介護福祉は現場から 2007.02.22-2011.01.25

新しいブログにリンクしています。7つのテーマにわけました。引き続きお読みください。

第2977号 早乙女勝元『わが子と訪ねた死者の森収容所』(1983)

2009-06-14 09:31:31 | 地球→ドイツブログ
【早乙女勝元】
早乙女勝元『わが子と訪ねた死者の森収容所』(中公新書、1983年)。購入した日付が1983年7月はじめになっていますから、発行されてすぐ求めたことになります。何度か繰り返し読んだのでバタバタになっています。(写真は、その表紙)

私が、この本で紹介されているブ-ヘンバルト強制収容所跡を訪ねたのは、1979年の夏、ドイツに赴任して最初の夏休みのことでした。30年前のあの夏の日のことは、今でも鮮明に覚えています。
*Buchenwald:
Bucheは、ブナの木、Waldは、森 の意味です。ドイツ語読みでブッヘンバルト。英語読みで、ブーヘンワルト。
「死の森収容所」は、この収容所の通称Toden Waldの訳。

【オバマ訪独】
この本のことを書棚から出してきたきっかけは、つい最近このブログで書いた2つの記事からです。
・オバマ大統領がドイツ訪問の際に、ここを訪問したというオンラインニュースを読みました。このブログでも短く紹介しました。
*第2961号(2009.06.07) Spiegel Onlineの写真が数枚アップされています。

・福島智東大教授が、爆笑問題の番組で、アウシュビッツの強制収容所の体験を書いたフランクルの『夜の霧』について触れていました。
*第2969号(2009.06.10)

【3人の子供達と】
早乙女勝元は、1932年生まれ。東京大空襲に関する記録作りで知られる。
この本は、3人の子ども
早乙女 愛
早乙女 民
早乙女 輝
と、ブーヘンバルトを訪問した記録です。
アウシュビッツについては、良く知られていますが、ブーヘンバルトについて知る日本人は少ないでしょう。

本の目次:
序章 旅の始まり
1章 無差別攻撃の町ドレスデン
2章 ワイマル、その光と影
3章 ブーヘンワルトの警鐘
4章 1945年4月11日
5章 丘の上にたつ11人の男

アンネみたいなやさしい子に 早乙女 愛
ぼくたちは油断できない   早乙女 民
ブーヘンワルトで考えたこと 早乙女 輝  

【記念館】
ワイマールからバスで30分ほどだったか。ブナの木の深い森が開ける。
ガス室。毛髪や靴などを保存した部屋。
ブーヘンバルト強制収容所は、1937年から1945年までの8年間で、25万の人が収容され、7万人が死亡したという。(p.106)

人間の皮膚をはいで作られた電気スタンドの傘は、収容所長の妻イルゼの指示によって作成されたという。(早乙女、p.130)

私のつたない文章では、うまく伝えられないです。
「1945年4月11日」とあるのは、この日入所者のうち850名の抵抗集団が戦闘の末2万1000人を解放した日です。(p.107)

早乙女さんの子ども達の感想文は、子どもらしく率直です。
「何故、こんなことがおきたのだろうか・・なぜ、みんなでだめだといえなかったのだろう」(p.208)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 第2976号 『老年社会科学』... | トップ | 第2978号 野菜ばかりのお昼 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

地球→ドイツブログ」カテゴリの最新記事