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国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

黒猫旅行記 旅立ち変 2

2010-03-04 08:31:07 | 国鉄思いで夜話
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先程は、前振りの話が長くなりすぎたので改めて稿を起こしました。
「よっこいしょ」

立ち上がるときに掛け声をかけるのは年をとった証拠と居いいますが、以前一緒に仕事したかたは、若かったですけど口癖なんでしょうね。

「よいしょ」といつも掛け声かけながら車を乗り降りしていましたね。
ということで、昨日から始まった北海道の旅ですが実は・・・車での移動は一切なし。

電車を使っての移動なのですが、御存知の通り周遊券は急行列車は乗れますが、特急には特急券が必要になってきます。

そこで、昨年に事故を起こして車の修理代や何やで貯金を使い果たしさらにカードローン(JCB)でお金を借りていたのでその支払がきつくて【当時で20%近くあったんじゃないかな。今の消費者金融よりキツカッタ。】のでできるだけ余分なお金を使いたくなかったんですね。

当然、北海道までオール列車、それも東海道線は昼間に在来線を走破するという無謀なものでした。

というのが、急行八甲田→連絡船→急行ニセコ→急行大雪で網走まで一気に走り抜けるパターンだったのですから。

東京には夜に着ければ良いので東海道線は当然昼間走行でした。
大阪からの道すじは省略しますが、61年は名古屋付近のダイヤも整備され比較的乗りやすいダイヤとなっておりかつ長距離運転の電車もそこそこ運転されていましたから、8時間程度で普通電車といえども東京まで行けるので意外と早いと感じたものです。

そんな中で、途中下車を気ままに繰り返しながら最後の審判ならぬ最後の国鉄の姿を残して行こうと色々と思い出を探していました。

沼津にやって来たとき。有りましたよ。国鉄としてのというか、現在のJRにも続く展示会が

最近では、JR各社が機関区や運転所を公開していますが,当時は機関区などを訪れるのは相当のマニア程度であり一般の人には無縁の世界でした。

当然機関区とマニアの間には暗黙のルールが存在し、「機関車及び職員さんには迷惑をかけない。」・「事故は自己責任」という原則が有ったのことから,開放には昔は消極的でしたが,民営化を控え、少しでも開かられた国鉄を目指してここ数年は頻繁に全国で開催されていたのです。

沼津でも同じで、全国から機関車が集められてEF5861は当然、EF81や、EF66、EF651000番代などがヘッドマークを付けて展示されていました。

珍しいところでは、EF59やEF30なんていう、「君たちどうして来たの?」
「お父さん・お母さんは?」的な迷い子のような機関車も展示されていました。

当時は国鉄ですから、車両の貸し借りといっても会社をまたぐことは無いですからこう行った移動はスムーズだったみたいですね。

ここで、入場者名簿に住所と氏名を書いたら翌年JR東海になってから同じように鉄道祭りのお誘いが来たがこれは別の機会に譲ることとしましょう。

そんなわけで、意外と長い時間を沼津で費やすこととなりましたが、当時は完全に鉄ヲタスタイル【大きなリュックに銀箱二つ+三脚】というとんでもハップンなスタイルでしたから。

今なんか、撮影に行く時はカメラ1個だけですよ。笑

本格的に撮影行く場合でも銀箱一つにレンズ数本とカメラ2台【メイン1基・予備1】程度ですから。

そして大きなリュックの中身ですがそれは・・・・ひみつ

だってはずかしいんだもん。





なんちゃって、その話はまた後ほどね。

八代亜紀 舟歌でどうぞ。



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