永らえて 美雨の日記

日々折々の感想です

引越しのお手伝い

2012-09-21 14:09:53 | 日記

 姉の引越しの手伝いをしてきました。

 義兄が亡くなってから15年間、1人で頑張ってきた姉ですが、今年に入って急に、家を建て替えることになりました。長男は母親が80歳になったら一緒に住もうと言っていたそうですが、最後まで一人で頑張りたいと思っていた姉も、ついに、思い切ったのです。

 義兄が建て替えたときに二世帯住宅にしなかったので、費用がリフォームにしてもさほどの差はなく、姉は息子の希望を入れたのです。思えば何もないところからスタートして、小さな土地に小さな家を建て、建て増しから改築。今年の建て替えで最後でしょう。

 取り壊して完成する間、別の所に仮住まいします。義兄が亡くなった後の荷物の整理は全くしていません。そろそろ整理をしようと押入れを開けた途端、どっとこみ上げるものがあって、何もできなかった。だから最後までこのままにして、子供たちに任せてしまおうと、姉は思ったと言います。

 息子夫婦の荷物が入りますから、不用品は自分で整理する羽目になりました。私も大いに気がもめました。ゆっくり時間をかけてやれば良いと励まし、居間の片づけから始めた姉に、二日間泊り込んで私も手伝いました。その後は、すぐ近くにお住いの親友が毎日来て手伝ってくれたそうです。信仰の友ですから、兄弟には及ばない優しさです。

 いつか使うだろうと、捨てずにしまってあったものが次々に出てきて、玄関に積み上げられ、次のゴミ出しの日にはまた、別のものが玄関に積まれます。その中には、新婚時代に使っていた木蓋つきのご飯釜がありました。嫁入り道具だった、長い一枚板の裁縫台なども過去の遺物です。こんなものがあるから、和裁の達人と誤解されて、姉は苦労したのだろうと笑えてきました。親心もとんだ逆効果でした。

 使えるものを受け取るのもお手伝いだと言われ、あれやこれやと私にも荷物ができて、宅配便で送ってもらいました。

 来春の家の完成まで、いろいろ大変でしょうが、私が泊まる部屋もあるそうで、楽しみにしています。  


壊れる?

2012-09-20 16:26:06 | 日記

 特養にいる母に会ってきました。

 百歳を過ぎても元気な母でした。知力体力は少しずつ衰えて来てはいましたが、ヤッカミ半分に「バケモノ」と言われながらも、高い評価を得ている母でした。私も、そんな母を誇りにしていました。 

 昨年の東日本大震災の時、東京都内も震度5に大揺れしましたが、関東大震災を経験していた母は、怖がりませんでした。しかし、その後のテレビニュースは、刺激が強すぎたようです。ショックで急激に視力が落ち、私が電話をした時にはテレビを止めたいけれどスイッチがわからないと言いました。

 母の近くに住む姉に知らせて、様子を見に行ってもらいました。そのあとは色々な経緯があり、月の半分だけのショートスティが、特養に永住と変わりました。母には母なりの心積りがあって、他家に嫁いだ娘たちの世話にはならない。その為に長男を盛り立てて、大切にしてきました。

 母は度々見舞う姉を頼りにして、姉だけには色々とわがままを言います。横浜市内に住む妹たちの代わりに行ってくれているようなものですが、いくら近いと言っても、バス電車を利用するには半端な場所で、80歳過ぎの姉に取り、冬の北風、夏の炎暑は身に応える道中です。特養は私の母校の近くですから、よく分かります。

 特養の母を見舞うと、とても喜んでくれます。昨日は入浴の直後で、補聴器を外していましたが、話が通じたので、職員さんと顔を見合わせて驚きました。ベッドに収まるまで声をかけなかったのですが、そこに娘がいるようだと言いました。私は明るい窓辺に座って母と話しました。ホームの配慮で、母の良いほうの目が窓辺を向く位置に、ベッドがあります。

