高山城址
「こうやま」と読みます。
写真は
鹿児島文庫68
『ふるさと感情紀行』奈良迫ミチ
(春苑堂出版、平成13年)203ページ
中世の代表的山城として
国指定史蹟になっている。
著者は、母方が高山をかって(島津の前に)
治めていた肝付氏の流れを汲む方の子孫(萩原氏)
ということで
いにしえをしのびながら紀行記になっている。
中世史研究の三木靖先生のご本にも
高山城は知覧城とならぶ重要な城であったと書かれてあった。
(三木編『鹿児島の歴史』1997、鹿児島城西ロータリークラブ
p129.同書p39には高山城址の写真が掲載されている)
私自身
鹿児島に来て
知覧城も高山城も城の跡を訪れたことがあるが、
展示の方はどちらも見ていないし、どちらも城址の場所を確かめた程度で
中を歩いたわけではないが
高山の方は、いつかゆっくり歩いてみたい。
(wifeが高山の出身であることは幾度か書きましたね)
「こうやま」と読みます。
写真は
鹿児島文庫68
『ふるさと感情紀行』奈良迫ミチ
(春苑堂出版、平成13年)203ページ
中世の代表的山城として
国指定史蹟になっている。
著者は、母方が高山をかって(島津の前に)
治めていた肝付氏の流れを汲む方の子孫(萩原氏)
ということで
いにしえをしのびながら紀行記になっている。
中世史研究の三木靖先生のご本にも
高山城は知覧城とならぶ重要な城であったと書かれてあった。
(三木編『鹿児島の歴史』1997、鹿児島城西ロータリークラブ
p129.同書p39には高山城址の写真が掲載されている)
私自身
鹿児島に来て
知覧城も高山城も城の跡を訪れたことがあるが、
展示の方はどちらも見ていないし、どちらも城址の場所を確かめた程度で
中を歩いたわけではないが
高山の方は、いつかゆっくり歩いてみたい。
(wifeが高山の出身であることは幾度か書きましたね)