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渡辺美里さんfanブログ。

■MISATO Live Records 1985 【追記あり】

2014-06-14 17:03:19 | ライブ 1985-1990
※過去の雑誌記事等を改めて見ていたところ、
1985年にも学園祭ライブに出演していたことが分かりましたので
真ん中あたりにその情報と美里のコメントを追記しました。
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■こんにちは !
10年くらい前に、初期の美里ライブについてまとめた記事を書きまして、
それが出てきましたのでブログに再掲します。
オフィシャルでもそういったようなコンテンツはないので
ちょっとは楽しんで頂けるかな、と。

※私が初めて美里ライブに参加したのは1988年ですので
当時の雑誌記事などを元にまとめたものです。
(80年代はうちの兄がGB、シンプジャーナル、アリーナ37℃などの雑誌を
毎月(!)欠かさずに買っていたので結構貴重な記事もあり、
今となってはその中の美里記事は私の大事な宝物になってます。

そんなに頻繁な更新はできませんが、
たま~に思い出したように過去のライブ情報や、
自分自身が参加した年以降のものはセットリストやレポなど更新していければ。

さて、今回は美里デビューの年、1985年のライブを振り返ります !


◆ GROWIN' UP LIVE ◆
1985年9/22名古屋ハートランドから12/26熊本ブルージャムまで
全国7ヶ所のライブハウス・ツアー。

■10/4 新宿ルイード
キャパ300人の会場に600人以上の人が集まるという異例の事態。
そのうち150枚のチケットは高校の後輩などに美里自身が手売りした、
という今では信じられないようなエピソードも。

この日のライブはMCが全く無し。
「MCなしのコンサートっていうのをずっとやりたいと思ってたの。
歌詞を聴いてもらえれば私の想いは伝わると思って、
1回チャレンジしてみたかったんです」
そんなライブのオープニングに選ばれたのは「きみに会えて」。
「"みんなに会えてうれしい"気持ちがあの歌にはこもっている。
私を想ってくれているみんな、1人1人に対するメッセージがあの曲には全部詰まってるから、
まずあの曲を聴いてもらいたかったんです」
(「ARENA 37℃」 '85 / 12月号)

【トピックス】
・ルイードのライブが行われた10/4は全くの偶然ですが、
美里がリスペクトするシンガー、ジャニス・ジョプリンの命日でした。
この日、ライブ終了後の東京には震度5の地震が。

・「『サウンド・オブ・ミュージック』みたいに
カーテンで洋服を作りたくてカーテンの生地で衣装を作ったらすごく暑かったの。反省」
(1990年4/20 TBSラジオ「スーパーギャング」より)

【ツアー日程】
1985
・09/22 名古屋ハートランド
・09/26 大阪バーボンハウス
・10/04 新宿ルイード
・12/06 札幌ペニーレイン
・12/17 仙台フォーラスモーニングムーンスタジオ
・12/24 広島ウィズ
・12/26 熊本ブルージャム

【セットリスト】
01. きみに会えて
02. Lazy Crazy Blueberry Pie
03. タフな気持で(Don't Cry)
04. I'm Free
05. 追いかけてRAINBOW
06. 悲しいボーイフレンド
07. eyes
08. 死んでるみたいに生きたくない
09. Bye Bye Yesterday
10. すべて君のため
11. スターライト
12. GROWIN' UP
13. 18才のライブ

◆学園祭◆
詳細分かりませんが、上記ツアーの合間に数か所の学園祭にも出演していたようです。
1985
・10/27 園田女子学園
・10/28 大阪学院
・11/03 英知大学

