順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「順風ESSAYS」にようこそ

法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
長文記事は「順風Essays Sequel」に移行し、こちらは短文の投稿をします。
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人生における選択について

2013年05月05日 | essay
特に進路選択については,自分も曲りなりにに経験したし,お仕事柄色々な人の人生の進め方について話をする機会もある。そうして色々と考えるものの,しっかりとしたかたちでまとめる余裕もないので,簡単に箇条書きをしてみる。

1 反発と自発:両親などが一定の希望を示している・周囲の友人がだいたい同じ道に進もうとしている場合に,「周囲と違う」という点に大きな価値を見出して振り切って行ってしまうというパターンがある。また反対に周囲の序列意識から序列の高低を第一にして選択してしまうパターンがある。これらの場合は,間もなく取り巻く人たちが変わり,反発の対象や序列の源泉がなくなることで選択した進路に疑問をもってしまう危険がある。選択後の環境の変化も考え,何を主眼に置くべきかを考える必要がある。

2 「寝食忘れて好きになるものがあるはず」:幼少からよく接する歴史上の人物や成功者の談の影響から,職業となすにはものすごく熱中できることでなくてはならない,それを見つけるまで本気になれないという考えが生まれる可能性がある。社会的分業や専門性への評価は比較的最近のもので,人間の性質としてはその場その場で興味あることを過度に負担にならないくらいにやりたいというのが通常であろう。ある程度自分が納得し周囲にも説明できる選択の理由を考えた上で,うまく長く付き合えることを主眼にするのがいい。

3 「準備がちゃんとできてから,やろう」:高校までの学習とそれ以降を較べると,扱う情報量や時間の面で余裕が格段と少なくなり,多数のことを同時並行的に進め,限られた時間内で求められる水準でやっていく,ということが重要になっていく。また,講義やひとり座学で準備するものよりも実際に経験し取り組みながら学んでいくべき種類の事柄も増えていく。準備を怠らないことは大切であるが,準備を理由に挑戦を避けてマイナスになることが多い。足りないところは後からついてくる,カバーできる,そういう自信がもてるように,小さい挑戦を重ねた上でリカバリの仕方の準備を探求するのがいい。

4 責任と原因:悪い境遇になったとき,その原因を考えることがあるだろう。だいたいは,家庭と学校の環境など多くの時間を過ごしたことが槍玉に挙げられ,異常に悪いというわけでもないのに最良でないことが問題として意識される。そして,原因を作ったとして責めたてることになりがちだ。しかしもう家庭も学校も離れて今後の生活を作っていくことが可能かつ必要なところ,その歩みを止めてしまう上に,いざというときの協力者を失ってしまいかねない。大事なのは将来であり,原因として過去のことを考えたとしても,そこで足りないと感じたことをこれから補っていくためと思おう。

5 強さの意味:多くの社会制度は,個人は自己の利益になる行動を積極的に行うことを前提として設計されているが,現実には自分のことだからこそ不利益に振る舞うことも多い。不利益を受けて立ち,耐えることが自己の強さとして把握される面があるからだろう。しかしだからといって,自分以外の誰かが自己の利益を最大化できるということはほとんどない。孤独にならないこと(利害を共通する他者がいると踏みとどまるきっかけになる)が解決策と思われるが,少なくとも自分を積極的に悪い方向に向かわせることはしないことが大切だ。
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格差感と屈折

2013年02月12日 | essay
私は東京の市部地域で生まれ育ったのであるが、自分や周囲をみていて、ひとつの傾向があるように感じている。中学か高校で都心の私立に進んだ人に地元について「田舎で嫌だ」と言う人が多い、というものだ。人の出入りが多い東京では明確でないが、どこにも住む地域で漠とした階層のようなものがある。同じ地域で通すと階層の違いを意識する機会は少なく、東京市部は情報や住環境の面で大きな不足はないから、満足度は高い。他方、中学高校の思春期に都心の層と接する経験は、ひとつの葛藤を生む契機になるだろう。

大学で上京した地方出身の学生について同じような葛藤が多く語られており、「文化資本」といった用語もよく目にする。これらの「格差感体験」が、個々人にどのように影響を与えるかは人それぞれであるが、私の場合、ある屈折を生み出したように感じている。大まかに言うと、(1)自分の地元を絶対に否定したくない→上の階層に行くことへの抵抗感、(2)とはいいながら上の階層の文化体験もある→他者との関係で優越性の一部を形成しているように感じる、となる。

(1)は要するに成り上がりの人生ストーリーの拒否であり、主に中学高校の頃の体験が元になっている。私は中学受験で都区内にある国立の中高一貫校に進んだ。私立より層の広い人の集まりであったと思うし、受験では外国人家庭の子供とも触れ合い、リベラルな視点をもつ基礎になったと感じているので、よい部分のほうが多い。もっとも、吹奏楽部に入り、楽器をやるということで良家の子息が集まりやすいということもあって、そこでは階層的な劣等感を感じやすいというのはあった。夏休み外車で別荘に連れて行ってもらったりとあったが、私の家は車がなかった。

私は学内での成績がよかったので舐められることはなかった(これにより成績が自我の存立基盤になってしまうのが問題だと思っていた)のだが、学業では塾通いをしていて私立でたくさん塾も通い遊びもたくさんやってるような他校の生徒と接することになった。「少ない投資で彼らと同等以上の成果をあげている」というのが励みになることもあった。地元の標準的な家庭というのを背負って対抗心を燃やすという意識である。将来像として上の階層に行くべく邁進するという思いはなかった。それは自分の育ちを否定してしまうことで,自分自身を否定してしまうという感覚があったからだ。

(2)とはいえ、客観的には学業にしても趣味にしても上の階層に適合的な体験を積み重ねてきた。受験と教育を与える側の目的のひとつでもあるから当然である。そして大学に入り地方出身の方とも触れ合うようになると、自分がいかに恵まれているかを意識するようになる。東京の中高一貫出身となれば格差感の対象として位置付けられる典型例である。実際,塾通いもしていたわけだし、奨学金も借りていなければ、アルバイトを重ねて苦学することもない。相変わらず遊びなどにお金は使わず質素に生活したが、そうして物質的・金銭的な面で控えめでいると、趣味や物腰,雰囲気といった文化資本的なものが最も簡便な優越性や個性として機能することになる。だが、自分の中で肯定していないものが自身の位置付けとして使われることには歯切れの悪さがあり、他者に対し十分に自分を見せている,すなわち自己開示できているという感覚が持てず,積極的になれないことが多くなった。

