永らえて 美雨の日記

日々折々の感想です

徒然なるままに

2020-01-17 17:21:07 | 日記

 

 

 既に10年以上前の事ですが、クリスチャンペンクラブの間で、ミクシィのコメントが、楽しくやり取りされていました。その中の一部を消し去るには惜しく、保存してあったのを見つけたので、ご紹介します。どうぞ、ご笑覧下さい。

 

コメント 送信者(私)

 前々から思っていたことなのですが、パソコン等で個人情報を記入するとき、住所他と続いて年齢の項目があります。順々に年齢を上げて行って、70歳代となると、その先が無いのです。70歳と90歳とでは随分違うはずですが、70代から先は一緒くたです。ちょっとおかしいと思いませんか?
 私にもこの先、長寿が与えられるとすれば、90歳になってもパソコンは出来ると思います。6、70歳を過ぎると、その年のとり方、老い方にはかなり個人差が出てまいります。私のわずかな交際範囲の中でも、パソコンを使うグループ、使っていないグループを比べてみると、はっきりその違いが判ります。そして私は、使っているグループの中に入れて頂いて、多少なりとも老化を防いでいるわけです。
 75歳以上を後期高齢者として、一括りにするのは変です。
せめて、95歳以上は終期高齢者、いよいよとなったら末期高齢者としたらいかがですかね。徒然なるままに、よしなきことを書きなぐります。厚生労働省サマ。
 大体呼び方も、味が無さ過ぎます。
後期を「高貴」と現す方がいらっしゃいますが、これはとてもいいですねえ。
 他に、好機、香気、光輝、好季、光喜などなど、いろいろございます。
 終期は、秋季、繍貴、秀貴、等等。シュウ。キを組み合わせれば沢山出来ます。 末期は、松、待つなどありますが、折角の天国へのお招きを拒否する積りは、私にはありませんので、謹んでお受けいたします。

コメント KM姉

 書くことは最高の脳トレとか。お互いにこの種の脳トレに大いに励みましょう。ご紹介の後期の代わりに、そうですね…、今ひとつぴったり来ないですね、造語しないと。

コメント 若い二人の姉

☆これからの過ごし方が大切!と感じました。
漢字の使い方によっても響きが素敵に変わっていくのですね。
どうか素敵な造語がたくさん創られて心地よい響きの年代が増えますように・・

☆70代以上が一緒というのは、どうにも解せないですね。
幸期なんていかがでしょう?
もちろん当て字ですが、人生の荒波を乗り越え、子孫にも恵まれ、好きなように時を過ごすとても幸福な時期、という意味で……

 

コメントSAM兄

 後期高齢者という言葉に憤慨している者の一人として下記の提案をさせていただきます。 

①75歳以上の人総てを、高貴高齢者という。

②その内70歳代の人を、興起高齢者(勢い盛んな高齢者、心を奮い立たせている高齢者)という。

③80歳代の人を、好機高齢者(またとない機会が与えられている高齢者)という。

④90歳代の人を、香気高齢者(香気がただよう高齢者)という。

⑤100歳以上の人を、光輝高齢者(誉れ高き高齢者)という。

以上に分類していただくように厚生労働省に申し入れをしては如何でござるかな。

 

コメントN姉

 高貴 香気 光輝 好機 好期 好季 弘毅 興起 幸喜 光喜
 幸喜 …  どれが良いかなあ!

「幸期」はいいですねえ。素敵な当て字です。
「幸福な時期」となりますように、尚、努めることにいたしましょう。

 

コメント 私

SAM兄さま

①から⑤まで、素晴らしい分類をして下さいました。
ありがとうございました。

いずれ、信頼に足る組閣が成されて、私のメガネに適う大臣が任命されましたら厚生労働省に申し入れをしてみます。

あれから十余年。素敵なマイミクは健在です。

パソコンの年齢表記も、高齢が可能になっています。

 

 

 

 


公私の分かれ目

2020-01-02 16:46:22 | 日記

 逮捕されていた日産自動車のカルロス・ゴーン元会長が、保釈中にレバノンへ逃げた。新年早々、不愉快なニュースである。

 この人を見込んで会長に推したのは、前社長のYH氏であるという。学童疎開で同じ屋根の下に半年間過ごした時、氏は六年生、私は三年生だった。一部の男生徒のいじめなどが大ごとにならなかったのは、穏やかな彼のお陰だろう。学芸会の企画も楽しかった。

 後に私の父がPTAで知り合ったH氏の父親とウマが合い、時々の噂話を聞かされた。H氏は東大の経済学部から日産自動車に就職して、着々と昇進していたのだ。

 疎開っ子の疎開地訪問に氏の参加はなかったが、その名簿には(アメリカ)とあり、留守宅の住所があった。初めて父の話と結びついた。

 私は、YH氏は何故会社をゴーンに任せたのかと不審だったが、人間性の違いである。

悲しいことに、巨額の金を前にすると、公私の分かれ目がはっきりするらしい。