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裏風撃バカキュン

とり♀、いしい♀、夏子♀、ぜん♂、おバカな4人がゆるゆる綴る胸キュン音楽blog。
風吹く裏街でテキトーに撃ってます。

サディスティック・ミカ・バンド

2008-03-15 | ぜん
去年(2007年)はサディスティック・ミカ・バンドの2度目の再結成があった。木村カエラちゃんをフロントに迎えて制作されたアルバムが「ナルキッソス」。前回再結成時(桐島かれんの時)と同じように、各メンバーが何曲かずつ持ち寄った形になっているため、過去の名盤「黒船」のようなトータルなイメージは希薄で、作者の個性がストレートに楽曲に表れている。それもまた、強烈な個性派集団ミカ・バンドのカラーでもあるんだよね。そんでもって、サウンドのどこをとっても余裕が感じられる。「Low Life and High Heels」の間奏では、ストーンズのキース・リチャーズ得意のフレーズをはさんでみたり、とか。遊び心がある。

このアルバムで特に気に入ったのは高橋幸宏さんの作品「The Last Season」と「Tumbleweed」の2曲。淡々とした曲なんだけど、しみじみイイな~って思う。自分の声が、どうやったら一番生かせるかってことを知り尽くしているんだろうね。木村カエラちゃんも、「イエ~イ!」って飛び跳ねるような歌ばかりではなく、こういった物憂げなミディアムテンポをこなせるようになれば音楽の幅が広がってくると思う。彼女のアルバム「Scratch」の中の「ワニと小鳥」あたりは、ちょっとそんな感じでイイ。

ところで、ミカ・バンドというと超絶技巧のイメージがあるが、基本は意外にもシンプルなんだなあ。シングル・ヒットした「Big-Bang, Bang!(愛的相対性理論)」なんて、初めてギターを弾く人にお勧めしたいような基本コードで出来ている。そういえば「タイムマシンにおねがい」はE、A、Dの3コードだった。しかもギターの高中正義は、レコーディングに一切のエフェクターを持参しなかったそうな。メンバーに「さすがにピックくらいは持ってきてるよね?」と言われたとか。なんだか、スーパーの食材だけでフランス料理フルコースを作っちゃったみたいで、凄いことである。

結論:木村カエラちゃんって可愛いなあ・・・。ぽっ。


シューベルトのピアノソナタ

2008-01-11 | ぜん
このところ、CDでずっと再生しているのはワルター・クリーンの弾くシューベルトのピアノソナタ。二枚組3セットのコンプリート。実はもう1年くらいに渡り、なんとかモノにしようとトライし続けているのだが、糸口がつかめずにいる。私がクラシック作品を理解する手順は、何度か聴いて印象的なメロディー(たいていテーマ部分)を覚え、それを手がかりに全体像を把握する、というもの。シューベルトのピアノソナタにはそれが通用しない。いつまで経っても作品を貫く一本の芯になるものが見えてこないのだ。

わからないままホッタラカシにしていたところ、村上春樹の「意味がなければスイングはない」を読んで、その理由がよーくわかりました。詳細はそちらを読んで頂くとして、シューベルトはピアノソナタを誰かのためにとか、世間で好評を得ようとか一切考えず、自分の脳内に湧き出たメロディーの数々を片っ端から五線紙に書き留めたのだ、と。だからまとまりに欠けていたり、妙に長かったり、予想を越えた展開するのか~。

考えてみれば、音楽はもちろん絵画でも小説でも、ちんまりまとまって見てくれがいいだけの作品には興味がない。作者の凄惨な生涯や、清濁の全て、心の内側をうかがい知れるような作品にこそ、対峙したい。歌曲や交響曲において、あれだけの傑作の数々を生み出しながら、正当に評価されなかったシューベルトの葛藤は想像を絶するものがあったと思われる。

