永らえて 美雨の日記

日々折々の感想です

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コロナ鍋はいつ囲む?

2020-09-23 21:59:43 | 日記

 

 只今世界中の人が、マスクをして歩いています。昨年まではこんなことって、誰が想像できたでしょうか。

 コロナ禍の文字がマスコミに現れた頃、私は禍を横目に見て、鍋と読み違えていました。これほど広がってしまうとは思わず、感染を避けて外食の機会が減るなら、家で仲良くお鍋を囲むのかと、呑気に考えたものです。

 おまけに、世界中が一致協力して事に当たれば、世界は平和になる。とも思いました。ところが、ところが、です。コロナは様々な問題を広げながら、なかなか終焉を迎えません。コロナはいつ、矛を収めるのか。

 収束または、終息とも書かれていましたが最近は終息に落ち着いてきたようです。コロナとはそもそも、太陽を囲む現象だと知っていたのに、顕微鏡写真の禍々しい(マガマガシイ)輪っかが、コロナの名前に付けられて、輝かしいはずのおひさまがお気の毒。

 一日も早く、鬱陶しいマスクを外して、新鮮な空気を一杯浴びたいですね。

  

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やっと戻った 私のブログ

2020-09-20 18:49:58 | 日記

 理由はいろいろでしょうが、ブログはアップされるのに、更新できない。私は嫌われたのかと、ロックされるたびに悔しさがこみ上げてきました。

試行錯誤かと、色々やってみて、ほっとしたところです。

これから何を書こうかと、考え始めたところです。

 

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隣のおばさん

2020-03-26 16:56:27 | 日記

   

 只今、世はコロナコロナで持ち切りである。幼かったころの戦時体制に似てきたようだ。あの頃の近隣は助け合いの中にいたが、今は孤立しがちで懐かしい昔が思い出される。

  東京世田谷に村があったころ、村会議員の曽祖父は教育委員を務めて、祖父の代にも教師の面倒をよく見たという。母屋に下宿をしていた教師もいる。 私が幼い日々を過ごした家の隣に、二間だけの小さい貸家があった。もともと祖父が、私の両親のために建てた家だが、長女が生まれると、更にその隣に少し大きな家を建てて、小さいほうは人に貸したのである。

 最初、貸家には小説家が住んでいたという。低い生垣越しに、夫婦喧嘩の声が筒抜けだったらしい。新聞に連載小説を書いていたそうだが、私が覚えているはずはなく、名前も知らない。私の記憶の初めは、四人の子を持つ一家だ。

 隣の家のつぎの住人は、中学の英語の先生だった。障子を開け放てば家の中は丸見えである。若い妻の、座敷箒を脇の下に掻い込み、柄の中ほどを両手で支えて掃く姿が子ども心にも珍しく、幼い私は無遠慮に眺めていた。まだ子どもの無かった彼女は、私を可愛がってくれた。歩いて十五分ばかりの、空き家の管理を任されていたらしい。私を連れて時々泊まりに行った。二階の沢山のおもちゃで遊び、銭湯にも、初めて連れて行ってもらった。

 いつの間にかその英語の先生も越して行った。そして、あまり親しむ間はなかったが、結婚したばかりの小学校の用務員さんの娘さん夫婦が入ってすぐ出ていった。時代のせいか出入りが頻繁だった。

 代わって越してきた人は、以前、青年学校の先生を務めた人で、夫人も元教師であった。隣に一番長く住んだのは、このご夫婦だった。東京空襲が、間近に迫っていたころである。 私が学童疎開に行くとき、そのおばさんは大切にしていた人形をくれた。黒いお河童髪に赤い着物の、小さな座布団に座れる人形だった。戦争に勝つように、二人で「勝子」と名付け、疎開の私のお供をした。が、人形に興味を失う年齢になって、「勝子」はいつの間にかどこかへ行ってしまった。もっと大切にすればよかったと、私は今でも悔やんでいる。