※この学園祭について美里のコメント
「実行委員として4年間頑張ってた男の子がいたの。
見た目はジャニーズ事務所みたいなミーハーっぽい、いかにも大学生って感じの男の子。
ふーん、これが大学生かって見てたの。
そしたらライブが終わってその男の子がイベンターの人に涙流して
"ありがとうございました"って握手したんですって。
声を震わせながら"こんなにお客さんが来て盛り上がって、
大成功したのは初めてです"って。
私にまで"ありがとう"って声を震わせて言いに来てくれた時に、
ああ、これだな。私のやりたかった音楽ってこれなんだなって感じたの。
私が音楽をやる事で、唄う事で、1人でもこう感じてくれる人がいるんだってわかった事が
とても嬉しかった。
それにね、私もその"学園祭"という場所に参加できて、みんなとても気持ち良くてね。
年齢が近いせいもあるのかもしれないけれど、
自分のライブとはまた違った雰囲気を体験できました」
(「ARENA37℃」1986年1月号 インタビュー記事より抜粋)


◆ 渡辺美里 コンサート ◆

■1985年11月17日
大阪厚生年金会館 中ホール

新宿ルイードから約1ヶ月後、
「GROWIN' UP LIVE」ツアーの合間に行われた初のホール・コンサート。
(大阪1公演のみ。キャパ1500人)
アルバム『eyes』からの楽曲に加えて、
2ndアルバムのために作り始めていた曲も歌われていました。
この時点での「19才の秘かな欲望」「Lovin' you」の歌詞は
レコードになっているものとはだいぶ違っていたようです。
「スターライト」は唯一レコード化されなかった楽曲。

この日唯一のMCは「18才のライブ」の前。
「がんばってる人も、これからがんばりたい人も、
いじめてる人も、いじめられてる人も素敵になりたいと思わない ?
あせらずゆっくり大人になりながら、素敵になりたいと思わない ?」
(「シンプジャーナル」1986年2月号)

【セットリスト】
01. きみに会えて
02. Lazy Crazy Blueberry Pie
03. すべて君のため
04. I'm Free
05. タフな気持ちで(Don't Cry)
06. 悲しいボーイフレンド
07. 追いかけてRAINBOW
08. 18才のライブ
09. スターライト
10. 素敵になりたい
11. 死んでるみたいに生きたくない
12. eyes
13. 19才の秘かな欲望
14. Bye Bye Yesterday
15. GROWIN' UP
16. Restin' In Your Room
《アンコール》
01. Lovin' you
02. GROWIN' UP


※ ↓ 美里のシルエット画像。
昔作ったものを形式を変えて(と言いつつよく分かってませんが(笑))
再利用しているのでちょっと画像が粗いですが。。。



【追記】

●レコード化されていない楽曲「スターライト」について●

Twitterにて美里のマネージャー・S氏より情報を頂きました。
(ありがとうございます ! )
「初LIVEをやるにあたって曲数が少なかったため、
岡村靖幸氏に何曲か依頼した中の1曲です」とのこと。
まさか岡村ちゃんの楽曲だったとは !
聴いてみたいけれど・・・きっと聴ける機会はないのでしょうね~(涙)。


●イベント『ALL TOGETHER NOW』●

1985年6月15日、国立競技場にて開催されたイベント
『国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW』に
美里は白井貴子さんのバックコーラスとして参加。

当時、私の兄がこのイベントを観に行っており
パンフレットも手元にあるのですが、
さすがにコーラスなので美里の名前の記載はありません。
しかし当時の雑誌「FMステーション」での平山雄一氏のライブレポートには
「白井のバックコーラスに次代のこのシーンを背負うと期待される
渡辺美里がいたのは興味深い」と書かれていました。
デビュー間もない美里にこういった機会を与えてくれた白井貴子さんも素敵ですが、
こういう引きの強さが美里らしい。

イベント出演者はほかに
吉田拓郎、さだまさし、松任谷由美、オフコース、チューリップ、
坂本龍一、アルフィー、山下久美子、チェッカーズ、ラッツ&スター、
佐野元春、サザンオールスターズなどなど。


【再追記】

新宿ルイードでのライブについてのエピソードを
マネージャー・関野氏より頂戴いたしましたので追記させて頂きます。
こんな小さなエピソードの中の、まだ十代の美里に、
今となんら変わらない真っ直ぐできっちりとした
「渡辺美里」という人格がすでに備わっていて、
そのことに感動します。
素敵なエピソードを教えてくださった関野氏に感謝します !


