雅子皇太子妃・徳仁皇太子・愛子内親王の現状は”第二の女系天皇問題”安倍元総理暗殺は第3の敗戦、愛子天皇は終末の敗戦だ

※当ブログでは明治典範にも違反する生前の譲位に抗議し、ブログタイトルは違法即位後も同タイトルとします。

#拡散希望これ以上 #日本死ね の暴言を許すな。いかな理由があっても許されない。#日本死ね許すな ← ...

2017年02月06日 07時18分42秒 | 国家・教育・秩序・他保守総合/ツイッター投稿一覧
#拡散希望
これ以上 #日本死ね の暴言を許すな。
いかな理由があっても許されない。
#日本死ね許すな ← #ハッシュタグ 使って
≫認可保育所:落選ラッシュに悲鳴…SNSで怒り共有 - 毎日新聞
http://mainichi.jp/articles/20170206/k00/00m/040/045000c?fm=mnm

【#拡散希望】救う会全国協議会ニュース(2017.02.03)拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか...

2017年02月03日 18時52分19秒 | 北朝鮮による日本人拉致というテロリズム
----- Original Message -----
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2017.02.03)拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集
会報告3

■拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集会報告3

西岡 私も思い出すと、97年の夏くらいだったと思いますが、「朝まで生テレ
ビ」という討論番組があり、「北朝鮮問題で討論してくれ」と言われて出たとこ
ろ、吉田康彦さんという大阪法経大学の教授が前に坐っていて、当時「拉致事件
はでっち上げである」ということを延々とやっていました。

 2000年にもはやり「北朝鮮問題を議論するから出てほしい」と言われて、
「いいですよ」と言ったんですが、その後電話がかかってきて、「司会者の田原
総一朗さんと相談したが、今回は西岡先生の出演は取りやめになりました」と言
われました。「理由は何ですか」と聞いたら、「今回は朝鮮総連に出てもらいた
い。朝鮮総連は西岡先生との同席を拒否している。それで出演を取りやめにする
ことにした」と。

 2000年当時、朝鮮総連は「拉致はでっち上げだ」と言っていました。私は
「拉致がある」と言っていました。私は朝鮮総連と議論していいと言っていたの
ですが、朝鮮総連を出席させるために、「拉致がある」という人を一度頼んだの
に辞めさせた。こういうのが2002年以前のマスコミの状況でした。

◆日本に拉致情報を提供してくれた脱北者、当局者に勲章を

 次に西村先生の質問主意書に移りますが、その前に一つだけ。やはりこの横田
めぐみさんの事件については、長谷川さんの緻密な取材でも明らかなように、韓
国側が亡命者を秘密にしているという状況の中で、本来ならその亡命者との約束
があれば公にしないことが情報の世界では普通のことなのに、あまりにも13歳
の少女拉致がひどいことだということで、通常なら韓国だけの国益を考えていた
ら公開しないことがあってもいい情報にも関わらず、「許せない」と、「拉致は
テロだ」ということで日本に提供してくれたということです。

 私はもう少し色々なことを知っているのですが、横田めぐみさんが帰ってこら
れたら、その情報を提供してくれた最初のXさん、そして情報を提供する判断を
したそれぞれの部署にいた人たちに、日本政府は勲章を出すべきだと思い、その
ことの運動をしようと思っています。早くそういう運動をする日がきてほしいな
と心から思っていますが、今の日韓関係には様々なことがありますが、当時韓国
側から見て日本は情けないと思っていたのに、情報提供の事実があったというこ
とは、我々は忘れてはならないことだと思っています。

◆もし最初の拉致事件で厳しい対応をしていれば、その後の拉致はしなかったか


長谷川 北朝鮮のような犯罪国家のことはともかくとして、日本という国、ある
いは日本政府に重大な問題があるんじゃないでしょうか。今西岡さんがおっしゃっ
たように、当時韓国側は、当然日本が相当の対処をするんじゃないかと思ってい
たふしがあります。

 私は実際に韓国側の人に取材して、その気持ちを感じていたものですから。し
かし日本は何にもしなかった。色んな交渉はしているけれど、今もって40年間
拉致されたままの状態です。

 経緯を調べてみると、驚くべきことに、一番最初に拉致が発生したのは197
7年9月19日なんです。これは石川県の能登半島から、東京都三鷹市の職員の
久米裕さんが、在日朝鮮人にだまされて能登まで連れ出されて、北朝鮮から来て
いた船に乗せられて拉致された。これが最初です。

 この後拉致が1件ありますが、久米さん拉致の2か月後に横田めぐみさんが拉
致されているんです。1977年11月15日に。久米裕さんの件で、確実に日
本側で対処がなされていれば、横田めぐみさんの拉致は未然にくい止められたか
もしれないし、それ以降続々と毎年のように拉致が続くわけです。これもなかっ
たかもしれない。

 これに政府あるいは外務省がどう関わっていたのか。久米裕さんという人を三
鷹市から連れ出して、「北朝鮮に行けばいい商売がある」というだまし方だった
ようです。石川県警察本部は北の暗号電波を解読していて、能登半島のある場所
で何かが起こると、拉致が起こるというようなことを事前に分かっていて、警戒
をしていて、三鷹市から手引きして連れて行った在日朝鮮人を捕まえているんで
す。

 しかし、その人は結局起訴猶予になり、その後日本に帰化して日本人になって
います。私はきちんとした追跡しかしていないので漠然とした言い方しかできま
せんが、日本の政治家が介入して、それ以上の追及を止めさせたという話はある
んです。

 つまり、北朝鮮を刺激するなということなのか、あるいは何らかの利害関係、
利権関係が北朝鮮とあったのか。ともかく日本の政治家が介入してうやむやになっ
てしまった。ここで強力な活動を警察がやり、日本の外務省が北朝鮮に対して重
大な抗議を申し入れていたら、それ以後の拉致があのように続いたのかどうか。

