第1章 世界の中の日本医療とよりよい医療制度をめざした改革
は、本書の序論的な意味を持っている。42ページと長いので
少しずつ読みます。
第1節 世界の中の日本医療ー私の事実認識
の
前半が
1 小泉・安部政権の医療改革の評価
で2001年4月の小泉政権以降を総括している。
今日は、この部分を簡単に紹介します。
2001年4月 小泉政権
2006年9月 安部政権
2007年7月 参院選挙
2007年9月 福田政権
と、この7年の間に政治の大きな転換があって
また、これからも予断を許さない。
○ 小泉政権の医療改革
「医療・社会保障改革の3つのシナリオ」
① アメリカ型市場原理主義→内閣中枢
② 国民皆保険を維持するが、給付範囲と水準を縮小→厚生労働省
③ 公的医療費の総枠拡大を求める→医師会
①が大々的に喧伝された。
・株式会社で医療機関を経営できるようにする
・混合診療の解禁
・医療機関と保険者の直接契約の解禁
これは、結局、挫折した。
・①の方向は、結局、医療費総枠を引き上げることになる
(厚生労働省は気がついていた)
・世論と、医師団体の反対
小泉政権の医療費抑制政策
・2002年 健康保険法改正(一部負担率を2割から3割に引き上げた)
・2002年 医療費引き下げ
・2006年 医療費引き下げ、医療制度改革法の成立
これらの改正で
日本の医療費水準は急速に悪化(詳しくは次回、統計で)
2006年9月 安部政権
小泉政権の市場原理主義の影響力が低下
かたや
2006年以来
救急医療、産科・小児科医療を中心とした医療危機が社会問題となる。
筆者の二木先生は、
ごく最近の動向に
かすかな・そして・たしかな希望をいだいておられる。
そこで副題を「「危機から希望へ」とした由。
(はしがき ページ)
(ほんの少し読んだわけですが、脚注によって、二木先生のこれまでの著作の
結論が、随所に示されていることがわかる。つまり、初めて、二木先生の世界に
接した方も、この本で20年来の日本の医療政策の流れと課題をうかがい知ることが出来るのでは・・)
なお、ブログ編集者兼執筆者の私は、
1965年大学を卒業してすぐ厚生省(当時)保険局に配属され
1966年から2年間、「医療課」というところで
医療費政策の末端にいた。
このため、この40年間、医療費政策を遠くから見ていたのです。
(今は、患者として、鹿児島の医療を体験中!)
は、本書の序論的な意味を持っている。42ページと長いので
少しずつ読みます。
第1節 世界の中の日本医療ー私の事実認識
の
前半が
1 小泉・安部政権の医療改革の評価
で2001年4月の小泉政権以降を総括している。
今日は、この部分を簡単に紹介します。
2001年4月 小泉政権
2006年9月 安部政権
2007年7月 参院選挙
2007年9月 福田政権
と、この7年の間に政治の大きな転換があって
また、これからも予断を許さない。
○ 小泉政権の医療改革
「医療・社会保障改革の3つのシナリオ」
① アメリカ型市場原理主義→内閣中枢
② 国民皆保険を維持するが、給付範囲と水準を縮小→厚生労働省
③ 公的医療費の総枠拡大を求める→医師会
①が大々的に喧伝された。
・株式会社で医療機関を経営できるようにする
・混合診療の解禁
・医療機関と保険者の直接契約の解禁
これは、結局、挫折した。
・①の方向は、結局、医療費総枠を引き上げることになる
(厚生労働省は気がついていた)
・世論と、医師団体の反対
小泉政権の医療費抑制政策
・2002年 健康保険法改正(一部負担率を2割から3割に引き上げた)
・2002年 医療費引き下げ
・2006年 医療費引き下げ、医療制度改革法の成立
これらの改正で
日本の医療費水準は急速に悪化(詳しくは次回、統計で)
2006年9月 安部政権
小泉政権の市場原理主義の影響力が低下
かたや
2006年以来
救急医療、産科・小児科医療を中心とした医療危機が社会問題となる。
筆者の二木先生は、
ごく最近の動向に
かすかな・そして・たしかな希望をいだいておられる。
そこで副題を「「危機から希望へ」とした由。
(はしがき ページ)
(ほんの少し読んだわけですが、脚注によって、二木先生のこれまでの著作の
結論が、随所に示されていることがわかる。つまり、初めて、二木先生の世界に
接した方も、この本で20年来の日本の医療政策の流れと課題をうかがい知ることが出来るのでは・・)
なお、ブログ編集者兼執筆者の私は、
1965年大学を卒業してすぐ厚生省(当時)保険局に配属され
1966年から2年間、「医療課」というところで
医療費政策の末端にいた。
このため、この40年間、医療費政策を遠くから見ていたのです。
(今は、患者として、鹿児島の医療を体験中!)