田舎暮らしの翻訳者 (My way of learning English)

海外ドラマや音楽を通して英語を学んでいる技術翻訳者のブログです。タイトル通り、田舎暮らしです。

尾崎豊...早くも20年

2012年04月29日 | 音楽

4月25日 - 多くの人の命日のような気がします。

その中の一人が尾崎豊さん。

いまだに根強い人気のようで、この時期になると、テレビで特集番組が放送されます。今日もNHKの「SONGS」で尾崎さんの曲が流れる予定(ブログ書いているうちに放送が終わってしまいました)。

ふと思い出して、昔行った尾崎さんのコンサートのパンフレットを引っ張り出してみました。

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1985年のコンサートですから、もう27年も前の話です。確か、このコンサートのチケットを買ったのも4月だったと思います。パンフレットを広げてみると、広島公演の日程が掲載されていました。6月18日でした。

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それまで、レコードを何度も何度も聞き、「尾崎豊のコンサートってどんな感じだろう?」と想像していたものの、実際の公演は「この人大丈夫かな...」と心配するほどフラフラになりながら、寝そべったり、いかれてしまったような表情を浮かべたり...。

私の好きなHeavy Metal系のコンサートとは一線を画すもの。でも、狂ったような表情を浮かべたかと思うと、優しい眼差しになったりして、その存在感に圧倒されました。

個人的には、この頃のステージよりも、虚飾をはがしたような、素直になった尾崎豊のコンサート(91年頃かな)の方に共感がもてる気がします。もちろん、当時は当時で、「普段はもっと違う顔をしているんじゃないかな」と感じていたりもしつつ、陶酔したような表情のコンサートを楽しんでいたような。

尾崎豊さんは私よりも1つ年上。私が聞き始めたのは、高校3年の頃。Heavy Metalを中心に洋楽ばかり聴いていましたけど、尾崎さんの曲、特に詞には共感できる部分が多かったなあ。今考えると、リアルタイムで聴くことができて、本当にラッキーだったと思います。

尾崎さんの死を知ったのも、不思議な巡り合わせ。1992年の4月はちょうど米国に住んでいました。日本の情報など入ってこないに等しかったので、帰国するまで知らなくても当たり前だったはずなのですが...。ちょうど4月26日~30日頃だったか、Bostonにある日本人向けの小さなお店に足を運び、何気なく、本当に何気なく、朝日新聞国際衛星版という新聞を手に取りました。すると、テレビ欄のワイドショー番組の見出しに、尾崎豊さんが亡くなったことを伝えるような文言が書かれているではありませんか!「なんで尾崎が死ぬの?病気だったの?」わからないことだらけ。新聞を広げると、ファンの後追い自殺の記事があり、「25日に亡くなった歌手の尾崎豊さん...」というような文が。

珍しく手にした日本の新聞にちょうど尾崎さんの記事が載っていたので、尾崎さんとの不思議な縁を感じました。その頃は、尾崎さんの曲を聴く機会もほとんどなかったんですが...。

私のお気に入りのアルバムは、3作目の「壊れた扉から」まで。それ以降は、「核(core)」のシングルを買っただけ。でも、いまだに、この3作は時々聴きます。飽きないんですよね。

壊れた扉から 壊れた扉から
価格:¥ 2,854(税込)
発売日:1991-05-15

高校生の娘は「15の夜」を聴くと、「盗んだバイクで走り出す」に過敏に反応します。「それって、法律違反じゃない。15才じゃ免許取れないし」と。確かにそうなのですが。

ただ、初ライブの映像を少し見せたところ、自分と年の変わらない「尾崎豊」というアーティストの語る言葉を結構素直に聞いていました。「共感」とはいかないまでも、約30年前の同年代の人が語る気持ちとして、少しは印象に残ったかも。

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尾崎豊にしろ、Michael Jacksonにしろ、不遇の時代があり、マスコミや一部の心ない人たちから好き勝手なことを書かれて、ひどい扱いを受けたりしましたが、亡くなってしまうと、急に美化したり、神格化したりと、周りの態度が豹変します。勝手なものですね。生きているうちに、大切にしたら良いのに。

死後20年経ってもNHKで特集番組が放送される尾崎豊のことを考えると、人気が続いていることを嬉しく思う反面、80年代後半に読んだバッシング記事のこと思い出し、複雑な心境になります。


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