 13歳の横田めぐみさんが下校途中に暴力的に何かに押し込められて連れ去ら
れるということが発生したかどうか。もう発生しなかった可能性もあるわけです。
そうするとその日本の政治家というのは重大な責任を負うべきです。

 しかし政治の圧力に屈した警察も警察だと思いますが、私はここに日本そのも
のの、つまり今もって拉致問題がほとんど解決されていないのは、北の問題は論
外ですが、日本側にも重大な問題があるのではないかと思っています。

◆西村眞悟議員質問主意書への回答から見た政府の対応

西岡 今おっしゃった久米さん拉致については私も随分調査しました。当時取り
締まりに当たった、引退した担当者の自宅にも何回も行き、色々な話を聞いてい
ます。今長谷川さんからそういう問題提起があったということで、そのことを話
しているとまた1時間くらいかかりますので、1つだけ私が知っていることで言
えることは、警察は無線の内容は分かっていなかった。ただ、電波が飛んだとい
うことは分かっていて、警戒していたということです。

 拉致ということではなくて、船が来たという警備情報がかかっていたというこ
とは間違いないことが現場で確認できました。

 今日の資料に、長谷川さんと併行して行われていた西村眞悟先生の質問主意書
及びそれへの回答を掲載した「現代コリア」の資料を持って来ましたので、その
話をします。

 この1・2月合併号は1月後半に出したと思います。ここで初めて「現代コリ
ア」に横田めぐみという名前を書きました。その時の一部の記事を持ってきまし
た。左側に当時分かっていた拉致被害者の名前を書きました。小住健蔵さんの名
前が抜けていますが、ここで17人を出しています。私は97年の「諸君!」1
月号に「17人」と書きました。

 西村先生の質問主意書と回答は「現代コリア」の3月号です。「新潟日報」の
記事も載せて「拉致の疑いがあるのではないか」と追及しています。

◆韓国政府から情報提供があったことを事実上否定しなかった

 西村先生の質問主意書と回答を一つずつ確認したいと思います。97年2月の
段階での、日本政府の拉致に関する回答が文書でここに出ています。まず質問一。

 「失踪者横田めぐみに関し、前記亡命北朝鮮工作員から前記供述を得た韓国政
府より我が国政府にその供述の裏付けのための照会が平成七年六月から同年十一
月の間に為されたと当職は聞いているが、韓国政府からこの照会があったのか。
あったとすればその内容。また、照会があったとして、それに対し、我が国政府
は調査したのか。したとすればその調査内容。さらに我が国政府は韓国政府に回
答したのか。したとすればその内容。」

 この質問に対して、政府の回答は、

 「お尋ねの事項については、御指摘の失踪者の安全に配慮する等の観点から、
外国政府との間のやりとりの有無を含め、答弁は差し控えたい。

 なお、本件については、御指摘の報道には、その時点で接したところであり、
その内容を踏まえ、今後適切に対処してまいりたい。」

 これは「現代コリア」の96年10月号の報道等のことを言っていると思いま
すが、「安全に配慮する等の観点から答弁は差し控えたい」と言っています。し
かし、長谷川さんの取材では、韓国政府から情報提供があったことを事実上否定
しなかったということです。

 次に

「横田めぐみ失踪の翌年夏、日本海岸及び九州の海岸などで北朝鮮工作員による
アベック拉致事件が連続して起こっているが、横田めぐみ失踪に関し、北朝鮮工
作員による拉致の可能性は検討されたのか。検討したとすれば、北朝鮮に対し、
いかなる対処を為したのか。」

 めぐみさんの拉致についてどう思うかという質問ですが、これについては、

 「御指摘の失踪者については、昭和五十二年十一月十五日夕刻、新潟市内にお
いて中学校から帰宅する途中で消息を絶ち、その後、現在まで行方不明となって
いるものと承知している。

 本件については、捜査当局において御指摘の可能性も含めて所要の捜査を実施
しており、また、関係機関において関連情報の収集に努めているところである。

 なお、御指摘の失踪者が拉致されたか否かについては、現在までのところ確認
されていないと承知している。」

 「御指摘の失踪者」はめぐみさんのことです。「御指摘の可能性」は拉致の可
能性のことです。長谷川さんに出した文書の回答とほぼ似ているような回答がこ
こで出ています。

 質問の三は、

「政府は、横田めぐみ及び李恩恵を含め、我が意に反し、違法手段により北朝鮮
に拉致された日本人を把握しているか。把握しているとすれば何人か。また、そ
の氏名及び失踪前の住所は。」
これに対し回答は、

 「北朝鮮に拉致された疑いのある日本人の数は、これまでに六件、九人であり、
また、拉致が未遂であったと思われるものは、一件、二人であると承知している
が、その者の氏名及び失踪前の住所については、本人の安全及びプライバシーの
保護の観点から、答弁は差し控えたい。」

 この「六件、九人」は、アベックの3件6人と、長谷川さんがおっしゃった久
米裕さん、そして田口八重子さん、原敕晁さんです。梶山答弁では久米さんにつ
いて言及がありませんでした。質問されなかったから言及しなかったと思われま
すが、ここでは何人なのかと聞かれたので「六件、九人」。(1988年の)梶
山答弁では8人でした。

 私は91年に17人と書いていたわけです。2002年9月の段階では、政府
はよど号犯(に拉致された)3人を加えて12人について北朝鮮に調査を求めて
いました。

 政府は、住所や名前について、「本人の安全及びプライバシーの保護の観点か
ら、答弁は差し控えたい」と回答しています。ここでも「安全」という言葉が入
ります。当時の政府のスタンスとして、名前を出したら危ないということが分か
ります。「安全」と繰り返しています。

