日。&so、小泉純一郎内閣総理大臣が、痛みの伴う聖域なき優勝を遂げた貴乃花に感動した(2001年)。

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今日(狂)の狂言 : 05月26日(日曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-26 08:43:16 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 日蓮が、房総半島の山の上で初のストリート説法を行いデビューする(1253年=立教開宗)。 ◆ 迫りくるナチスドイツに対し、イギリス・フランス・ベルギーがタッグを組んで戦いを挑む(1940年=ダンケルクの戦い)が、結局1万人の人命と3万人の捕虜を差し出してヨーロッパから逃げ出した。&so、ニクソンショックのあおりで、米ソ競演花火大会も縮小の方向へ(1972年=「弾道弾迎撃ミサイル制限条約」に調印)。 ◆ とある炭坑夫の絵日記や落書きが、日本で初めてユネスコ公認の歴史資料となる(2011年=山本作兵衛作の「筑豊炭鉱画」)。

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今日(狂)の狂言 : 05月25日(土曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-25 06:04:56 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ 三等客用の駅弁には満足できない明治の貴族たちのために、一等車専用食堂車がオープン(1899年)。山陽鉄道(現・山陽本線)での出来事。・・・・どうでもいい話ですが 。 ◆ 陸軍記念日に続いて米軍が空から山の手を襲ってきたので、ドサクサ紛れに捕虜の米兵を火あぶりにする(1945年)。 ◆ 殆ど使う機会が無いものの本棚にあるだけでインテリゲンチャな気分に浸れる置物が、岩波書店から発売される(1955年=『広辞苑』初版)。 &so、とある歌謡曲のプロモーションとして、有楽町に大阪の百貨店が店を出す(1957年)。

 

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今日(狂)の狂言 : 05月24日(金曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-05-24 05:10:52 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ アメリカ大陸に入植していたオランダ人が、インディアンから60ギルダー分の品物と等価交換で不動産を入手(1626年)。300年以上経つと、其処はマンハッタンと称される世界的な摩天楼と化していた。 ◆ 片山哲が、エクストリーム・組閣作業において1人で全ての閣僚を兼任する荒業を繰り出すも、1週間でギブアップ(1947年) 。 ◆ 世界最速の超音速旅客機「コンコルド」が大西洋横断の定期運行を開始(1976年)。しかし肝心の太平洋は越えられず、運航計画は停止され退役した。

◎ ◎ ウクライナの伝統 豪華な花の冠の人気が復活した理由  =前節= ◎ ◎

- -結婚式や夏祭りで女性たちの頭を飾る「ヴィノク」は、ウクライナ国民の伝統と誇り- -

=National Geographic Journal Japan 〉 旅&文化 〉 苦ウクライナの伝統 豪華な花の冠の人気が復活した理由 〉 

2016.10.04 / 文=EVE CONANT/訳=ルーバー荒井ハンナ

 

  花、鳥の羽、麻糸、貝殻、ビーズ、時には箔やワックスまで用いて、ウクライナの芸術家ドミニカ・ダイカ氏が作るのは、「ヴィノク」と呼ばれるウクライナの伝統的な花の冠だ。

 純潔と多産の象徴として、ウクライナでは昔から少女や若い女性が祭りや結婚式で頭に花の冠を載せた。その起源は、10世紀に東欧のスラブ世界にキリスト教が伝わる以前の異教の伝統にあるとされている。ウクライナでは今、この花の冠を含め、伝統的な文化を見直す動きが高まっている。

誇りある民族の歴史を反映し、明るい未来への希望を込めて現代風にアレンジされた民族衣装は、今では日常生活の中にも溶け込んでいる。 (参考記事:「ウクライナ正教会、ロシア正教会から独立へ」)  

ヴィノクは、7月上旬に祝われる「イワン・クパーラ」という祭りで見られる。これも元々は異教徒の祭りだったが、それが後にキリスト教の洗礼者聖ヨハネの祭りに結び付けられた(ヨハネはスラブ語でイワン、英語でジョンのこと)。ウクライナだけでなく、ロシア、ポーランド、ベラルーシでも祝われている。 人々は焚火の上を飛び越え、女性は花やその他の植物で冠を編み、それを川に流して恋愛運を占う。最近では、芸術祭や音楽祭でも花の冠が見られるようになり、さらにそれはミュージックビデオやソーシャルメディアの投稿にまで広がっている。

古い伝統から現代アートへ

 ダイカ氏は、ウクライナの町リヴィウにあるトレッティピビニ・ワークショップで、スタイリストやメイクアップアーティスト、フラワーアーティストらとともに、ひときわ豪華で美しいヴィノクを制作する(トレッティピビニとは、ウクライナ語で「第3の雄鶏」という意味だ。ダイカ氏によれば、朝3番目に鳴いた雄鶏、つまり新しい一日の始まりを象徴するのだという)。デザインは、美術館に所蔵されていた古い写真をデジタル化したものや、アーティストたちが集めた古い家族写真が基になっている。

「昔から使われてきた材料を使っています」。ダイカ氏は、掘り起こされた歴史に新たないのちを吹き込み、「現代の写真を通してウクライナの民族衣装を広く知ってもらい、古い写真が与えるビンテージとか色褪せたイメージを払拭したいです」と話す。

 彼女の作品を頭に戴いたモデルの誰ひとりとして「冷たく、世離れした」雰囲気でカメラに向かう者はいない。「身長や体型、年齢に関わらず、女性はすべて美しい。私たちの写真は、それを見せています」。ダイカ氏は、過去の伝統を色彩あふれる現代アートとしてよみがえらせ、人々にウクライナ人としての誇りを取り戻してほしいと願う。「この美しさを、たくさんの人に見てもらいたいと思っています」  

美しい刺繍が施されたシャツやドレスなどの民族衣装とともに、ヴィノクの人気は「最近ますます高まっている」と話すのは、ウクライナ人とポーランド人のバンド「ダガダナ」のメンバー、ダガ・グレゴロウィッツ氏だ。ダガダナは、ダイカ氏のヴィノクを衣装に取り入れている。「長いこと、私たちは自分たちの衣装スタイルを模索していました。  

 バンドのメンバーは隣国同士のポーランドとウクライナ出身で、私たちの音楽はこのふたつの国の伝統的な民族文化を融合させたものです。これに、ジャズ、エレクトロニカ、ロック、即興演奏といった現代的な要素も取り入れています」  

そんな時、ダイカ氏の創作物に出会った。「ずっと前からこうなる運命にあったように思えます。私たちの文化を世界に伝え、私たち祖国の女性たちの物語を伝えるために」。ダガダナの衣装は世界中の音楽祭で披露され、人々はポーランドとウクライナの豊かな文化に魅了されたと、グレゴロウィッツ氏は言う。

 ウクライナ国内では、ヴィノク人気のおかげで生花店が繁盛している。首都キエフで生花店を営むアナスタジア・プルシュコ氏は、赤ちゃんの洗礼式や誕生日パーティの招待客へのギフト、レストランの開店祝い、ファッションショーのアクセサリーの注文が増えていると話す。プルシュコ氏は、ヴィノク作りのクラスも指導している。

 中でも一番多いのが、結婚する花嫁からの注文だ。「ウクライナのルーツと伝統ですから。それに、ヴィノクは刺繍入りのシャツやドレスにとてもよく合います」。刺繍が施されたウクライナの伝統的なシャツは、ヴィシヴァンカと呼ばれる。 (参考記事:「100年前の写真で見る世界の婚礼衣装17選」) 

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

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