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国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

余部橋梁物語 僕らの町に汽車がやって来た 第4話

2008-05-22 06:16:00 | 国鉄思いで夜話
おはようございます、朝から探し物などしているのですが、中々見つからないです。
探す時ってそんなものなんでしょうか、でも不思議なものです。

探していないときにはすっと見つかるのに・・・・。

この物語も気づけば4日目に入りました、日記なのか、それとも単なる暇つぶしかそれはさておき、今日も元気に綴っていきたいと思います。

昨日は、知事が香住町に出張しようと言うところで終わっていたと思います。

>  その手紙を、封筒にれると、知事は自ら封をして、ポストに投函するのでした、時刻はお昼過ぎ、「さて、もう一仕事しようか。」
>
> そう呟きながら、再び知事室に戻っていくのでした。

時間は流れて、6月20日、知事は、秘書を連れ立って香住町に向かって車を走らせるのでした。当時は、現在のように高速道路も整備されていないため、車は国道2号線を西下し姫路からは現在の国道312号線を北上するルートで向かうことのしました。

クラウンの後部座席に乗った兵庫県知事は、秘書にどれくらいかかるのかと尋ねたところ「約5時間ほどかかると思います。」

とのこと、少し出かけると言ってしまったことに後悔するとともに、改めて遠いものだと誰に言うことなく呟くのでした。

朝の7時に知事官舎を出発したクラウンは、快適に2号線を西に下るのでした、当時は現在と比べれば通行量は圧倒的に少なく、時折トラックが対向する程度でしたが、姫路を過ぎて殻の一般道路に入ると事情は一変、それまでの快適なアスファルトの舗装から、砂利道の舗装に変わったので、それは大変でした。

梅雨の晴れ間と喜んだのもつかの間、前日までの雨は、道の所々に水溜りを残してくれているので、知事の乗った車は時々、水溜りの中に車を落としながら走っていくのでした。

知事はたまらず、秘書に、
「何でこんなに道が悪いのか。」

秘書は、少し憮然としながら、
「地方の道はどこでもこんな感じですよ、むしろ2号線のように整備されているほうが少ないのです。」

知事にしてみれば、ある程度理解できていたとはいえ、実際に現実を見せ付けられると、行政と言うのは事務所の中だけでは出来ないものだ、まず現状を確認することが大切なのだ、改めて思うのでした。

知事を乗せたクラウンは、姫路を過ぎて山越えをしていきます。
山に深く入るに連れて、それまで晴れていた空は、段々と鉛色の空となり、ぼつぼつと雨粒を車に叩きつけるのでした。

雨が降ってきたので車の窓を閉じたので、車の中は軽い蒸し風呂状態になりながらも、何とか北上した車は、予定より1時間ほど遅れた2時過ぎに目的地である、香住町の町役場に到着したのでした。

町長にしてみれば、知事は雲上人であり、その方がわざわざやってくるということで、到着予定の1時間前からずっと玄関先で立っていたので、知事の車が到着する頃にはへとへとになっていました。
 当然ですよね、2時間も役場の玄関でそれこそ、直立不動の姿勢で待っていたのですから。

 町役場に到着したクラウンは、黒いボデイの下半分が泥で汚れて汚いツートンカラー?になっていました。

 流石に、知事もお疲れのようです。

さて、役場の町職員、議員、そして町長が出迎えるのでした。

さて、この続きはまた明日にでもさせていただきます。


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