◆日朝協議で外務省は拉致被害者一人を提起しただけ

 質問の四は、

「国民を守るという政府の責務に鑑み、政府は北朝鮮に拉致された日本人救出の
ため、何か対処を為してきたのか。為したとするならば、その時期及び内容は。
それに対する北朝鮮側の態度は。

 特に、失踪者横田めぐみに関し、北朝鮮に対して政府として取った措置はある
か。あるとすればその内容。また今後、北朝鮮に対しいかなる態度で臨むつもり
か。予定する行動があるならばその内容は。」

 これについて政府は、97年以前に何をやってきたかについてこう答えていま
す。

 「北朝鮮に拉致されたと疑われる日本人のうち、李恩恵については、平成三年
五月に同人が失踪中の日本人女性である可能性が高いと判断するに至ったことを
踏まえ、同月に開催された日朝国交正常化交渉の第三回本会談において照会を行っ
た。同交渉においては、第四回本会談以降、本会談の開催のたびごとに本問題に
ついての実務者協議(以下「実務者協議」という。)を開催し、北朝鮮に同人の
消息等についての調査を強く求めたところである。これに対し、北朝鮮は、李恩
恵事件は韓国の陰謀でありそのような問題はそもそも存在しない等の主張を繰り
返し、平成四年十一月の第八回本会談の際の実務者協議において北朝鮮が一方的
に退席したことにより、日朝国交正常化交渉が中断しているところであり、実務
者協議も行われていない。

 また、御指摘の失踪者の件については、捜査当局において所要の捜査を行って
いるところであり、関係機関において関連情報の収集に努めているところである。」

 「御指摘の失踪者」はめぐみさんのことです。

 ここで分かるのは、梶山答弁では少なくとも8人について、「拉致の疑いが充
分濃厚」と言ったのです。梶山答弁は1988年です。「平成三年」は1991
年です。91年5月に日朝本会談において李恩恵のことを出したと言っています。
ではなぜそれ以外の人を出さなかったのか。

 日本政府は1991年以降、北朝鮮と交渉する度に拉致問題を交渉してきたと
いつもパンフレットに書いていますが、私はこれにすごく腹が立っています。増
元照明さんもおられますが、2000年当時、槙田アジア局長のところに陳情に
行った時に、槙田さんが「この問題は私が詳しいんですよ」と。この実務者協議
をやっていたんです。首席代表ではなく、ナンバー2でした。

 私は本当に頭にきて、「ここに増元照明さんがいるけど、なぜあなたは増元る
み子さんを出さなかったんですか。梶山答弁があったじゃないですか」と。私は
紳士ですからあまり声を荒げることはないんですが、そう言いました。

 後で増元さんが局長に呼びとめられて、「あんな柄の悪い奴とはつきあうのを
やめた方がいい」と言ったそうです。でも梶山答弁で「8人」と言っているのに、
一人しか出さなかった。

 それもここに書いてある通り、本会談で出したのは1回だけなんです。その後、
「実務者協議で出した」と言っていますが、これはどういうことか。本会談で出
したら、北朝鮮が「でっち上げ」だと言って席を立ってしまった。それで日本の
学者とか外務省の北東アジア課のナンバー2を平壌等に派遣して裏交渉をして、
こういう裏合意をしました。

 「5回目の協議に戻ってきてほしい。本会談では拉致問題を出しません」と。
しかし、休憩中に首席代表が席を外しているところで、4回目の協議でお願いし
た李恩恵と呼ばれる日本人に関する調査がどうなっていますかと聞く。北朝鮮は
黙ってそれを聞いている。日本側は日本に帰って、「拉致問題を出しました」と
言う。北朝鮮は「出しませんでした」と言う。

 こういう裏合意があって実務者協議なるものが行われたので、「なんで本会談
で出さないのか。日本人が拉致されているとの国会答弁があったのに」と。そも
そも増元るみ子さんのことは本会談で出してないんだから。少なくとも5件8人
については同じように扱うべきだったと今でも私は思っていますが、当時の外務
省はそういう状況でした。

 ところが北朝鮮は第8回日朝協議の実務者協議で、日本側が拉致問題を出すと、
北朝鮮側は黙って聞いておくという密約だったのに席を立ってしまった。それで
協議が決裂した、ということになっています。

(4につづく)


★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■安倍首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

#拡散希望 救う会全国協議会ニュース(2017.02.02)拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東...

2017年02月02日 18時08分29秒 | 北朝鮮による日本人拉致というテロリズム
----- Original Message -----
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2017.02.02)拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集
会報告2

■拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集会報告2

◆北朝鮮に日本は証拠を持っていると思わせることができるかが勝負だった

西岡 私は佐藤所長から間接的に聞いたのだと思いますが、「輪転機を止めてほ
しい」という電話をかけられたと聞いています。そういう中で西村先生から「名
前を出すかどうかは任せる」と言われたので、私も大変悩みました。

 西村先生は、「止めてくれ」との電話はきていないということでした。2つの
考え方がありました。名前を出した方が、確実に日本人が拉致だと認識していれ
ば、簡単には手を出さないのではないか。中途半端な認識ではやられてしまう。
一方、「拉致はでっちあげ」と言っているのだから証拠を隠滅する可能性がある。
朝鮮労働党が「なかった」といったらないんだということです。

 西村先生の質問主意書に対する政府の答えには、「安全」という言葉が繰り返
し出ています。そういう緊張関係だったので、私はその中間の立場で、西村先生
の質問に対する答弁が冷たかったら、危ないかもしれないと思いました。

 冷たい答弁が出ると、北から見ると、「これは情報に過ぎず日本政府は証拠を
持っていない。それなら早く証拠を隠滅してしまった方がいい」と判断するだろ
う。逆に、「かなり前向きの答弁が出たら、既に証拠を握られている以上、証拠
を隠滅しても意味がない。それならいつか人質として使うことも考えて大切にす
るのではないか」ということで、関係機関に色々な手を使って、どんな答弁にな
るのか聞いてみました。