以上の点から自分の中で屈折した感情があり,どこにも落ち着く場がないという所在なさを抱えることになった。職業選択においても,何を目指していくかという点が定まらず,競争や選抜と可能な限り無縁であることが理想と考えていた。今では,物事の社会的な位置づけを脇に置いてそれ自体の意義を見据えて感じるようにすること,動機が本意でないにしても取り組んだことにより得るものがあり活かすこともできることなどを意識し,随分と克服されてきたように思う。振り返ってみて,早期に将来の覚悟と野心と意欲が固まれば,違う人生になっただろう,大きな浪費をしたという感覚もある。しかし現在,法律家という,仕事自体に公共的意義も感じられ,階層横断的に人と接し価値観が狭くなりにくい仕事を得ることができたのは幸福なことであるし,割り切れなさを抱えながらも学びを続けてきたからこそ来れたものだと思っている。
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役割について

2012年08月31日 | essay
最近,自分が「面白いこと」「他者を笑わせること」を考えたり探したりすることが少ないなあ,と感じている。

人にとって「役割」というのは大事である。成長過程で担った役割が,その人自身の性質として意識されるようになることもあるだろう。私は末っ子に生まれたので,家族を和ませるというか,笑顔を提供するといった役割にあったように思う。テレビのお笑い番組はあまり見ない家庭で,自分も大騒ぎするような性質ではなかったので,言葉遊びや静かないたずら,イメージとしては植田まさし作品(コボちゃん,かりあげ君)みたいな面白さを追求するところがあった。学校や部活でも同じような役割でいるのが居心地がよかったので追求し,その反面で好成績を取り続けるなどして舐められないようにしないと,と考えることもあったように思う。

翻って現在では,仕事では一年目とはいえ法律の専門家として責任ある判断をして事務のスタッフも先導していく立場である。私生活でも,一人暮らしの生活では,面白いことを追求し他者を笑わせることが期待される役割がない。こういう生活状態に慣れて,普段の考えも変わってきてしまっている。

盛り上げ役にならないというだけでは大きな問題はないが,普段の人間関係について自らの役割を作っていこうとする姿勢までなくなっているように思う。相手に合わせて自分がどう行動すべきかという反応的な思考ばかりで,自分がどういうことを求めていくのか,ということを明確に意識できていない。人間関係は相互作用,求めるものが明確でなければ,こちらが出方を待った相手のほうも最初の出方に戸惑うであろう。

何事も最初が肝心,特に新たな環境に入る場合は自分の役割についても十分なイメージや準備が必要である。個人的な心残りとして,法科大学院入学に際して直前他の用でバタバタしたためにあまり心の準備ができず,積極的な役回りはせず成り行きに任せてしまった,というのがある。仕事を始めるにあたっては準備をしていったが,夏を挟みちょうど振り返ってみるいい時期である。一人暮らしは自由である反面,役割意識自体がなくなってしまいがちだが,充実させる鍵はここにあるように思う。公私にわたり,自分が望む役割を具体的にイメージし,積極的に得ていくための行動をする,さらに理想的には身構えずに自然にできるようになる,そういうことも意識して過ごしていきたい。

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雑感をいくつか

2012年08月12日 | essay
かなり間が空いてしまいました。気負って大作を書こうと思わず,つぶやきの延長線という感じでつらつら書いていきたいと思います。



久しぶりに図書館に行った。学生時代から,無目的に書店や図書館に行き,好奇心が向くテーマの書棚を眺めたりぺージをパラパラめくったりということをしてきたが,こういう習慣が調査力や発想力という点から自身の力を支えているんだろうなと感じる。特に法律の分野は社会のあらゆる事象について問題となりうるので,必ずどこかで活きるだろう,それはどういう場面かなと考える楽しさもある。

こうした好奇心は大事なものであるが,自分の興味があまり外国に向かわないのは何故かなあと考えることもある。思春期の頃,どもり癖があったことから,対人関係の苦手意識が残っているのかもしれない。しかし見知らぬ人と交流するのは多かれ少なかれ誰でもストレスがあるもので,事後的にどうケアすればいいか準備ができさえすれば,積極的にできるかもしれないなぁと考えている。事前規制から事後救済へ,という標語の下に多くの人が司法の分野に進んだ私の世代,私生活においても同じように挑戦してみるのもいいだろう。



図書館で「技術の倫理学」という本を借りた。私が教養課程のとき,ちょうどこの○○の倫理学というシリーズが次々と刊行されていく頃であった。最近でも,NHKBSで「意図的な老朽化」というテーマの特集が非常に興味を引いたし(訴訟例もあるらしい),TBSで脱原発に関連してドイツの政治家が「倫理的な観点から」という話をしていたのも印象に残った。

倫理的な観点をどこまで拘束力のあるルールに反映してよいのか,という点には慎重さが必要であるが,合理的であることを第一に,それが帰結として倫理的な観点からも支持されるのは大事なことだ。専門家は,その分野について社会から判断を委託されるという側面を持っている。ある専門的な分野について法的な問題が生じたとき,法律家としてその判断を委託されるということを留意しつつ,考えを深めていきたい。



「競争」というのは私にとって非常に大きなテーマなのだが,ふとネットで親が公務員だと負け組になるという話題を見つけて興味を引かれた。どうやら性格的には「いい人」だけれども,胆力や競争心という点で負けてしまいがちということらしい。私自身,親が若いころ激しい競争環境から「このままだと早死にする」とそうでないところへ転職した経緯もあり,ゆっくり落ち着いて育てられた感がある。真剣さ,誠実さといったことがモットーであるが,好戦的でなく,ガツガツした競争は性格的にちょっと敬遠しがちだ。

それでありながら,中学受験から競争を重ね,今まで何とか残ってきた。時には,みんな自分と同程度に穏やかであれば社会は平和になるだろうに,無闇に競争を煽られ不足感や劣等感を刺激されて心をかき乱されることもないのに,と思ったこともあった。しかし,平和の維持実現にはそれを支える物質的な豊かさも重要であり,その観点からは,自由な競争環境を大原則とすることが最善であるということが歴史的経験上決着がついていると言える。好むものも好まないものも相互に支え合っている面があり,上手い付き合い方,ケアの仕方という方向で考えを向けるのが適切かもしれない。

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May I Help You?

