ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

2005年8月 西アジア:モルディブにて

2009-04-05 20:51:51 | 
西アジア紀行;モルディブ編

早朝5時に首都マレの島全体に響き渡るコーランの調べに目が覚める。

モルディブは、かつて新婚旅行で訪れた地。

その時訪れた島にはドーニと呼ばれる小船で空港から数時間かけて移動したものだが、現在は定員20名の36ftのトランスポーターに取って替わられている。トランスポーターで港を出れば、その島まで40kt近いフルスロットル航走でたった15分との事。驚くべき変化だ。


始めて滞在した首都の島マレは、空港とリゾートの間しか記憶に無かった自分にとって新鮮な驚きの連続だった。
この1周歩いて1時間ほどの島に多くの商店が立ち並び、夕方になると町のメインストリートは人々で溢れかえり、まるでバザールの様相を示している。

一方、モルディブは100%モスレムの国ゆえに、マレの町には1匹の犬もいない。
空港で出迎えた麻薬犬のオペレーターはスリランカ人との事。

そんな目で街中に溢れかえる商品を見ると、犬物のキャラクターを見る事が無く、逆にクマノミをあしらったニモなどが目に付いた。
これも御国柄のなすすべか。

この島の中に人々が集中する事から、漂流する水上都市の景観で建物は上へ上へと伸びていく。
これらの建物の多くは、両親、兄弟夫婦達一族が住み各階がそれぞれの住居となっている。

また、モスレムの国とは言え、ヤングジェネレーションは今時の若者の格好をしており「今時の若者は…」と言う言葉は、どの国の大人も共通に抱えるキーワード。

この都市の車の制限速度は時速30km、バイクは時速25km。
入り組んだ小路、多くの人々の往来、そして車とバイクが犇き合う雑踏…この街でこれ以上の速度を出す事は物理的に不可能に近い。
しかしながら、そんな街中に、派手な塗装の日本製スポーツカーやアメ車のコルベット…
これらのスーパースポーツは絶対に10秒以上この島の中で時速100kmを維持する事は出来ない。
にもかかわらず、それらが存在する事実はステータスの象徴か、自己満足の具現化か…

一方、政治行政は、共和制を布いているとは言え大統領が27年間も変わっていないため、この頃出来た3つのグループ(政党)からの退陣要求はあるようだ。
港には大統領専用の豪華クルーザーも停泊しており、国民生活が貧窮していれば、不満は噴出しているかもしれない。

政治的な不安定要素はあるにせよ、大きな観光収入により支えられるこの国は表面的には安定を保っている。


先の津波の際、モルディブ全体では100人近い犠牲者を出しているがその大半は泳げない老人や小さな子供達との事だった。

首都マレの港には日本のODAにより設置されたテトラポットが目に付く。
現地の方に聞くと、これにより津波の圧力が緩和され、引き潮時に重なった事も幸いし、海は潮位の変化のみに留まった事により、マレでは潅水の被害のみで、一人の犠牲者も出す事が無かったとの事。

津波当日、現地関係者の弟はテトラポットの後ろで、この状況を目の当たりにしていた。
彼の話だと、目の前の船が視線の高さまで持ち上がって来た為、慌てて逃げて、兄のオフィスに状況を知らせたと言う。

港の近くにはテトラポットを象ったモニュメントもあり、モルディブの人々に非常に感謝されている事は日本人として誇らしかった。

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2005年7月 西アジア:インドにて

2009-04-05 20:47:02 | 
西アジア紀行;インド編

訪れたインドはモンスーンシーズン。


ボンベイでは記録的な豪雨で交通は遮断され人的にも大きな被害が出ていた。
また、時を同じくして現地ホンダの従業員解雇に端を発した流血を伴った労働争議のニュースがインドではトップニュースになっており従業員と雇用者の溝の深さを改めて痛感した。

一方、大陸ゆえか、非常にアクティブなインド人、島国でおっとりとしたスリランカ人やモルディブ人。そんな印象も得る事が出来た。
自分なりには中国人と日本人の違いのようなものを感じたりもしている。

