(写真:二本松城の正門=箕輪門。<福島県二本松市>)
二本松城の大手、奥に復元された箕輪門、付櫓、手前左に「霞ヶ城址」碑、右手に本松少年隊の像が見える。
<<二本松城>>
別名:霞ヶ城(かすみがじょう)
所在地:福島県二本松市
築城者:奥州探題畠山満泰(室町中期)
形状:平山城
備考:
1868年の戊辰戦争において、二本松藩は奥州列強同盟の一員として政府軍と戦い、その際に二本松城は落城し、その際に多くの建築物が失われた。その後の明治5年の廃城令により残る建築物もすべて破却された。
箕輪門、付櫓は昭和57年に復元された。
二本松城の案内図。
山上の本丸跡までは箕輪門からかなり歩かなければならなさそう。
この日は先を急いでいたのと、気力がなくなっていたのとで、箕輪門周辺しか見ずに引き返してしまった・・・
根性なしの自分に怒
今思えば、しっかりと歩き回って見ておけばよかったなぁ。なかなか東北地方まで行けるチャンスはないのだから
箕輪門と付櫓。
箕輪門。
箕輪門を城内側から望む。
箕輪門をくぐった先の風景。左手の石垣の中央部(切れ目)から、さらに城内へと進む。
三の丸から上がってきた道を振り返る。ちょうど直上の写真で見た石垣が、この写真の右手の松の並木が植わっている部分となる。
右手の松の並木は「段の松」と呼ばれる。
また、ここの枡形は左曲がりになっていて、ちょっと珍しい(普通は右曲がり)。
この先の三の丸では工事をしていた(H17.8時点)。
写真右手に神社のお社が見えるので、そこの施設の工事だと思われる。
ここで、何か先に進む気が失われてしまって帰ることにしてしまった。
帰り道に。二本松城の駐車場から箕輪門付櫓、石垣、土塀。
二本松城の大手、奥に復元された箕輪門、付櫓、手前左に「霞ヶ城址」碑、右手に本松少年隊の像が見える。
<<二本松城>>
別名:霞ヶ城(かすみがじょう)
所在地:福島県二本松市
築城者:奥州探題畠山満泰(室町中期)
形状:平山城
備考:
1868年の戊辰戦争において、二本松藩は奥州列強同盟の一員として政府軍と戦い、その際に二本松城は落城し、その際に多くの建築物が失われた。その後の明治5年の廃城令により残る建築物もすべて破却された。
箕輪門、付櫓は昭和57年に復元された。
二本松城の案内図。
山上の本丸跡までは箕輪門からかなり歩かなければならなさそう。
この日は先を急いでいたのと、気力がなくなっていたのとで、箕輪門周辺しか見ずに引き返してしまった・・・
根性なしの自分に怒
今思えば、しっかりと歩き回って見ておけばよかったなぁ。なかなか東北地方まで行けるチャンスはないのだから
箕輪門と付櫓。
箕輪門。
箕輪門を城内側から望む。
箕輪門をくぐった先の風景。左手の石垣の中央部(切れ目)から、さらに城内へと進む。
三の丸から上がってきた道を振り返る。ちょうど直上の写真で見た石垣が、この写真の右手の松の並木が植わっている部分となる。
右手の松の並木は「段の松」と呼ばれる。
また、ここの枡形は左曲がりになっていて、ちょっと珍しい(普通は右曲がり)。
この先の三の丸では工事をしていた(H17.8時点)。
写真右手に神社のお社が見えるので、そこの施設の工事だと思われる。
ここで、何か先に進む気が失われてしまって帰ることにしてしまった。
帰り道に。二本松城の駐車場から箕輪門付櫓、石垣、土塀。
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