 もちろん答弁は教えてはくれないのですが、「こういう質問をされることは歓
迎します」と。そして、金賢姫さんが書いた二冊目の本、これは「忘れられない
人」というタイトルの本ですが、「日本人の女子高生が拉致されている。その子
は自分で洗濯することも知らない子だと招待所のおばさんに聞いた」という金賢
姫の証言が出ていますよ、と教えてくれました。

 これは公開情報で、私は何回も読んでいたのに、その時それを忘れていた。そ
ういうことを教えてくれること自体、かなり前向きの答弁が出そうだと思いまし
た。それならこちらには証拠がある。確実な証拠があることを示した方がいい、
と。

 そして世論に訴えて、国民全体がめぐみさんの名前を記憶した方が安全になる
のではないかと思いました。その世論に訴えることが必要だということは、横田
滋さんが、ぎりぎり悩まれた中で、新潟市のYさんということではマスコミは熱
しやすく冷めやすいのですぐ忘れられるのではないか、と考えられたと聞きまし
た。

 私も横田めぐみさんの拉致が明らかになる6年前、1991年に、当時文芸春
秋社から発行されていた「諸君!」という月刊誌に拉致問題について論文を書き
ました。私は当時17人の日本人が拉致されていると、色々な証拠を出して書き
ました。しかし、全く無視されました。何も起きなかった。

 一方で、周りから「身の危険はないですか」と聞かれました。自衛隊関係者や
外務省の人や公安調査庁の人にも聞かれました。「現代コリア研究所」には、こ
のことが理由かどうか分かりませんが、匿名で、活字を切り抜いて貼り付けるも
のが送られてきました。年長者の方は覚えておられると思いますが、昔、「吉展
ちゃん事件」という人質事件があり、その時の脅迫状のようなもので、「殺して
やる」という脅迫状が来たりしました。

◆異常な国日本、学者のままではいられなかった

 日本の学者が日本の雑誌に拉致問題について書いた論文は私が最初です。ジャー
ナリストの報道は「産経新聞」の阿部雅美さんが、1980年1月に書かれたの
が最初です。

 そもそも日本には1億2千万人の人口がいますが、朝鮮総連は当時でも30万
人はいなかったでしょう。20万人または10万人でした。1億人対10万人の
関係で1億人の方が怯えている。これは異常なことではないか。日本というのは
本当におかしな国だなと思っていましたが、私は学者でしたので、それ以上に運
動をするということは考えませんでした。

 しかし、横田さんたちの決断を見て、そして西村先生から言われたということ
もあって、これはもう学者としてウォッチするだけではいられないなと思いまし
た。自分も、「名前を出した方がいいと思います。先生名前を出しましょう」と
言ったからには、この問題に決着がつくまでは、横田さんたちが立ち上がり、そ
の後家族の人たちが立ち上がったので、家族の人たちから離れることはできない
なと思い、救う会を作ることに参与したのです。

 次に記事の内容についてお聞きしたいのですが、まず新進党の西村眞悟議員の
質問主意書について書かれています。それと、政府の回答については後にお話し
ます。石高さんが「現代コリア」にまず書いた。新潟で似た事件があった。長谷
川さんの記事がすぐれているのは、そこで終わらせてなくて、石高さんが聞いた
ことをもう一度情報源に当たって確認しようとされたことです。

 石高さんの情報源は未だに公開されていない亡命者です。その人に会いたいと
取材を申し入れたら、韓国当局は、「現時点では不可能だが、それを証言した亡
命者はいる。証言内容は石高原稿と同じだ」ということを確認した。

 そして亡命者を公表しない理由は、韓国への亡命はまだ一般には公開されてい
ないという事情まで聞かれていたことです。早い段階でここまで聞いていた。き
ちんと取材がされているなと思いました。韓国政府側とのやりとりはどんな感じ
だったのですか。

◆韓国政府が日本人拉致情報を日本に伝えていた

長谷川 私はすぐにソウルへ行こうと思ったんです。しかし、朝鮮問題の専門家
でもないし、朝鮮語ができません。また取材の時間もなかった。しかし、韓国側
には取材しなければならない。そこで東京の韓国大使館に取材しました。相手が
誰かは控えさせていただきますが、然るべき要職者です。

 この方から相当詳しい話を聞きました。しかし、やはり亡命者のことはその人
の命にも関わるし、それは勘弁してくれということでした。そしてこの取材の中
で、韓国は相当の情報を確実に握っているということでした。

 確かに13歳の少女が日本で拉致されて、それも随分以前のことで、北朝鮮で
監禁状態下にあることはよく承知していた。それが韓国で分かったので、当然の
ことながらすぐ韓国政府は日本政府に伝えていることも分かりました。

西岡 そのことがこの記事に書いてありますね。

長谷川 受けた印象は、韓国政府は、13歳の娘さんが拉致されるとはとんでも
ないと、何歳であろうととんでもないことですが、それを日本側に伝えたら、当
然日本側は然るべき対処をするだろうと思っていたけれども、日本側からは何の
動きもないと。あれ、日本って何なのかな。そういう気持ちを韓国政府側は、と
いうか東京の大使館側が意外に思ったという印象を取材の中で受けました。

◆日本はやっているのだろうと思った

西岡 実は現代コリア研究所は、1997年1月の段階で、めぐみさん拉致は間
違いないだろうと判断するに当たって、私も石高さんの原稿だけを使ったわけで
はありません。やはり、直接聞かなければならないと思い、昔からの知り合いの
関係者に話を聞こうという努力の中で、ソウルにいる然るべき人から、「東京の
大使館を通じて西岡にメッセージがある」と言われて会ったところ、長谷川さん
が書いておられる通りのことを聞きました。

 石高さんが書いた亡命者がいる、証言も間違いない、しかしこの人は公開しな
いということでした。それもあったので、「現代コリア」としてもインターネッ
トに出したり、あるいは西村先生のところに持っていくことができたということ
です。