2011年11月30日 | essay
"May I Help You?" これは,お店に入ったとき,店員が声をかける際に用いられる言葉だ。道に迷っていそうな人に声をかける際にも使われる。私はこの表現の仕方が好きだ。直訳すれば,「あなたを手助けできませんか?」というもので,声をかける側の意思として手助けしたいというニュアンスが含まれているように感じるからだ。日本語では,「何か(どこか)お探しですか?」「はい/いいえ」「それなら…/何かあったら訊いてください」となって,主体は相手方にある。

私が高校や大学のクラスの仲間と集まって話すとき,在学中のころから今に至るまで「お互いの具体的な勉強の仕方についての批評」「お互いの進路選択についての批評」は話題として出ない。相手の基本的なスタンスや大きな決断に関わることについて無闇に干渉することは避け,手助けは相手から求められたときにするもの,という感覚があるように思う。それぞれの能力と決断力・打開力への信頼,プライドの尊重を背景とする,暗黙のルールのようなものだ。

もっとも,最近ではこのように割り切るにも不安だと思うことが多くなった。経済情勢は厳しく,特に若い世代に荒波が訪れ,実際に相互に手助けが求められ出す場面というのが出てきているからだ。能力への信頼・プライドの尊重を確保しつつも,いざ手助けが必要になったときは力になるという安心感・信頼感を具体的に構築していくことが重要になってきていると感じる。

この構築に際しては,個人の特性の差に配慮する必要がある。他者に手助けを求めることに抵抗が少ない人もいれば,抵抗が大きくて抱え込みやすい人もいる。前者は広いネットワークがあり情報を入手しやすいし,後者は他の人がわからない未知の問題に自力で道筋を見出す力が養われやすい。両者がうまくつながることができれば望ましい。また,自分がいま手助けが必要な状況か判別をつける敏感さ,それを認めるプライドの持ち方のようなものも,個々人に差があるものだ。

そこで日常の心がけとしてどういうことをすればいいかと考えてみると,第一に,自身の動向・近況・体験談・考えていることを発信することがある。会った際の話でも,年賀状等の挨拶に触れてでも,またブログやSNSででも,適切な方法を使う。頼りにできそうか,手助けが必要じゃないかという判断材料を提供することになる。第二に,忙しそうにしすぎない,ということがある。あまりに忙しそうにしていると,遠慮を生んでしまう。本当に自分が忙しいときは,適切な人を紹介するという道もあるということを示すのがいいかもしれない。

第三に,力になれるときは力になりたい,という意思が伝わるようにしておく,ということがある。もっとも,この具体的な方法はよく考えが煮詰まっていない。どうも直接的に見返りのない・益のない行動については,直感的に不信感を生じさせてしまうように見えるからだ。基本は,自己が形成する世界の一部になっていて,その人の不安が自己の不安にもなるような感覚がある間柄でなくては,成立しにくいように思う。単純に,それが仕事にもなっているという人がいるといいのかもしれない。

以上のことは,これからの法律実務の世界でも考えられるかな,と思う。法律的アドバイスが必要・有用な場面であるという判別がついていないというのはとても多く観察されるし,弁護士は敷居が高いイメージも根強くあり状況が悪化するまで相談に行かないということもある。「こんな相談があります」といった感じで簡単な例を多く提示することがある。個人的には,額が大きい消費者契約を締結する段階で弁護士にアドバイスを受けたり立ち会ってもらう,というのもいいかな(紛争予防にもなるし),ということを話したことがある。

"May I Help You?"をもっと伝わりやすくすること,それが見通しが暗く不安が高まる社会において,安心を提供するひとつの方向性かな,と思ったのでした。

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生き方を賭けない

2010年09月02日 | essay
ルールに対する戦略

バンクーバーオリンピックのフィギュアスケートでは、採点基準に対しどのような戦略を立てるべきだったか、ということが盛んに話された。採点基準と競技スタイルが合っていたキム・ヨナやヤグディンは存分に生かして金メダルをとり、競技スタイルが必ずしも合致しなかった浅田真央とプルシェンコは銀メダルに終わった。銀メダルの二人は無理に採点基準に合わせようとせず自分のスタイルを貫く戦略をとり、結果として優勝できなかったので、この選択には批判もあった。しかし私は、これは仕方ないと思っている。仮に採点基準に合った戦略にしていたら、自分のよさも出せなくなる上にライバルの上に行くことは望めず、もっと差をつけられていたと思うからだ。

自分のスタイルをなかなか変えられない、というのは色々な場面で見ることができる。最近、海外に進出した日本企業が現地の労働意識等で苦労する話を読んだ(なぜ日系企業でストが起きるのか本当の理由を話します:日経ビジネスオンライン)。海外進出の動機は、生産コストや税金など、ドライな経済合理性や収益予測からされることが多いように見える。これと同様に経営手法や労務管理のやり方もドライに利益最大化ができるように国内のやり方にこだわらず柔軟にすればいいとも思えるが、ここはその企業の根幹というか、なかなか変えられない部分なのだろう。

もっとも、フィギュアスケートのようなスポーツの世界ではコンテストの過程も広く公開されているので、自分のスタイルを一心に貫く姿で多くの人を感動させ、メダルの色には収まらない成功を得ることができる。銀メダルの二人はそれを達成したであろう。しかし、そういう場面は珍しいほうで、結果が出なければ評価もつきにくく先に進めないことが多いだろう。企業の経済活動もそうだし、勉強や試験もそうである。自分のスタイルを確立し貫くというのはそれ自体充足感が得られ追求されるべきことであるが、結果を出すこととは必ずしも両立しないのである。


知識への距離感

私は大学から法学をやっている。法学は他分野から入ってくる人も多いところなのだが、理系から来る人が短期間で目覚しい成果を出すところをよく見る。かけた時間が長い自分が軽く追い越されてしまうのは情けない気持ちにもなるが、これには理由があるように思う。もともと基礎能力が高いこともあるだろうが、ひととおり学問経験を積んだあとに触れている、という点が大きいと考えている。

青春盛りの時期、人間形成とともに法学を学んできていると、個性の発露や自己実現を法学に過度に託してしまう。これが文学ならばそのまま突き進めるだろうが、法学、特に法律実務をやる際は、利害の所在や当事者の立場に合わせて主張の互換ができるように一歩引いた姿勢が必要になる。これがないと、勉強熱心で勉強時間も十分なのにもかかわらず成果を出せなかったり、勉強や論述のスタイルが個性的で目の前の試験が要求するものになかなか適応できなかったり(ギクッ)する。この点、他分野から入ると、自ずからこれまでに修めた学問分野と相対化しながら学習でき、適度な距離感をとりやすい。

この一歩引いた姿勢がとれないことは「知識への偏愛」と形容することができよう。知識を恋人に見立てれば、相手に依存をしたり、支配欲を前面に出したり、鏡に話しかけたりといった様子に映る。知識自体は拒絶の意思表示を出さないのでそのまま耽溺してしまう。個人的な偏見なのだが、これに陥る方には恋愛経験が乏しいんじゃないかという方が多い(ギクギクッ)。恋愛というのは、自己という感覚の一部分を他者と分け合うことだというのが私の持論である(※)。知識も消化して自分の一部となるが、上述のように突き放すことも必要である。自己を分け合う範囲についての感覚・他者との距離感の取り方というのは恋愛経験によってよりよく育まれるのではないかと思う。

以上をまとめると、自分のスタイルを作り上げる充足感を得ることと結果を出せることを両立するためには、対象について適度な距離感をとることが必要であり、その感覚を磨くためには恋愛は結構いいんじゃないか、ということになる。


【※】「桃色ノート」という短編小説でこのテーマを扱う予定です。2006年10月にアップするって言ったままずっとプロットのまま塩漬けになってる。はあ。


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年齢意識社会を生きる

2010年06月16日 | essay
「遅れている」って何から?

