ババジ関連記事 翻訳版

ババジのクリヤーヨーガジャーナルなどに掲載された記事などを翻訳し、クリヤーヨーガの修行者の参考にして頂くものです。

クリヤーヨーガと最近の神経科学における発見(抄訳)

2018-11-12 19:51:51 | スピリチュアル

Sutra Jounal
By Marshall Govindan

抄訳作成に当たり、訳者から一言。この記事は、2017年5月16日にNHKで放映された、「生命の不思議テロメア健康寿命はのばせる」と題するクローズアップ現代の番組(要旨はネット上に掲載されている)とも密接に関係している。そちらも是非ご参照願いたい。また、かなり科学的かつ専門的な内容を含むので、専門的な部分については、必ずしも精確ではないかもしれないが、大意が判るよう翻訳することを心掛けた。

最近の神経科学の進歩は、ヨーガの実習者に対して実際的な学びを提供してくれる。MRIのお蔭で、科学者は過去20年間に、これまでの歴史以上に脳について学んだ。彼らは脳の働きと、世界での我々の経験を形成する生理学及び神経学の機能の複雑な相互関係を調査できるようになった。

彼らの情報で、我々は人間の活動の仕組み、苦悩の根源、そして我々自身を向上させるため、如何にこれらの原因を変化させることができるかを理解できるようになった。

脳のサイズは過去300万年の間に、三倍に増えた。その原始的な部分は危険が我々の生存を脅かす時、脳の働きを支配している。比較的最近進化した部分は、合理的な思考を、感情移入、協力的な計画作りなど人間関係のスキルを司り、我々の祖先の生き残りに貢献した。協力関係を発展させる因子は、我々の脳に徐々に組み込まれていった。これらには、利他精神、寛容、評価への関心、公正さ、許し、言語、道徳そして宗教が含まれる。しかし、こうした協力関係への能力が高まるにつれ、攻撃能力も進化した。

脳のサイズが大きくなると、脳を開発しかつ訓練するためにより長い子供時代が必要とされることになった。そのため、我々の祖先は、親と子供、そして彼らの一群を結び付ける新たな方法を捜す必要に迫られた。これを達成するため、社会から疎外されたことによる懲罰の仕組み(ストレッサー)と共に、報奨の為のホルモンを分泌する仕組みを刺激する複合神経網が発達した。

誰かが、「ストレスで私は人生の長い期間をふいにした」と話したのを聞いたことがありますか? エリザベス・ブラックバーン博士は、ストレスがDNA染色体の端にあるテロメアを短くするということを証明し、これがどのように起こるのかを実証してノーベル賞を受賞した。そしてブラックバーン博士とD.オーニッシュ博士に率いられた最近の研究で、食事療法、ヨーガ、瞑想、ストレス・マネージメント、そして社会支援がこのテロメアを長く保つことを初めて立証した。(以下参照: http://scienceblog.com/66697/starting-yoga-and-healthy-diet-will-make-your-cells-younger/#cUSIB93KWFDSt6vf.99)

あなたのマインドを変えなさい、そうすればあなたの脳も変わります

若し我々が、マインドとは肉体に組み込まれ、関連付けられたエネルギーと情報の流れを制御するプロセスだと考えれば、マインドを使って脳を変えることが可能だ。エネルギーの流れと情報を、神経回路を通じて意図的に方向付けるよう注意力を集中させることで、我々は直接脳の働きとその構造を変えることができる。その為には、「気付き」を通じてどのように健康を増進させるのかを知る必要がある。精神活動は実際に新たな神経構造を創り出す。従って、想念や感情の流れすら乾いた地面に降った雨の如く、あなたの脳に継続する印を残す。強靭な神経を開発し、内分泌腺、心肺機能、消化器系のバランスを保つ為、神経科学は、ヨーガの実践が如何に、現代のストレスに満ちたライフスタイルに必要な新たな神経構造を作りだすのかを我々に教えている。

神経科学に拠れば、神経・感情回路の一部は、脳の左右の半球にある外側前頭前野皮質を含んでいる。左側は同情、善、受容、歓びといった肯定的な感情と繋がっており、右側は恐れ、悲しみ、抑鬱、嫌悪といった否定的な感情と関連している。我々が生活を始める時、両者はバランスが取れていて、人が否定的になるとき、他方がバランスを取り、それは相互同様に作用している。しかし年を取ると共に右脳が左脳より大きくなる。しかし、肯定的な感情を制御する左脳は、瞑想する者において急速に発達する。

研究者は、若し人が一週間でも日々の瞑想を実践すれば、脳波検査機でその効果を確認することが出来ることに気付いた。8週間続けると、結果が目視できるのみならず、瞑想の実践者は多くの肯定的な変化を感じ取ることができる。この結果は、「我々の脳細胞の構造を変化させることはできない」、さらに「若し悲観主義的な容貌(性格)に生まれついたなら、ペシミストとして死ぬだろう」といった、長年に亘って信じられてきた通説を葬り去った。それとはまったく逆に、我々は皆、脳の構造を変えることが出来るのだ。