 そして、私も同じような印象を受けました。逆に、石高さんにリークしたのは、
日本政府に通報した後で、その背景も、何を日本はやっているのだろうと思った
ことがあったのではないかと私は推測しました。一方、日本の公安側は私に、先
ほど言いましたが、金賢姫さんの本を読んでみたらというようなことを教えてく
れたりしていました。

 先ほど、長谷川さんは2月3日のめぐみさん拉致の発覚記事については同着で
はなくスクープだと言っておられましたが、最初の記事の中で、日本政府側のこ
ともちゃんと取材されていて、「警察庁側はアエラの取材に対し、この問題をめ
ぐる韓国側との情報交換について否定せず」と書いています。

 つまり、事実上情報が来ていたことを認めたことまでちゃんと確認されている。
韓国側がちゃんと情報を伝えた。「否定せず」というのは日本側も事実上認めた
と読めます。そしてなお警察庁側は文章で、「ご指摘の人物が失踪していること
と、ご指摘のような拉致に関する情報があることは承知している」と回答したと
あります。

 この情報というのは「現代コリア」のホームページしかないわけです。そのこ
とよりも95年に韓国政府から聞いた情報を指していると思われますが、それは
活字になっていません。そして、「失踪中の人物が拉致されたとされる人物と同
一か否かについては確認されていないが、同人が拉致された可能性も含めて、所
要の捜査をしている」と書かれている。今、特定失踪者とされる800人の方に
ついて、(警察は)こういう言い方はしません。

 一番最初の報道で、名前を出すかどうかの問題とは別ですが、(政府が)韓国
側にきちんとした回答をしておらず、きちんとしたコミュニケーションがとれて
いなかったこともあって、韓国側は「何をやっているんだ」と思ったとあるのは
私と同じ印象ですが、他方、日本の警察の姿勢は冷たくはなかったということで
す。

 もう一度この記事を読んで、ここまで書いていたんだなあと今日思いました。
この辺の取材について何か話せることはありますか。

◆警察は事実上断定していた

長谷川 この警察庁の見解はどうしても必要だと思いましたので取材を申入れし
ました。正確を期さなければならないもので、「言った、言わない」となると、
問題が問題ですからとんでもないことになるので、文書での回答を求めました。
だから警察庁は非常に慎重に、どこからどういうふうにも突かれないような形の
文書にしたと思います。

 しかし、非常に慎重に書かれた文章でありながら、全体として読めば分かると
思いますが、警察は事実上断定していると思います。失踪した横田めぐみさんが
北に拉致されている13歳の少女と同一人であるとはっきり認めた上で、メディ
アに対する文書回答としてはこういう表現で万全を期した形のものだと私は思い
ました。

 ただ文書回答ですので、これはそのまま載せて、こちらの余計な判断は加えな
かったということです。

◆生存情報をむしろ公にすべきだと判断した

西岡 この2月の時点ではこうだったのですが、5月の国会では、国家公安委員
長が、拉致容疑の事案に横田めぐみさんも入れました。ですから長谷川さんの判
断は正しかったと思います。

 原稿の最後のところに、「娘の生命の安全」祈る、という小見出しがあります。
これはまさに先ほどの早紀江さんとのやりとりの中で、身を削るようにして書か
れた文章だなあと思いました。

 「最近、この関係の情報が各方面から両親にもたらされているが、娘の生命だ
けは安全であってほしい、というのが両親の願いだ。そこの点をめぐる憂慮は日
本の警察内部にもあるようだ。新潟県警本部でもそうした声を聞かされた」

 「この事件を表面化させることでどんな結果が生じるか、それを予想するのは
難しい。しかし、この事件は、関心を持つ人によってすでにインターネットにも
流されている。慎重に対応することは当然としても、話が半公然の形で拡散する
のに任せるのは危険がある」

「めぐみさんの両親もそれを恐れ、「生存証言」の情報をむしろ公にすべきだと判断した」

「『生きていてさえくれるなら、いつまでも待ちます』と言っている」

 この部分は私も心から同感を持って読みました。

◆インチキ記事と書いた日教組、社民党機関紙

長谷川 私がこの記事を書きましたら色々な反応がありました。その反応に私は
むしろ慄然としました。日本の実態というものが、変な言い方ですが、あざやか
に出ていると思ったのです。悪い意味で。

 その反応のいくつかをちょっと紹介しますと、まず社内のある人が、「こんな
ものが出ていますよ」と言って、小さな版の新聞のような定期刊行物です。それ
をずっととっておいたのですが、いくさ探してもみつかりませんでした。あった
ら本日皆様にコピーしてもいいと思っていました。

 それは日本教職員組合の槙枝元文元委員長が発行人となっている印刷物で、そ
こに「こんな記事を書きやがった」という気持ちが表れているような表現でした。
「これは韓国情報機関の安全企画部のでたらめ宣伝の提灯を持ったようなインチ
キ記事」。そういう趣旨の中味で、しかも、「これを書いた記者は新潟の現場の
取材もしていやがらない」ということまで付け加えてあるんです。

 私には何の取材もありませんでした。新潟の現場の取材をしなくても十分に書
ける内容ですが、私は繰り返し新潟の現場に行き、拉致された横田めぐみさんが
住んでいた家、通っていた中学校付近一帯を何度も何度も歩いてみました。その
他色々な取材を新潟市内でしています。全く虚偽の捏造を、この槙枝元文元日教
組委員長が出しているミニコミにはそういうことが載っているわけです。

 新聞社に入ると、かけだしの記者、新入生は2つくらいの支局を回らされます。
私は2番目の支局が新潟支局でした。新潟市内のことはよく知っています。1年
半くらい新潟にいて、市内を歩き回っていた人間です。さらに私は後に結婚した
妻が新潟市の人間です。その関係もあって、新潟市にはしょっちゅう行っていま
したのでよく知っています。

