鎌倉建長寺が蘭渓道隆によって建立される7年前の1246年に、
鹿児島県大隅半島の旧高山町に、道隆によって道隆寺が建てられたことは、
第3941号(2010.09.14)
で、紹介しています。
今日、学内の
地域総合研究所
で、『高山郷土誌』を借りました。
昭和41年版(1966年。写真、左)と
平成9年版(1997年。写真、右)
の2冊があります。
【1966年版】
鹿児島大学 原口虎雄教授らによる編集。他に、五味克夫教授、九州大学の秀村撰三教授ら。
1071ページです。
その137ページから139ページに、
・ 1243年3月11日、道隆が内の浦に着いたこと
・ 1246年 道隆寺の建立
・ 明治2年の廃仏毀釈で廃寺
との記述があります。
【1997年版】
編纂 秀村、五味両先生のほか、原口 泉(当時は助教授)先生が参画しています。
1293ページと全体のページ数は増えましたが、道隆寺の単独の項目はありません。
第4編 第6章 中世の信仰
の冒頭部分 p.296-p.298に、肝付4代兼員(かねかぜ)による建立との記述があります。
写真集(冒頭)の中に、鎌倉建長寺から借りた蘭渓道隆の肖像画がありました。
明治の廃仏毀釈についての記述が具体的です。p.461
鹿児島県大隅半島の旧高山町に、道隆によって道隆寺が建てられたことは、
第3941号(2010.09.14)
で、紹介しています。
今日、学内の
地域総合研究所
で、『高山郷土誌』を借りました。
昭和41年版(1966年。写真、左)と
平成9年版(1997年。写真、右)
の2冊があります。
【1966年版】
鹿児島大学 原口虎雄教授らによる編集。他に、五味克夫教授、九州大学の秀村撰三教授ら。
1071ページです。
その137ページから139ページに、
・ 1243年3月11日、道隆が内の浦に着いたこと
・ 1246年 道隆寺の建立
・ 明治2年の廃仏毀釈で廃寺
との記述があります。
【1997年版】
編纂 秀村、五味両先生のほか、原口 泉(当時は助教授)先生が参画しています。
1293ページと全体のページ数は増えましたが、道隆寺の単独の項目はありません。
第4編 第6章 中世の信仰
の冒頭部分 p.296-p.298に、肝付4代兼員(かねかぜ)による建立との記述があります。
写真集(冒頭)の中に、鎌倉建長寺から借りた蘭渓道隆の肖像画がありました。
明治の廃仏毀釈についての記述が具体的です。p.461
ちょうど買い物に出なければならず、鎌倉・建長寺のこと、坂本直行美術館のことをうかがおうと思いながら、残念でした。
またの機会に教えてください。
昨日は
お店で一息つけて
電話もお借りできて
よかったです。
ただし、
JRは、その後も大幅に遅れ
やむなく
タクシーで帰りました。
*坂之上から上荒田までは、3150円。