介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

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知育・徳育・体育

2008-01-27 11:23:23 | 経済
今朝の新聞で
(昨日はテレビで)
東京 杉並の中学校の
学校内の塾の報道がされていた。

報道では
中学2年生11名が参加したこと
週3日、校舎の中で、19時から21時35分まで行われること
生徒や家族は肯定的に受けとめていたこと
監督指導する立場の教育委員会も支持したこと
が伝えられている。

リクルートから校長として赴任して
いろんなアイデアで話題の人が
・上を引っ張れば、全体の底上げになる
・地域と学校が協力したことに意義がある

その意義を強調していた。

私は反対です。
というのも、
古来、知育・徳育・体育
といわれ、知識を持つこと自体は、教育の何分の一の
比重しかない
という考え方からです。

たしかに、
日本経済は停滞している。
その理由は、国際経済に比較して、生産性が低い。
生産性が低いのは、個人や組織に、新しいことを求める知識が足りないからだ。
・・こういう3段論法が基礎にはあります。

これを
家庭のレベルでいっても、
生産性の高い産業や企業に入るためには
良い大学←良い高校←良い中学←良い小学
という言い古された図式が厳としてある。

鹿児島では、
どんな大学に入るかではなく
どんな高校に入るのかが一生ついて回る・・と地元の学生から聞きました。
高校や大学の入試は
「知育」の部分のさらにごく一部である「知識」の量で測られている。
「郷中教育」として知られ、西郷や大久保を生んだという薩摩藩の江戸期の教育は
知育はもとより、徳育、体育もあわせ行ったようです。
その日本を回天した人材を生んだ加治屋町あたりには、
いまは一流の予備校の校舎ビルがあたりを圧して聳え立つ。

先日来、大井玄先生の「つながりの自己」という考えを紹介してきました。
これを教育の側面からいえば、知識偏重・偏差値教育の弊害が社会的な形を取りつつある・・といえるのではないか
と思います。

体育:体力の低下は毎年発表されて久しい。
徳育:政治家の徳の低下は、テレビや国会議場での様子からも明らかです。

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2 コメント

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知識=英知ではない? (genesislife)
2008-01-27 22:16:17
>その日本を回天した人材を生んだ加治屋町あたりには、
>いまは一流の予備校の校舎ビルがあたりを圧して聳え立つ。

 その一流の予備校では徳育を教えているのでしょうか?

 無用な質問だったでしょうか?

 knowledge≠wisdom(又はintellect)

 言い換えれば知る事と分かる事の違い。

 百の知識とひとつの知恵

 どちらが大切なのか?

 現在の受験体制の中では知識偏重のようにも思えますし。

 この記事を読んで考える事しきりです。
人間として大事なことを (bonn1979)
2008-01-28 11:01:19
鹿児島の郷中教育
のことを読むと

四書を読んだりするほか

「うそをつかない」

といった基本的なこと
実戦向きの剣道などを
しっかりやっていたようですね。

*女性の立場からは、郷中教育は、鹿児島の男尊女卑のあらわれだと批判されたことがある。

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