写真は、奄美のリュウキュウルリミノキ。
光の中で 2009.12.12 からお借りしました。
名前の「ルリ」の意味は、実った写真をみて納得です。
【留学生に日本語を教える】
水曜日に、学内の国際交流委員会に出席。留学生が140人だかになり、さまざまなサポートを組織的に行おう・・といった話し合いをしました。
最近は、大学院にも留学生が増えています。中国、韓国、台湾。
話し言葉としての日本語はある程度のレベルに達しています。
問題は、論文を書くレベルの日本語の習得ですね。
昔、私が、介護政策でOECDの会議でレポートしたことがあり、現在でもその内容がOECDの刊行物に残っています。実は、その英語には、私の原文は殆ど残っておらず、当時のOECDの担当課長がイギリスの方で、私の原文に大幅に手を入れてくれて読むに耐えるものになった。
そのことを思うと、留学生の日本語論文のレベルは高いというべきですが・・・
このところ、修士課程、博士課程の院生の、中間報告、査読論文、博士論文など、多くの日本語論文を読む機会があります。
【誤りには法則性がある】
日本人学生の場合には、
論文を読んで、教員の仕事は、
・論旨の一貫性
・先行研究の理解
・創意のある箇所
など内容面をみます。
留学生の場合には、その内容面のほかに、
外国語としての日本語論文
に要請される水準を満たしているかどうか
という点があります。
最近、中国からの留学生たちの日本語論文を読んで、その誤りに共通点があることを発見!しました。
【中国人留学生の日本語】
中国人留学生の日本語には、
1 助詞の誤り
2 話し言葉の混入
3 受動態と能動態の混在
4 時制(過去・現在・未来)の混在
5 「・・的」という表現の多用
など頻発するものがあります。
そして、私自身は中国語の初歩の知識もありませんが、
この「中国からの留学生の日本語論文に頻発する文法的な誤り」
の根本原因は、
中国語文法と日本語文法との相違
があることに気がついたのです。
(・・日本語教育の専門家には既知のことでしょうが)
【教える方にも構造的な知識と工夫が】
となれば、
教える側にも、「日本語ではこうだ」という教え方ではなく
中国語の語法との対比を論理的に説明できる必要がありますね。
第3394号で
ウィトゲンシュタインのドイツ語と英語の違いというか、彼の場合、英語でイギリスの大学で講義できたわけですが、やはり母国語のドイツ語の方がよく考えることができる・・
という趣旨のことを引用しました。
同じ漢字使用国ではありますが(正確には、日本は中国から漢字を輸入したわけですが)論文を書くというレベルになると、相互の違いを明確に理解する必要があるということですね。
光の中で 2009.12.12 からお借りしました。
名前の「ルリ」の意味は、実った写真をみて納得です。
【留学生に日本語を教える】
水曜日に、学内の国際交流委員会に出席。留学生が140人だかになり、さまざまなサポートを組織的に行おう・・といった話し合いをしました。
最近は、大学院にも留学生が増えています。中国、韓国、台湾。
話し言葉としての日本語はある程度のレベルに達しています。
問題は、論文を書くレベルの日本語の習得ですね。
昔、私が、介護政策でOECDの会議でレポートしたことがあり、現在でもその内容がOECDの刊行物に残っています。実は、その英語には、私の原文は殆ど残っておらず、当時のOECDの担当課長がイギリスの方で、私の原文に大幅に手を入れてくれて読むに耐えるものになった。
そのことを思うと、留学生の日本語論文のレベルは高いというべきですが・・・
このところ、修士課程、博士課程の院生の、中間報告、査読論文、博士論文など、多くの日本語論文を読む機会があります。
【誤りには法則性がある】
日本人学生の場合には、
論文を読んで、教員の仕事は、
・論旨の一貫性
・先行研究の理解
・創意のある箇所
など内容面をみます。
留学生の場合には、その内容面のほかに、
外国語としての日本語論文
に要請される水準を満たしているかどうか
という点があります。
最近、中国からの留学生たちの日本語論文を読んで、その誤りに共通点があることを発見!しました。
【中国人留学生の日本語】
中国人留学生の日本語には、
1 助詞の誤り
2 話し言葉の混入
3 受動態と能動態の混在
4 時制(過去・現在・未来)の混在
5 「・・的」という表現の多用
など頻発するものがあります。
そして、私自身は中国語の初歩の知識もありませんが、
この「中国からの留学生の日本語論文に頻発する文法的な誤り」
の根本原因は、
中国語文法と日本語文法との相違
があることに気がついたのです。
(・・日本語教育の専門家には既知のことでしょうが)
【教える方にも構造的な知識と工夫が】
となれば、
教える側にも、「日本語ではこうだ」という教え方ではなく
中国語の語法との対比を論理的に説明できる必要がありますね。
第3394号で
ウィトゲンシュタインのドイツ語と英語の違いというか、彼の場合、英語でイギリスの大学で講義できたわけですが、やはり母国語のドイツ語の方がよく考えることができる・・
という趣旨のことを引用しました。
同じ漢字使用国ではありますが(正確には、日本は中国から漢字を輸入したわけですが)論文を書くというレベルになると、相互の違いを明確に理解する必要があるということですね。
一つは、中日文化の違いによって、考え方が異なります。
二つは、言葉使いですね。とくに「は」、「が」という助詞の違いについて、私にとっては、よく理解できませんでした。
三つは、「能動」vs「受動」の使い方は、かなり困難だと感じました。
四つは、自分の専門知識や日本語能力がまだ足りないと感じました。