鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

夜の皇居へ~新帝陛下にご奏上?

2019-05-12 | 城郭【日本100名城】


令 和 元 年 ( 2 0 1 9 年 ) 5 月 1 日 ( 即 位 の 日 )

午 後 8 時 5 7 分

東 京 都 千 代 田 区

J R 東 京 駅 丸 の 内 南 口



2019年5月1日、令和の御代が始まり、私は横浜へ発ちました。
JR常磐線に乗って、南へ。
上野を過ぎ、その次のJR東京駅

久しぶりにライトアップされた丸の内駅舎を見たくなった私は、改札の外へ。



丸の内駅舎の南北にふたつある円形のドーム。
令和の到来を祝うとともに、新しい天皇陛下のご即位を祝う垂れ幕が掲げられていました。


外へ出ると、東京も雨。



東京駅丸の内駅舎【国指定重要文化財】。
雨のおかげで、路面が光を反射して幻想的な風景が映っています。
また道歩く人も少なく、ゆっくりと駅舎を眺めることができました。



振り返ると、人気の少ない雨の行幸通り
馬車の通り道となっている中央の通行帯を、街灯だけが照らしています。
連休まっただ中とあって、ビルの明かりはほとんど灯っていません。



行幸通りに立っている標識。
「信任状捧呈式関係車両」云々という注意書きは、本邦ではおそらくここだけのものでしょう。


薄暗い行幸通りを歩いて、このまま皇居のほうへ。
本日ご即位された、新しい天皇陛下にご挨拶を奏上いたそうではありませんか。


お濠沿いを通る日比谷通りを渡ると、



重厚な石垣!



広大な水濠!



たまらんのぅ~~
水濠に面している石垣は打込接ぎで、江戸城古来のもの。
通りに面している石垣は切込接ぎで、行幸通りを開通させる際にできたものだそうです。
石垣と水濠が塞いでいた部分に行幸通りを通すため、石垣を切り崩し、水濠を埋め立てたのです。
通りに面している石垣は、大正時代にできた新しいものですが、古来の石垣と比べてもまったく遜色なく素晴らしいものですね。


行幸通りをさらに進み、皇居へ。



向こうに見えるのは、(たつみ)【再建】です!
三の丸の南東(巽の方角)にある櫓で、「桜田二重櫓」ともいいます。
この日は、警察車両の赤色灯が妖しくきらめいていました。



閑散とした内堀通り
皇居の周りを走る者たちは、この日は皆無でした。
それとは対照的な、警らをしている警察職員の多さ・・・。



反社会的な者どもを押し込める車両もスタンバイ。
いやいや、私はそのような者ではありませんよぉ・・・・・・。
令和の初日に逮捕などされたくないので、近くにいた警察職員に尋ね、進入できる範囲を確認しておきました。



二重橋前広場まで来ました。
警察職員氏によると、ここに張ってある規制線までは近づいてもいいとのこと。



どうやらここまでのようです。
宮殿まではかなり遠いですが、ここからご挨拶を奏上いたしました・・・・・・心の中で。



正門石橋がよく見える二重橋濠ぞいまで近づくことができました。
向こうには伏見櫓【現存】が見えます。
夜のライトアップされた二重橋の画を期待したのですが、この日はやっていなかったようです。
そもそも二重橋のライトアップは、普段の日は行っておらず、年末年始のみに限られているようですね。


二重橋濠ぞいを歩き、



桜田門二の門【国指定重要文化財】が見えてきました。
頭上からは、「桜田門」の異名をもつ警視庁が私を監視しているようです。

江戸城には桜田門と呼ばれる門がふたつあり、ひとつは警視庁の近くにあるこちらの門で、正しくは外桜田門といいます。
もうひとつは、桜田二階櫓の近くにある内桜田門で、こちらは桔梗門と呼ばれることが多いです。
そのため「桜田門」は外桜田門のことを示す場合が多いです。



櫓門である桜田門二の門をくぐっていけば、高麗門である桜田門一の門【国指定重要文化財】があるのですが・・・
この日は「桜田門」の警戒が厳重だったので、近づくのは差し控えました。



晴海通りを歩いて、JR有楽町駅方面へ。



祝田橋からの凱旋濠
相変わらず見事な打込接ぎの石垣。
将軍の御膝元とあって、石1個1個がとても大きいです。
石垣が濠に出張っている横矢係りの構造も多くみられます。



日比谷濠ぞいを歩き、日比谷通りまで戻りました。
街灯が水濠を照らして、とても美しかったです。



図らずも、令和最初の城攻めをしてしまいました。






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