真の天才が何の拘束も遠慮もなしに書き上げた作品。ほら、聴いてみたくなるでしょ。手強いけれど、しばらくコイツと付き合ってみよう。


うらぜん

2007-11-22 | ぜん
では、ワタクシも何曲か選んでみました。

・ 「シャドー・ボクサー」原田真二
 これ、まだどこにも入っていなかったよね?風街ミーティングで青山陽一さんが歌ったんだよな~。

・ 「MOON BABY」鈴木茂
 アルバム「Caution!」のラスト・ナンバー。小品ながら、松本ワールドが一行目から炸裂。月の絵筆がひとすじ、君の瞳をぬらしちゃうんだぜ!もちろん、オープニング・ナンバー、映画のラストシーンみたいな「レイニー・ステイション」も大好きです。

・ 「恋人たちの水平線」祐木奈江
 く~っ、これはたまらんなあ。無色透明のインクなんてなくたっていいから、「愛してる」って言ってチョーダイ!

・ 「セシールの雨傘」飯島真理
 元カノが新しい彼と歩いているところにバッチリ遭遇しちゃったわけなのです。その時、彼女がとった態度は・・・。俺の気持ちは・・・。く~っ、わかるなあ。今夜は飲まずにいられねえ!明日、もしも二日酔いになったら松本隆さんのせいである。

・ 「恋のハーフ・ムーン」太田裕美
 はっきり言って、歌手太田裕美さんの世界の相当な部分は松本隆さんのエキスで占められているのです。でも、この作品あたりを最後に、裕美さんは新たな世界へ一歩踏み出し始めたように思います。決別したんじゃなくて、それがあったからこそ進めた、次なる段階へ。


THE CHILL

2007-11-13 | ぜん
立花ハジメさんの新しいバンド、THE CHILLのデビュー・アルバムであります。どうやら女性ヴォーカルをフロントにしているらしい、という以外の情報は一切なしに聴いてみました。

まず一曲目、調子っぱずれで歪んだギターサウンドにをバックに、天国的な女性のウィスパー・ヴォイスが淡々と流れる。二曲目、調子っぱずれで歪んだギターの激しいストロークをバックに、女の子の明るい歌声が響きます。何なのだ、このサウンドとヴォーカルのギャップは?

ケースからCDを取り出すと、立花さんのコメントが読めるようになっている。えーと、どうやらこの変則チューニングはB-52’sのギタリストだった故リッキー・ウィルソンから教わったもので、5本しか弦が張っておらず(しかも無いのは3弦)、1B2B4D5A6Dということになっているらしい。なんじゃ、それは。しかも、ただでさえ弦が1本少ないっていうのに、1弦と2弦が同じBって、いったい・・・?

で、トータルな作品としてどうなのかというと、いいんだよねえ、これが。ジミヘンを初めて大音量で体験した時みたいな不思議な感覚に襲われる。ネオ・ニュー・ウェイヴというのでしょうか。立花さんのマジックに見事引っかかってしまったようです。

立花ハジメさんという方は、間違いなく天才的なミュージシャンである。例えば鈴木慶一、細野晴臣、坂本龍一といった中に並んでいても全く引けを取らない。それでいて、その天才性を自ら否定しちゃうみたいなところがある。せっかく美しく完成したものを敢えて壊して、はいどうぞって差し出してしまうみたいな。そんなアンバランスな美学を体験してみたい方にお勧めします。

結論:ヴォーカルの紺野千春ちゃんって可愛いなあ、ぽっ。

Mio Fou

2007-10-20 | ぜん
私の敬愛する鈴木博文さんと、私の溺愛する美尾洋乃さんによるユニット、ミオ・フーのセカンド・アルバムであります。ジャケットにはお二人のサインが!レコ発ライヴに行けなくなったワタクシのため、いしーちゃんが気を利かせて入手してくれたのである。ありがと~!この御恩は一生忘れません。

これが美尾さんのサインかぁ。うっとり。ヴァイオリンの弓を持つ手で書いて下さったのだなあ。時折、髪をかきあげたりする手で書いて下さったのだなあ。普段、お箸を使う手で書いて下さったのだなあ。・・・妄想はまだまだ続くけど、きりがないからこのへんにしておくか。

