順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

背水の陣

2009年09月25日 | essay

「背水の陣」という言葉がある。退路を断ち、一歩も引くことの出来ない絶体絶命の立場に身をおき、決死の覚悟をして事に当たることをいう。古代中国において韓信という武将が自軍を川を背にして陣取り発奮させて勝利を収めたという故事が元になってできたものだ。何かにひたむきに頑張るというのは社会的に好まれることで、現代においても多くの人がこの言葉を胸に試験や競争に臨んでいることであろう。しかしこの言葉に関しては、いくつか指摘しなければならないことがある。

第一に、故事が成立した場面はせいぜい数時間で決着がつく短期の戦いであるが、現代において個人が臨む競争の多くは決着がつくまでに長い時間がかかる。野球やサッカーで、監督が辞任をかけて選手たちを発奮させようとすることがあるが、その直後数試合は勝てるけれどもそれで構造的な欠陥は直るものではなく、すぐまた連敗を繰り返し退任に追い込まれるということはよくある。長い期間がかかると、切迫した感覚は薄れてきて、むしろ退路がない状況により不安が掻きたてられてしまう。強い心理的負荷が長い間かかってくると、不眠になったり集中できなくなったりと身体の不調も出てくるものだ。

第二に、故事が成立した場面は負ければ文字通り「死」が待っている状況であったが、現代において個人が臨む競争のほとんどは敗れても死ぬわけではなく人生は続いていってしまう。死が待ち構えているのなら負けた後のことなど全く考えなくてよいが、そうでない場合は負けたときに身の処し方を考えていかなければならないし、勝敗がつく前でもどうしてもこのことが気になってしまうものだ。このことも不安を駆り立て、情緒不安定を引き起こす原因となる。

したがって、長期戦に臨む場合には情報を集め冷静さをもって進めていくことが重要となってくる。そもそも故事においても、将は相手を油断させた上で別働隊を裏に回らせて挟み撃ちにするという戦略の下で背水の陣をひいたと言われ、単に精神力だけで突破しようとしたわけではない。もっとも、保険や逃げ場・すべり止めを用意していくことで本命への戦いの意欲が殺がれてしまうというデメリットも存在する。セーフティーネットに甘えてしまう、社会保障で言う「福祉のわな・貧困のわな」のような事態だ。退路がないことへの不安と退路があることへの安心によるデメリットを天秤にかけて、自分にとってどちらが適しているかを考慮して戦略を立てるのがよいだろう。

私の場合は、どうも情熱や夢といったものに熱中できず、最後は分相応なところに落ち着いていくだろうなんて達観したような態度をとってしまう。イベントの準備で一所懸命さがみられないと批判されたこともある。これは「学校と習い事と塾」「部活とイベントと受験勉強」「大学の勉強と資格の勉強」というように様々なことを並行してこなしていく生活を続けてきて、ひとつのものに全力を投入する経験に乏しいのが原因でないかと思う。いつもはバランスのとれた生活をするが、やるべきときにひとつのことに力を注進する、そんなことができるように取り組んでいきたい。


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