会津若松城の三の丸から市街地を歩いて約15分、会津の大名庭園・御薬園に着いた。
入園料は大人310円。
私はあらかじめ共通券(鶴ヶ城天守・茶室麟閣・御薬園)を購入していたので、そのまま入園。
会津藩主の別荘で、藩の薬草園があったため「御薬園」の名で呼ばれる。
もとは会津領主・蘆名氏のころに原形とされる庭園がつくられたという。
その後会津松平家2代当主・松平正経(保科正之の子)のころ、薬草園が造成された。
3代当主・
幕末では、藩主・松平容保が鳥羽伏見の戦いの後に会津へ戻った際、会津若松城に入城せず、御薬園に蟄居し恭順の意思を表した。
しかし会津戦争が起こると、御薬園は新政府軍(西軍)の野戦病院とされ、戦災を免れる。
現在も、薬草園では約400種の薬草が栽培されている。
しかし時季をおおいに外してしまい、薬草園はじつに寂しいものであった。
白い2階建ての建物は、重陽閣という。
昭和3年(1927年)秩父宮勢津子妃殿下のご一家が宿泊した旅館で、昭和48年にこの場所に移築したものである。
薬草園は1分で退場・・・。
そこで、御薬園の庭園部分(会津松平氏庭園【国指定名勝】)をじーっくり回った。
所要時間は20分とわりと大きくない庭園ではあるが、私は園内を2周し、だいたい50分ほど滞在した。
庭園の中を占める心字の池と、池に浮かぶ亀島、そこにたたずむ茶室・楽寿亭。
この角度ではちょっと島に見えないかも。
とりあえず心字の池を時計回りに歩いてみた。
樹齢推定500年のハイゴヨウマツ。
伊達政宗や上杉景勝、保科正之ら歴代の領主たちがこの松を観賞したのだろうか。
ハイゴヨウマツのところで振り返ってみた。
別の松の向こうにたたずむのは、御茶屋御殿。
明治時代に里帰りした元藩主・松平容保が数年居住した。
ハイゴヨウマツから少し歩いたところ。
楽寿亭が島の上に建っているのがよくわかりますなぁ。
同じところから左を見ると、心字の池に注ぐ水流がある。
水流はみぎわで石組が組まれ、女滝をなしている。
画像左上の石塔は、三重塔【福島県指定文化財】。
女滝のあたりから心字の池をながめてみた。
橋を渡って楽寿亭へ。
案内によると・・・
藩主や藩の重役たちが、納涼・茶席・密議などのために用いた。
「楽寿亭」の名は、3代藩主・正容によって命名された。
北側の濡縁には戊辰戦争の際の刀傷が今も残る。
・・・というわけで半ば必死こいて刀傷を探してみた。
たぶん・・・上の削られたようなやつだよねぇ?
庭園内に祀られる朝日神社。
近くには水流があり、この水流にも男滝がつくられ、心字の池に合流する。
池沿いを歩いて、庭園の南側へ。
池の向こうには御茶屋御殿と楽寿亭。
庭園の南側から。
こたびは御茶屋御殿と重陽閣。
御茶屋御殿に着いた。
いつもどおり、お茶を一服。
足下にはカモが羽を休め、あるいは水で遊ぶ。
一服ののち、私は心字の池をもうひと回り。
ここのおみやげ店で会津の民芸品・起き上がり小法師(1体200円)を買って、御薬園を出た。
日本100名城登城の旅・第10弾「おくのほそ道」第32話へ続く。
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