大波の押し寄せるゴアから空路コチンへ、宿泊したホテルはバックウオーター(海岸線に平行した水路)に面し、ゆったりとした時間の流れを形成している。
そこを後に、トリバンダラムへの長い道のりを車で移動した。

ここではオートリクシャなる3輪タクシーから多種多様の車、バイク、人、そして牛が雑踏を形成している。
ドライバーはクラクションを鳴らしながら日本では考えられないアクロバティックな運転で、車をかき分けて行く。
道路に牛も寝ているこの地では、クラクションが最も壊れてはいけない部品の一つかもしれない。

途中立ち寄った漁村では幸いな事にモンスーン時期に発生する「チャガラ」と言う現象に遭遇した。
チャガラとはモンスーンによって潮の流れが変わり、低層部に居る魚達が上層部に異動すると同時に風と波によって岸辺近くまで移動してくる現象。


遠浅の海岸部では波浪が高くなる為、出向や漁が難しい状態になるが、波が立ちにくい遠浅でない海岸部では漁船も集まり、物凄い大漁状態を目の当たりにする事が出来た。
漁師さん達は良い顔で仕事をしている。メインの水揚げは鰯が主体。

一方、衛生面に目を向ければ、海岸線は人糞に注意しながら歩かなければならないし、一般的なトイレには水桶があるのみで紙などは無い。食事は右手を使って食べ、日本の常識からすれば驚く事ばかりだが、これも、かの地での文化。

カメラに集まってくる純真無垢な子供達の笑顔は忘れる事が出来ない。


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2005年7月 西アジア:スリランカにて

2009-04-05 20:43:38 | 
7月19から8月6日まで、仕事の関係でスリランカ、インド、モルディブを訪ねた。
スリランカではコロンボとその周辺、インドでは西部に位置するゴアとコチン、トリバンダラムに至るケララ周辺、モルディブでは首都マレに滞在した。
以前訪れた、中部アフリカのセネガル、ガンビア、マリに比べると近代化を感じずにはいられないが、雑踏という共通感はいつも付きまとっていた。

西アジア紀行;スリランカ編

今ではインド洋の宝石と言われるスリランカだが、かつては深刻な内戦により、インド洋の涙と言われていた。
また津波被害は甚大なもので、写真の海岸線の瓦礫が大きな爪跡を物語っている。


しかし、現在は素晴らしい復興を遂げ、個人的にはインドよりも発展する活力を感じている。
また、空港も整備され観光にも本腰を入れ、内外にクリーンなイメージを創り出そうとしているのも事実だ。(モルディブが高価な観光地となってしまった為、その観光客を引き込もうとする考えもある)

町には人と車が溢れかえり、トクトクと呼ばれる3輪タクシーに乗れば、到底まねの出来ないアクロバティックな、運転で雑踏を駆け抜けて行く。この時、この国のエネルギーを感じずにはいられない。


夕食後、現地の若者に誘われ、クラブを借り切ったプライベートレーサーミーティングなるものに案内された。上品に改造された日本のスポーツカーが続々と集まって来る。
(国民性かもしれないがスリランカ人は、車に限らず物の改造が本当に好きだと思う。)
かの地で、これらの車を所有できるのは非常に限られた御金持ちの為、クラッシーな世界であることは間違いない。

しかし東北部では今でもタミルタイガーとの戦いがある国で、若者の中にこのような文化が花開いている事は、大きな驚きであったし、経済基盤が安定してきた証拠に他ならないと思った。

一方、現地エージェントと会話した時、ここ数日タミルタイガーの内紛がある為、滞在中は訪れる地域は限定した方が良いとのアドバイスを受けた。
(この時聞いた話では、政府がタミルタイガーを掌握しているのかという印象を受けたが…)
しかし、日本帰国後に入ったスリランカ外務大臣の暗殺ニュースに接すると急進派が実権を握りつつあるのか危惧するところだ。

シンハラ人が多く住むスリランカ。その中で少数派であるタミル人との抗争。しかし、スリランカ国外に目を向ければ、逆に多数となるタミル人。
かつて、セキュリティ突破の為、貧農の家族に金を渡し、いたいけな少女に爆弾を抱かせて要人暗殺を行ったテロ行為もあったスリランカ。
そして多くの友人の住むスリランカ。

