旅たび写真缶

小さい旅から大きい旅まで、時にはいい歳して恥ずかしい旅まで、写真旅日記。

大和七福八宝めぐり⑤【談山神社篇】

2020-01-30 | 京都・奈良旅行記

2020年1月21日「大和七福八宝めぐり」二日目
       【談山神社(福禄寿)篇】

一日目の昨日は「當麻寺中之坊の布袋尊」「朝護孫子寺の毘沙門天」、そして今朝一番に「長谷寺の大黒天」を回り、4か所目は桜井市の「談山神社」を目指す。
10:07に長谷寺から予定通りに桜井駅に到着したものの、トイレを探して北口から南口に行ったり来たり。コンビニで弁当を買ったりと、右往左往して30分以上時間をロスしてしまった。
10:40 桜井駅北口からタクシーに乗り、「談山神社」に向かう。桜井駅から談山神社に行くには桜井市のコミュニティバスがあるが、本数が少なくこの時間はない。
11:00 桜井市多武峰(とうのみね)の「談山神社(たんざんじんじゃ)」社務所前に到着。
帰りの足は11:19のコミュニティ・バス(桜井市)に乗る予定だったが、間に合いそうもないのでタクシーに待ってもらう。

           <桜井市多武峰 談山神社>

                    <境内図>             
談山神社に来たのは今回が三度目。
一回目は、ここから飛鳥の里までトレッキング。
二回目は、紅葉真っ盛りの時で写真を撮りに来た。「奈良で一番美しい紅葉だ」と感激した。
今回は、急いでいるのでお参りだけ。

                <総社拝殿>

                <福禄寿大神>
まずは、お目当ての七福神「福禄寿」の前で手を合わせる。とにかく大きく、ご利益がありそう。

世界中でも唯一とされる木造建築の十三重塔。これを含め、境内全体がお寺の雰囲気が漂う。
明治の神仏分離以前は、「多武峰妙楽寺(とうのみねみょうらくじ)」というお寺だったそうだ。

中臣鎌足と中大兄皇子が、大化元年(645年)5月に大化の改新の談合をこの多武峰にて行ったことから、「談い山(かたらいやま)」→「談山」と呼ばれるようなったとされる。

南北朝の戦いなど戦禍にも合い、明治政府には神社にさせられたりと、教科書に載っているような歴史が詰まっている。

貴重な仏像などは四散したが、如意輪観音像は秘仏として残っているようだ。

                   <本殿>

拝殿は私一人の貸し切り状態だったので、たくさんお願い事ができそうだったが、タクシーを待たせてあるので、御朱印を拝受して急ぎ戻る。

     

           <談山神社の御朱印>

     

        <「大和七福八宝めぐり」福禄寿の御朱印>

紅葉や桜のトンネルで有名な正面石段を下って戻ろうかと思ったが、この時期は通行不可だった。
11:25 待たせていたタクシーで出発。次の七福神、「安倍文珠堂の弁財天」に向かう。

途中、チョット気が変わり、「聖林寺」というお寺に寄って行くことにした。
時間がかなりヤバイ状態なのはわかっているが、国宝の観音様を拝まずに、前を通り過ぎるのはもったいない。


         <奈良県桜井市 霊園山 聖林寺>

山門の前からは、箸墓古墳や三輪山など大和盆地の東側が見渡せる。

先ほどまでいた「談山神社」が妙楽寺というお寺だったころ、聖林寺はその別院として創建された古刹。
今は小さな山寺だが、そのたたずまいは古き良き日本の風景といった感じだ。

 

  <国宝 十一面観音菩薩>      <本尊 子安延命地蔵菩薩(石仏)>

                             ※写真はHPから拝借 


    <十一面観音の御朱印>          <九華殿の御朱印>
                      ※九華殿は地蔵尊のお堂という意味か
11:50 聖林寺には15分ほどの滞在で、再び安倍文珠院に向かう。

               ・・・【安倍文珠院・大神神社篇】につづく



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