恋染紅葉

映画のこと、本のこと、日々の些細なことを綴ります。

塀の中のジュリアス・シーザー(2012年イタリア)

2013-01-31 | 映画(た~は行のタイトル)
イタリア、ローマ郊外にあるレビッビア刑務所。ここでは囚人たちによる演劇実習が定期的に行われている。様々な演目を囚人たちが所内劇場で演じ、一般の観客に見てもらうのだ。演出家ファビオ・カヴァッリが今年の演目は、シェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」と発表。早速、俳優のオーディションが始まり、ブルータスやシーザーが次々と重装備棟の囚人に割り振られていく。本番に向けて所内の様々なところで稽古が始まる…。


この前の「もうひとりのシェイクスピア」に続き、シェイクスピア繋がりで~

これはドキュメント映画の部類でしょうか。
本物の囚人たちがオーディションから稽古から舞台と「演じて」います。
刑務所の実話モノとしては、コーラスとかは見ますが、演劇というのは初めて見ました。
監督がこちらの刑務所でそういう「実習」がされているのを知り、「映画撮影したいのですが、次はジュリアス・シーザーを演じて下さい」と持ちかけたんだとか。

冒頭は、本番の舞台から始まりますが、
途中でモノクロになり、この日までどういう経緯を辿ったかを遡ります。
まずは、オーディション風景から。
皆さん、素人とは思えないくらい芸達者。さすがイタリア男!(他の国の人もいますが)
そして、日々の練習風景。
それが、もうすでに感情入れまくりで本番さながら・・・というか、これはシーザーやブルータスそのものみたいで、本気度100%役が乗り移っているみたいに見えます。
ジュリアス・シーザーという物語が人を憎み闘い裏切り・・・と、塀の中の囚人たちが歩んできたことに重なるんでしょうか(と、映画評にもあります)
最後、画面はカラーになり本番の舞台へと移ります。
ほんとに上手いです。観客も大喝采。
舞台が終わると、現実に引き戻され、彼らはまた塀の中の独房へともどっていくのです。

皆、強面で、腕に刺青とかあるし、外見上は粗野な感じがしますが、
芸術を知ることにより今までとは考え方も変わり、違う人間になっているんでしょうね。
コーラスもそうですが、心が震えるものに接することで、心が浄化され、自分が犯した罪を償う気持ちになっていくのでしょう。

前もって学習して行かなかったので、意表を突かれた映画鑑賞となりました。

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「おしん」に思う

2013-01-29 | 日記
NHK-BSで「おしん」の再放送をしています。
毎週、録画して見ているのですが、
なんと完成度の高いドラマで、その中に学ぶことの多いこと。

幼いながらもおしんは辛いことに耐えて、
いろんなことを体験しながら成長していきます。

そんなおしんも老いてはわが身を反省することがあるようで、
あの頃の気持ちを失ってしまったと嘆いています。
(「おしん」は老いたおしんが、幼い頃を回想する形でドラマが進行してゆきます)

人は、大人になると、自分を守ることばかり考え、何事にも計算高くなります。
それはときに、他人を傷つけることにもなります。

言葉を覚えたての赤ちゃんは、
「だめ」とか「いや」という否定的な言葉を覚えるのも早いですが、
同時に、必ずといっていいほど、
「どうぞ」という言葉も覚えます。
小さな手に持ったおもちゃを目の前にいる人に差し出します。

なんと、これは慈悲の心ではないでしょうか。

大人になってどんな悪党になろうとも、
赤ちゃんの頃は皆、慈悲の心があったんです。

すると、その心を変えてしまった原因はいったい何なんでしょう。
親の育て方か、周囲の人たちの影響か、環境か・・・。

自分で物事の判断が出来るようになったなら、
それを人のせいにすることなく、
心のどこかに置き忘れた善き心を、
自分の力で取り戻す義務があると思います。
そしたら、世界は変わるのに。



「おしん」と友人のお孫ちゃんの姿を見ていて、
ふとそんなことを思いました。

「神様のボート」江國香織(新潮文庫)

2013-01-28 | 本(あ~さ行の作家)
昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。“私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子”。必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引越しを繰り返す。“私はあのひとのいない場所にはなじむわけにいかないの”“神様のボートにのってしまったから”――恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。(出版社あらすじより)


8年ほど前に、「泣ける小説」につられて読んだことがあります。
そのときの感想を読み返してみると、
この母の恋愛感に共感できなかったし、親離れ子離れできない親子にあるのは「情」だけだとも思ったし、ラストもハッピーエンドには受け取れなかった、と。