 この槙枝元文元日教組委員長が出しているミニコミは、ただの一度も私に電話
もしないで全くの嘘、でたらめを書き連ねている。そしてそのうち私が驚いたの
は、当時の社会民主党、土井たか子委員長の機関雑誌に、「月刊社会民主」とい
うのがあります。その1997年7月号、この記事が出た数か月後に、驚くべき
ことが書いてあるんです。これを持って来ましたので読み上げさせてください。

 一言で言えば、横田めぐみさんという少女が北朝鮮に拉致されたというこの記
事は全くのでたらめ、ということです。こういう言い方です。

 「それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は、新しく創作された事件とい
うほかはない。拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないこと
を狙いとして、最近になって考え出され、発表された事件なのである」と。

 全くの捏造だと社会民主党の機関雑誌「月刊社会民主」がそう書いています。
これは当時の党のホームページにも載っていました。これには私はびっくりしま
した。私が取材をしないでけしからんという以前のことです。

 さらに、外務省の槙田邦彦アジア局長は自由民主党の関係会合で、「たった1
0人とか何人とかのことで日朝国交正常化交渉が止まっていいんですかねえ」と
いう発言をしているんです。この暴言をした外務省局長は何ら処分されていませ
ん。それどころか某国の大使に栄転しています。これが日本の外務省なんです。
あるいはこれが日本政府というべきなのか。

 さらに、東大名誉教授の和田春樹という人は、この記事の4年後、2001年
1、2月の雑誌「世界」で、一言で言えば。「そんなことはいい加減な話だ」と
言っています。現物がここにあります。そういうことが延々と続いて、今も続い
ているのではないかと思います。

 不思議なことに、今週、朝日新聞はこの和田春樹をにぎにぎしく取り上げた連
載をしており、その第1回で、質問者が「北朝鮮との間では拉致問題で進展があ
りませんね」と聞くと、和田春樹という人は、「拉致は大変痛ましい問題ですが、
北朝鮮が死亡したという人について、『生存しているはずだ、返せ』と言うだけ
では交渉になりません」と一方的に北朝鮮側に立って話しています。北朝鮮が言っ
ていることを真実だという前提に立っています。

 この和田春樹についての「人間紹介」の第1回目ですが、「本日の夕刊第7回
目によれば、この質問者は「雑誌世界」の2001年1月号と2月号に、『拉致
疑惑には断定するだけの根拠は存在しない』という論文を発表していますね」と
書かれています。

 「これについてその時点ではっきりした証拠があったのは辛光洙に拉致された
原敕晁さんだけでした」とか、色んなとんでもないことが書いてあります。これ
は全然違います。当時2001年、少なくとも2000年段階ではもう十分な証
拠が出ていて、従って、極めて慎重で、政治的問題が起きるのを恐れてか、必要
以上に慎重を極めていた警察庁でさえ、きちんと何件何人という数字を出して断
定しているわけです。

 こういうでたらめ発言を延々といまも続いているんです。こういうことを私は
重視したいんです。

(3につづく)

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■安倍首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

【#拡散希望】救う会全国協議会ニュース(2017.02.01)拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか...

2017年02月01日 19時18分38秒 | 北朝鮮による日本人拉致というテロリズム
----- Original Message -----
★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2017.02.01)拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集
会報告1

■拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか 東京連続集会報告1

 第93回東京連続集会は、平成29年1月31日、文京区民センターで開催された。
今回のテーマは「拉致発覚から20年-我々はどこまで来たのか」で、横田めぐみ
さんの失踪が拉致であることが発覚した1997年2月3日から満20年経ったことを契
機として開催された。

 当時、多くのメディアが拉致「疑惑」としていたが、横田めぐみさん拉致が発
覚して以来20年が経過、家族会・救う会が国民運動を続け、政府も拉致対策本部
を設置して救出に取り組んできたが、100人近く拉致されたと想定される中、ま
だ5人とその家族しか救出できていない。

 当時「AERA」記者としてめぐみさん拉致発覚記事を書いた長谷川熙さんを招き、
西岡力・救う会会長とともに、当時の状況を語り、また20年の歩みを総括した。
在京家族からも、飯塚繁雄代表、本間勝さん、増元照明さんが参加した。

◆1997年2月3日に3つの拉致報道と1つの国会質問が

西岡力(救う会会長、東京基督教大学教授)

 みなさんこんばんは。寒い中、今日もお集まりいただきありがとうございます。
横田めぐみ拉致発覚20年ということで今日の集会を企画しました。本来なら横
田さんのご両親にも来ていただく予定で調整していたのですが、大変お疲れで、
また家族関係のことでも忙しくて今日は家で休ませてほしいという連絡がありま
した。

 当初は来ていただく予定でこの集会を企画しましたが、休んでいただくことが
第一だということで、ご了解いただければと思います。

 20年前の1997年2月3日、たまたま3つのことが重なりました。まず、
「産経新聞」の朝刊に横田めぐみさんの拉致が大きく取り上げられました。1面
トップ記事でした。またその日発売の「週刊AERA」に、今日来ていただいた長谷
川さんが横田めぐみさんの拉致の記事を書きました。そのコピーを皆さんにお配
りしています。

 またこの日衆議院の予算委員会で、当時新政党の西村眞悟議員が、NHKのテレ
ビ中継が入っている中、横田めぐみさん拉致について質問しました。これが3つ
重なったのです。

 それで、「これは韓国の情報機関が意図的に情報を仕掛けたのではないか」等
色々言われました。今もテレビによく出ている在日朝鮮人の朝鮮問題の評論家の
人もそういうことを書いていました。「○○レポート」というところの人です。

 しかし2月3日になったのは全く打合せをしたわけでもなく、様々な理由で、
それぞれが色々なところで取材や調査をした結果、その時点で自信を持って出す
ことができるようになったということです。

