小学校の裏の坂を上っていると、突然、林檎がひとつ、
転がってきた。
慌てて拾うと、もうひとつ。
僕は持っていた鞄を放り投げて、その林檎を追いかけ、
カーブの手前で拾い上げることに成功した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/80/05aae3d1fbd209228743a2356cb28abc.jpg)
やれやれ、よかった。ところで、一体全体この林檎を転が
しちゃったあわてんぼうは、どこの誰なんだい?
坂の上のほうを見上げると、いっぴきの猫が駆け降りてきた。
クロトラの、まだ子猫だ。
「それ、僕の林檎だぞ」
猫は、まるで僕が林檎を盗んだような言い方をしながら、僕の前で胸を張った。
「盗りはしないよ。転がってきたから、拾ってやったんだ」
「へえ、そうか。ちゃんと二つあるかな」
この猫、躾がなっていないな。
僕はそう思ったけれど、相手は猫だから、言ってもしょうがない。
猫は、林檎を二つ受け取ると、お礼も言わずに坂を上り始めた。
でも、二~三歩歩いたと思ったら、また林檎を落としそうになるんだ。
「あぶなっかしいな。これ、あげるよ」
僕は、ぶらさげていたコンビニの袋から、中身を取り出し、林檎を
入れてやった。
猫は、その間、ごまかされないぞ、という風に僕の作業をじっと見つ
めていた。袋を手にすると、今度は中を覗き込んで、本当に林檎が
二つ入っているか確認するんだ。猫くん、僕は、手品師じゃないぞ。
猫は、やっと満足して、僕のほうを向いた。
「僕は猫だから林檎を持つのは得意じゃないんだ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4d/31c39d21c5a29793612fa4017ec086b6.jpg)
まるで、猫が林檎を落とすのは当たり前、僕が袋をあげるのも当然だと言わんばかりさ。
でも、猫なんて、そんなもんだ。
「その林檎は、君が食べるのかい」
そう聞いてみると、猫は、聞いた僕の方がびっくりするほど驚いて、
ぴょんと跳ね、
「僕が林檎を食べるって!そんな話、聞いたこともない!」
と目をくるくるさせた。
「じゃ、誰が食べるのさ」
まさか、猫がスケッチのために林檎を買ったりはしないだろう。誰か
が食べるのにきまってる。
「さくらこだよ。家のさくらこちゃんが食べるのさ。さくらこちゃんは、風
邪をひいて、林檎が食べたいって言ってるんだ」
桜子ちゃんっていうのは、坂の上に住んでいる六歳の女の子のことだ。
「それじゃ君は、桜子ちゃん家の猫なのか」
猫は、また、目をくるくる回した。
「違うよ。僕はさくらこちゃん家の猫じゃないよ。さくらこちゃん家の庭
の物置の裏に住んでいるんだ」
そして、猫はなんで林檎を運んでいるのかを僕に説明してくれた。
「さくらこちゃんのママは、僕たちが物置に住んでいるのは、あまり好
きじゃないんだ。でも、僕とさあちゃんは友達だから、ママもあんまり
言えないのさ。それで、さっき窓から覗いたら、さあちゃん、風邪ひい
て林檎が食べたいって言っているんだ」
「さあちゃんのママは、看病しててお使いにいけないから、代わりに僕が行くことになったのさ」
「猫なのにかい?」
「うん」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/fc/25eab38c8df17bcd98ce5a50157e9699.jpg)
猫は、袋をぶらぶら振りながら、坂を上り始めた。
僕は、猫が林檎を落としたのは、猫の手が林檎を持ちにくいからじゃないと思った。
あれがメザシや猫缶だったら、絶対落としっこないさ。
猫は、くまちゃんやマメタがお見舞いに来てるかも知れないな、とか、
くまちゃんはさあちゃんが風邪ひくときは、いつも一緒に風邪ひくから
来ないかもしれない、とか、ぶつぶつ言いながら、上っていく。
僕は放り投げていた鞄を拾うと、猫の後ろを歩き始めた。
「ねえ、君の名前はなんて言うんだい」
僕は、この半ノラ猫のことを、ちょっと見直していた。こいつは将来、
なかなかの猫になるかもしれない。
「名前なんてないよ」
猫は、桜子ちゃんの家が見えてくると、走り出し、あっという間に坂を
上っていってしまった。
僕は、今度桜子ちゃんに会ったら、あの猫に名前を付けてあげるよう
に、言ってみようと思う。でも、桜子ちゃんだったら、もう、とっくに猫に
名前を付けちゃっているような気もする。そして猫は、その名前が気
に入らないのかもしれない。
冬の初めの風がぴゅうっと吹き、僕も林檎を買ってくればよかったと思った。
イラスト:黒猫大和
転がってきた。
慌てて拾うと、もうひとつ。
僕は持っていた鞄を放り投げて、その林檎を追いかけ、
カーブの手前で拾い上げることに成功した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/80/05aae3d1fbd209228743a2356cb28abc.jpg)
やれやれ、よかった。ところで、一体全体この林檎を転が
しちゃったあわてんぼうは、どこの誰なんだい?
