2011年には雪で中に入れなかった安土城を、見事にリベンジ登城した私。

時刻は午後3時半を回っていました。
安土城をじっくり2時間も回るという、予定時刻をはるかにオーバーしていました。
次の城は、同じ近江八幡市内(旧安土町内)にある観音寺城です。
安土城からは4km近く離れているので、


レンタサイクル「信長号」を借りたのですが・・・
事前に調べたところによると、観音寺城は安土城よりもかなり広大で、しかも山も高いというのです。
「信長号」を借りたレンタサイクルの優しき媼によると、観音寺城の登城にはとても時間がないだろうということでした。
幸いにして安土城登城の時に降っていた雨は上がっています。
「信長号」にまたがり、とりあえず観音寺城を目指します。

観音寺城は、雲がかかる
ちなみにふもとの建物は、

左から滋賀県考古博物館、

中央は文芸の郷セミナリヨ。
セミナリヨは、安土城下に実際にあった宣教師の学校で、そこからネーミングをとったのでしょう。
セミナリヨの裏手には「信長の館」があり、安土城天主の上層部分の復元模型があります。

2011年、雪のため安土城に上れなかった私は、「信長の館」でスタンプを確保しました。

いちばん右の安土マリエートは、あんな見てくれですが、総合体育館です。

中腹に見える寺院。
たしか観音寺城には、観音正寺という寺院があったはず・・・
ということは、今からあそこに行かなければならないのか!? とても時間がない・・・。
などと当時は考えていましたが、この寺院はおなじ繖山にある桑實寺で、観音正寺とはまた別の寺院です。
レンタサイクルの媼からもらった地図をもとに、近道作戦をとったりしましたが、知らない集落に迷い込んでしまいました。
ようやく正規の道へと出てみると、もう午後4時前。


観音寺城入口と思われるゲートを通過していきます。
・・・このゲート、封鎖されているんじゃねぇのか?
そして、観音正寺参道の近くにあるこの建物は、石寺楽市なるおみやげ処のようです。

・・・そう、登城よりもまずは確実にスタンプ確保の途をとりました。
この登城記おなじみの姑息な作戦。
しかし扉が閉まっている・・・まさか、姑息な作戦がかえって仇となったのか?

「石寺楽市開店のお知らせ」
何だよ~まぎらわしい貼り紙で人を脅かしおって・・・。

入口の傍らには、山登り用の杖が貸し出されています。
さて、中に入りますが・・・中には全く商売をする気のない翁と媼がひとりずつ。
売り物を見ても・・・はっきり言ってここで買う価値のあるものはなさそうですねぇ。
さっさとスタンプをもらって立ち去りましょ。

52番! 観音寺城!
シャチハタ式のスタンプは押すのが難しいのぅ。
100名城スタンプは確保したので、観音寺城をちょっとだけでも・・・と思ったのですが、先ほどのとおり、おそらく中には入れないだろうと考えていました。
そこで、石寺楽市から近い名勝へと「信長号」を走らせます。
味のある集落のなか小道を進んでいくと、

教林坊というお寺があるそうです。
江戸時代初期の作庭家・小堀遠州の手による庭園があると聞いては、庭園好きの私が黙ってられません。
そして午後4時10分ごろ、教林坊に着きました。

「9時30分~16時30分まで」・・・ギリギリ間に合ったようです。
「拝観日 11月1日~12月15日は毎日拝観可能、それ以外は土、日、祝日、1月1日~3日のみ拝観可」
・・・私は黙って、安土駅へと「信長号」を走らせることにしました。
その途中、観音寺城の入口を見分するために、くだんの門扉へと近づきました。

その看板。

「石寺集落では全区域にわたり、農作物を食害する『猪の被害を防ぐために』防護柵を設置することにしました」
つまりは封鎖されているわけではなく、通行する車や歩行者は、ここを開け閉めしなければならないというものでした。
観音寺城からだいたい15分、距離にして約5kmほど、安土駅前に戻りました。
ここで「信長号」とはお別れです。
レンタサイクルふかおのお爺さんとお婆さんとお話して、自転車とレインコートを返却。
「観音寺城に行くときに、また伺います――」
そう言って、心温かき老夫妻と別れました。

駅北口のロータリーに立つ信長像を背にして、

安土駅へと入っていきました。
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