鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

隠匿の麟閣?会津若松城・其之参

2013-01-19 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 2 年 4 月 2 日 ( 木 )

午 後 1 2 時 1 4 分

福 島 県 会 津 若 松 市

会 津 若 松 城 本 丸





会津若松城の本丸南東にたたずむ茶室・麟閣


ときは豊臣秀吉が天下統一を成し遂げたころ。
会津若松城の城主は名将・蒲生氏郷
中央政界では、氏郷の茶の師匠で、秀吉の茶の師匠でもあった千利休が健在であった。

しかし利休と秀吉は、茶の精神性をめぐって、あるいは政治のあり方をめぐって対立を深めていく。
ついに秀吉は、利休に切腹を命ずる。
切腹後、利休の首は京の市中にさらされ、犯罪人の扱いを受けてしまう。

利休は、子に長男・道安と次男(養子)少庵がいた。
道安は細川忠興が、少庵は蒲生氏郷が、それぞれ蟄居を引き受ける形で匿ったという。

麟閣は、蒲生氏郷のもとで匿われた少庵が、氏郷に感謝するために造らせた茶室であるという。

道安は、堺千家の祖となったが、現在は途絶えてしまった。
少庵も、利休の茶の道を受け継ぎ、武者小路千家・表千家・裏千家の三千家の祖となる。
千家は、少庵の孫の代で三千家に分かれることとなり、それぞれが現在に継承されている。





麟閣の敷地内に入ると、まず現れる寄付【移築復元】という建物。
茶会に先だって、客が待ち合わせをしたり、身支度を整えたりする、準備用の建物である。



寄付よりも簡易なつくりの建物は、腰掛待合【移築復元】という。
茶会の客が、亭主の迎えを待ったり、茶会の模様がえのときに客が待つ場所であった。



茶室の手前にある水場は、蹲踞(つくばい)という。
茶室に入る前に、俗世の穢れを洗い流し、清らかな心で茶に臨むものとされた。



蒲鶴亭(ほかくてい)は、茶室に隣接する書院。
茶室では一切の華美が許されないのに対し、書院ではある程度の華美は許されていた。



蒲鶴亭に上がろうとするとアラームが鳴るらしい!!



蒲鶴亭の裏手に回ったところが、茶室・麟閣躙口(にじりぐち)である。



茶室の柱には、少庵が自ら削った跡が残っているという。



ああ、茶がうまい~



会津若松城を出る前に、もう一度天守を仰ぎ見る。



そして東側から出た。





本丸と二の丸を隔てる石垣と水濠はなかなか見事。



二の丸から三の丸を分ける空堀もすばらしい。


このまま歩いて、次の目的地へと向かった。



日本100名城登城の旅・第10弾「おくのほそ道」第32話へ続く。


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