坂の上のほうを見上げると、いっぴきの猫が駆け降りてきた。
クロトラの、まだ子猫だ。
「それ、僕の林檎だぞ」
猫は、まるで僕が林檎を盗んだような言い方をしながら、僕の前で胸を張った。
「盗りはしないよ。転がってきたから、拾ってやったんだ」
「へえ、そうか。ちゃんと二つあるかな」
この猫、躾がなっていないな。
僕はそう思ったけれど、相手は猫だから、言ってもしょうがない。
猫は、林檎を二つ受け取ると、お礼も言わずに坂を上り始めた。
でも、二~三歩歩いたと思ったら、また林檎を落としそうになるんだ。
「あぶなっかしいな。これ、あげるよ」
僕は、ぶらさげていたコンビニの袋から、中身を取り出し、林檎を
入れてやった。
猫は、その間、ごまかされないぞ、という風に僕の作業をじっと見つ
めていた。袋を手にすると、今度は中を覗き込んで、本当に林檎が
二つ入っているか確認するんだ。猫くん、僕は、手品師じゃないぞ。
猫は、やっと満足して、僕のほうを向いた。
「僕は猫だから林檎を持つのは得意じゃないんだ」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/4d/31c39d21c5a29793612fa4017ec086b6.jpg)
まるで、猫が林檎を落とすのは当たり前、僕が袋をあげるのも当然だと言わんばかりさ。
でも、猫なんて、そんなもんだ。
「その林檎は、君が食べるのかい」
そう聞いてみると、猫は、聞いた僕の方がびっくりするほど驚いて、
ぴょんと跳ね、
「僕が林檎を食べるって!そんな話、聞いたこともない!」
と目をくるくるさせた。
「じゃ、誰が食べるのさ」
まさか、猫がスケッチのために林檎を買ったりはしないだろう。誰か
が食べるのにきまってる。
「さくらこだよ。家のさくらこちゃんが食べるのさ。さくらこちゃんは、風
邪をひいて、林檎が食べたいって言ってるんだ」
桜子ちゃんっていうのは、坂の上に住んでいる六歳の女の子のことだ。
「それじゃ君は、桜子ちゃん家の猫なのか」
猫は、また、目をくるくる回した。
「違うよ。僕はさくらこちゃん家の猫じゃないよ。さくらこちゃん家の庭
の物置の裏に住んでいるんだ」
そして、猫はなんで林檎を運んでいるのかを僕に説明してくれた。
「さくらこちゃんのママは、僕たちが物置に住んでいるのは、あまり好
きじゃないんだ。でも、僕とさあちゃんは友達だから、ママもあんまり
言えないのさ。それで、さっき窓から覗いたら、さあちゃん、風邪ひい
て林檎が食べたいって言っているんだ」
「さあちゃんのママは、看病しててお使いにいけないから、代わりに僕が行くことになったのさ」
「猫なのにかい?」
「うん」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/fc/25eab38c8df17bcd98ce5a50157e9699.jpg)
猫は、袋をぶらぶら振りながら、坂を上り始めた。
僕は、猫が林檎を落としたのは、猫の手が林檎を持ちにくいからじゃないと思った。
あれがメザシや猫缶だったら、絶対落としっこないさ。
猫は、くまちゃんやマメタがお見舞いに来てるかも知れないな、とか、
くまちゃんはさあちゃんが風邪ひくときは、いつも一緒に風邪ひくから
来ないかもしれない、とか、ぶつぶつ言いながら、上っていく。
僕は放り投げていた鞄を拾うと、猫の後ろを歩き始めた。
「ねえ、君の名前はなんて言うんだい」
僕は、この半ノラ猫のことを、ちょっと見直していた。こいつは将来、
なかなかの猫になるかもしれない。
「名前なんてないよ」
猫は、桜子ちゃんの家が見えてくると、走り出し、あっという間に坂を
上っていってしまった。
僕は、今度桜子ちゃんに会ったら、あの猫に名前を付けてあげるよう
に、言ってみようと思う。でも、桜子ちゃんだったら、もう、とっくに猫に
名前を付けちゃっているような気もする。そして猫は、その名前が気
に入らないのかもしれない。
冬の初めの風がぴゅうっと吹き、僕も林檎を買ってくればよかったと思った。
イラスト:黒猫大和
『僕』と『さくらこちゃん』と『猫』…
其々モデルになった方がいるんでしょうねぇ…