恋人がいない期間が長いことで、かえって理想が高くなりすぎてさらに恋人ができにくくなるという事態が観察される。創作物上の完全無欠な人物でないと満足できなくなったり、現在の経済事情からは非現実的な年収を挙げたりといったものだ。これは、不遇を我慢したぶん、一気に取り返したいという思いが背後にあると思われる。「遅れている」という意識が一発逆転の願望を強め、ハイリスクなものに手を出すなどしてさらに状況を悪化させてしまう。

この「遅れている」という意識は、何を基準としているのだろう。それは、「○○歳くらいにはだいたい××なことをしている」といった、自分たちと同年代の人たちが一般的に行っているとされる通念のようなものである。日本では、この通念があまりにも強すぎるように見える。年齢を理由に新たな挑戦を諦めて自らの自由な生き方を縛り、また他人の新たな挑戦の邪魔をしてその自由な生き方をも縛っている。

当然ながら、生物の成長の進度は個体によって様々である。馬でも早熟か晩成かといった区別がつけられる。人間でも、生まれ持った資質や生育過程で得られた環境によって進み方はそれぞれ異なってくる。年齢からくるイメージにとらわれない成果を出す能力というのは、非常にありふれたものと言えるだろう。また、単純に物事への成果を出す過程で年齢を殊更意識させられることもない。法科大学院のあるグループ学習で対等に議論をしてきて、学期終了後の打ち上げで実は高校の先輩だったことを打ち明けられて恐縮するといった体験もあった。しかし、このような年齢に関わらない力というのはあまり意識されていない。


年齢に縛られる原因

年齢に縛られてしまう原因はどこにあるだろうか。まず、文化的要因として、年齢の上下で言葉遣いを変えたり建前上の尊敬を示したりする儒教的な慣習を指摘することができる。次に、制度的要因として、横並びの進級・進学で知人が同年代に偏ること、メンバーシップ型で年功的な労務管理といったものを指摘することができる。以前デトロイトの映画産業振興を紹介したNHKの特集で、自動車工場の工員だった40代の男性が映画スタッフの訓練プログラムを受けている姿が映されていた。日本で40代ならば、自らも周囲もこうした挑戦を考えることはないだろう。このような制度の違いは、一度遅れてしまったときの絶望感の大小に影響する。

さらに、心理的な要因として、自分に対する自信や幸福感というものが他者との比較で決定される傾向があることも指摘できよう。必死に頑張って受験で成果を出しても「受験秀才なだけで賢くない」といったよくわからない批判が入り、自分の学力に自信をもちにくい。その心の穴は継続していく競争の中で同輩より先んじていることで満たしていく。また、日本人が幸福かという話が出たとき、他国を引き合いに出して他国より安全・便利だから幸福といったロジックがよく使われるのも、比較なしに実感をもって幸福と感じられていないことの表れであろう。他者と比較して自分の人生を省みる、そのときの他者は知り合いの多い同年代の人となるのである。


実感をもって進む

このような原因のうち、文化的・社会制度的なものは変えることは容易でない。労働環境については、ジョブ型を基礎としたものに移っていくことがこれからの経済環境にも適していると思われ、今後法律家となればこの動きに貢献したいと思っている。ともあれ、当面は年齢によるハンディキャップの克服は非常に難しい。しかし、完全に諦めて生きることをやめてしまったり、一気に取り返そうとしてかえって破滅に向かってしまうのは早計である。心理的な部分は何とか変えることができ、ここで踏みとどまることは可能であろう。

自分が何を持っていて何が不足しているかを意識し、持っているものを伸ばす或いは不足しているものを補う決意をする。そのときがスタートである。スタートして最初は小さなことから行うのは当然のことである。そして、同年代の知り合いが先に色々経験しているならば、そこから学ぶことができるというメリットを十分に活かすべきである。続けていって、どれだけ成長したかを実感していく。評価はすぐには来ない。何十年もかかるかもしれない。けれども何もしなければ可能性はゼロである。遅れるというのは他者と比較でしのぎを削る世界から逃れることでもある。せっかくの自分の人生、自分主体で生きてみよう。



最後に、吃音という障害を抱えながら52歳で歌手デビューし世界的なヒットを飛ばしたスキャットマン・ジョンの動画を紹介して終わりにしよう。歌詞には勇気と優しさが溢れている。


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「敵」を大きくしない

2010年06月14日 | essay
属性と自分自身のギャップ

国籍・性別・出身地・出身校・職業・年齢・兄弟関係・血液型…人は様々な属性を持っている。これらの属性には「女性だからこういう仕事が向いてそう」「この地域の人はああいう性格だろう」と言うように、それぞれ通用しているイメージがある。そして、初対面の人間関係では個人としてではなく属性のイメージの重ね合わせで視線を向けられることが多い。人は見た目が九割と言うように、この段階で人物評価の方向性が決定づけられ、これを覆すためには大きな努力が必要である。

もっとも、多くの人にとってお得意の空気を読むスキルを内面にまで発揮して、属性のイメージ通りの自己評価を持っているならば、生きていく上で苦労は少ない。しかし、多かれ少なかれ人には個性があり、属性とは違った一面を有している。そして、生育過程であまり他の人に共有されていない環境を得て異なる価値観を有している人や、自己確立を強く意識している人にとっては、イメージを覆すための表現・説得を行ってそれを受け入れてもらわなければ、満足のいく社会生活を送ることが難しくなる。


受け入れてもらうことの難しさ

しかし、イメージを覆すための努力・表現・説得は容易にはいかない。効率性という問題がまず立ちはだかる。評価する側にとっては、一人一人きちんと吟味する時間と労力を割く余裕がない。効率性を確保するため、まず書類だけで絞りをかけることがよく行われる。ここでマイナスイメージの属性を持っている人は、個人として説得する機会自体を大きく失うことになる。横並びの傾向が強い社会で敢えて違う人材を求めるといった動きもあまりないため、機会を得る段階で何度も跳ね返されることになる。表現する側にとっても、社会生活で出会う人は無数であり、そのたびに自分を認めてもらおうとすると立ち行かなくなる。

また、評価する側の意識としても、自身の周辺のことは常識であると思い込みやすく、属性のイメージが社会常識として確立していると確信をもって当たる場合も多い。差別の結果としての統計的傾向を、社会的な差別ではなく生得的・本質的な問題であるという根拠として把握している人も非常に多い。統計的差別は無意識に行われ、データを参照している点からむしろ自信をもって行われることすらある。「血液型占いは周りの友達見ても合ってるから信用できる」という言説がこの典型だ。外国にルーツのある知り合いは、就職差別でまともな仕事につきにくいのが大元の原因なのに、まともな仕事をしない人たちという烙印を押されることが我慢ならないと言っていた。