【新宿ルイードのブッキングは今でも鮮明に覚えています。
私は、美里のマネージャーをやる前、白井貴子さんのマネージャーをしていまして、
ほぼ毎月ルイードでライブを行っていました。
なのでルイードのブッキングマネージャーはよく知っていたので、
美里の資料(まだeyesが出る前でしたので、
シングル盤のI'm FreeとGROWIN' UPと
「ロックを母乳で育つロックアイドル」というキャッチコピーの紙資料)
を持ってブッキングに行きました。
そうしたら美里の音を聞く前に、
「今ルイードではこの子が盛り上がってるんだよ」って中村あゆみさんのアー写を見せ、
「渡辺美里は大丈夫?」なんて言われ、
くそー絶対に超満杯にしてやる!と心の中でさけんでいました。
私がルイードで見たライブ中で一番の動員は尾崎豊さんだったので、
もっといっぱいにしてやるとも思い、そんな話を18歳だった美里に話したら、
「私も母校に行ってチケット売ってきます」って言って、
いっぱいチケット売ってきたんです。
ラグビー部のマネージャーをしていたこともあり、
売った枚数×チケット料金を封筒に入れ、
表に何人×チケット料金=○○円と書いて私に渡たしてくれました。
当時からきっちりしていて、男気がある美里は、今でも変わりません。
そして1985年10月4日超満杯のルイードを向かえることができたんです。】


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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今 Voice2 見て泣いてます ( 佐々木小次郎)
2013-03-31 23:29:45
名古屋のハートランド‥あそこの“アメリカンハウスクラブサンデウィッチ”美味しかったなぁ、と。学生の頃(1991年頃か‥)美里さんのスタートだった場所とは!!うむ。「君に会えて」はいい!PV見てて今もウルッと感動してきます。“18才のライブ”前のMCで、そんなカッコいい事、言ってたなんて-、シビレテクル。聞いてみたかったなぁ-。“素敵になってみたい!”て、思いますよね!
返信する
>佐々木小次郎さん、 (Maki)
2013-03-31 23:34:31
こんばんは !
そういえば昨年のライブハウスツアー名古屋公演で、
最初のツアーは名古屋ハートランドからスタートした・・・
なんて話もしてました。
またちょこちょことこういう記事をUPできればと思ってます !
返信する
懐かしい話題を有り難うございます。 (桜草)
2013-04-01 16:54:18
私は娘が美里さんの大ファンでいつも美里さんのGbやパチパチ、などや、当時はスーパーギャングやひとつぶの青春などFM放送などのカセットテープが沢山あります。これからMDにダビングしょうか?考えています。美里さんの長きに渡って頑張っている事嬉しく思います。懐かしく思いながらこれからの美里さん応援しましょうね。素敵なお話楽しみにしています。あ~そうそう孫達と一緒に美里祭り行くつもりでしたがチケットが無く見送りとなりました。が私は一枚あるので行きますよ。長々ごめんなさい。
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>桜草さん、 (Maki)
2013-04-06 21:19:47
こんばんは !
親子で美里ファンっていいですね~。
美里祭りはあっという間にチケットがなくなってしまったようで・・・
次回またお孫さんとご一緒できますように。。。
ではでは。
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All together nowだ!! (nasebana-ru)
2013-04-06 21:45:10
こんばんは。
いやぁ、、懐かしい。All together nowは、画期的なライブで、東京FM?制作のこのライブ番組をワクワクしながら聴いていました。そして120分テープに録音もしたのでした。でもテープは編集した上に探しても見つからなくて。
ラジオでは「はっぴいえんど から 佐野元春まで時代をリードする云々」とお堅い男性アナウンサーがお堅くナレーションしていました。
そうそうたるメンバーと一緒に我らが美里っちゃんもいたんですね~。そして、それらのメンバーと肩を並べ、その後の音楽界をリードしたんですね。見てる人は見てたんですね~。
いやぁ、本当に素晴らしい。実に素晴らしい!!

