ふと読みたくなったよしもとばななですが、
正直言えば苦手な作家である。
TSUGUMI、キッチンなどはもはや通過儀礼のように読んだものの、
びっくりするほど面白くなくて(そしてなぜそこまでもてはやされるのか分からなくて)
唖然としたトラウマが。
世の中で名作とか言われているものを自分が全然理解できなかった時の疎外感で、
自他ともに認める読書好きとしてはちょっとショックなことでもあった。
昨年あたりに「体は全部知っている」を読み、ああこの人こんなのも書けるのね、という再会を果たした。
「西日」「ミイラ」「本心」「いいかげん」なんかが特に好きで、
かまえない、なんてことない感じなんだけど、ちょっと歪で少しだけ気持ち悪い感じがちょうどよかった。
今回読んだ「デッドエンドの思い出」は、帯にあるとおり筆者渾身の作品らしく、
どの短編を読んでいてもそれがよくよく伝わってきた。
あとがきにもあるとおり、この人はこれが書きたくて作家になったんだなとしみじみ納得。
必ずしも私の好きな路線ではないにしろ、いろんなもののちょうどいい織り込み方、軽さが、ほどよい読書になった。
ふいに胸をつかれたのが表題作の「デッドエンドの思い出」。
私は経歴などからいって、育ちが良いだのなんだの褒め言葉をいただくことが多いのだけれど、
そういった評価を受ける度に自分の中ではちょっとした戸惑いや葛藤がある。
それって裏を返せば世間知らずってことじゃないか、とか(事実本当にそうなのですが。)
褒められるほどには実は育ちは良くないし結構下品で粗暴な人間なんだけど、とか。
自分の立場が、自分の能力ではなく単に生まれ育った環境によって得られたものだというのも分かっているし、
全く努力家というわけでもなく、チャレンジ精神もハングリー精神もなく、ただぼんやりとレールの上を歩いてきただけで、
何ができるわけでもなく、育ちの良さ(というより良さそうに他人から見えるもの)もだいたいが小手先で、もっと上品で育ちの良い人なんていくらでもいるし、
だいたいが私は嫉妬深い人間なので、だいたいの他人を羨ましく思い妬んでいるし、
なんていうとめどない自己嫌悪と恥ずかしさに襲われたりもする。
そういう自分のいちばん嫌なめんどくさい葛藤の部分が、この作中で少し救われたように思った。
嫉妬深い人間なので当分葛藤が全くなくなることはないだろうが、覚えていよう。
この短編集全体をみても、もしかしたらよしもとばなな自身もそうだったのかなと思った節もある。
綺麗なもの・生きていく美しさへの賛美が、ちょっと過剰に思えて鼻についたのだけど、
まあそういう信念の作家なら仕方ない。
疲れたときや落ち込んだときに予想外の響き方をするかもしれないので、
とっておくことにする。