タネの縁側  

偏見に満ちております。どなたの参考にもなりません、各自でお確かめいただきますよう御願いいたします。

難儀な関係

2012-02-10 | 
村山由佳著「放蕩記」

母と娘の関係が厄介なケース、なんて考えたことがなく、
「想像できないけど、こういう母娘もいるだろう、大変だろうなあ」
なんて感想。

いじめ、我が子虐待とはちょっと違う。
我が娘にはこうなって欲しい、ゆえの躾け?

親の性格が嫌い、嫌いなのに自分のこの部分は母、父、
逃れない血脈への嘆きや恐れ。

感情移入は全然できなかったけど、途中で辞められない何かがあった。感銘でも感心でもなく関心、純粋な興味だけだろうか。

長女(主人公)だけをやたらスポイルして、厳しくする母は東京に住んで何十年にもなるのに、
「関西弁」でしゃべる、東京の下町に住んでいるわけでもない、父親はMRだか製薬会社の社員。
娘二人を大学までエスカレーターで進める、ミッション系の女子校に行かせた母が
「関西弁のまま」というのがものすごく引っかかってしまった。
想像力の貧困とか偏見かもしれない。

ミッション系≠関西弁



この話に似た実母との不仲だった女性を知っているけれど、話を聞いてもあんまり同情しなかった。
話、盛ってない?(ほんとかよっ)と思ってしまった。
その苦労は大したことない、とどっかで軽視したから。

うちは父の厄介さは話題にするのも面倒で(聞いてもらってもおもしろくないから)、かなり長い間、母と私たちは「ありきたりなホーム・ドラマ(大抵はサラリーマン家庭)のように安穏に暮らしたい」だけが願いだった。
面倒で時代遅れなことばかりを強要し、自分の思ったことは絶対譲らず、些細なことで怒鳴る父が病気で倒れ、徐々に弱ってきた頃から、家族全員がだんだん明るくなったという家庭だった。家の中で家族が笑うようになったは、私が40過ぎたあたりか。



あんまり関係ないけど、若い頃読んだ、
萩原葉子 『蕁麻の家』より現実味がなかった。

アタシの想像力の貧困だわ。

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