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沖縄水産の闘将、栽監督死去

2007-05-09 12:22:15 | 野球情報
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高校野球の名指導者として活躍した沖縄水産高監督の栽弘義(さいひろよし)氏が8日午前、65歳で死去されました。
豊見城高、沖縄水産高の監督として、沖縄県高校野球界のレベルアップに果たした役割はあまりに大きいものでした。

両校を通じ、甲子園に春7度、夏12度出場し、1990年、91年には沖縄水産を率いて夏の甲子園に連続で準優勝。
深紅の大優勝旗まであと一歩と迫りました。
沖縄の高校野球は、米国の管理下にあって他県勢に遅れ、「本土に勝つには筋力アップが不可欠」と筋力トレーニングを積極的に導入。
苦闘の歴史を経て沖縄勢が甲子園で本格的に活躍するようになったのは、栽さんが鍛え上げた70年代後半の豊見城からといえるでしょう。

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栽監督は沖縄だけでなく、九州の高校野球界にも計り知れない功績を残されています。
佐賀県・鳥栖高校の平野監督らと手を携え、九州の交通の要衝・鳥栖を中心としてゴールデンウィーク期間中に練習試合を行う「クロスロードイン鳥栖」を始められました。
当初は九州のレベルアップが目的でしたが、今では全国100校以上が集まり、今年も予定通りに行われました。

豊見城高時代に甲子園を沸かせ、阪急(のちオリックス)で強打者として活躍した石嶺和彦氏(現中日打撃コーチ)は「生涯の恩師と言える人。高校時代はよくしごかれました」と振り返り、「監督と選手の距離がしっかりしていて、いつ会っても怖い監督だった」と思い出を語っています。

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沖縄水産が最後に甲子園に出場した98年、その当時のエースだったのがソフトバンクの新垣渚投手。
「沖縄を盛り上げてくれた第一人者。沖縄からこれだけプロ選手が出たのも栽監督がいてこそ」と語り、「沖縄代表として恥ずかしくないよう頑張っていきたい」と亡き恩師に誓いをたてたそうです。

福岡ソフトバンク・王貞治監督
「本当に惜しいことをしました。小、中、高校生の力を引き伸ばすには指導者が絶対に必要。そういう意味でも、栽監督は強烈な個性で沖縄の野球レベルを向上させた方でした。」

心よりご冥福をお祈り申し上げます。


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