23年ぶりの録音だというのに、昨日別れて今日また会ったみたいな雰囲気。博文さんはソロでは切なく渋い歌声なんだけど、ミオ・フーではさりげないんだよね。つぶやくみたいで。美尾さんも全編マイペースで。クールなようで、ヘンテコリンでユーモラスなサウンドも健在。この世界観が好きだなあ。

好きなんだけど、感動とは無縁の音楽だと思っていた。油断しました。ラストの「銀の蜂」でギュギュンと涙腺を刺激されてしまいました。不意をつくなんて卑怯だよ、これは。

ところで、去年のミオ・フー再結成ライヴ、今年のレコ発ライヴ、先日のジャック達レコ発ライヴ、美尾さんが出演するライヴに行くはずが、ことごとく仕事に邪魔されて参戦ドタキャン。悪魔が私を翻弄しているのか、神様が「夢は夢のままとっておきなさい」と操作しているとしか思えない。10月26日のメトロトロン大集合ライヴも微妙な雰囲気。はたして私がナマ美尾さんを拝める日は来るのか!?

ラフマニノフの24

2007-09-05 | ぜん
「24の前奏曲集」というとショパンが一番有名で(だよね?)、私も大好き。多くの作曲家がそれに取り組んでいる中で、二番目に好きなのがラフマニノフの作品。なぜ24曲なのかというと、世に存在する全ての「調」は24種類(ハ長調とかト短調とか)であり、それぞれの調でピアノのための前奏曲を一曲ずつ作曲しているのだ。こういうのって、鍵盤楽器ならではの発想だよなあ。ギターだったら、例えばEフラットの曲なんて作ろうと思わないよね(絶対ないとは言えないが)。

ショパンのほうは、一曲が1分にも満たないものもあり、全部通して弾いても40分くらいで終わる。こちらはだいたいその倍の80分。もちろん作曲者は当時知る余地もなかったはずだが、ショパンはちょうどLPレコード1枚分、ラフマニノフは2枚分(CDだとぎりぎり1枚)に相当する。

ショパンが24種類、バラエティの限りを尽くすこと気を配ったとすれば、ラフマニノフは、そのフォーマットの中でいかに芸術的かつ深い感動を込められるかに挑戦したのではないだろうか。(※ラフマニノフのほうは、三種類の前奏曲集をまとめて24曲に仕立てているので、ショパンとは最初の立ち位置が違っていたのかも。)

一曲あたりは2分から5分といったところ。なにしろ技巧と美しさを両立させる巨匠ラフマニノフであるから、ピアノを弾ける人にしかわからない技術的なマジックもあるとは思う。が、素人が楽しみとして聴く分には一曲単位の短さが親しみやすさに通じ、無理なく聴ける。全部通して聴く必要はなく、どこからでも、好きな部分だけ聴いてもいいのだ。

この盤は74~75年の録音。今では指揮に活動の中心を移しているアシュケナージが、ピアニストとして一番乗っていた時期じゃないかな。

紅茶の温度

2007-09-03 | ぜん
タイツの「紅茶の温度」。失恋の歌にもかかわらず、マーチング・バンドとチンドン屋を足して2で割ったような、やたら元気がよくって吹っ切れたようなリズム。歌の内容と合ってねぇよ、と思われる方もいるかもしれない。でも、これでいいのだ。実際、失恋の時に悲しいフレーズになんてひたってらんないもん。派手にばかばかしくパーッとやるのが正しい(経験談)。

それにしてもこれはいい曲である。あっという間に終わっちゃうのがもったいないくらい。ヴォーカルが一色さんではなく、宮崎祐二さんであることから、これからタイツを聴いてみたいけど、いきなり濃い一色さんのヴォーカルはちょっと怖い、と尻込みしている方には特にお勧めです。

スティーヴ・マックイーンといっても

2007-07-14 | ぜん
発表当時はさっぱり知らなかったんだけど、最近試しに聴いてみたらあまりの良さにびっくりしている一枚。プリファブ・スプラウトの「スティーヴ・マックイーン」(1985年)であります。このタイトル、なんか誤解を受けそうな気がするんだけど、いいのかなあ?

