(写真:飯盛山、白虎隊士の自刃の地<福島県会津若松市>)
会津若松市街の東側に位置する飯盛山は、戊辰戦争において会津藩の16,7才程度の少年から構成された白虎隊士が、戦に敗れてこの地に辿り着いたとき、眼下の鶴ヶ城(会津若松城)付近が黒煙に包まれており、最早帰るべき場所も無くなり望みが潰えたと全員が自刃した地である(実際には、鶴ヶ城の本丸は無事で、外郭の侍屋敷が激しく燃え盛っていたのである。また、自刃した隊士の内、ひとりが奇跡的に救助されて蘇生した)。
写真は、飯盛山の参道の入口。
飯盛山の坂道(階段)。脇に有料のエスカレーターがある。
この階段はかなりしんどいものでした。
楽したい方はとなりのエスカレーターをどうぞ。
坂道の頂上から、下を望む。
こう見ると結構登ったんだなぁという気になる。階段が途切れなく、まっすぐ続いているためにつらく感じるようだ。
飯盛山の案内図。
白虎隊士の墓。
飯盛山で自刃した白虎隊士、各地で戦死した白虎隊士らの墓碑。
白虎隊士の自刃の地。
この写真は大失敗!!
人の波が途切れた瞬間を狙ったつもりだったのですが、右側の浄財の碑の向こう側から線香をあげている人の姿(手元だけ)が写っていた。
気味の悪い写真になってしまったけど、この場所はこの写真しかないし・・・ということで泣く泣く採用。
白虎隊士の自刃の地より、会津若松市街を眺望。
眼下に市街を一望できる。
写真の中央のやや左奥にみえる緑地部分が鶴ヶ城(会津若松城)。
戦に敗れ、政府軍の追撃をかわして疲れ果ててこの地に辿り着いた隊士が見たのは、鶴ヶ城近辺が黒煙に包まれた光景であったのだろう。
この距離では、詳しくは見えないために鶴ヶ城が落城したと、誤解したのかもしれない。
(つづく)
会津若松市街の東側に位置する飯盛山は、戊辰戦争において会津藩の16,7才程度の少年から構成された白虎隊士が、戦に敗れてこの地に辿り着いたとき、眼下の鶴ヶ城(会津若松城)付近が黒煙に包まれており、最早帰るべき場所も無くなり望みが潰えたと全員が自刃した地である(実際には、鶴ヶ城の本丸は無事で、外郭の侍屋敷が激しく燃え盛っていたのである。また、自刃した隊士の内、ひとりが奇跡的に救助されて蘇生した)。
写真は、飯盛山の参道の入口。
飯盛山の坂道(階段)。脇に有料のエスカレーターがある。
この階段はかなりしんどいものでした。
楽したい方はとなりのエスカレーターをどうぞ。
坂道の頂上から、下を望む。
こう見ると結構登ったんだなぁという気になる。階段が途切れなく、まっすぐ続いているためにつらく感じるようだ。
飯盛山の案内図。
白虎隊士の墓。
飯盛山で自刃した白虎隊士、各地で戦死した白虎隊士らの墓碑。
白虎隊士の自刃の地。
この写真は大失敗!!
人の波が途切れた瞬間を狙ったつもりだったのですが、右側の浄財の碑の向こう側から線香をあげている人の姿(手元だけ)が写っていた。
気味の悪い写真になってしまったけど、この場所はこの写真しかないし・・・ということで泣く泣く採用。
白虎隊士の自刃の地より、会津若松市街を眺望。
眼下に市街を一望できる。
写真の中央のやや左奥にみえる緑地部分が鶴ヶ城(会津若松城)。
戦に敗れ、政府軍の追撃をかわして疲れ果ててこの地に辿り着いた隊士が見たのは、鶴ヶ城近辺が黒煙に包まれた光景であったのだろう。
この距離では、詳しくは見えないために鶴ヶ城が落城したと、誤解したのかもしれない。
(つづく)
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