あるきっかけで再読したわけですが、
やはり今回も同じような感想でした。
私の中でのこの8年の時の流れというのは大した変動もなく(笑)
考えが特に変わることのない生活だったからでしょうね。

たしかに、かつて「あのひと」と溶けるような恋をしたかもしれない。
でも時が経つうちに、覚えていることが減っていき、部分的な、背骨だとか、額だとか、目とか、そんなことしか浮かんでこなくなり、
過去にしがみつきたいがために、思い出のいいとこ取りして、自分がヒロインのきれいな映像を作り上げ、その思い出にいつまでもしがみついてしまっているんでは・・・?
残酷なようだけど、そんな疑いを抱きつつ読んでいました。
「私はここにいる!」を伝えないと、探すなんて難しいことだよ~

そんな冷めた感じ方をしてしまうのは、
もうすでに現実しか見れない年代になってしまってるからかな~
もしも20代の独身だったなら、素直に純愛と受け止めただろうし、きれいなラストを想像もしたでしょうかね?


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NHK‐BSでドラマ化され、葉子役には宮沢りえさんだそうです。ふわふわした感じがぴったり。
ドラマになると、素直に見られるかな?

「新月譚」貫井徳郎(文藝春秋)

2013-01-28 | 本(た~は行の作家)
美人ベストセラー作家は、なぜ突然絶筆したのか?
突然筆を折ったベストセラー作家・咲良怜花。執筆復活を願う編集者に対し怜花が告白した衝撃の物語。甘美で残酷な究極のラブストーリー(出版社あらすじより)


平凡で目立たない女性が初めて本気で人を愛することを知って、その人が喜ぶなら・・と、一生懸命がんばって、普通じゃ考えられないことまでして、そして、あげくどん底に落ち、奮起するため小説家になる・・・
簡単に言えばそういうお話です。
でも一言では済まないほどの人生を歩むことになります。

この主人公のネガティブな心は、以前に読んだ「モンスター」(百田尚樹さん著)のようです。
あれも〇〇して、人生を変えた女性のお話。
どちらにも感じたことですが、完璧な〇〇って、結局は完璧で満足な人生を手に入れるものじゃないんだなあと。
「内面が大事だよ」というのは確かにキレイ事かもしれないけど、一度に10段階アップするのでなく、ほんの1段だけでもそれをステップに、あとは自分の努力次第で運命は変わりそうな気がしないでもないのだけど~

完璧な〇〇をしても、一番になれなかった彼女は、小説を書くことでまた相手を繋ぎとめようとします。
よく小説家の方が「キャラクターが勝手に動いていく」と言うのを聞きますが、「そんなのただの比喩でしょ?」と思う私ですが、どうやら本当なのかしら?(笑)
彼女もそういう状態になり、ものすごい小説を書くようになります。
しかし、あることを境にペンを置く・・・。
それが一番ショックなことだなんて・・・、そうかなあ~、いっそ褒めてくれる人がいなくなって書けなくなるというのなら分かるけど~
純愛は純愛だけど、歪んだ純愛ですね。

タイトルの「新月譚」とはどういうことかなと思ったのですが、
「新月」は見えない、「譚」はおはなしかな?
誰にも言えないお話。
誰にも言えないことを抱えているというのは幸せではないと思います。
語れる人が現れてよかったけど、その理由というのもなんだか侘しいね。

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「かっこうの親もずの子ども」椰月美智子(実業之日本社)

2013-01-21 | 本(ま~わ行の作家)


主人公統子は、出版社で働くシングルマザー。
不妊治療の末、非配偶者の精子を提供してもらい人工授精で息子を授かるが、夫とはその後離婚。
以来、統子は仕事に子育てにとひとりでがんばってきた。
母として成長すると同時に、幼い息子も日一日と知らないうちに逞しく成長していく。
そんな姿を愛おしく見つめる統子。
周りのいろんな境遇の子育てに接し、改めて我が子への思いが強くなる・・・。


子どもを育てていると、
統子と同じように、その果てしない未来を思い描くと同時に、
さまざまな「悪いこと」から守りたい一心になります。

このお話の中でもいろんな子どもが出てきます。

統子の友達の最後のエピソードは辛いです。
こんな設定にしてほしくなかったなというのが正直な思いです。

でも、本文にもあるように、
子どもがこの世に生まれて無事に大きくなるというのは
本当に奇跡なのかもしれないと思います。

何万か何千万かの確率の中から生まれたひとつの命。
それを育てていく親は大きな責任を担っているんです。
神様から与えられた大切な仕事ね・・・。

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