それは置いといて、とにかくこれはイイ。何がいいって、メロディーと歌声と演奏とバックコーラスとサウンド処理ですよ(歌詞はわからん)。ほとんど全部いいってことですね。ネットや音楽誌をあさると、ほとんどのレビューで「青春」という言葉が使われている。そうそう、まさに青春。そのまっただ中にいる人にはわかんなくて、過ぎ去ってしまった人の胸をこそ打ち抜くような世界がここにある。繊細で無防備でがむしゃらで傷つきやすくて・・・という、二度と手に入らない青春の美しい要素がてんこ盛り。バンド名もそういう意味が込められていそうだしね。これは世界中の大人たちにお勧めしたい作品だなあ。ただし、1回聴いただけでは「ふーん、こんなもんか」って思うかもしれない。基本的にシンプルな作りなんだよね。できれば5回以上じっくり耳を傾けて欲しい。

プロデューサーがトーマス・ドルビーというのが泣かせます。エコー処理が絶妙。ウェンディ・スミスのハーモニーと、10ccの「アイム・ノット・イン・ラヴ」を思わせるストリングス風キーボード・サウンド、それらがパディ・マクアルーンの切ないヴォーカルをますます際だたせることに成功している。

参考までに、私の一番のお気に入りナンバー、「When Love Breaks Down」がここで聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=Oh6k052-e_Y
ただし、上で申し上げたように、一回聴いてOKというものではありません。そこんとこ、よろしくお願い致します。尚、このときはランニングシャツ姿で青春してますけど、今はそのままグレイトフル・デッドのメンバーと言っても通用しそうな髭のおじさんになっちゃってるみたいね。ますます好感持ったぜ。

シベリウスに挑戦

2007-04-19 | ぜん
クラシックはそこそこ幅広く聴いているつもりだが、シベリウスはまだ踏み込んで聴いていなかった。いつか挑戦しようと思っていたところ、まさにうってつけのボックスセット登場。ほぼ全ての作品網羅と言っても過言ではない15枚組で9千円。HMVのCD2点割引だと7552円ですよ、アンタ。古い録音かと思いきや、結構新しくて、中には06年の新録もある。価格設定、どーなってんの?

この作品群がなかなか手強い。1月に買ってから少しずつ聴いているんだけど、3ヶ月経っても仲良くなれずにいる。まず、最大の目玉である7つの交響曲が取っつきにくい。甘美で親しみやすいメロディーが少ない。旋律の先が読めない。そういうわけで、シベリウス初心者はヴァイオリン協奏曲から入ったほうがよさそうだ。こちらはメロディーがはっきりしていて親しみやすい。あと、交響詩「クッレルヴォ」が予想を超えてイイ。苦手な合唱入りにもかかわらず、不思議とこれは気にならない。壮大な作品です。

シベリウスに馴染みが薄いのは、ピアノ作品が弱いことも原因のひとつだ。ピアノソナタが1曲あるものの、存在すら知らなかった。今回初めて聴いてみて、決して悪い作品じゃないと判明。それ以外のピアノ曲はどれも小品ばかり。ボリューム的に少々物足りないだけで、こちらも内容は悪くない。現在、サティやモンポウのような作曲家が注目されているわけだから、この分野でもうちょい知名度が上がっても良さそう。ブラインドフォールドテストに使えばたぶん誰もシベリウスの曲だなんてわかんないだろうなあ。

あと、シベリウスって印象派の人だったのね。なんとなく北欧の、民族的な素地を持った作曲家なのかと思いこんでいた(そういう部分も確かにある)。言われてみれば、交響詩とか音詩という、形式にとらわれない作品を多く残している。最後の交響曲7番なんて、ひとつの楽章だけで成っていて、定型破壊の典型。
作品の隅々にはフィンランドの雄大な自然が織り込まれているんだろうなあ。そう思って接すれば多少は取っつきやすくなるのかも。

あと、悪いけど歌曲はやっぱり苦手でした。これは私の弱点でありまして、シベリウスに限らずとも、どうしようもないです。

コンサート・フォー・ジョージ その2

2007-01-31 | ぜん
ライヴ後半はエリック・クラプトンをはじめとしたオールスター・キャストによるジョージ作品の演奏がどっちゃり。ジェフ・リン(ELO)、ゲイリー・ブルッカー(プロコル・ハルム)、トム・ペティ、ビリー・プレストン、その他大勢で書ききれない。それにあのリンゴ・スターとポール・マッカートニーまで同じステージに!