それでも相手は「社会」ではなく「個人」

この時点では、相手はあたかも社会を体現しているように振る舞い、自分も社会的なレッテルで評価されるため、自分が漠然と広い「社会」と対峙しているような感覚に襲われることになりがちである。あまりに不遇な体験を積みすぎると、漠然と社会を恨み、突飛な逸脱や犯罪に向かう危険も出てくる。しかし、ここで注意すべきことは、あくまで自分が対峙しているのは相手という個人であり、その個人として社会を体現したつもりの人が結構な数存在しているにとどまる、ということである。鋭敏な感覚・洞察力をもって応じてくれたり、メンタリティが似ていてすぐ共感が得られる人に出会ったりすることも少なからずあることである。これを意識しておけば、絶望に陥ることも少なくなるだろうし、個人として接しようとする態度により相手から受け入れられるチャンスを増やすことであろう。

このように思えるようになるためには、実際の個別具体的な人間関係で、深い信頼関係がある・理解し合えているという感覚をもつことが必須であるだろう。相手を枠にはめた情報の集積のようには扱わず、一人の個人として接することである。経験から学ぶ人は恋人や親友の存在が不可欠であろう。思索から学ぶ人は観察や黙想の結果として思い至り、それなりの実感を持てる体験をすることが求められる。私の場合は、大学の教養課程のときキャンパスの食堂で何時間も何時間もお喋りをしていたことが特に大きいと感じている。大学の講義やニュース・自分の周辺のことを話しに話して、このときの話し相手の方々とは長らく会ってなくても再会の際、自分の価値観が理解されているという感覚をもつ。

真の敵は意外と少ないものである。味方になるべき者も大雑把に敵としてくくらないように心がけよう。


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敏感な人の鈍感力

2010年05月27日 | essay
今は神経質な人、感覚が鋭敏な人にとって辛い時代である。その理由を挙げれば、(1)取り組む問題が高度に複雑化しており、注意すべきことの絶対量が増えている、(2)時代の流れが速く、すぐ次の問題が生じ、こだわっていると取り残される、(3)時間的効率性が重視されるようになってきている、(4)情報過多で、調べるにしても材料が大変多い、(5)社会の動きが不安定化し、人生設計のリスクが高まり、私生活での心配事も増えている、(6)居酒屋で話されるような陰口がネットで自分も見られるようになり評判が垣間見える、といったものがある。これでは色々なことが気になる人は心身が疲れても仕方がない。「鈍感力」という言葉が流行するのも頷ける。

このような時代の下では、神経質であるが故に不適応を感じてしまう場合があるだろう。このとき、通常は神経質であることを治そうとする。「くよくよ気にしないことにしよう」「考えすぎないようしよう」「切り替えて別のことを考えよう」「もっと気分転換をしよう」「おおざっぱに考えよう」…こんなことを自分にも言い聞かせるし、他人からも助言されることとなる。しかし、これで上手くいくことはあまりないのではないか。無知から知にはなれるが知から無知にはなれないように、自然と色々と気がついてしまう人に気がつかないようにしようというのは困難なことである。無理に抑えこんでも頭の奥では気がかりな状態が続き、心身に負担がかかるのである。

それではどうすべきなのだろうか。「いっそ気になることにとことんこだわってしまえ」というのが今回の提案である。気になったところは満足のいくまで突き詰めてしまうのである。こうすると、最初に挙げたようなマイナス面が出てくるのでは、という疑問が生じよう。非効率になるし、すぐには十分な成果は出ない。器用な人たちは先に行ってしまうように見える。しかし、ここで諦めないことが肝心である。本気でこだわった経験というのは身体に残るもので、次の気がついたことに対してだんだん応用が利くようになってくるものである。そうすると、最初は「あれもこれも気になるから全部やらなきゃ」という状態だったのが、「あれもこれも問題となるが重要なのはこれ」と選別できるようになってくる。深い分析をしながら効率性も確保できるようになるのである。そして最終的には、様々な問題について鈍感な人と同様に泰然自若とした態度をとれるようになる。不適応なのは「神経質すぎる」のではなく「神経質さが足りない」からなのである。

私自身法学の学修において、細かい点に気を配り自分の視点を加えて論じるという点から大学でそれなりに好ましい評価をもらっていたのだが、資格試験のような「色々と問題点はあるが全部取り組むと時間が足りなくなる」ような問題に対しての取り組みに大変苦労した。最初は細かい点までこだわりすぎるのが問題だと捉えて軽めに論じるにはどうしたらいいか様々試みた。しかし最終的には、こだわる経験が少ないが故に対応できていないのではないか、という考えに行き着いた。とにかく沢山の問題について徹底的に取り組む経験を積むことが結局近道になるである。

神経質である、感覚が鋭敏であることはひとつの長所でもある。それを抑えるより伸ばすことのほうが上手くいくだろう。そして、最終的に大きな大きな成果を出せるのは、こうして色々なことにこだわって突き詰める経験をした人である。最初は歩みが遅くても、準備期間が長いのだと信じて、とにかく取り組むことが大切である。経験を積み重ねて、一見新しい問題で周りが慌てる中で余裕をもって「想定の範囲内です」と以前よくきいた言葉を連発できるようになろう。


【参考】今回の記事の基本的なアイデアは泉谷閑示「普通がいい」という病(講談社現代新書・2006年)177頁以下の「螺旋的思考」から来ています。この本を題材にして以前も記事を書いたことがあり、様々な影響を受けています。これらの記事に共感してくださる方は読んでみるといいと思います。


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黒い歴史は白く塗れ

2010年05月23日 | essay
変えられない過去

過去にあった事実は変えることができない。そのことで苦しむことがあるだろう。何かの拍子にふと過去の失敗や恥ずかしい出来事を思い出して「うわああ」と叫びたくなる。このときは思いが過ぎ去るのを待つしかない。「命長ければ則ち辱多し」という言葉も古来から存在しているように、失敗の経験は長く生きれば生きるほど多くなり、叫びたくなる機会も多くなる。たいていは年とともに自意識や感受性が低下して気にならなくなってくるが、感覚が鋭敏な人はいつまでも苦しめられることになるだろう。

しかし一方で、変えられない過去に頼ることで自我を保つことができる場合も多い。過去の成功は揺るがないので、自信の基礎となるだろう。また、過去の失敗でも「他人のせい」であれば、その他人をずっと責め続けることで現在の苦境から目を背けることができる。これは気楽なことだ。アフリカが発展しない理由(Chikirinの日記)では、アフリカの政治家が自国の現状の悲惨さを過去の植民地化の結果であると考え、自分たちで発展しようという気持ちがないということが指摘されている。私たちの身近でも、家庭環境のせい、学校のせいという言説をよく目にする。家庭と学校で多くの時間を過ごしたのだから何かしらの影響があることは当たり前である。

