恋染紅葉

映画のこと、本のこと、日々の些細なことを綴ります。

「刑事のまなざし」薬丸岳(講談社)

2013-02-26 | 本(ま~わ行の作家)

ぼくにとっては捜査はいつも苦しいものです――通り魔によって幼い娘を植物状態にされた夏目が選んだのは刑事の道だった。
虐待された子、ホームレス殺人、非行犯罪。社会の歪みで苦しむ人間たちを温かく、時に厳しく見つめながら真実を探り出す夏目。
何度読んでも涙がこぼれる著者真骨頂の連作ミステリ。(出版社あらすじより)

涙は出ませんでしたが、しずかにじんとくるものはありました。

人を殺めることはどんな理由があろうと絶対にやっちゃいけないこと。
そこに至るまでの感情を止められないほどの苦しみを思うと、やるせない。

世の中には、あまりにも理不尽で、そんなの人間じゃないと罵倒したくなるほどの犯罪もありますが、
人情で情状酌量的な犯罪もあります(老老介護の果てにとか)。
でも、それをやってしまえばおしまいです。
苦しいけど生きなくちゃいけない。
苦しいけど闘わなくちゃいけない。
そして、人間の手というのは、人を殺めるためにあるのではなく、
「助けて」と差し出し、それを掴むためにあるものではないでしょうか。

人間という生き物はいつも試されながら生かされているのだなあとつくづく思います。


ちょっと人生哲学的になってしまいましたが、読了してそんなことを思いました。

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「私を知らないで」白河三兎(集英社文庫)

2013-02-18 | 本(あ~さ行の作家)
中2の夏の終わり、転校生の「僕」は不思議な少女と出会った。誰よりも美しい彼女は、なぜか「キヨコ」と呼ばれてクラス中から無視されている。「僕」はキヨコの存在が気になり、あとを尾行するが…。少年時代のひたむきな想いと、ままならない「僕」の現在。そして、向日葵のように強くしなやかな少女が、心に抱えた秘密とは―。メフィスト賞受賞の著者による書き下ろし。心に刺さる、青春の物語。 (出版社あらすじより)


表面上はなんとも冷静な「僕」だけど、実は、いろんなことをいっぱい心に詰めていて、ひとつのひとつの出来事を十分すぎるほど考えている。
人のこともよく見えていて、この人にこの言葉はプラスになるかマイナスになるか、そんなことさえも中2にして覚っている。
そんな「僕」にとって大きな影響を受けたのが、「キヨコ」の存在。
彼女は最後まで「僕」と深く関わることになるのだけれど、「キヨコ」によって、常に大人を演じていたような「僕」が変化していく。
子供というものは、一つの目的のためにはとても純粋に行動を起こすもので、それが、大人の判断だと軌道に逸れたものだとしても、子供は真剣に「これが最善」と突き進む。
そんな気持ち、忘れていたよ・・と思い出させてくれる。

溌剌として爽やかなんだけど、ちょっぴり切ない青春物語です。



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「キヨコ」には『鈴木先生』の小川さんが浮かびました(笑)

ザ・フューチャー(2011年ドイツ=アメリカ)

2013-02-18 | 映画(あ~さ行のタイトル)
<これから>を見つけるために揺れ動くひとりの女性の感情の波を映しだした”愛のような 物語”
・・・だそうです。


ダンス教室の先生ソフィーは恋人ジェイソンと同棲中。
ある日、二人は怪我をした迷い猫パウパウをシェルターに運び、30日後に迎えにくると約束する。
そして、その30日間のうちに生活を変えようと宣言する。先延ばしにしていたことを行動すると。
仕事を辞め、インターネットを解約し、自分を模索する。
ジェイソンは、環境保護団体のスタッフになり、木を売り歩く。
しかし、一日1ダンスを創作することを実行しようとするソフィーは、行き詰ってしまう。
そんなとき、ソフィーはもうひとりの彼と出会い、新しい自分探しに部屋を出る・・・。


レビューの評判も良く、猫が出るというので観に行きました。


アートな、不思議な世界観の映画でした。
監督・脚本・主演のミランダ・ジュライがなんとなく浮世離れして見えるからでしょうか。

たまたま怪我をした猫を拾って、その猫をシェルター(病院みたいな保護施設?)に預けて、迎えに行くまでの限定期間に、現在のまんねり生活から抜け出そうと決意する。
期間に区切りをつけないとどうせ何も踏み出せないから、あえて限定期間を設けて、自分を鼓舞する。
そうしないと新しいことに踏み出せない彼らの生ぬるさ。
それに、なぜにインターネットをも絶つのか。
新しいことを探すには必要とは思うけど、それじゃあ、実際に外の世界に踏み出せないからか。

模索した結果が、なぜに木を売るだったり、なぜに一日1ダンスなんだですが・・・。
そこんところから意味不明。

しかも、もうひとりの彼との出会いは・・・。

女性は未来に進もうとするけれど、男性は留まりたい生き物ということか。
どちらも身勝手といえば身勝手だと思ってしまう。

そんな身勝手なふたりに弄ばれたのが〇〇

言いように受け取ってくれたみたいだけど、結局、〇〇から学んだことは何なんだったんだろう。


『心地良くてそれなりに幸せな生活』こそ、当たり前すぎるけど大事なんじゃないかなあとも思いますが・・・。

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RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ(2011年日本)

2013-02-07 | 映画(英数字のタイトル)

『RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語』に続き、鉄道にまつわる人々に光をあてたドラマを描く『RAILWAYS』のシリーズ第2弾です。

たまたまWOWOWとBSで二つの作品を放送していたので録画して続けて観てみました。
『49歳で~』のほうももちろん良かったのですが、私は感情的にこちらのほうが近いものがあり、こみ上げるものもありました。

1作目は中井さん演じる49歳の男の再出発物語でしたが、2作目は三浦さん演じる定年を迎える男の物語。
どちらも出演者たちが風景に溶け込み、目立ちすぎず、ごく普通の人々をうまく演じられていたと思います。
だからこそ、日本の春夏秋冬の素朴な風景とともに心にじわ~と入ってくる映画でした。

さて物語ですが、
もうすぐ定年を迎える夫に、妻は看護師としてもう一度働きたいと持ちかけますが、夫に反対されます。なぜ今頃になって・・・。実母が亡くなったせいでそんなことを言っているのだ・・・。などと、妻の気持ちを理解してやれず、頭ごなしに反対します。そんな無理解な夫を置いて家を出て、勝手に仕事を始める妻。内心動揺しつつも、平静を装い最後の日まで勤め上げようとする夫。
ついに妻から離婚届まで突きつけられ、悩み、考え、結論を出す夫。
そして、ついに定年の日を迎える・・・。

なんだか分かりますね~
お互い、いつも通りに居るのが当たり前、この年になってそうそう突飛なことは起こらないと思っている日常。
でも、いつのまにか後方の車両はレールのポイントを切り替え、違う方向に走ってしまう。前を行く車両はついて来ていると思っていたのに突然いなくなり何が何だか分からない。
実際に違う方向に行ってしまっていたら気づくが、心のポイントを切り替えてしまっているだけだと、それに気づくことも出来ない。終点になって「あれ?」とやっと気づく。そのときはもう遅い。
途中で気づいたら、どちらかが、またポイントを切り替えて、同じレールに戻ってくることも出来る。
そのポイントを切り替える時には、今度はお互いのことをちゃんと認め合って、分かり合って、謝って、感謝して・・・・・・・。

というふうなことを、自分に諭しながら観てたりして(汗)



ラストランのシーンは涙が溢れてしまいました。

私も数年後の夫の定年の時には笑顔でご苦労様と言えるよう、今から精進します(笑)

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「猫の神様」東良美季(講談社文庫)

2013-02-06 | 本(た~は行の作家)

二匹の猫とひとりの男の、命のドラマ
雨の中、途切れなく泣く二匹の猫を一人暮らしのアパートに連れてきた孤独なライター。しかし、猫との幸せな日々は永く続かなかった。猫たちは病いに倒れ、相次ぎ逝ってしまう。人間の世界に神様がいるとは思えない、でも猫の寿命はきっと「猫の神様」が決めている。猫との静かな日々の移ろいを綴る心の物語。(出版社内容紹介より)

「猫」と「神様」続きの1冊。

猫好きには読むのが辛くなる場面もありますが、ペットと暮らしていく現実の中でいろいろ考えさせられてしまうお話(ドキュメント)です。
闘病のところは、猫でもこんなに苦しい思いをして生きなきゃならないのか・・とほんとに辛くなります。

本文の中に、
・・・みャ太は決して僕のために生きてるわけではない、ということだ。猫は世界の摂理と共に生きている。生きるのが辛くなれば静かに死んでいくだろう。ぎじゅ太もそうだった。僕は彼らを勝手に拾い、勝手に育て、勝手に一緒に生きていただけだ。
大切なのは判断を誤らないこと。自分がやるべき行為だけを考えよう。それはみャ太を出来るだけ悪に生きられるようにしてやることであり、もし彼が死に向かっているとしたら、出来るだけ苦しまずに死なせてやることだ。・・・


というのがあります。
昔実家で飼っていた猫は、その最後を見せることはありませんでした。
2匹ともいつのまにかいなくなってました。
猫は自分の死期が迫ってくると、自ら姿を消すとか。
昔の田舎のことだから猫もそんな生き方を選べたんでしょうが、今のペット事情では猫も自らの進退を選べる環境にないのかもしれません。
昔はペットに癌だの成人病などという死の原因はなかったように思います。(田舎だけ?)
今は獣医さんがちゃんと診てくれるから、この子はどういう病気でどうやって治療すればよいか、至れり尽くせりしてやれます。
それが猫にとって本当に幸せなのかどうか・・・。

核家族化する社会の中で、ペットも家族の一員として、相棒として、大切な存在として、人間と同じように愛情を注ぐのが「当然」と認められるようになった今、私たちは彼らの本能を尊重しながらも、どうすれば彼らにとっていいことなのかと模索しながら共に歩んでいかねばならないと思います。

この世のどこかに猫の神様というのがいて、
これは他のブログで書いたことですが、「今、この人のところには必要かもしれないという時に、どこからか『みゃあおん』とやってくるのです」
それは本文中にも人間の赤ちゃんのことを書いているところと同じです。
「・・・これは授かりもんちゃうわ。・・・神様がある一時期俺たちに預けてくれたもんやろと。だから親には義務があるねん。預かったものやから、子供をしっかりと育てて社会に出してやる義務がな」

神様が私たちに「仕事」を与えるためによこした天使なのかもしれません。

実家の父のところにやってきた猫もきっと神様がよこした子なのでしょうね。
小さくても、短い命でも、ちゃんとその役割はあるんです。

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