ババジ関連記事 翻訳版

ババジのクリヤーヨーガジャーナルなどに掲載された記事などを翻訳し、クリヤーヨーガの修行者の参考にして頂くものです。

あなたは誠実ですか? それどころか自身に正直ですか?

2019-07-12 09:55:16 | スピリチュアル
KYJ Summer 2019
M.G.サッチダナンダ


あなたは誠実ですか? それどころか自身に正直ですか?


誠実さとは、あなたがすると言ったことを実行することだ。私の師匠、ヨーギラマイヤは、「ババジのクリヤー・ヨーガ(以下BKY)の中では、誠実さが価値をもつ唯一の通貨だ」としばしば話した。これが、BKYのイニシエーションを希望する者が、申し込み用紙にそれを実践すると約束する署名をしなければならず、単なる好奇心からではなく誠実にそれを求める者に対してはお金がその障碍にならないようにしている理由だ。あなたは自身の約束を守りましたか?あなたは誠実ですか?

一月まえ、その6週間前にケベックのアシュラムでフランス語の第一イニシエーションを受講したセミナー参加者全員にメールを出し、クリヤー・ヨーガの修練において何か疑問や困難なことがあれば、それを私と共有するよう促した。返事は誰からもこなかった。誰も疑問や困難に直面しなかったという可能性もあるが、実際には修練に対する疑念が彼らの修練を継続しよう、またはそれを質問の形で表現しようとの努力すら殺(そ)いでしまったということもありそうだ。私の質問を受け取った者が、彼らの疑問に関して自身に正直でなかったからか、修練を行うことへの抵抗からか、あるいは誠実さの欠如から返事をしないことを選択したかどうかは未解決の問題のままだ。

サーダナ
 BKYの修練はサーダナと呼ばれる。サーダナを大雑把に訳せば「修練」だが、より完全に表現すれば、自身が誰であるかを思い起すために行うすべてであり、あなた自身でないものと同一視することを手放すために行うすべてだ。これには、あなたがイニシエーションで学んだことすべてを定期的に実践することが含まれている。サーダナに携わっている人は、サーダカあるいは弟子として知られている。修練を何らかの方法で完成した人、あるいはマスターした人はシッダとして知られている。第一イニシエーション前の、導入講義の最初に強調したように、シッダたちは我々人間の状態を、「眼を開けたまま夢をみている」と診断し、我々の魂に対する名医(精神科医)のように、次のような処方箋を作った。それは、「人生での幸福の量は、サーダナの量に比例する」というものだ。

 多くの人が修練に対して多くの期待をするので、自身の人間的性格の抵抗が如何(いか)に大きいかにしばしば驚く。パタンジャリによれば、この抵抗は九つの障碍の形をとり、疑念、病、鬱陶しさ、懈怠、不注意、無執着の欠如、誤った認識、忍耐不足、不安定を含む(ヨーガスートラI-30、以下YS))。これは普通のことだ。多少の粘り強さと規則正しさがあれば、より健康になり、よりエネルギッシュになり、平静さが増し、智慧そして最終的には真我実現の経験といった形で満足の行く結果をサーダナは生み出す。しかし修練が行われなければ、疑念といった障碍が、努力しようとの意欲を殺ぐことすら可能だ。

 すべての人が疑いを持つ。すべての人が、人間的性質の抵抗を経験する。しかし誠実な生徒は、その答えを得ようとしてそれらの疑いを他者と分かち合う。これが、すべての生徒に対して質問の形でそれらの疑いを書きだし、満足の行く答えを出すと信じられる人にそれを送付するように薦めている理由だ。そしてまた、パタンジャリのヨーガスートラや我々の出版したヨーガスートラに対する随筆、そしてウェブサイトにも掲載しているクリヤー・ヨーガ・ジャーナルを含むヨーガ・シッダの古典的な文献の中に答えを求めるよう薦める理由でもある。

 パタンジャリはクリヤー・ヨーガを、「厳しい修練(タパス)、自己探求(スヴァディヤーヤ)、エゴの明け渡し(イシュヴァラ・プラニダーナ)」と定義する。(YS:II-1) 続く章節で、彼は次のように言う。「その目的は、苦悩の原因を弱めて真我実現をもたらすことである」。

 タパス、即ち厳しい修練はサンスクリット語に由来する。タプ(tap)とは「熱する」を意味する。それは、人間としての性質がしばしばあなたに強いることとは反対のことを行おうと努力する時、抵抗として生じる火または熱を意味する。例えば、瞑想をしようと眼を閉じているときに眼を覚ましていることや、あなたが好まないポーズをすることを避ける時だ。抵抗は、ヨーガの社会的な制約であるヤーマ(暴力、嘘、貪欲、執着、反感などを避けること)に従おうとするときにも生じる。

