国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

鉄道車両を燃やす実験が行われた日

2015-12-11 22:32:31 | 国鉄思いで夜話
国鉄ではかって昭和47年11月6日午前1時9分、北陸トンネル内で火災が発生しました。、出火の原因は、オシ17喫煙室に設置された長椅子下の電気暖房装置がショートし過熱【配線が不適切だったことが原因】により全焼したというものでしたが、当初はオシ17の石炭レンジが原因と言われて、出火事故以後一斉に運用から外されることとなりました。

この事故では、トンネル内で停止したことや長大トンネルにおける排煙装置等が設置されていなかったことなどの不備が重なり、一酸化炭素中毒で30人【乗客29人、指導運転士1名】が死亡するという痛ましい事故となりました。

この辺は詳細に書かれた記事等もありますのでそちらを参照していただければと思います。
なお、この事故を受けて国鉄では12月4日の運転事故防止対策委員会で列車火災事故の防止策として下記のような対策を発表し、佐々木運輸相に提出したそうです。
1) 車両の難燃化 夜間に使用する車両の客室出入り口。洗面所等の天井内貼り・仕切り壁をアルミ化粧板と取り換え【それ以前はハードボードと呼ばれる板】連結面幌を難燃性のものと取換
2)車両の改造 ユニットクーラーの断熱材に難燃剤塗布、主抵抗器抵抗体の容量増大、配線強化、喫煙室内構造の検討、旅客車の貫通戸・車端の防火構造強化

3)客室内の失火防止 車掌・食堂車従業員による下記取り締まりを中心とした車内巡回強化、乗客の列車内喫煙個所の検討などを行うと報告されています。

ほか、12月18日には大船工場で実際にナハ11形客車(ナハ11 5)を使った燃焼実験が行われています。
これは、静止実験で行われたもので、難燃対策を行っていない従前の客車と難燃対策を行ったナハ11を同じ条件で燃焼実験を行うというもので、モケット等を難燃性のものとしたナハ11は自然鎮火したのに対して、難燃対策が行われていないナハ11は20分程で大きく燃え広がり全焼したと記録があったと思います。【今すぐに資料が出てこないので記憶で書きました。(^-^;】

国鉄提供 鉄道ピクトリアル1975年5月号から引用

なお、これに先立ち、昭和48年8月には、狩勝実験線で火災実験が行われています。
参考:貨物輸送今昔 38 狩勝実験線のお話

さらも、昭和49年10月24日と26日には宮古線(現在の三陸鉄道北リアス線)一の渡~宮古間の猿峠トンネル2.8kmでトンネル内火災試験が行われました。

国鉄提供 鉄道ピクトリアル1975年5月号から引用
このときは、DE10×2+控車(オハ35)+計測車(マヤ40)+測定・防護車(ナハ11)+着火車(ナハ11)+測定・防護車(ナハ11)+計測車(オハ36)+測定車(ナハ10)の7両編成で、中間の着火車と測定・防護車としてナハ11形2両(ナハ11 2024,ナハ11 2090)が用いられたそうで、燃焼状態のままトンネル内を60km/hで走行したそうです。

国鉄提供 鉄道ピクトリアル1975年5月号から引用
詳細は、また別の機会にでも書かせていただこうと思います。

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