これらの側面は現在苦境にあることへの逃避的な防衛反応であることが多く、問題解決に資することは少ない。いつまでたっても苦境の状態を引き延ばすこととなる上、着実に歩みを進める者たちと差が開いていってしまう。また、「他人のせい」にされた他人は、執拗に攻撃を受けて心身疲労困憊してしまうことになる。気が晴れるまでの一時的な反応ならいいが、継続すると誰にとってもいいことはない。


変えることができる「評価」

ここで意識すべきことは、事実は変えられなくても、それに対する評価は後から変えることができるということである。失敗や恥ずかしい出来事がいつまでも忘れたいことでありつづけるのは、その失敗が現在の自分に生かされていると思えないからではないだろうか。失敗をするということは、それだけ挑戦したということで、素晴らしいことでもある。そして、失敗を分析・反省して再挑戦したり別の道で生かしたりして成功につなげることができる。そうなれば、過去の失敗は「成功のため不可欠だった通過点」という位置づけになり、忘れたいとは思わなくなるだろう。失敗したことに傷つき、その分野から逃げてしまうことばかり繰り返すと、忘れたい過去がどんどん積み重なってしまう。どこかで対峙する必要が出てくる。

例えば、就職活動等の面接で失敗しても、その反省点を心がけて次の面接で思わぬ好評価が得られたりということがある。また、典型的な忘れたい過去として、思春期に思い描いたファンタジーの世界を現実の行動に出してしまう、ということがある。自分が勇者だと思ったり、というやつだ。このような過去ですら、発展させて文学作品を作ろうとしたり、映画や文芸の議論・評論をしたりするときに生かすことができる。また、自分の子供が思春期になった頃にその気持ちを理解し、適切な教育を施すことができる。何よりも大切なのはこれからの自分が成功の実感をもてるよう取り組むことであり、この過程で「抹消したい過去の私」から「愛すべき過去の私」に変わるのである。

成功の実感を得るというのは、自分の考えをただ変えるだけでは足りず、他者からの評価を勝ち得ることも少なからず必要である。これは人それぞれの考えがあることであるから、常に評価が得られるとは限らない。失敗が続いてしまうこともあるだろう。失敗してすぐは気分を晴らすため叫んだりしてもいい。しかし少し休んだら、常に転がっているチャンスに向かって挑戦することが大切である。その取り組む姿勢があれば、周囲からも応援され、必ずや自分で満足の行く結果に辿り着くことができるのではなかろうか。いわゆる「黒歴史」は後から白く塗りなおすことができるのである。


ちょっと反省を

最近エッセイに自分語りを入れていなかったが、今回は少し。最近の記事は、自分としての充電期間の成果を試すというような位置づけである。表現の自由の話も法科大学院の授業で当てられたときに満足のいくやりとりができなかった個人的な失敗を解消するためのものという側面もある。そのためか、直接会う友人に対しブログの感想をよく尋ねてしまう。もともと長文で読みにくい内容のものを、それぞれの忙しい生活の中で読んで評価してもらうことを期待してしまうというのは自分勝手というものだろう。申し訳ないです。


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不正直な感情、利用される理性

2010年05月17日 | essay
「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」

「なぜ勉強するのか」という問いは親子の間でよくなされることだろう。「勉強しなくたって立派な人になれる」といった問いを子どもがする。個人的には、「じゃあ勉強以外で立派になれる道を具体的に考えてるの?」という返しが効果的だと思うのだが、実はこうした理詰めのやりとりは大して意味がない。このような問いかけが子どもからなされるということは、たいてい今の勉強に疲れているか限界を感じているのである。心の奥で勉強に疲れた!やりたくない!というものがあって、都合のいい言い訳に飛びついているのである。したがって、ここで論破しても仕方がなく、適当にやり過ごしておいて、休みや勉強のやり方の再考をさせて、疲れをケアするのが最もよい方法である。※

このように目の前の理詰めの議論が実は問題の本質から外れているという場面はよくある。夫婦喧嘩で、夫は問題を理詰めで解決しようと説得するのに対し、妻は感情的に納得できないというすれ違いがよく生じる。ここでも喧嘩の種となった問題は大して重要でなく、日常の小さな不満がたまっているだけということがほとんどである。いつもの分担を代わりにやってあげたり、感謝の気持ちを表したりすれば、自然と解決されるだろう。それでも議論ばかりに終始していると、「ちゃんとした思考ができない妻」「理解の足りない夫」とお互い呆れて終わりとなり、溝が深まってしまう。


自己防衛と誤る理性

それでは、なぜ疲れた!不満だ!といった感情が直接問題と上がることなく、一見理性的な議論に問題が転換されているのだろうか。正直に問題の本質となる感情を表現すれば、無用なすれ違いも生じないのに。私は、これは「自己防衛」の働きであると思っている。勉強などで「これが自分の限界だ」と認めることは非常に辛いことである。できるだけ認めたくない。日常の小さな不満も、口に出せばこんなことも我慢できないなんてダメな人間だ、と言われてしまう。これも認めたくない。そこでもっともらしい理由付けをつけて、理性的な話にしようとするのである。しかし、感情に利用された理性の働きは、誤りを犯していることが多い。

例えば、受験など大きな目標に向かって取り組んでいるとき、大きなプレッシャーによりストレスが生じ、ツライ!という心の叫びが次のような誤った思考を生む。(1)目標の過小評価と(2)他の可能性への過大評価である。(1)目標の過小評価とは、仮に成功したとしてもいいことは大してないんじゃない?と疑問を持つ、いわゆる「すっぱいブドウ」の思考である。目標をクリアした人たちがその後苦境に陥っているという情報、先行きが暗いという情報が過度に目に付くようになり、取り組む価値は少ないんじゃないか、という結論を導きがちになる。しかし、現在苦境や先行きの明るさがないとしても、それが永続するとは限らない。「変化」への着目を忘れるという理性の誤りがある。将来、プラスにもマイナスにもどう変わるかはわからないのである。ここで確率計算に励むのは生産的でなく、目の前の目標を突破することが最も大事であると認識しておくべきである。

(2)他の可能性の過大評価とは、自分は今こんなことやってるけど、実はもっと違う才能があって、そっちにいけば成功するんじゃないか、といった期待を生じることである。(1)と相俟って、こんな馬鹿馬鹿しいことに取り組んでいるより、別の道に行くべき!という結論を導くことになる。しかしこれには、別の道で成功するには今以上の大変な努力が必要であることを見逃しているという誤りがある。単純に必要な努力を見積もれば、一歩手前まで来ている現在の目標が最も効率がよいのは明らかである。別の道では先に取り組んでいる人たちがいて、一からのスタートで彼らと伍して最後に勝つためには、何十倍の努力が必要である。別の道について知識が少ないために、安易な皮算用をしてしまうのである。