実はこの手のオールスター・キャストってやつは、メンツは凄いけど内容はそれほどでもない場合が多い。船頭多くして、という場合もあるし、あたりさわりのない曲をジャンジャカジャンとやっておしまいという場合もある。が、これはそういうのとは一線を画す。リードを取る人の個性と選曲がバッチリで、まさに適材適所のお手本である。

アレンジもよく練られている。時には大胆に手を加え、時には原曲を笑っちゃうほど完全コピー。練習風景を見るとクラプトンがイニシアチブをとっているようだが、おそらく詳細をまとめ上げたのはジェフ・リンの手腕。この男、ジョージ・マーティンは例外としてビートルズ・サウンドのしくみを理解していることにかけて、たぶん世界ナンバーワンだろう。過去、レコガールに大林監督と間違えられたことがあったけど・・・。(わかる人にはわかる。)

このライヴを観て、ジョージがソングライターとしてとんでもなく素晴らしかったことを再確認した。いい曲いっぱい書いてるよなあ、ほんと。メロディーが個性的なんだよね。例えば「アイ・ウォント・テル・ユー」とか、「あれれ、そっちに行っちゃうの?」と思わせておいて最後にはちゃんと着地させる。全体のバランス感覚が絶妙。ジョンでもポールでもない、ジョージにしか作れない作品群なのだ。遅ればせながら、ジョージに対する評価がぐぐっと高まりました。

そうそう、ステージ上にジョージのそっくりさんがいると思ったら、息子のダーニ・ハリスンでした。若い頃に瓜二つ。

最後に一言。サム・ブラウンという、男みたいな名前の美女が一曲歌っていて、その胸元がまぶしい!一応追悼コンサートなのであるから、そういうのは非常にケシカラン。不謹慎きわまりない。次からは私だけにこっそり見せていただきたい。←これ、最終的な結論ですね。

コンサート・フォー・ジョージ その1

2007-01-26 | ぜん
2002年11月29日、ジョージ・ハリスンの一周忌に行われたコンサートを収めたDVD。これがなかなかいいんですよ。ジョージが生前傾倒していたインド音楽と、交流のあったミュージシャンが総出演で演奏を繰り広げる。
前半はラヴィ・シャンカール率いる楽団をフィーチャー。といっても巨匠は演奏せず(お歳のせいかな)、娘のアヌーシュカが実際の演奏、指揮を執る。

前半がインド。なんかバングラディシュのコンサートみたいだなあ、と最初は思うが、これが実に見事な西洋とのコラボなんですよ。あっちは純然たるインド音楽披露にすぎなかったけど、ここでは「アルパン」という大曲で西洋音楽との融合を見せる。ラヴィ・シャンカールによる壮大なインド叙事詩とでも言ったらいいでしょうか。アヌーシュカの指揮は、これまで見たこともない奇妙なもので、これが苦肉の策なのだそうな。どうやらインド音楽では小節を何分割する、という概念(4分音符が4つで1小節、というような)がないらしい。楽譜は一応見ているみたいだけど、我々の知るところの五線譜もないんじゃないの?

インドの楽団に関しては、ラヴィ・シャンカールが頭に浮かんだフレーズを口頭で伝えればみんなOKとのこと。それが3日間のリハーサル中にコロコロ変わる。参加しているオーケストラのメンバーはその都度楽譜を書き換えなければならず・・・。こりゃ大変だ。そんな裏での苦労は全く見せることなく、パーフェクトで感動的な演奏しちゃうんだよねえ。ラストにちょこっとアコギで参加するクラプトンも、慣れないインド特有のスケールでよくアドリブやってるよ。ほんとエライ。