目覚しい発展をする中でも、この国に真の平和が訪れるまで、インド洋の涙は枯れる事は無いかもしれない。

この国の素晴らしい発展を切に願ってやまない。

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2005年4月 アフリカ:マリにて

2009-04-05 07:07:45 | 
マリ編:
マリは国名を聞いてもピンとくる方々は少ないと思う。マリはサハラ砂漠が終焉する地でもある。
公用語はフランス語であり平均的な月収は$200程度との事だった。
マリの人々は話していても本当にやさしく温和な方が多かった。

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マリの首都BAMAKOに入ってまず驚くのは道路が非常に整備され綺麗な事だった。
この道路に、今度はオートバイがひしめいている。

バイクのエンブレムを見ると、そのほとんどが日本のYAMAHAのもので、
物凄いシェアだと思っていると、さにあらず、実は90%以上は中国製のコピー商品
との事。これが新聞でも賑わした中国製コピーかと思い、市内中央部を歩くと、
写真の巨大なバイク街に遭遇した。迫力から言えば上野のバイク街以上である。
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国によってはSUZUKIやHONDAがこのように目に付く場所があるようだが、いずれもコピー商品との事。
結局、始めに開拓した日本企業の商品に対して同じ形をしたコピー商品が流入し、オリジナルを駆逐しているのが現実のようだ。
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途上国では購入した店で修理するというよりも、(雑貨屋でバイクを売っていたりする)
修理自体を職業とするプライベートメカニックが多々存在する。
また、パーツも純正品から、同じ形をした激安のコピー品まで存在している。
結局、販売とスペアパーツ供給とサービス体制が整う事から、コピー商品は根付いていくと言う構図が成り立っている。
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しかし近年、コピー商品の耐久力の無さが顕著になってきており日本製を求める声が上がって来ているのも事実のようだ。
なけなしの金で買うバイク、日本以上に物を大切にしている。
日本製の1/2から1/4で買える中国製品も精度を落とした部品の積み重ねである以上耐久力は大幅に劣っている、中国がコピーではなく、工夫という視点に立って物を創らない限り、このジレンマは続いていくだろう。
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また、今回訪れた3国とも町には有名どころのサッカーチームのシャツを着た若者達に多く出会った。ホテルから見える町の広場では若者達がサッカーに興じている。


街角の商店には所狭しと有名どころのエンブレムを付けたシャツが並んでいる。
いずれも中国製のコピー商品。
アフリカ大陸に押し寄せる中華パワーの凄まじさは全く侮る事ができない。
セネガルでもガンビアでもマリでも渋滞で停車すれば売子が窓に張り付かんばかりに押し寄せてくる。
色々な物を売りに来るが、中でもプリペイド式の携帯電話カードの販売が目立った。
確かに多くの人々が携帯電話を持っている。プリペイド式の携帯電話の普及率は非常に高い。
月収$200で携帯電話、ついに人類は携帯電話無くして生きられなくなってしまったのかと思う錯覚にとらわれた。

東洋の味が懐かしくなり、BAMAKOの中華料理店に入ると、隣国のトーゴから来たウエイターが片言の日本語で話しかけてきてくれた。
聞けば海外協力隊の「ジョータロー」なる人物から日本語を習ったとの事。
ホッとする感覚を味わいながら、現地でアテンドしてくれたマリ人に感謝しつつアフリカ大陸を後にする機上の人となった。

思えば出張期間中、毎日トップ3のニュースの中には常に日本があった。
現地でも中国の日本に対する暴動ニュースは関心を引いており、60年前の戦争の事を若い群衆がなぜ騒いでいるのかがカルチャーギャップのようだ。
このニュースも踏まえ現地の知識層は中国と言うキーワードに嫌気を感じつつようだった。
そして帰国直前に届いた列車事故ニュース。
驚くべき事が次々起こっていた事を思い知らされた。
振返れば、阪神大震災のニュースも出張先のアリゾナの砂漠のド真ん中で聞いたかつての自分を思い起こしていた。

