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円ジョイ師匠とセタッシーの時事ネタ

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昭和の東宝撮影所物語

2015-02-21 18:17:10 | せたっしーの絵日記!
映画撮影所「東宝スタジオ」(世田谷区成城1丁目)の83年の歴史をたどる展示「東宝スタジオ展 映画=創造の現場」が21日から、世田谷美術館(世田谷区砧(きぬた)で始まった。

 東宝スタジオは1932(昭和7)年、世田谷・砧にできた「写真化学研究所」が前身。東宝砧撮影所などを経て、今に至る。最盛期の50~60年代には、俳優800人、スタッフ1200人が働いた。周辺の砧、祖師谷、成城には俳優や監督が多く住み、「日本のハリウッドでもあった」(朝日新聞)

1960年、2月25日、円ジョイは撮影所そばの病院(国立大蔵病院)で生れる。

もう東宝撮影所ではゴジラの一作目を撮影していた。
円ジョイが初代ゴジラを見たのは、10年後の祖師谷映画館(東京百貨店アーケード奥)であった。

円ジョイが5歳になった頃でも、東宝スタジオ関係者は、本編(当時映画のことをこう呼んでた)の雰囲気は飯場のようでもあり戦場のようであった。祖師谷大蔵の定食屋や飲み屋でも役者やスタッフなどが映画論議や芸術哲学を語り、時には酔ってケンカなども沢山あったよ。[1960年代の小田急線祖師谷大蔵駅前 「俺はクロサワの映画はみとめねーよ」想像(笑)

祖師谷小学校に入り同級生に円谷英二の孫や山田洋次監督の娘、有名俳優の息子などがいて、遊び場は撮影所内や円谷プロダクション特撮スタジオになった。巨大プールや大空の書きわり(実物大スクリーン)にワザと落ちたりした(笑)
このプラモデルのような戦艦や空母は、実は鉄でできていて重厚なのにビックリ!何とかお土産にしょうとしたが重くて持てない。このゴジラが沈む映像を撮ったプールは、実は今でも存在して撮影所の外からでも見れるところがあり、円ジョイの秘密の場所である。黒澤映画も大蔵団地の奥でロケをしていた。
世界のミフネさんは、とても優しい人だけど成城周辺で酔うと少しコワかった(笑)
その頃の小田急線成城学園前駅
ゴジラは歩いてないが東宝の映画女優も成城でよく見かけた。

円谷プロダクションも東宝スタジオの隣りにあった。

世田谷区政に挑戦する「志茂よしき」の後援会長は、元、円谷プロダクションの役員で視覚障害者になり退職した「梅崎さん」(現、世田谷区視覚障害者団体つくし会会長)である。

梅崎さんは、世田谷に映画や特撮ミュージアムを作るのが夢と言ってます世田谷区非公認キャラ「せたっしぃ」も応援します。




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