今思うに、ジョージ・ハリスンはインド音楽の音階とシタールのびよんびよんした音が気に入っただけじゃなくて、アジア的世界観(宗教観を含めて)に心から傾倒したんだろうなあ。

結論:アヌーシュカ・シャンカールはエキゾチックな、すっげえ美人である。
~後編へ続く~

ブラームス第1番

2006-12-05 | ぜん
「のだめ」の流れでブラームスの第1番でぇ~い!感動したいヤツは集まれってんでい!というわけで、この作品は大感動絵巻となっております。ブラームスの交響曲は4番まであって、中でもコレが一番熱い。画像はブルーノ・ワルター指揮、コロンビア響の59年録音。うわっ、もう50年近くも前じゃん。しかし今でも立派に通用する内容。

ちょいとばかりベートーヴェンっぽいところもあるけど、それは似ているフレーズが顔を出す(第4楽章ね)からではない。胸が苦しくなるほど圧倒的で威厳のカタマリみたいな作品だからである。そしてベートーヴェンほど堅苦しくない。2番以降の交響曲も決して悪くはないんだけど、1番を聴いちゃうと手ぬるく感じてしまう。「のだめ」に出てくる作品はどれも「名曲」ってコメントしておりまして、またまた恐縮ですが・・・やっぱりこれも名曲です、はい。

あ、威厳のカタマリとは言いましても、第2、第3楽章はブラームスらしい繊細さにあふれております。第2楽章の後半、ヴァイオリンがソロでそれはもう美しい旋律を奏でまして、ドラマでは映っていなかったものの、おそらく清良が師匠の前でいいとこ見せたものと思われます。

ドラマと言えば・・・寝違えて首が痛いのにホテルなんかに行けるわけねーだろっ!(とツッコミ入れておきます。)寝違えはホントに辛いっす。なんなら証明してみせますんで、「あ~ん、寝違えちゃった~」という淑女の方がいらしたら、私に連絡下さい。すぐ駆けつけてホテルに連行、実験致します。

モーツァルト オーボエ協奏曲

2006-12-01 | ぜん
「のだめカンタービレ」でついにコレが登場しました。番組内で今まで採りあげられた曲の中では一番マイナーな作品でしょう。なんたってオーボエだもんねえ。演奏の難しさに比べて一般的な馴染みが薄いことにかけては他の追従を許さない。

このオーボエ協奏曲は、フルート協奏曲の2番にそっくり。どちらかがオリジナルで、どちらかがその編曲であると考えられているが、どっちが先かは今のところ不明とのこと。天才モーツァルトにして、締切に追われて自分の過去の作品をちょいといただいちゃったのかな?それは別として、やはり名曲です。モーツァルトに駄曲なし。どこを切っても金太郎飴みたいにモーツァルトの個性が充満していて、万人に勧められる作品です。

ただし、圧倒的な感動をもたらすような作品ではない。もともとこの時代の作品は室内楽に毛の生えたような編成だから、優雅な雰囲気と静かな息づかいを味わうのがいいと思われ。BGMにすれば、散らかり放題の部屋も中世の宮殿にタイムスリップしたような錯覚に・・・そこまではいかないか。カップリングの「ファゴット協奏曲」と「フルート協奏曲」も同様。

演奏しているオルフェウス室内管弦楽団は、指揮者を置かず、団員だけで曲の解釈をし、演奏する珍しい楽団。ちなみに彼らの「クラリネット協奏曲」と「フルートとハープのための協奏曲」は私の愛聴盤です。

ノー・ディレクション・ホーム

2006-09-05 | ぜん
ボブ・ディランがフォーク界の第一人者に上り詰め、やがてエレクトリック・サウンドを取り入れてファンから大ブーイングを受けるに至った数年間を、当時の貴重なフィルムと現在のインタビューを交えてまとめた3時間30分。一言、とっても濃い。いろいろ考えさせられる。確実に言えるのは、これを見た人は誰もが「がんばれ、ディラン!」と応援してしまうってことだろう(しないか?もう40年も前のことだし)。