 これが、パタンジャリのクリヤー・ヨーガの定義に「自己探求」が含まれている理由だ。それは、単にヨーガにおける自身の進歩の道案内となる聖典研究のみならず、自身のマインドの精神力学と同様に自身の行動を観察することを含む。これは、特に瞑想している間の経験を日記に記録する形態をとってもよい。日記は主体的な経験を客観的なものに変換できる。その結果、あなはた「見る者」となる。(YS I-3) 徐々にあなたは感情の動きと習慣になった反応の集積である自分の性格と自身を同一視することを止めるだろう。自己探求は識別と自己統御をもたらす。シッダたちは単に超越を求めたのではなく、低次の人間としての性質の変容をも求めたのだ。真我の宝石を盗み取った「大泥棒」すなわちマインドを取り押さえるのに、スピリチュアル・ダイアリー、瞑想日記以上に切れ味の鋭い剣はない。マインドは余りにも多くの心配と錯覚を生み出す。それに対して寛大であってはならない。絶えずそれをチェックしなさい。あなたの瞑想を記録することはそれを行なう機会を与え、質問として疑問点を記録するだけでなく、日々の過ちを矯正する機会を提供してくれる。聖典あるいは智慧の言葉を研究することも我々を養う糧となり、我々が本当は何ものなのかを思い起させ、そうして我々の成長を助けてくれる。我々は、眼を開いたまま夢を見ているという錯覚を克服しはじめる。

自身に正直であること
 サティヤ(正直)は、苦しみを避ける手段としてパタンジャリに処方されたヤーマ即ち社会的制約の一つである。正直とは、嘘をつくことを避けるのみならず、誇張、策略、見せかけ、言い逃れ、ジョーク、偽善を避けることを意味している。さもなければ、我々は自身を偽り、実際のカルマから抜け出す時期を先延ばしにし、新たなカルマの果実を作り出すか増強する。すべての作り事、マインド、言葉、行為におけるすべての想像、あるいは現実でないことを避けることで、我々は速やかに何が真理、実在、絶対的な実在かを見出す。

 シュリ・オーロビンド・アシュラムのマザーに拠れば、純粋な存在であるサット(実在)は現れたものの外に在る。つまり、それは現象でもなければ自然に内在する対象物でもない。それは本来静寂で、不動で、至福に満ち、それ自体が輝き、永遠と無限の感覚を与える。絶対的な存在は賢人たちにより、サット・チット・アーナンダと記されているが、それ即ち絶対的な存在、絶対的な意識、絶対的な至福である。従ってサマーディつまり認識が没入した状態でそれを悟ることがヨーギの目標となるのである。

 サティヤはヨーギが最初、夫々の状況で現在に留まることで促進される。これを養うためには、動きを緩め、深い呼吸をし、現在のこの瞬間にすべてがどのような状況であるかに波長を合わせなければならない。一度に一つのことを、最大限、目撃者の意識で行うこともサットの悟りをもたらす。誰もが共にすることのできる内なるやすらぎを養う。パタンジャリ曰(いわ)く、「正直を確立した者に対して、行為とその結果は(彼に)依存する」(YSII-36)。これは文字通り、若し常に正直であるなら、その者が言ったことが現実となる時期が来るということを意味している。ヨーギはエゴの自分を浄化し終わり、「如何なる苦悩、行為、行為の果実、あるいは如何なる内なる欲望の印象にも損なわれない特別な自己」(YSI-24)である「主」即ち、至高神と自身を同一視しているので、彼が求めるものを自動的に引き寄せる力を得る。

 しかし注意深くあることは、ヴァーサナ(薫習)として知られる生気体内部のエネルギーの障碍物で、深く根差した性癖、執着心、反感を取り除くものではない。これが、パタンジャリが直接的な行動を推奨する理由だ。ヨーガスートラ第二章33節で彼は、「否定的な想念に捕われた時には、その反対(の想念)が養われるべきだ」と言う理由だ。これを効果的に行うことができるのは、第二イニシエーションで教えられた通り、一人称現在形で表現される自己暗示、自身の態度と行動における肯定的な変化の文章を作成し、繰り返すことだ。最も重要なことは、パタンジャリの主たるメソッド、即ち、「無執着の絶え間ない修練により、意識の揺らぎと自身を同一視することが止む」(YSI-12)だ。あなたの瞑想を定期的に記録することから始め、一二週間ごとにその記録を吟味してあなたの想念や感情の中に繰り返し生じるパターンに気付きなさい。それらが、ヴァイラーギャ、離欲、客観化を養うことで取り除かれるヴァーサナまたは障碍物だ。

あなたは誠実ですか?
あなたは、自身に正直ですか?
あなたは眼を開けたまま夢を見ていますか?
 

それを知るために、厳しい定期的な修練と自己探求を養うことによりBKYの修練を行うとの決意を新たにしなさい。瞑想を記録し、反復される習慣に気付きなさい。無執着、客観化を養い、癖や障碍物を取り除くために自己暗示を用いなさい。瞑想や読書を通じてあなたの疑問に対する回答を見つけることができない時には、サットサンガあるいは書面により、アーチャリアと経験を積んだ修行者に対する質問の形で尋ねなさい。

参考図書
・パタンジャリとシッダのクリヤー・ヨーガ・スートラ by M.Govindan
・反対の行動 by M.Govindan