All together nowを取り上げてくださり、本当にありがとうございました。
返信する
>nasebana-ruさん、 (Maki)
2013-04-07 22:40:05
こんばんは !
まさかこのイベントの番組を録音して聴いていただなんて !
ビックリです~。すごいなあ。
じゃあきっと、知らず知らずのうちに美里の歌声も耳に入っていたんでしょうね。
また今後も時々こういった記事をUPしますのでお楽しみに~。
ではでは。
返信する
新宿ルイード (LaLaSekino)
2013-08-20 14:50:20
新宿ルイードのブッキングは今でも鮮明に覚えています。私は、美里のマネージャーをやる前、白井貴子さんのマネージャーをしていまして、ほぼ毎月ルイードでライブを行っていました。なのでルイードのブッキングマネージャーはよく知っていたので、美里の資料(まだeyesが出る前でしたので、シングル盤のI'm FreeとGROWIN' UPと「ロックを母乳で育つロックアイドル」というキャッチコピーの紙資料)を持ってブッキングに行きました。そしたら美里の音を聞く前に、「今ルイードではこの子が盛り上がってるんだよ」って中村あゆみさんのアー写を見せ、「渡辺美里は大丈夫?」なんて言われ、くそー絶対に超満杯にしてやる!と心の中でさけんでいました。私がルイードで見たライブ中で一番の動員は尾崎豊さんだったので、もっといっぱいにしてやるとも思い、そんな話を18歳だった美里に話したら、「私も母校に行ってチケット売ってきます」って言って、いっぱいチケット売ってきたんです。ラグビー部のマネージャーをしていたこともあり、売った枚数×チケット料金を封筒に入れ、表に何人×チケット料金=○○円と書いて私に渡たしてくれました。当時からきっちりしていて、男気がある美里は、今でも変わりません。そして1985年10月4日超満杯のルイードを向かえることができたんです。
返信する
>LaLaSekinoさま、 (Maki)
2013-08-20 22:52:48
こんばんは !
こちらの記事にもコメントを頂き、ありがとうございます。

美里さんの前には白井貴子さんのマネージメントをされていたとは !
(「追いかけてRAINBOW」の楽曲提供や
「ALL TOGETHER NOW」での貴子さんのバックでコーラス参加・・・
というのもその関野さんがマネージャーをされていたから・・・
だったのでしょうか)

私は新宿ルイードには行ったことはなく、
名前くらいしか分からないのですが、
佐野さんとか尾崎豊さんとか中村あゆみさんとか、
のちに大物になるアーティストが必ずデビューの頃にやっていたライブハウス・・・
という印象があります。
尾崎豊さんの当時のライブの様子は昔の雑誌記事などで読んだことがありますが、
関野さんもご覧になっていたのですね。

美里さんがルイードのチケットを手売りしたというエピソード。
これも雑誌などで読んだだけで、私の中ではいわば「伝説」的な、
どこまでが本当なんだろう・・・という思いもあったのですが、
今回教えて頂いたお話で、
しっかり「真実」のお話になりました。
それにしても美里さん・・・当時から本当にまっすぐで
男気あふれた方だったのですね~。
こんな、小さなエピソードの中にもやはりしっかり
「渡辺美里」という人格があって、感動します。

また、できる限り多くの方に読んで頂きたいので
記事本文内の方にも転記させて頂きます。
ありがとうございました !

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有り難う御座いました。 ()
2014-06-14 23:08:06
お久し振りです。

貴重なお話を知ることが出来て、美里熱更にアップしております。
うちの子達にもタイムスリップして聴かせたいな。♪18才のライブ 前のMC。
またお時間のある時に、よろしくお願いいたします。
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>Kさん、 (Maki)
2014-06-15 02:23:32
こんにちは。
一年以上前にUPした記事ですが、
追加情報があり再UPしました~。
楽しんで頂けたなら嬉しいです!
今後もがんばりますので引き続きよろしくお願いします。
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