 あのころは、近隣関係のもっとも濃密な時代だった。特に、我が家と、隣、叔父が出征して祖父母二人だけになった母屋の三軒は、何かと助け合って暮らした。風呂は母屋と我が家が交互に沸かした。風呂の無いおばさんは、風呂の水汲みが始まると、必ず手伝いに来た。ポンプでくみ上げた井戸水を、庭隅の風呂小屋まで手桶で運ぶのである。一度だけ、暗い電灯が灯っている祖父の家の風呂場で、体を洗ってもらった。私は、子どもの無いおばさんから可愛がられ、甘えていた。彼女は、裁縫や編物が上手だった。座って仕事をしている縁先で、私は人魚姫のお話を聞いた。縁側の雨戸の走る溝には、斜めにあいた穴があった。その斜め上にも穴を塞いだ痕があった。戦争中、家の軒先を焼夷弾が掠めたのである。その傷跡を見つめながら、「続きはどうなったの?」と、遠慮もせずに私は人魚姫の話を何度もねだっていた。

 上野の科学博物館に連れられて行ったこともある。敗戦後間も無いころの満員電車にもまれて、引っ張られた着物の袖が解けた。でも、糸を売っている店が無かった。仕方なくやっと買えた安全ピンで、おばさんは袖を直した。博物館のほのかな照明の中に、静かに横たわるミイラは、思っていたより小さかった。

 大切な着物を何枚も、空巣に盗まれた時のおばさんは寂しそうだった。ラジオから流れるピアノの音を、「この家にはピアノがあるのか」と、垣根越に覗いていた中年男がいた。あれが犯人だったのだろうか。

 近くの農家の親は日暮れまで働き、外で遊ぶ子供たちは私と毎日遊んでいた。テレビの無い昔の夜は早い。ある日、いつものように家に戻ると、真っ暗な我が家は戸を閉めて静まり返っていた。家に入れてもらえず泣き叫ぶ私の声を聞きつけたおばさんが出てきた。「耀子ちゃんは、遅くなって悪かったと言ってますから、許してあげてください」というおばさんの取り成しで、やっと私は家の中に入れてもらった。 母は、七人家族の食料のため、畑仕事に懸命だった。私の下に、十年ぶりで妹が生まれると、おばさんは度々赤ん坊の妹を預かってくれた。それでも母には、おばさんに対する感謝の念があまり無いようだった。

 母は、「隣は、縁先近くにお膳を出し、障子まで開けて、白いご飯の食事をみせつけていた」 と、後に笑って打ち明けた。おばさんは、私の妹を養女にしたかったのだという。

 母の思いはどうでも、私には優しかったおばさんが懐かしい。二度ばかり移転先を訪ねたが、今は遠い人になった。次々に去った隣人たちとも、それきり会っていない。

 あの古い二軒の家は壊され、跡形も無い。

 

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春を待つ

2020-02-10 16:08:30 | 日記

 冬か夏か、どちらが好きか、と、聞かれることがある。私はどちらも苦手だ。だから、春か秋が好きだけれど、この季節はなんと短いのでしょうと、ひねくれた答えになってしまう。折よく、立春と題して敬愛するKさんが菜の花いっぱいのカードを送ってくださった。季節を先取りしてくれる日本の暦は、嬉しいものだ。

 この短い季節に、ささやかな我が庭には満開の紅梅が目を楽しませ、椿の蕾も期待を膨らませてくれる。只今カメラは不具合で、早く直さねば、と、気持ちばかりが焦る。

 世は新型肺炎に悩まされている。私がジフテリアに苦しんだのも、このころの季節だった。小学2年から3年になる年だったからよく覚えている。その前には、百日咳から急性肺炎になっている。疫痢にも罹ったという。予防注射がなかった時代に、弱かった幼い私がここまで生き延びたのは、まさに、恵みであった。