 母は、今日はだれが知らせたのかと言います。今晩死ぬから、これでみんなに会えてよかったと言います。行く度に、今晩死ぬからと、母は言います。臨終の知らせを聞いて、娘の私が来たという論法なのです。母の話はだんだん可笑しくなってきます。絶対にボケない母だと思い込んで、会話を楽しんできた私ですから切なくなります。

「そこにいるのは誰なの」と、不自由な目を泳がせます。私以外にだれもいません。母の目には見えるというのです。

 私には見えない人が見えるのなら、それは神様だと、私は言いました。神様はたった一人のお方だから、呼べば必ず届きます。寂しい時には神さまを呼んでねと言って、帰ってきました。

 母の頭は壊れてきたのでしょうか。後ろ髪を引かれる思いでした。

 


意思表示シール

2012-09-15 15:24:46 | 日記

 ここ数年、個人個人に健康保険証が送られてきて便利になっていますが、昨年は初めて、臓器提供の意思表示を求められてびっくりしました。高齢者の臓器など役に立たないのではないかと思っていた私が、後期高齢者になった途端ですから余計に驚きます。

 この記事をお読みになる皆様も保険証をご覧になっていて、改めて説明の要はないでしょうが、必要事項を書き込み、意思表示保護シールを貼り付ける仕組みになっています。

 私は生涯、健康で生き続けたいと願っていますが、何かがあっても、他人様の臓器をいただいてまで永らえるつもりはありません。しかし、死んだ自分の臓器がお役にたつことがあれば、別に否やはありません。

 夫は妻である私の臓器提供は以前から嫌がっています。子供たちとその話をしたことはありませんが、親の意思を無視する人たちではありません。問題は、私が夫に先立った時でしょう。去年はそんなことを考えながら過ぎ、今年は例年より一か月早く、送られてきました。去年と同じです。

 臓器ネットワークのホームページに問い合わせてみました。曰く、高齢者の臓器でも役に立つのでしょうか。と。数日後に返信がありました。高齢者でも、医学的に見て使用可能ならできるとあります。まず、自分自身の意思を表してくださいという趣旨でした。配慮に感謝、支援をよろしくともありました。

 さて、結果はわかりませんけれど、この記事を書いたら健康保険証に書き込み、シールを貼るつもりです。健康保険証はいつも持ち歩いています。

 長引く夏の暑さにだらけがちの日を過ごしていますが、ここらで気を引き締め、より健康に過ごそうと思います。他人のためにとは、自分のためでもありそうです。

 


はじめまして

2012-09-10 11:37:48 | 日記





急に思い立って新しいブログを作ってしまいました。

別に創作のページもあり、http://www2.ocn.ne.jp/~chinosio/(永らえて 私の足跡)。ここも追々に充実させて参ります。

所属するキリスト教会の個人ブログを作り、http://itrains.blog.ocn.ne.jp/ 

(金沢フィラデルフィヤ教会 信徒からのお便り)。そこに個人的なものも入れるつもりでしたが、一本化したほうが良いと思い立ちました。

まず、テストパターンを作ってから、ゆるりゆるりと進めるつもりでしたが、折角ご訪問くださった方に、中途半端な未完成品をお見せしてしまい、深く反省しています。

昨日アップした写真は、去年の我が家の柿です。今年はたくさんの実を付けましたが夏の初めに大半の実を落としてしまいました。今年は、さて、どうなるかわかりません。

その代わり、収穫までにまだ一か月はかかりますが、スダチが期待できそうです。スダチは徳島県のものと思っていましたが、温暖化のせいか、南限が上がって、横浜でも出来るようになりました。

道行く人が、ミカンですかと、おっしゃいます。育ての親である夫は大いに気を良くして、あの人にも差し上げなくてはと、楽しみにしています。

三人の子育てを終え、生き馬の目を抜く戦場から帰還して17年。父親そっくりの爺になった夫の顔を「福相」というのでしょうか。地味な暮らし向きですが、平穏な毎日です。