 その前の年、私が当時編集長をしていた「月刊現代コリア」に石高健次さんと
いうテレビジャーナリストが、横田めぐみさんとは書かなかったのですが、「1
3歳の少女が拉致されているという情報がある」という記事を書きました。

 これは韓国の情報機関から聞いた話ということで書いたのですが、それを元に
して、当時の現代コリア研究所の佐藤所長が新潟に講演で行くこともあって、そ
れで色々調べたところ、石高情報と重なる横田めぐみ失踪情報があるということ
が分かりました。

 また私のところにも、石高さんとは別に直接韓国の機関から同じ情報が伝えら
れてました。現代コリア研究所としては、97年1月に、「拉致はまちがないだ
ろう」ということで、関係しているジャーナリストに情報を提供したり、インター
ネットで記事にしたりということをしました。

 また、今特定失踪者問題調査会の代表をしている荒木和博さんが、旧民社党出
身だったということで、その関係で西村眞悟議員に、質問主意書で取り上げても
らえないかと相談に行ったところ、「是非取り上げたい」ということだったので、
質問主意書を出してくれました。

 なかなか回答が出なかったのですが、2月3日に、西村先生が予算委員会で突
然質問しました。それは拉致のことではなく、「加藤紘一光一自民党幹事長のス
キャンダルを叩け」ということでした。当時新政党はオレンジ共済スキャンダル
で与党からたたかれていたんです。スキャンダルにはスキャンダルでということ
で、予算委員会の委員の中で一番貧乏でスキャンダルに縁遠い西村眞悟が一番い
から、「お前が行け」ということでした。

 当時2回生でしたが、NHKの中継が入っているところで2回生はあまり出られ
ないのですが、それが回ってきた。それを回してくれたのが予算委員会の筆頭理
事の石井一さんでした。石井さんは金丸訪朝で北朝鮮に行った人ですから、事前
に西村さんと話しましたが、予算委員会の筆頭理事には拉致問題に触れることは
言わなかったそうです。

 当時現代コリア研究所の中では私が一番拉致に詳しい論文を書いていましたの
で、西村先生に電話をしたり、ファックスで情報提供をして、質問するのを手伝っ
ている関係でした。

 そういう中で長谷川さんが横田さんたちに取材されて、記事を書こうとしてい
るという話は聞いていました。また、横田さんから写真提供を受けて一度記事を
書き始めたら、家族から電話があって、写真や実名が出たら本人の安全に問題が
あるのではないか心配だということで、もう一回長谷川さんと相談されたりして
いるということも横で聞いていました。

 但し、西村議員が横田さんたちに、「何月何日に質問します」と話をしていた
んですが、西村さんのところには(横田家から)何も連絡がなかったということ
もあって、西村さんも私も、2月3日の予算委員会での質問の中で、横田めぐみ
という名前を出すかどうか、最後まで相談したことを覚えています。

 そういう中で、長谷川さんの記事と産経の記事が出たのです。もうそれが出て
いるのであれば心配する必要はなかったのですが、2月3日の月曜日に出るのが
確実ということを私は知りませんでしたので、週末に大阪に帰られた西村先生と
電話で「どうするか」というやりとりをしたのを覚えています。

 最後には、名前を出すかどうかで「西岡先生に任せる」と言われて、胃が痛む
思いをして色々なことを考えたのを覚えています。

 その後の色々なやり取りは別として、今日はゲストに長谷川さんに来ていただ
きましたので、まずこの記事を書くに至る経緯、そして書いた後の反応について
お話をしていただきたいと思います。

 私も久しぶりにこの記事を読みましたが、今でも教えられることがあり、なか
なかすぐれた記事だなと今でも思っています。尊敬するジャーナリストである長
谷川さんお願いします。

◆拉致を考えると一体日本という国は何なんだという思い

長谷川煕(ジャーナリスト、元「AERA」記者)

 こんにちは。この話(拉致の発覚)はもう20年前に起きたことです。中学校
1年生の13歳の少女が、学校から帰る途中に、北朝鮮に拉致されて、今年で4
0年間事実上監禁状態になっている。こんな話が未だに日本政府によって解決さ
れていない、つまり取り戻されていない。これは一体どういうことなんだ、と。
この問題を考えると、もう声がなくなるんです。

 当時の取材のことを考えていても、(発覚後)20年もこういう状態が続いて
いることは考えもできなくて、一体日本という国は何なんだという思いです。今
こうやって話していますが、声は出していますが、気持ちの上では声が出ないん
です。

 当時この記事を書くに至った経緯を簡単に申し上げます。私は朝鮮問題の専門
家ではなかったのですが、ただ北朝鮮で核開発をしているという話に驚いて、1
991年にそれを記事にしたことがあります。拉致の記事の6年前ですが、その
時私は朝鮮問題の専門家の方々を知りませんでした。社内で若干の人の名前を教
えていただきました。その一人が当時の「現代コリア研究所」の故佐藤勝巳所長
でした。

 佐藤さんや色々な所で取材し、1991年に、「北朝鮮は明らかに原子爆弾を
製造しつつある」という記事を書きました。それ以後、佐藤さんとたまに情報交
換をしたり意見を聞く関係が続いていました。

 1997年の正月早々に、多分私から佐藤さんに、「新年おめでとうございま
す」という電話をしました。色々な雑談をしていたら佐藤さんが、「長谷川さん
こんな話があるんだけどねえ」というやや漠然とした感じの話がありました。

 「何ですか」と聞きましたら、こういう話でした。

 大阪に本社がある朝日放送のプロデューサーの石高健次さんという人が少し前
の「現代コリア」で、日本の海岸から13歳の少女が拉致されていたという記事
を書いている。自分は昔新潟市に住んでいて、その頃確か自分の記憶では中学1
年生の女子生徒が学校の帰りに行方不明になったことが「新潟日報」に出ていて、
結構騒ぎになっていた。どうもそこに話が結びつく。何かピタリと合うんだ。こ
れは大変なことだ。

