なんくるないさぁ~だんな と わたし と SLE と

  12歳SLE発症。ループス腎炎Ⅳ型。
早発閉経で妊活強制終了。子なし人生の幸せ模索中。

お父さん

2021年12月07日 | 志織のあしあと
先週、父が亡くなりました。

85歳でした。

午前3時頃に兄から
「お父さんがあまりよくないみたい」と連絡が入り、
急いで病院に向かいましたが間に合いませんでした。

医師が死亡確認する瞬間にちょうど病室につきました。

それはドラマでよく見るあの光景で。
現実とは思えませんでした。

母も兄も病院についた時には既に意識は無く。
呼吸も浅く、脈もほぼ取れない状態だったそうです。

私はただただ、まだ温かい父の手を握りしめていました。

ここ最近は入院していた期間が長いので
いつか退院して帰ってくるんじゃないか。

そんな気がしてしまいます。

父は50代の頃に心臓の手術をして以来、
糖尿病、頸動脈血栓、狭心症、大腸癌、肝臓癌と、
長年、大病と呼ばれる病と付き合ってきました。

どんなに大きな病でも復活するのが父で、
だから今度もきっと家に帰ってくると思っていました。

私がMy病院で働くようになって、
すぐに父が入退院を繰り返すようになり。

コロナ禍で病院が面会制限される中でも
職員特権で毎日お昼時間には
父に会いに行くことができました。

時々、仕事中に電話がかかってきて、
仕事中なのでとれるわけもなく。

お昼時間に病室に行き「仕事中は取れないってば」と
ちょっと強く言ってしまったり。

毎日のように電話でアレコレ持ってきてと伝えてきたことを
少し面唐ノ感じていたこともあって。

今ではもっと優しくしてあげればよかったと後悔しかなく。

でもMy病院で働いていたからこそ
入院中でも会うことができて。

家族の中では私が一番父に会えていたので
病院で働いていて良かったと思います。

仕事中に電話がかかってくることを兄に言ったので
父は兄から「仕事の邪魔したらダメだよ」と
怒られていたみたいで。

My病院で息を引き取っていたら。
仕事中に呼び出されたりしていたら。

私は仕事に行くのが辛かったと思います。

仕事が休みの日に
リハビリ病院で息を引き取った父。

いつも私を応援してくれてた
父の最後の優しさなんだと思います。

一度、父にお昼時間に会いにいった時に
「あんた見てると生みの親を思い出すさ。似てるさ」と
言われたことがありました。

父は8歳くらいに母親を亡くし継母に育てられています。
確か20代前半で亡くなったと聞きました。

写真も父の父が戦争の出兵前に撮ったという
家族写真の一枚だけしかなく、
私はその写真に写る若い祖母の顔しか知りません。

その「生みの親に似ている」という言葉が少し嬉くて、
今でもなんだか嬉しく思っています。

1週間忌引休暇をもらって
仕事に復帰していますが。

アッという間の1週間だったので。
なんだかまだ実感がわきません。

私はSLEになって心配ばっかりかけてきて。
全然、親孝行していないのに。
やっぱり孫の顔を見せたかったな。

満足に親孝行したなんて言える人って
いるんでしょうかね。

CNSで唐黷ト辛さで泣き崩れた時に
「父ちゃんはアンタが辛い思いしないで
 生きてるだけでいいんだよ」
と言って頭を撫でてくれたお父さん。

今その時のことをよく思い出します。

「私が幸せになることが
 最大の親孝行と信じています。」

ねぇお父さん。

結婚式で私が誓ったことは間違いじゃないよね?

きっと今でもこうして泣きながら
PCに向かっている私を心配してるかも。

大丈夫だよ。明日もちゃんと仕事に行くから。

見守っていて、お父さん。





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