次のことがらを知っていましたか?
 我々の脳は三ポンドの豆腐のような組織であり、1000万のニューロンを含む1.1兆の細胞を含んでいる。ニューロン(神経細胞)は、電気的そして化学的信号を通じて情報を処理し、発信する。化学的信号はシナプスを通じて発生する。ニューロンが相互に繋がって神経回路網になる。ニューロンは神経システムの中核となる部分であり、脳、脊髄、周辺神経節を含む。
 全てのニューロンは電気的に刺激される。それぞれのシナプスが他のニューロンから信号を受け取る。これらの信号は、ニューロンに活動電位を発射するか否かを告げる。こうした情報の(やりとりの)全ては、科学が広範に「マインド」と定義するものであり、我々はそれを意識していない。
 意識的な感情の活動は、シナプスの一時的な融合によって生じる。
 マインドと脳は、それらが一体で相互の依存しているシステムとして理解されるよう、相互に作用する。
 脳が主にマインドを形作る。それは我々の体重の2%しかないが、20~25%の酸素とグルコースを消費する。
 ニューロンは細胞分裂しない。通常成人すると神経細胞の発生は停止するが、海馬と嗅結節では、多くの新たなニューロンが発生するとの強力な証拠がある。
 脳はそれ自体進化してきた。そのもっとも古く、原始的な部分は爬虫類脳、脳幹と呼ばれ、最も具体的な機能を支配している。又その構造は単純で、最も早く反応し、動機付けによって働く。
 大脳辺縁系(旧哺乳類脳)は、複合的な構造をしており、大脳皮質の下、丁度大脳の真下に位置する。これには嗅結節、海馬、扁桃体が含まれ、感情、行動、動機付け、長期の記憶や臭いなどの多くの機能を支援している。我々の感情に深く関わり、記憶の形成と深く関わっている。アルツハイマー病においては、海馬が最初に損傷を受ける部分であり、記憶喪失、方向感覚の欠如がその初期の兆候として知られる。海馬への損傷は、呼吸不全によって生じる酸素の欠乏によっても生じる。
 大脳皮質は左右の半球に分れており、比較的最近進化した部分であり、構造が複雑で概念化などを司り、動きは遅く、動機付けが困難である。大脳皮質は脳の他の部分に対する多大な影響を持ち、親となり、約束し、話し合い、協力し、愛し合うといった永続的に成長する能力を開発するよう「進化せよ」との圧力によって形成されてきた。左脳の働きは、関連性があり、言語で処理されるプロセスにフォーカスしているのに対し、右脳は全体的かつ視覚・空間的な処理にフォーカスしている。

脳は、動物の生き残りを助ける為に進化を遂げてきたが、その不要な三つの戦略はまた、我々を苦しめるものでもある。

全ての動物が有する、生き残りのための三つの戦略とは、
 自身と世界の間に境界を設ける為に、実際には繋がっているものを分離する。
 自らの内的なシステムを狭い範囲で制御する為、動き続けているものを静止させる。
 好機に近づき、脅威を避けるため、移ろいゆく歓びにしがみつき、不可避の痛みからは逃れる。

戦略に問題が起きたり、不快になったり、苦痛さえ覚えるようになると、動物の神経系に対して、元の状態に戻るよう信号が発せられる。動物の場合、この信号が苦痛にまで至ることは無いが、人間の場合は異なる。例えば、我々は未来のことを心配し、過去を後悔し、現在の自分を責める。望む物が入手できないとフラストレーションもたまる。痛みには不安になり、死ぬことには怒りを覚え、現在の状況に不満を持つ。こうした全ての感情は脳によって作られるが、それは比較的発達が遅れた扁桃体から、次のようなプロセスで生じる。

 分離を維持しようとの努力は、我々が実際に環境と繋がっている多くの方法と調和しない。結果として我々は微妙な分離感、寂しさ、疎外感すら感じ、世界の中でもがく。
 全てのものは変化しているので、脳はその安定性に対する脅威の不快な信号を出す。
 進化の為、不快な経験に対してより多くの注意を向けるようになっている。
 人類は、欲望と畏れの経験を想像し、シミュレーションする。一旦満足すると、欲望は誇張されたものとなる。同様に、恐れも誇張され、或いは非現実的なものになる。これらが、今現在の時を楽しむことから我々を遠ざける。

脳はこのように苦痛の原因になるが、その解決策もある。自身への「気付き」と、我々自身に対する同情がその鍵となる。我々は苦しみの原因に気付いていることができるが、そうでなければ、我々はそうした感情に支配されてしまう。

