永らえて 美雨の日記

日々折々の感想です

ウサギの目

2014-05-23 11:43:58 | 日記

 

 三月から四月にかけ、一週間入院して白内障の手術をした。

 予備の眼鏡を作るために検眼をした眼鏡屋さんに勧められて、眼科へ行ってから四年近く過ぎている。そのときはまだまだ大丈夫と言われ、そのまま放置していた目が少しずつ霞んできたのだ。初めての眼科で診察の後、いきなり日帰りか入院かと聞かれて驚いたが、後はあれこれの検査から挿入レンズの大きさまで測って、入院の予約をした。

 入院前に一度、部長先生による手術の説明会があった。最近の医術の進歩は目覚ましく、誰もが簡単に考えがちだが、大切な目にメスを入れるのだ。後は大けがをしているのだと自覚していてほしい。切って血が出るのは当たり前。だから、元の白目になるのはいつかなどと聞かなくても良い、必ず治る。と、ここまでは明快だった。

 だが、眼内レンズの模型の大きさに、これが目に入るのかと驚いて質問した人がいた。部長師は一瞬沈黙してから、「まだそういう方がいるのですねえ。以前はいましたけれど」と、言葉を切り、そういう質問にはお答えできないと言った。いつも同じ愚問に呆れて、うんざりしているという態度だった。

 しかし、その質問の主はコンタクトレンズさえ見たことがなく、疑問はすぐに質したくなる人だった。彼女が大いに傷ついたのを、私は後で知った。

 右目の手術は部長師の執刀で問題なし。左目の時は手術台に寝た途端、がくんと首が下がり息苦しくなった。部長師の指示で脇の筍師が調整したが不安定は収まらない。部長師が私の頭を両手でつかんで持ち上げてから顎を抑えた。具合はどうかと聞きもせず、医師のやりやすいようにと言うので我慢した。

 余談だが、叔父が昔、頼りにならない医師を、「土手医者」と批判した。藪ならまだ少しは向こうを透かして見えるが、土手にぶつかったら、全く見えはしないというのである。以来私は、藪を作る竹にも程遠い新人医師を、「筍」さんと呼んでいる。筍が若竹に成長しても、将来は藪でなく立派な竹に育ってもらいたいのだ。

 最初の手術の時は、すべてが上手くいきますようにと、神様に祈って、無事に終わっている。もう片方の目の時はすっかり安心してしまい、お祈りが少し足りなかったかもしれない。四月は不慣れな新人が入る時期だと気が付かなかった私はうかつだった。

 左目は部長師の講義から始まり筍師のメスが動き始めた。途中で予期しない痛みが走った。電気が消え、部長師が誰か知らない二人の名を挙げ、何々と何々を持ってくるようにと指示した。これは薬品だろうか、器具だろうかと思ったが見当もつかない。手術は停滞している。

 私の緊張は高まったが、筍師も緊張しているだろう。ここで私が何か言ったら筍師の緊張もさらに高まり不測の事態が起きそうだ。こんな時はイエス様の十字架の苦しみを思って耐えるしかないと我慢した。

 手術台から降りるとき、私の両肩はパンパンに張っていた。脇には筍師が呆然と立っている。私は「お勉強になったでしょう」と、声をかけたが相手は何も言わない。考えた末の一言なのに、効果のない一言だったのだろうか。

 病室に戻るエレベーターの中で、看護師さんに辛かったと思わず愚痴をこぼした。程なく、部長師がやってきて、自分にも初めての経験だが、手術台の頭部が壊れていた。と、謝った。態度の悪い患者と思ったのは、手術台の故障のためだと分かったのである。

 しかし、「いいえ、どうもご丁寧に」と答えたのは隣のベッドのUさんである。あの尊大な部長師がわざわざ謝りに来たのに驚き、私は声を失くしていたのだが、部長師は私を無視して去った。早速Uさんに確かめたが、明らかな人違いだった。

 左目は真っ赤なウサギの目になっていた。いくら何でもこれはひどい。今にも赤い血が滴り落ちそうだった。もしかしたら、Uさん用のレンズが私の目に入ったかと心配になったが部長師は否定する。だが、謝る相手を間違えたことは少しも気にしていない態度だった。

 部長師は、初めて体験した手術台の故障に驚き、早速使用をやめて修理に出したという。私から「お勉強になったでしょう」と言われた筍師は何と思ったか知らないが、皆さんで良い経験をしていただいた。しかし、私にすれば白内障の手術は一生一度のことである。やり直しはできないのだ。

 一か月経った今は、ウサギの目も白くなり、経過は良いようだが、私は最後まで油断大敵と思っている。自分の目でありながら、その目の中で何が起こったのか、直後に聞いても何もないと言われ、私は知らないのである。

「先生は目が赤くなっても必ず治るから聞くなとおっしゃったから、何も言いませんけれど、この経過はしっかり覚えておきます」と、説明会の時の言葉を思い出して言ったが、部長師は黙っていた。よほど言葉を省略したいお方のようだ。

 Uさんと一週間付き合ったのはよい経験になった。一見して普通の人も、判断力が衰えて、少しずつ老いて行くのだ。白内障のように、すべての老人が認知症になるわけではない。私も認知症にはなりたくないが、自分の意志で決まることではない。

 筍師が将来経験を積んだベテラン医師となっても、思い込みと体験だけで決めつければ、部長師のような穴に落ち込むだろう。確かな意思をもって目配りの利いたベテランになってほしいものである。