中南米観光七日目はテオティワカン遺跡見学です。
【6/7、メキシコ市内-グアダルーペ寺院-テオティワカン遺跡-メキシコシテイ空港-ティファナ空港へ】
今朝は7時からホテルでゆったりと朝食。
出発まで二時間ありますので、ホテル周辺を散歩します。
近くの公園を歩き、更に大通りを進みます。
近代的なビル街で、銅像やモニュメントが次々と見られます。
開店準備中の大型ショッピングセンターを見学。
ホテルに戻り、玄関前に集まった土産売りを物色。
10時30分に貸切バスでホテルを出発。メキシコ市内の景観を楽しみます。
三文化広場を通過しながら車窓観光。
メキシコ・シティの北にある三文化広場(La Plaza de Tres Culturas)は、先スペイン期の遺跡の上に、
植民地時代のサンティアゴ教会がたち、そのまわりを高層の団地や外務省のビルが取り囲んでいるため、
「三文化」と名づけられた。アステカ時代にはトラテロルコと呼ばれ巨大な市場があった。また、ここは
クアウテモクの率いるアステカ軍がスペイン人の征服者コルテスによってうち破られたとされる場所でも ある。
1968年には、「メキシコの奇跡」といわれた経済発展のもと、オリンピックの開催を目前にひかえた 10月2日、
学生や労働者による反政府運動が、軍によって武力で鎮圧され、多数の死傷者を出すという惨事も
起こっている。メキシコにとってここは、いろいろな意味において忘れられない場所となっている。
11時にローマ・カトリック教会公認の三大奇跡(聖母の出現)のグアダルーペ寺院に到着。
・グアダルーペ(メキシコ)・・・・1531年12月9日に聖母マリア出現
・ルルド(フランス)・・・・・・・・・・1858年2月11日に聖母マリア出現
・ファーティマ(ポルトガル)・・・1917年5月13日に聖母マリア出現
大勢の信者で賑わう寺院の広場に入りました。日曜日なら更に大混雑とのこと。
グアダルーペの聖母は、カトリック教会が公認している聖母の出現譚の一つであり、メキシコで最も敬愛されて
いる宗教的シンボルである。1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴの前に
聖母が現れたとされる。聖母は、司教に聖母の大聖堂を建設する願いを伝えるよう求めた。病気の親類の助け
を求めにいこうとしていたディエゴが話しかける聖母をふりきって走り去ろうとした時、聖母は彼を制止し、
親類の回復を告げた。ディエゴが戻った時、病気だった親類は癒されていた。
聖母に司教へしるしとして花を持っていくよういわれたディエゴは、花をマントに包み、司教館に運んだ。
司教館に花を届けた際、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていた。
地盤沈下で傾くグアダルーペ寺院。(旧聖堂)
代々木体育館より先行したという吊り天井のグアダルーペ寺院。(新聖堂)
広場から膝折で歩む信者が見られます。最後の希望としてお祈りに訪れるとのこと。
新聖堂では数時間毎にミサが行われています。
1531年にフアン・ディエゴのマントに現れた聖母マリアの像は、
左側から裏側を通って中央祭壇の真下まで混雑防止の動く歩道に乗って見学します。
聖母マリアが現れたテペヤックの丘に建てられた礼拝堂が見えました。
30分の寺院観光を終え、一時間走行してテオティワカン遺跡に向います。
遺跡のピラミッドが見えてきました。空には雨雲が見られます。
最初に観光牧場に立ち寄りました。名物叔父さんのサボテン談義に魅入られます。
甘いサボテンの果実酒を試飲。ミニピラミッドでメキシカンの記念撮影があります。
沢山の土産物は残念ながら高目でしたね。
観光牧場からバスで昼食会場に移動。
雨が降りだす前にピラミッド観光を終えればと思いながら、12時40分から昼食。
マヤ族風でしょうか、民族踊りが始まりました。
小さな壷カップでコーヒーを頂きました。土産店で探しましたがこの壷は見つかりませんでした。
昼食後、外に出ると激しいスコールになりました。雨予報が当りましたね。
バスで10分程移動し、傘を差しながらテオティワカン遺跡を見学します。
テオティワカン (Teotihuacan)
メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで存在した、テオティワカン文明の中心と
なった巨大な宗教都市遺跡。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇っていた。テオティワカン人の宇宙観、
宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドそして南北5キロにわたる道
(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。この都市で祀られた神々は、農業・文化と関係
深いケツァルコアトルや水神トラロック、チャルチウトリケ、植物の再生と関係あるシペ・トテックなどである。
土産店通りを通過すると雨が止みました。20分間の雨で幸運でした。
しかし、スコールで濡れたため住居跡は立入禁止になりました。
今回の中南米ツアーで初めての雨でしたが、すぐに傘を畳みました。
日本人ガイドの説明を聞きながら二時間の観光です。
古代都市に固有の城壁が存在しないことから戦争や圧政のない平和な都市と考えられていたが、近年の
発掘調査の結果から、多数の殉教者、生け贄を捧げる風習が存在したことが判明し、戦士の壁画も
発見されている。 社会についてはあまり知られていないが、規模から考えると神権的な権威が存在し、
高度に階層が分化し、発達した統治組織があったものと推測されている。市内には職人の地区が設けられ、
盛んな商業と交易の中心地であり、農民たちの巡礼となって集まる信仰の中心地でもあった。
高台から見えた太陽のピラミッド。
ガイドの説明を聞きながら月のピラミッドに向います。
どうやら第一段までの観光が許されているようです。
濡れた急階段を全員で登りました。
月のピラミッド第一段から太陽のピラミッドを展望。
死者の大通りを見通して見ます。
階段下りの方が怖さがありました。
そばの階段ピラミッドにも登り、月のピラミッドを撮影。
周辺には立入り禁止の遺跡も多くあります。
聖なる山であるセロ・ゴルドが徐々に「月のピラミッド」に隠れてゆくというポイントを確認。
死者の大通りを歩いて太陽のピラミッドに到着。
太陽のピラミッドの地下には、人類の起源の地との伝説のあるチコモストックを思わせる七つの洞穴が枝状に
つながる洞窟があったため、都市を建設する際の立地条件になったのかもしれない。紀元前50年にテスココ湖
の南方に立地したクィクィルコがシトレ火山の噴火によって埋まると急速に発展した。都市の面積は約20平方
キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中
に伴い下水道もその処理能力を超えるようになり、やがて旱魃等の災害により、治安が悪化して、やがて滅びを
迎えた。メソアメリカの中心的都市として機能していた。
テオティワカンとは、「神々の都市」という意味で、これは後にこの地にやってきたアステカ人が命名した。
古代都市テオティワカンとして、1987年に世界遺産(文化遺産)に登録されている。
希望者は添乗員にピラミッド登頂の自己責任カードを提出して登ります。
高さ65mの急階段を慎重に登り、10分程で最高点に到着。
太陽のピラミッドより月のピラミッドを望む。
周辺の遺跡はまだまだ修復中のようです。
太陽のピラミッドの急階段を慎重に降ります。
一番の急階段は45度を超えています。
土産店通りを物色しながら駐車場のバスに戻ります。
密林から発見された遺跡とのことで心配しましたが、観光地化されて虫除けは必要ありませんでした。
16時にバスに集合してメキシコシテイ国際空港に向います。
17時にメキシコシテイ国際空港に到着。
搭乗手続き後、空港内のレストランで夕食を摂ります。
外は大雨になりました。うまく雨の影響を避けられたようです。
出発まで最後のショッピング、しかし目新しい物はありません。
23時10分発のティファナ空港経由成田行きに搭乗。
これで格安の中南米観光ツアーを終了。
ティファナ経由で日付変更線を通過し、6/9の早朝に成田空港に帰着します。
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