交感神経のバランスを保つ副交感神経の役割

外部由来のため、避けることのできない苦悩の原因も幾つかある。環境変化または自己による肉体的な不快、他者からの軽蔑や排斥、愛する者が傷つけられたり、死んだりした時の苦痛などだ。しかし我々の苦痛の殆どが、こうした外部からの原因に対する我々の反応か、が自身の心の中で創造したものから来る。そしてその原因や理由に拠らず、苦痛は交感神経系と内分泌腺の視床下部下垂体副腎系を通じて肉体を通り抜ける。怒りや恐れといった否定的な反応が起こると、アドレナリンとコルチゾールといったストレスホルモンを出す。アドレナリンは心臓の鼓動を増加させ、瞳孔を拡げ、大きな筋肉に血液を送り込み、より早く走れるよう肺を拡張させる。コルチゾールは傷口の炎症を抑制するための免疫システムを圧迫する。それを補うため、生殖作用と消化作用は低下する。感情は増幅し、脳は否定的な情報にフォーカスし、恐れと怒りを誇張しながら次の行動に備える。

肉体的そして社会的に厳しい環境下で、この複合システムは我々の祖先が生き残ることを助けてきた。今日、上述した原因は現代社会のストレスと結びついて、多くの人達が慢性的な交換神経系システムの発動を経験し、肉体的そして精神的な数多くの悪影響を招いている。胃腸の過敏症、免疫力の衰え、動脈硬化、糖尿病、月経不順、勃起不全、精力減退、神経症及び鬱病などだ。

我々の意識下で働き、肉体のシステムと状況変化への体操を制御する二つの主要な機能が、副交感神経系と腸の神経システムだ。副交感神経は体のエネルギーを節減し、恒常的な活動(の維持)
に対する責任を負う。それはリラクゼーション、満足感を作り出し、交感神経とは対照的に「休養と消化」のシステムと呼ばれる。両者はシーソーのように繋がっていて、一方が持ち上がれば他方は下がる。副交感神経はマインドを静め、静けさを養うが、それは深い洞察力をもたらす。両者は動物や人間が過酷な環境の中で生き残るため、共に進化した。

副交感神経と交感神経の理想的なバランスを保つために必要なことは、
 安らぎと平安の基礎を養う為、副交感神経を主として発動させることを考える。
 熱狂、ヴァイタリティ、そして情熱は控えめにする。
 必要不可避の状況に対処するため、時に交感神経を発動させる。

マインドと脳を変容させて苦しみを避けるとの積極的な意図を持ち、クリヤーヨーガを、気付きをもって実践する。

あらゆる苦悩は、それが外部からのものであれ、自身のマインドがつくり出したものであれ、現在に留まることにより、通り過ぎて行く。あなたのマインドと脳を鍛錬し、整えることを通じて、肯定的なものを増やして否定的なものを減じ、その中に生じるものを変化させることすら可能なのだ。その間あなたは常に、あなたの存在の基盤である真我、何が気付いているかに気付いている真我に避難していることが出来る。目的地は「平衡心」(訳注:或いは平常心が適切か?)だ。それはあなたの反応に反応しないことだ。平衡心は上級のヨーギに見られる脳の稀有な状態だ。科学的研究により、それは四つの神経状態の組み合わせであることが明らかにされている。

(a) 理解力と意図を司る前頭前野皮質の活性化
(b) 快でも不快でもなく、中立であることに対する感受性と正しい評価を増すことで、マインドの安定性を発達させる。
(c)広大な空間の精神的な経験を創造し、脳の広範囲な部分でガンマ波を作り出す。
(d)交感神経などのフィードバック・ループを削ぐため、副交感神経を活性化させる。

最初あなたはしばしば、「気づいていること」を忘れてしまうかもしれない、例えば痛みや自身が作り出した反応に我を忘れるとか。後になって、あなたのマインドがあなたを連れ去ったことに気付くかも知れないが、あなたはそれを止めることができない。気付きと反応を制御しようという意図が成長するにつれ、あなたは未だ反応を感じるにせよ、もしそれを表に出せば何を失うかを忘れないことを選び、反応を表に出さない。最終的には、外部から来る苦しみに対する自身の反応は全く生じなくなり、あなたは静かにそれを如何に制御するかを学ぶ。

しかし、既に脳とマインドの中に否定的な構造を残している貪欲、恐れ、憎しみと言ったものに対する反応を、寛容、親切、叡智といったものに関係する反応に置き換えるには時間と多くの練習が必要である。