アフリカで訪れた都市は本当に活気に満ちていた。特にマリはインフラの充実からも政治機能が上手く働けば素晴らしい発展をするだろう。
帰りの機内、自分がもしガンビアの漁村、セネガルの田舎町、マリの雑踏の中に生まれていたらどうしていただろうと思った。
なにも外に目を向けなければここから出る事も無く土に帰る人生を送ったかもしれない。
極論すればカースト制のインドなら下位カーストに生まれれば、国を離れない限り可能性は潰されてしまう。
常に新鮮な好奇心を持つ事、殻から飛び出す勇気を持つ事が自分自身の可能性を伸ばすことに他ならないと、今回のアフリカ滞在を通じて痛烈に感じた。

ダーウィンが進化論で述べた、
「生き残る物は強いものでも賢いものでもなく、変化できるものだけだ」
という言葉を持って今回のアフリカ3カ国訪問の終わりとしたい。

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2005年4月 アフリカ:ガンビアにて

2009-04-05 06:58:50 | 
ガンビア編:
空港のイミグレーションを通るといきなり2名の空港職員に呼び止められパスポートの提示と、バゲッジクレームから荷物を持って別室に来るように言われた。
そこには、各国の不運な子羊たちが犇きあっており、ドアには絶対にノックをしてから入るようにとの張り紙がある。
この場所は手荷物検査の正規の場所ではなく、この部屋の中でバッグの中身のたかりと金銭の要求がなされている事は明白だった。
我々日本人もこの部屋に入りバッグを開く事を下手な脅しの元に強制されたが、同行したアフリカのエキスパートは頑として首を縦に振らない。
こちらもそれに習っていると、業を煮やした空港職員…よく見ると名札を隠していた…は我々を部屋の外に出して
待機するようにして指示して次の便の乗客の下に向かっていった。
ここで幸い、次の便の乗客の中に現地代理店の強力なエージェントを見つけたため彼に事の始終を話し、バツが悪そうな顔をした不良空港職員を尻目に無事入国が完了した。
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ガンビアはセネガルに囲まれた河川に位置する国である。公用語は英語。一般的な平均月収は$200ほど。
かつて道路が整備されていない中西部アフリカの貿易には河川は非常に重要な意味合いを持っており、
フランスとイギリスもこの国の川を巡って血みどろの戦いを繰り広げた経緯を持っている。
立派なリゾートもあり、欧州からの観光客を受け入れているが、近年、経済は下降気味でインフレに見舞われている。

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話は変わって、近年中国もアフリカ各国にサッカースタジアムを建てる等のODA活動を実施している。写真のサッカースタジアムもそれらしい物とのこと。

日本のガンビアへのODAは人材育成、産業基盤育成を目指していてその考え方は崇高な物であるが、
中国の物はそれとはかけはなれた、民衆へのアピールである。
しかし、日本の中国へのODA資金が、巡りめぐって中国のODAとなっているような気がしてならない。
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ガンビアでは漁村も訪ねた、魚を積んだ漁船が帰ってくると浜は黒山の人だかりである。


近年、沖合いで韓国と中国の大型漁船がトロール漁を始めて以来、漁獲量は減少の一途を辿っているとの事。
外国漁船が政府にお金を出せば無制限に漁が出来るとの事で、漁民の不満は大きかった。
漁村ではJICAの冷凍施設や日本から援助した漁船も活躍しており、日の丸が描かれた施設が現地人の手で運用されている姿は、日本人として誇らしかった。
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首都BANJULの郊外でRiders for Healthと言うNGO団体でバイクのチーフメカニックをしている英国人と知り合った。彼は元、RedBullレーシングのメカニックだったとの事。
NGOの活動は僻地のAIDS患者のレスキューや健康管理の実行が主な内容。
彼の元、統制された整備体制で車両は稼動しているが、彼の任期が切れた時、スムーズに活動が引き継がれていくのかが心配。
どんなODAもNGO活動もそれを根付かせていく事が大きな課題になっている。