ロックには名曲、名演と評されるものがたくさんあるが、「ライク・ア・ローリング・ストーン」をその頂点に推薦したい。なぜディランはコレを作らなければならなかったのか。なぜ歌わなければなかったのか。それは何ものにも屈しない決意であり、自分自身を肯定するためではなかったのか。当初、なんと歌詞が50番まであったそうだ。最終的に発表されたテイクは6分以上あり、当時のシングルとしては異例の長さである。それでも凝縮に凝縮を重ねたのだろう。これ以上一言たりとも削ることの出来ない「核」なのだ。

高校時代のディランはフォークではなくリズム&ブルーズに夢中だったとの証言もある。フォークからロックへ変化したのではなく、もともと持っていた資質だったにすぎない。膨大な作品群は全てディランの血肉なのだ。今となってはエレキのディランを罵倒するのが見当はずれな行為であることは明白なのだが、悲しいことに音楽界ではいまだにミュージシャンを自分の物差しでしか測れないファンが多いのも事実だ。ともあれ、うんざりするようなマスコミ取材とファンのブーイングにつぶされることなく、世紀の名曲リリースをもって応えたディランに今更ながら拍手喝采を送ろう!

ところで、アル・クーパー本人による回想が面白い。「ライク・ア・ローリング・ストーン」録音の裏話である。本当はDVDを見てもらえばいいんだけど、書いちゃおう。
“当時、ディランの大ファンだった私は、なんとしてもギターを弾かせてもらいたくてレコーディング・スタジオへ潜り込んだ。が、なんとそこには当時アメリカのロックギタリスト・ナンバーワンのマイク・ブルームフィールドがいて、自分の出る幕はなかった。オルガン・プレイヤーがピアノに移ったので、プロデューサーにオルガンのいいフレーズを思いついたから(嘘っぱちだった)弾かせて欲しいと頼むが難色を示される。彼が電話に呼ばれて席を外した隙に、勝手にオルガンを占領。戻ったプロデューサーは怒ったが、ディランが「いいから」とやらせてくれた。結果は皆さんご承知のとおり。オルガンが一拍遅れて入るのは、みんなが弾くコードを確認しながら弾いているため。”
いや~、味のあるプレイだと思っていたのに、そうだったのか。あと、なぜギタリストのアル・クーパーがディランのバックでオルガンを弾いているかもわかったよ。

いずれにしても、あの名演は偶然の賜物ではなく、生まれるべくして生まれたのだ。当時の才能であるマイク・ブルームフィールドも、アル・クーパーも必然的にディランのもとに集合したのだ、と信じる。ビートルズにジョンとポールが同時在籍したり、はっぴいえんどにあの4人が結集していたのと同じで。

キャプテン・ストライダム

2006-06-01 | ぜん
3人というのはロック・バンドとしては最小限の単位である。表現力を広げることを考えれば、ヴォーカリストはそれに専念したほうがいいし、できればギターは2本欲しいし、キーボードも必要である。しかし、あえてそれをしないで3人にこだわるのは、3人の時にしか生まれ得ないバランス感覚を求めてのことだろう。誰か1人でも不調だったり、手を抜いたりしたとたん、演奏は空中分解してしまう。演奏する側も、聴く側も、いい意味での緊張を強いられる。4人から3人になったカーネーションは、リードギターのパフォーマンスを失った代わりに、「背水の陣」的な凄味を増したように思う。

キャプテン・ストライダムのセカンド・アルバム「ワンオーエイトドリームス」を聴くと、どこを切っても全力疾走、実に爽快な気分になれる。絶妙にして最強のトライアングルを築きつつある。普通はギターなりヴォーカルを前面に押し出すところだけど、ベース・ラインやドラミングの子細まできっちり同等に録音されているんだよね。それがトリオである印象をますます強めている。普段、ねじれまくったムーンライダーズのサウンドに慣れている(毒されている?)もんで、こうストレートにズバッと決められると逆に新鮮に感じる。

永友くんは、メロディ・メーカーとしても才能の片鱗を見せているし、オヤジギャグとすれすれの韻を踏んだ歌詞にも光るものがある。そのあたり語ればきりがないんだけど、まずはトリオのバランス感覚に酔いしれたい。