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今日はどこへ行こうかな 

九州山行・湯布院へ

2015年11月11日 | 登山

南九州に残った200/300名山に登るため、九州7日間の旅に出掛けました。

【11/4、昭島駅-羽田空港-福岡空港-関門海峡-湯布院温泉泊】

快晴の羽田空港から九州・福岡空港に向かいます。

この福岡便はビジネスマンで満席、キャンセル待ちで混み合っています。

窓席が取れなかったため一眠りして11:45に福岡空港に到着。

機内に預けた荷物が5分待ちで出てきて驚きました。

空港近くでレンタカーに乗換え、九州道を走行して90km先の関門海峡に立寄ります。

13:40に関門海峡・福岡側にある「めかりPA」に到着。

ここで昼食を摂りながら、関門海峡を眺めて体感します。

関門海峡(かんもんかいきょう)は、本州の下関市(山口県)と九州の北九州市(福岡県)を隔てる海峡。
名称は
両岸の地名である、馬関(現 下関市)の「関=カン」と、門司(現 北九州市門司区)の「門=もん」
を取ったもの
である(難関という意味の関門ではない)。穴戸海峡、馬関海峡(ばかんかいきょう)、
下之関海峡とも称された。
最深部は水深47m。

   

左手にある宮本武蔵と佐々木小次郎による決闘・巌流島は視認できませんでした。

関門橋を渡り、山口県側の「壇ノ浦PA」にも立寄ります。

本州と九州を隔てる水路を大瀬戸(おおせと)といい、彦島と本州を隔てる水路を小瀬戸(こせと)または小門
海峡(おど)という。大瀬戸の幅が約600mまで狭まる壇ノ浦と和布刈の間は早鞆の瀬戸(はやとものせと)
という。1185年(元暦2年/寿永4年)3月25日 - 壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水、平家一門が滅亡。
長州藩が馬関海峡を通過するアメリカ商船に砲撃を開始、翌年5月の下関戦争(馬関戦争)の原因となる。

歴史に触れる観光はまたの機会とし、132km先の由布院温泉に向かいます。

 

東九州道を走行、明日登る由布岳が見えてきました。

こちらは5月に登った300名山・鶴見岳。

由布岳の双耳峰。前回はガイドの指示で冠雪した鎖場の西峰に登りませんでした。

16:30に由布院の温泉民宿に到着。

部屋に荷物を入れてから早速に湯布院観光に出かけます。

 

湯布院駅に立寄り。平日ですが、韓国の団体さんお迎えで賑やかです。

湯布院町(ゆふいんちょう)は、大分県のほぼ中央に位置し、大分郡に属していた町である。町内に3ヶ所の温泉
地がある町として町名は有名であった。2005年10月1日に郡内の挾間町、庄内町と合併し、由布市(ゆふし)
となり自治体としては消滅した。現在「湯布院町」という地名は、旧町域にある大字の頭に付く形で残っている。

   

メイン通りを一巡り。七割は韓国からの観光客ですね。

   

夕刻5時を過ぎて店仕舞いが半分程、しかし観光は夜まで続くようです。

   

お洒落な土産、食品、喫茶レストラン等、何でも有りのたけもと通りでした。

    

夕日に染まる由布岳を見ながらスーパーで買い物。

  

18時に宿に戻り、温泉入浴で明日からの山行に備えます。

コンビニ弁当等で夕食。一泊3000円の温泉宿は助かります。

  

再度温泉に浸かり、22時に就寝。明日は二度目の由布岳で未踏の西峰に登ります。


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