このように冷静に考えれば誤りとわかる思考でも、多くの人が陥ってしまいがちだ。特に、自分が理性的で、感情や生活を統御できていると確信している人ほど陥りやすい。理性が犯す誤りに対して完全に無防備だからである。「我思う、故に我あり」という言葉があるが、個人的には、「我感じる、故に我あり。我思う、故に我守られる。」が実際のところではないかな、と考えている。


感情をケアする

ということで、問題や課題に取り組むに当たっては、感情をケアすることが非常に大切である。子どもの勉強の場面でも述べたように、ひと休みするというのはひとつの方法である。しかし、休むことや遊ぶことは、それだけでは目標に近づかないという面がある。あまり長く休んでいては、益々目標から遠ざかるような気がして、次の感情の負荷を生んでしまいかねない。これでは悪循環に陥ってしまう。

そこで、極めて重要なのは「小さくてもいいから成果や成長を実感できることをする」ことである。単純作業でもできる簡単な問題集や本の精読を行い、これだけやった!身についた!という実感を得ることである。これを何回も繰り返していく。クリアできそうな小さな目標を立てて、こなしていくのである。基本に取り組むことで、新たな発見もある。楽しさも得ることができる。結局はコツコツと積み重ねていくことが大事というありきたりな結論なのだが、疑問を抱かないで行う場合と疑問を抱いた上で一回りして辿り着いた場合とでは、違うものだ。


※以前話題になった「勉強をした方がいいと断言できる4つの理由」のはてなブックマークコメントで同様のことを書いた。なぜ勉強するのかきちんと語る場合には、この記事やこの記事に対して様々な人がつけたコメント等を参考にするといいと思う。


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跡を濁さず

2010年03月14日 | essay
写真でみる在日コリアンの100年 -Chikirinの日記で、韓国ドラマに熱狂する日本の女性を冷笑する詩が取り上げられている。私も大学2年くらいに観にいった別の写真展で、韓国の苦難を追ってきた写真で「今の人たちが苦難を忘れて韓国ドラマのような恋愛などにうつつを抜かす様子を見るとやるせない」みたいなコメントが付いているものを見たことがある。これは韓国ドラマを作ってる側への冷笑である。このとき私が思ったのは、苦難と無縁に楽しさを追求できるようになることこそ当時の人が次世代の人に望んだものじゃなかったのか、ということだ。

仮に自分の子どもや孫がいるとして、自分が経験した諸々の困難とは無縁に楽しく過ごしていたら、きっと傍らで見守りながら目を細めていることだろう。しかし一方で、全くの他人が同じように過ごしていたら、甘えやがって、みたいなちょっと複雑な気持ちが生まれるかもしれない。この違いは、子どもに対しては自分の分身のような位置づけで視線を送ることから出てくると思われる。よく「他人の立場に自分が立ってみて行動しなさい」と言われることがあるが、下の世代の人であると自分に置き換える想像力が及ばなくなる。このとき、自分の子どもや孫にはどうしてほしいか、という視点で考えてみると上手くいくだろう。

こうして自分の子どもや孫にはどうしてほしいかを考えて行動すると、現実にも子どもや孫に恩恵を与えることができる。下の世代を他人のように扱い不幸の種を撒いてばかりいると、必然的に不幸の芽が自分の子どもに当たる可能性は高くなる。自分の子どもにはまさか当たらないだろうというのは、心理学で言う「コントロール幻想」で、その名の通り幻想に過ぎない。逆に幸福の種を撒けば、その芽が自分の子どもにもそれを取り巻く環境にも生えて、幸せに暮らせる可能性が高くなる。情けは人のためならず、である。

ということで、少なくとも、自分が今いる場所(職業、家庭、社会、国など)を子どもにも来て欲しいと思えるように綺麗にしておくべきである。とりあえずの保身で無闇に荒んだ場所にしていないだろうか。


【補足】ところで、教育上は過去の苦難を知らなければならないとされている。これはひとつに、他人として視線を向けられるとき、過去の苦難を知った上で相手を尊重することが必要だからであるように思う。


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2つの趣味

2009年11月28日 | essay

趣味は2つの種類に分けられると思う。幼少時から続けてきたものと、大人になってから始めたものだ。幼少時から続けてきた趣味はキャリアが長いぶん技術的にも向上していて、誇れるような成果を出すことができる。大人になってからもずっと続けていくことができるのにこしたことはない。しかし一方で、幼少時の趣味は、取り組んでいても本質的な興味に根ざしていると感じられない、心の底から楽しめない場合がありうる。幼少時に何をするか決めるのは両親や先生など大人が主導することが多く、子どもは自分の感覚より大人の希望を先取りして「やりたい」「続けたい」と言ってしまうことも多い。自我が発達し、情報収集力も上がり他にも様々な趣味がありうることがわかると、今まで取り組んできた趣味に情熱があるのか疑問が生じてしまうことがある。

「趣味は何ですか」という質問は広く行われ、履歴書にも書くことが多い。人となりを知る材料になり、初対面での会話のネタにもなるということでよく行われるのだろう。これに答えなくてはならないという圧力があり、上記のような趣味の模索状態が生じている場合には、「自分には趣味がない」という悩みが生じることになる。また、自分が何者かというアイデンティティを形成する上でも、趣味をもっているという感覚は重要なものである。こうした悩みに対する解決法は、(1)まず自分が本当に好きなものをはっきりと意識し、(2)それから趣味は何かと問う他人とうまく適応できるように修正するという作業を行うことであると思う。

(1)本当に好きなものを意識するそのきっかけは、日常から解放される行動をしてみることが一番である。旅行というのがよく用いられ、多くの人から推奨されている。日常から離れることで、日ごろ無意識のうちに囚われていた外からの心理的圧力を減じることができる。「趣味というからには他人より優れたものでなくてはならない」「他人にいいイメージを与えるものでなくてはならない」といった圧力を取っ払って、「趣味というのは責任の伴う仕事とは違って出来不出来関係なく本当に楽しいと思えることを好きにすることでしょう」と自問するのである。出来が悪くて他人から馬鹿にされるようなことがあっても興味自体を失わないものかと考えることもいいだろう。旅行のほかには、メメント・モリ―人生の終わりを意識してその前に何をやりたいかを問うてみること―が役立つ。

(2)このようにして本当に好きなものを見出すことができても、ひとつ問題が出てくる。幼少時に紹介される趣味は、クラッシクだったりスポーツだったり、大抵の場合一般的に印象のいいものである。しかし大人になって自分の内心だけ見つめて出てきた趣味は、他人から偏見をもたれたり、いい印象を与えないものであることがある。自分をそのまま受け入れてくれる人とだけ付き合っていれば何の問題もないが、現代社会ではそういうわけにもいかず、適応という作業が必要である。「他人より優れている」「いい印象を与える」「会話の材料になる」といったことが適応上求められることだ。