 新型肺炎にも、一日も早く、ワクチンが出来ればよい。

 

 

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徒然なるままに

2020-01-17 17:21:07 | 日記

 

 

 既に10年以上前の事ですが、クリスチャンペンクラブの間で、ミクシィのコメントが、楽しくやり取りされていました。その中の一部を消し去るには惜しく、保存してあったのを見つけたので、ご紹介します。どうぞ、ご笑覧下さい。

 

コメント 送信者(私)

 前々から思っていたことなのですが、パソコン等で個人情報を記入するとき、住所他と続いて年齢の項目があります。順々に年齢を上げて行って、70歳代となると、その先が無いのです。70歳と90歳とでは随分違うはずですが、70代から先は一緒くたです。ちょっとおかしいと思いませんか?
 私にもこの先、長寿が与えられるとすれば、90歳になってもパソコンは出来ると思います。6、70歳を過ぎると、その年のとり方、老い方にはかなり個人差が出てまいります。私のわずかな交際範囲の中でも、パソコンを使うグループ、使っていないグループを比べてみると、はっきりその違いが判ります。そして私は、使っているグループの中に入れて頂いて、多少なりとも老化を防いでいるわけです。
 75歳以上を後期高齢者として、一括りにするのは変です。
せめて、95歳以上は終期高齢者、いよいよとなったら末期高齢者としたらいかがですかね。徒然なるままに、よしなきことを書きなぐります。厚生労働省サマ。
 大体呼び方も、味が無さ過ぎます。
後期を「高貴」と現す方がいらっしゃいますが、これはとてもいいですねえ。
 他に、好機、香気、光輝、好季、光喜などなど、いろいろございます。
 終期は、秋季、繍貴、秀貴、等等。シュウ。キを組み合わせれば沢山出来ます。 末期は、松、待つなどありますが、折角の天国へのお招きを拒否する積りは、私にはありませんので、謹んでお受けいたします。

コメント KM姉

 書くことは最高の脳トレとか。お互いにこの種の脳トレに大いに励みましょう。ご紹介の後期の代わりに、そうですね…、今ひとつぴったり来ないですね、造語しないと。

コメント 若い二人の姉

☆これからの過ごし方が大切!と感じました。
漢字の使い方によっても響きが素敵に変わっていくのですね。
どうか素敵な造語がたくさん創られて心地よい響きの年代が増えますように・・

☆70代以上が一緒というのは、どうにも解せないですね。
幸期なんていかがでしょう?
もちろん当て字ですが、人生の荒波を乗り越え、子孫にも恵まれ、好きなように時を過ごすとても幸福な時期、という意味で……

 

コメントSAM兄

 後期高齢者という言葉に憤慨している者の一人として下記の提案をさせていただきます。 

①75歳以上の人総てを、高貴高齢者という。

②その内70歳代の人を、興起高齢者(勢い盛んな高齢者、心を奮い立たせている高齢者)という。

③80歳代の人を、好機高齢者(またとない機会が与えられている高齢者)という。

④90歳代の人を、香気高齢者(香気がただよう高齢者)という。

⑤100歳以上の人を、光輝高齢者(誉れ高き高齢者)という。

以上に分類していただくように厚生労働省に申し入れをしては如何でござるかな。

 

コメントN姉

 高貴 香気 光輝 好機 好期 好季 弘毅 興起 幸喜 光喜
 幸喜 …  どれが良いかなあ!

「幸期」はいいですねえ。素敵な当て字です。
「幸福な時期」となりますように、尚、努めることにいたしましょう。

 

コメント 私

SAM兄さま

①から⑤まで、素晴らしい分類をして下さいました。
ありがとうございました。

いずれ、信頼に足る組閣が成されて、私のメガネに適う大臣が任命されましたら厚生労働省に申し入れをしてみます。

あれから十余年。素敵なマイミクは健在です。

パソコンの年齢表記も、高齢が可能になっています。

 

 

 

 

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