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車窓から見ると辺鄙な町でも学生の姿が目に付いた。
同じ中部アフリカのエクアドルギニアなどは大統領が自分の保身の為、一時期教育を廃止したが為に、30代の働き盛りが教育を受けた事が無い国もある。
ガンビアの明るい未来を見た気もするが、訪れた漁村では働く子供達の姿が目立った。
まだまだ教育問題は根深いものがある。
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ガンビアからの出国時にも入国の時と同じようなトラブルに見舞われた。
どうやら空港自体の構造が正規のルート以外の通路を設けた物になっており不正の温床をハードウエア的に形成しているようだ。
今回も、携帯電話を使い、現地エージャントに電話して空港の職員の高官にエスコートを頼み、事なきを得たが、コネを持たない一般ツーリストなどは一度この経験をしたら、2度とこの国に来ようとは思わないだろう。
同行したアフリカのエキスパートの感想もアフリカの中でも最低の部類に入る空港との事。
本来、国の顔であるべき空港職員が、こんな馬鹿な小遣い稼ぎをしている事で、観光客を遠ざけ、ひいては国力を落としていく。
複雑な思いのまま、最終国マリへ向かった。

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2005年4月 アフリカ:セネガルにて

2009-04-05 06:45:08 | 
セネガル編:
パリからセネガルの首都ダカールへ、眼下に赤いアフリカ大陸を見下ろしながら、
一路セネガルのダカールへ向かった。
セネガルはパリダカールラリーのダカールを首都とする国として知られていると思う。
公用語はフランス語であり、ダカールはアフリカ最西端の地でもある。
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首都DAKARを後にSALYという町を目指したが、筆舌に尽くしがたい道路の混雑に遭遇した。
道路には車、人、馬車が犇き合い、交通ルールは無いに等しい。

ただし、セネガルは訪れた3国の中でも経済的に最も恵まれており、物は溢れ、美しいリゾートが存在している。

しかし、リゾートの一角を離れると美女がたたずむビーチの隣には、柵で隔てられたゴミが溢れたビーチとそこに遊ぶ現地の子供達という写真のような現実の姿が見えてくる。

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また、セネガルはアフリカでも美人が多い国といわれている。
US出張が多かった自分としても目を見張るようなカルチャーショックを受けた。
確かに街中を見ても肥満した方は目に付かず、ナオミキャンベルのようなスレンダーな美人にも多々遭遇する。
スリムでヒップの出たスタイルは抜群である。しかし、これは写真にあるように
幼い頃から子守をしてお尻を突き出すようにして赤ん坊の体重を支えるようにしていた結果の現れである。
ここにも美しい姿とは表裏一体の過酷な現実が存在している。

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セネガルでは水に気をつけ、氷を抜き、生野菜も無しで健康には気を遣ってきたが、最終日に下痢に見舞われた。
面白い事にセネガルの国際線ターミナルのトイレの便座は全て取りさらうわれていた。


これもアフリカと思いながら、我慢を強いられる中、次の地であるガンビアに向かった。
これからが、ディープなアフリカへの入り口である。

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2005年4月 アフリカ

2009-04-05 06:38:38 | 
4月8日から26日にかけて、アフリカに出張した。訪れた国は、セネガル、ガンビア、マリの3国。

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現在、アフリカにある国家は何ヶ国か御存知だろうか?混沌とした状況の中で、52カ国。
このレポート中も変動があるかもしれない。
アフリカ大陸を地図で見れば定規で引いたような真直ぐな国境線が目に付く。
これはかつてヨーロッパの列強国が資源確保を目指し、多々の部族が暮らす事を無視して引いたエゴの国境線である。
結果として、現在も利権が絡んだ民族紛争が絶えず、国家としての安定が損なわれ、新しい国々の誕生と消滅を繰り返しているのが現状である。
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また、アフリカと聞いて思い浮かぶのは、飢餓、風土病による死、クーデター…
決っしてポジティブな印象は少ないと思う。
しかし、今回の出張ではそんな印象より遥かに大きなインパクトを得る事が出来た。
日本では味わえない何か、それをセネガル、ガンビア、マリの3篇に分けて報告したい。
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