予報通りの雨です。6:30に起床してヒノキ風呂に入浴。
お膳朝食にバイキング付きでお腹が一杯になります。
玄関前の朝市にて甘いミカンを購入。
中降りの雨の中、二日目の観光に出発。
【12/10、北霧島温泉卿-狭野神社-真幸駅-東霧島神社-東高崎駅-宮崎駅-宮崎リゾート温泉】
向かいに見える霧島連山は霧の中。狭野神社に向かいます。
霧島六所権現の一社、狭野神社に9:10到着。
雰囲気のある参道が真っ直ぐに伸びています。
狭野神社(さのじんじゃ)は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社。旧社格は県社で、後に官幣大社宮崎神宮の
別宮となった。現在は再び独立の神社となり、神社本庁の別表神社になっている。霧島六所権現の一社である。
神日本磐余彦天皇(神武天皇)を主祭神とし、吾平津姫命・天津彦火瓊瓊杵尊・木花開耶姫命・彦火々出見尊
・豊玉姫尊・鸕鶿草葺不合尊・玉依姫命を配祀する。社名は神武天皇の幼名「狭野尊」に因むものである。
霧島六社権現(きりしまろくしゃごんげん)は、宮崎県と鹿児島県の県境にある霧島山の周辺にある
6つの神社の総称である。霧島六所権現(きりしまろくしょごんげん)ともいう。
雨中の御参りで他の参拝者は見られません。
9:40に次の真幸駅に移動。棚田のある山裾に入ります。
10:30に無人の真幸駅に到着。
真幸駅(まさきえき)は、宮崎県えびの市大字内竪にある、九州旅客鉄道(JR九州)肥薩線の駅である。
宮崎県で最初にできた駅であり、肥薩線唯一の宮崎県内の駅である。「真の幸せに入る」に通じるとして、
入場券などで人気がある。以前は駅周辺には集落があったが、度重なる土石流災害で住民が移転し、
現在は周辺の建物もまばらである。ホームの中程に「幸せの鐘」が置かれている。幸せと感じる度合いに
応じて鳴らすのが良いとされている。地域のボランティアが駅ノートを設置し、特産品やお茶のサービス
などを行っている。また、ボランティアがいる時間帯では記念入場券を購入することができる。
ホームのある「幸せの鐘」を三つ鳴らします。
一段と激しい降りの中、普通列車「いさぶろう・しんぺい」号の到着を待ちました。
愛称の由来は、「いさぶろう」が人吉駅 - 吉松駅間が建設された当時の逓信大臣山縣伊三郎、「しんぺい」が
同区間開業当時の鉄道院総裁であった後藤新平で、矢岳第一トンネルの矢岳方入口に山縣の「天険若夷」、
吉松方に後藤の「引重致遠」の扁額が残ることにちなむものである。それぞれ揮毫者の名を冠する列車が
揮毫した扁額に向かって走る形となる。
レトロな車両内にお邪魔して見学。外国人の撮影クルーが撮影中でした。
静かな無人駅が我々のお見送りでひと時賑わいます。
乗客がホームで鐘を鳴らした後、スイッチバックでゆっくりと発車していきました。
道の駅えびのに移動して地元野菜のバイキング昼食。
バイキング続きでお腹を調整します。
ここで買い物後、乳製品のお店に立寄り。
霧島六社権現のひとつ「東霧島神社」に参拝。
天孫降臨の地、霧島六社権現の一つ、宮崎県都城市の「東(つま)霧島神社」。一歩足を踏み入れると修行道
さながら、鬼が一晩で造ったとされ、振り向かずに上ると願いが叶うという「鬼岩階段」。イザナギの命の涙で
出来たとされる巨石「神石」。樹齢千年の「招福大楠」など、神秘的かつエネルギーを感じるスポットが沢山。
鬼が霧島の神に願いをかけ、その神との契りの導きによって、一夜で石を積んで出来たという伝説の残る
「鬼岩階段」。遠い昔、天台宗・真言宗の僧侶が、一心に呪文を唱えながら修行したことから、振り向かずに
登り切ると願いが叶うと言われており、そのことから「振り向かずの坂」とも呼ばれています。
ガイドは迂回路に進み、私は山道より恐ろしい「鬼岩階段」を登ります。
つるつるの濡れた石段で二度スリップ、ヒヤリとしましたが、慎重に登りきって拝殿に御参りしました。
イザナギノミコトが剣で切ったと言われる「神石」など必見のパワースポットでした。
近くの東高崎駅から列車に乗ります。
都城駅で特急「きりしま」に乗り換え、宮崎駅に向かいます。
雨の車窓を見ながら宮崎駅に到着。今夜のホテルに向かいます。
宮崎市内は台風並みの荒れ模様だったようです。
宮崎リゾート温泉のホテルに到着。
雨のため市内散歩を諦めました。早速大浴場で体を癒し、夕食バイキングに備えます。
ここも種類豊富なバイキングで中国客が目立ち、同じ叔母さんと料理皿で三度も鉢合わせ。
登山を離れた観光ツアー、鉄道旅も良いものです。これでほぼ九州全域をカバーしました。
明日の雨予報が晴れ予報に変りました。洗濯岩の青島神社を観光して帰ります。
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