 そういう問いかけでしたが、私はそれを聞いただけで、これは重大問題じゃな
いのかと思いましたが、実は抱えている取材があったものですから、ともかくそ
れをやり終えて、腰を落ち着けて、こんなすごい問題はじっくり構えて取材しな
ければいけないと思いました。すごいニュースだと直感的にそう思いました。

 その旨を佐藤さんに電話で伝えて、抱えている取材が終わったら宜しくと言っ
て電話を切ったんです。電話を切って15分もしない内、そういうことを佐藤さ
んに言ってしまったけれど、今抱えている取材は横に置いておいて、これはすぐ
にでも着手すべき重大な問題ではないのかと考え、また佐藤さんに電話をしまし
た。

 そして、さっきはそう申し上げたが直ちに取材に着手します。明日佐藤さんに
お会いしたい。ご存じのことを全部話してくださいということで、翌日都内で4、
5時間にわたって話を聞き、すぐ新潟に飛びました。その他色々なところに行き
ました。

 当然のことながら韓国にも行こうと思いましたが、その余裕がなく、在日韓国
大使館のしかるべき担当の人に取材の申し込みをしました。

 また、13歳で拉致された横田めぐみさんのご両親に何より会わなければなら
ないと思いましたが、住所も知らない。それに大変手間取り、数日のうちに分か
り、取材に伺いました。連日懸命に動きました。そして1本の記事にまとめまし
た。

 「AERA」というのは朝日新聞社が発行している週刊の雑誌です。1988年に
創刊して、その時私は朝日新聞社経済部から異動になりました。93年に定年退
社しましたが、「AERA」には以前と同様に取材執筆活動を続けていました。97
年の1月にこの問題にぶつかったわけです。

◆実名を出すかどうかでみんなが深刻に悩んだ拉致問題

 ともかく昼夜取材に取り組んで一応原稿にしました。「AERA」は月曜日発売で
すが、都内には土曜日には出ます。私の記事はトップ記事で、締め切りが金曜日
でした。1月20日には出るというつもりで作業していたところ、編集長から
「これは重大な話だ。よくよく裏付けを取ってほしい。ご両親にもゲラ(校正刷
り)を読んでもらってきちんと確認を取ってほしい、と。どういうお宅だったか
色々書いてあるわけですから。

 私はそういう取材は全部済ませていましたが、編集長の気持ちも分かりますの
で、この辺の記憶はあいまいですが、また横田家を訪ねてじっくり読んでもらっ
たと思います。それで一応いいということになりかけていましたが、横田早紀江
さんから「めぐみの名前が載っている。両親の名前も載っている。親はともかく
娘の名前だけは削ってくれ、と。仮名でもいい」と頑強におっしゃったんです。
「そうでなければ掲載してもらいたくない。もし娘の名前が出たら北朝鮮に殺さ
れるかもしれない」と。

 「AERA」の記事のタイトルは「北朝鮮で生きている」です。拉致されたという
ことですが、編集部内で「北朝鮮に拉致された」と書いた時の政治的影響の大き
さに憂慮して、本文では拉致となっていますが、見出しは「北朝鮮で生きている」
にきゅうきょ変えました。

 いずれにしても、めぐみさんの命をお母さんが大変心配して、「ともかく名前
だけはやめてくれ」と。しかし、横田めぐみさんという名前を削れば真偽も危う
くなってくる。しかしそういうことよりも命の問題が優先されるべきじゃないか
と考えざるをえなくて、大変私は苦しみました。

 結論から言えば、名前を載せたわけです。それは滋さんが、「ここまで来た以
上は名前を出した方が物事が進展するのではないのか」という判断をされたから
だと思います。それは私の一方的な受け取り方かもしれませんが、滋さんが了解
されたと私は思います。

 そういうことで1週間延びて、2月3日(月曜日)発売の「AERA」に掲載され
ました。しかし、土曜日には都内には出ていましたので、(西岡さんが言った)
同じ日にというのは間違いです。

 それはともかくとして、印刷にかかる直前だったと思いますが、夜遅く、早紀
江さんから編集部に電話があり、私が出たか編集長が出たか記憶があいまいです
が、「やっぱりやめてくれ」、「名前を出すのだったら掲載しないでくれ」とい
う強い、強い申入れがありました。

 色々な議論が交わされた後、結果的に名前は掲載されました。それについては
今もって色々考えるべきことがあると思っています。そういう経過でした。

(2につづく)

★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
■安倍首相にメール・葉書を
首相官邸のホームページに「ご意見募集」があります。
下記をクリックして、ご意見を送ってください。
[PC]https://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html
[携帯]http://form1.kmail.kantei.go.jp/cgi-bin/k/iken/im/goiken.cgi

葉書は、〒100-8968 千代田区永田町2-3-1 内閣総理大臣 安倍晋三殿

■救う会全国協議会ニュース

発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(救う会)
TEL 03-3946-5780 FAX 03-3946-5784 http://www.sukuukai.jp
担当:平田隆太郎(事務局長 info@sukuukai.jp)
〒112-0013 東京都文京区音羽1-17-11-905
カンパ振込先:郵便振替口座 00100-4-14701 救う会
みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

日本人なら忘れてはいけない、綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件は、戦後の日本弱体化、人権至上、子供性善説の招いた犠牲だ。

昭和から平成にまたがった女子高生コンクリ詰め殺人は終わっていない。犯人の凶悪少年4人(うち犯行現場の少年Cの両親は共産党員)が平然と社会復帰し、再犯までしている現在進行形の事件。 日本人なら被害者(あえて実名で)古田順子さんを弔おう。 元をたどれば戦後レジームの犠牲者だ。