この適応の上で大切なのは、幼少時から続けてきた趣味も愛するということである。本当に好きなものはこれだ!と意識した時点では、過去の趣味は偽りで、悩みをもたらした原因で捨てるべきもの、という感覚を抱きがちだ。しかし過去の自分を全て否定してしまっては、かえって空虚になってしまう。ひとつのことに取り組んできたという経験は今の自分を作るために大きな働きをしたものであるし、曲がりなりにも続けてこれたということはプラスの部分もあったはずである。プラスの部分を意識し、過去の趣味があったからこそ今本当に好きな趣味を見つけることができたと思うのである。こうすると、浅い人間関係の中で過去の趣味を語っても自分を裏切っているという感覚は生じなくなるだろう。

私の場合はピアノと吹奏楽が幼少時からの趣味にあたる。ピアノは技術的には本気の趣味の人には全然敵わないが、大学院で華やかな曲を披露して周囲と馴染むきっかけを作るのに役立っているし、思考と身体が一体化して没入するような感覚が得られるのでやっていてよかったと思っている。ひけらかすための音楽の知識を得ようとすることは大嫌いであるが、自分が心地よいと思う曲を探したり作品の背景を探ったりするのは楽しく、コンサートに行くのも嫌いではない。そして現在、大人になってからの趣味は、こうして文章を書くことが本当に好きで、まあ出来はよくなくても続けていきたいと考えている。


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競争嫌い

2009年10月27日 | essay

私は競争嫌いである。誰もがそうであるように負けるのは嫌であるが、他人に勝ちたいという意欲がないので、なるべく競争状態を作らないようにしている。法学部は競争意識が非常に強いところで、こういう部分は結構ストレスになる。自分は競争関係を持ちこんでいないつもりであっても、時々競争意識を基にした発言をされることがあり、内心驚くことも多い。先日、自分がどうして競争嫌いなのか考えてみたところ、ふと少年サッカーの経験が背景にあるのでは、と思った。

私は幼稚園から小学校4年生終わりまで地域の少年サッカークラブに入っていたのだが、全く活躍できなかった。具体的には、勝ち試合の終盤にDFで出させてもらう感じで、終に1ゴールも決めることがなかった。一番印象に残っているのは、相手からボールを奪い前に離れていた味方にインサイドで早いパスを通した一度のプレーだ。もっとも、小中高と学校の体育の授業などではそれなりに点を入れて活躍できるくらいの技術は身についたので、悪いことばかりではなかった。

両親もインドアな遊びを好む自分に運動をさせ、体育で恥ずかしい思いをさせないことが目的だったようで、もともと他の子どもとの競争を煽ることはしなかったこともあって、活躍できなくても何も言われなかった。そのため長い間続けることになったのだが、勝ち負けのはっきりするスポーツで幼少期にずっと負けを味わい続けたことは、競争自体を嫌う性質を生む原因となっただろう。その一方で、先日の記事のように他人の「できない」に寛容で、甘えてもいいんじゃないの?という感覚の形成の一因にもなっているだろう。

まあ幼少期はどうであれ、大人になれば自ら自己を形成していくことができるので大したことではない。といっても、私は競争嫌いは克服すべき対象とは思っておらず、むしろ過剰な競争心を修正すべきものと考えている。現代の過剰な競争は、(1)「自分が満たされてこそ他人に気をかけることができる」という命題を前提として、半永久的に自分が満たされているという感覚を奪うもので人間の精神の次元を低いままにする、(2)メメント・モリ(死を想え)―例えば、明日人生が終わるとしたら何をするかという質問に対して「他人に勝つこと」を望む人はほとんどいないだろう、根源的な欲求に根ざしたものではないのでは、といった点で全面的には与し得ないと思うからである。資本主義社会の下での経済成長のために適応的な価値観であるとして、その限りで自分に採用すべきもので、頭の天辺からつま先まで染まるようなものではない。

ということで、自分に合った環境を探す中で、他者との関係ではなく知識に存在基盤をもつ専門家として生きていきたいと計画していたのだが、その目論見が達成されるかは、危うい。


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「甘え」について

2009年10月21日 | essay

私は滅多に怒らないのだが、どうして?と訊かれて頭を捻った挙句出てきた答えは、「そこまで期待していないからじゃないかな。」というものだった。「うわあ、意外と冷血なのね。」と言われてしまったのだが、誰も100%の力を常に出せるわけではないよね、と半ば当たり前のことを念頭に置いた上で交流しているだけである。よく「○○は甘え」みたいな言葉があるが、これは甘えを問答無用で悪と決め付けているかのようにみえる。しかし私は、少しくらい甘えた感じでいいよ、と思っている。少しくらいの甘えを許す社会のほうが、強迫的に常に100%で取り組む社会より持続力があるだろう。うつは理性の規律に身体が悲鳴を挙げた状態と言われているが、現在このような状態に陥る人が続出して社会全体が消耗しているように見えるのは、完璧主義、遊びは許さない、甘えは許さない、といった価値観が強いからであろう。

こうして「甘えてはいけない」と自己を規律するのは理性の働きである。しかし、本当に甘えてはいけないのか、甘えがあってもいいときではないのかと丹念に吟味し、他者にも自己にもなるべく不必要な心理的負担をかけないようにするのが、理性の使い方・頭の使い方として本来あるべき姿のように思う。そして、妥協なく取り組むべきことを見定めて、それに集中する。そういうメリハリのあるマネジメントができるようになったら理想的だ。

小さなことだが、私が待ち合わせの設定を委ねられたとき、よく「○時○分から○分までの間に集合」というように、点でなく面で時間を指定することがある。これはアテネ五輪のテレビ中継で「こちら(ギリシャ)ではバスの時刻表が『○分から○分まで』って幅をもって書かれているんですよー。」という現地の話があり、ああこういうアイデアはいいな、と思って採用することにしたものだ。指定した時間ピッタリ来る必要性が本当にある場合っていうのは大して多くないし、あまり本題以外のことに余計な神経を使わせるのも非効率だ。ルート検索等に勤しんだり息を切らして来て最初の十数分何もできないよりは、中身の準備をしっかりして体調も万全で来てくれた方がいい。また、点で時間を指定すると早いか遅いかどちらかになるため、最初の挨拶が「ごめん」で始まることが多くなるが、一定の範囲内なら皆ピッタリということになれば、明るく入ることができる。

こんなことを書いたが、別に私が甘えを許さない周囲と不適応な行動を起こしているわけではない。法科大学院の授業は無遅刻無欠席、ノートも貸すことのほうが多く、しっかりしているという評価は得ていると思う。自分が主導的に何かを決めることができる場合に、不必要に他の方に厳しくしすぎないように心がけているというだけである。しかしその結果、作業や役割を多く抱え込んでキツくなりがちある。自分が甘えを許容するのに加えて、時に甘えを認めてもらうことも少しは考えていかないといけないのかもしれない。


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