あなたの脳とマインドを作り変える最も強力な方法は、あなたの気付きに対する統御を開発することだ。気付きが確りしていれば、マインドもそのようになる。気付きは、三つの競い合う相から成る。それらは、情報を確認し、気付きを新たにし、反応を捜すことだ。こうしたことに対する人々の反応は実に様々だ。新しいことや興奮することの好きな人もいれば、予測可能で静かにしていることが好きな人もいる。例えば、あなたは集中しようとすると直ぐに疲れてしまわないか?或いは、周囲の音に直ぐに気を散らしてしまわないか?あるいは、刺激的なことを好むか?或いは、これらを組み合わせたものか?ババジのクリヤーヨーガにおける様々な瞑想法は、こうした様々な性癖を統御するのに役立つ。

クリヤーヨーガにおける以下の実践は、定期的に行われる時、あなたが新しい肯定的な神経構造を作り上げ、副交感神経と交感神経の最適な状態を維持することを可能にする。

1. クリヤークンダリーニ・プラーナヤーマ。特に呼気を長く吐くことで副交感神経を活性化する。
2. アーサナを練習する際、心の中でエネルギーを体の凝っている部分に向けながら呼気を長く吐く。
3. 最初のディヤーナ・クリヤーの実践で、痛ましい記憶や否定的な想念を手放す。
4. クリヤー・ディヤーナ・ヨーガの練習で、愛、勇気、穏やかさといった肯定的な視覚さされたイメージや感情を養い、否定的な記憶や心配に対する心の偏向を修正し、新しい肯定的な神経構造を作り上げる。
5. ババジのクリヤー・ハタヨーガの18のポーズをペアで(順番に)練習することで全ての中枢神経系の内分泌系を活性化し、最適化されたホルモンの分泌を促し、夫々のポーズの後で深いリラックス状態に入る。
6. 逆さになるポーズで血液の流れを頭部に向ける。
7. 18のポーズの中で、視覚化と呼吸を用いてプラーナな流れを上位のチャクラに向ける。
8. ビージャ・マントラを定期的に唱え、否定的な想念を取り除き、チャクラを覚醒させる。
9. アルーパ・ディヤーナ・クリヤーを使って問題を解決し、知性と直観的な叡智で感情に起因する苦悩を克服する。
10. クリヤー・バクティ・ヨーガの実践と献身的な修練で愛と共感を養う。
11. 第二イニシエーションで教えられてヨーガ・ニドラーを実践して深いリラクゼーションに入り、肉体と全ての中枢神経系及び脳を癒す。
12. エカルーパ・ディヤーナ・クリヤーやマントラで集中力を養うことにより、精神的な乱れを防ぎ、それを内なる歓びに置き換える。
13. 第二イニシエーションで教えられたニッティヤナンダ・クリヤーにより、日常生活で臨在、平衡心、歓びと共にある継続的な気付きを養う。
14. 他者の全ての中に「神性」を見て、彼らの苦悩に対し共感を持ち、同情的であること。
15. 第三イニシエーションで教えられたサマーディに入り、新陳代謝の速度を緩め、脳の中にθ波とδ波を創り出し、若返りを図る。それにより自身を肉体や想念、生気体と同一視するのではなく、無限の気付きと同一視することも含まれる。
16. 脳(の健康)の為、菜食主義、(植物性)タンパク質と抗酸化作用のあるベリーの摂取を守り、精製された砂糖、精白された小麦粉、動物由来の食品、加工食品などを避ける。高い血糖値は海馬に損傷をもたらし、記憶力低下を招く。
17. あなたが敏感なアレルゲンを含む食材を避ける。最も代表的なものは、ミルク、グルテン穀物、大豆など。それを検証する為、血液検査をするか、1週間疑いのある食材を避け、体調が改善し、頭脳が明晰になり、消化が楽になり、エネルギッシュになるかを試す。ドラッグ、アルコール、タバコなどの刺激物は厳禁。

ある種のサプリが脳の健康を促進することを科学が立証した。

効果の高いマルチビタミン剤が推奨されている。また、神経細胞の成長、気分の改善、痴呆症の抑制に効くオメガ3も推奨される。菜食主義者としては、亜麻仁油またはウド油があれば更に良いが、500mgのDHAと共に服用する。ビタミンEは、脳の細胞膜の主たる抗酸化剤となる。毎日400IU摂取すべきで、その内の半分はガンマ・トコフェロールを含み、それを毎日摂取することはアルツハイマー病発症のリスクを軽減することが立証された。

意図、意志、忍耐

人生の浮き沈みにあっても平衡心を保ち、否定的な感情を肯定的なものに置き換え、それを自己暗示やアファメーションによって実践するとの明確な意図を持つことで自身の脳とマインドに変容をもたらすことが出来る。それをあなたの人生における肯定的な変化をもたらす簡潔な声明文に纏め、潜在意識の中の古くて否定的なプログラムを置き換える為リラックスしているとき日々繰り返しなさい。あなたの意図に抵抗を感じる時は、意志の力を使いなさい。否定的な感情が湧き起こったらそれを観察し、やり過ごしなさい。仕損じてもそれに耐えなさい。諦めなければあなたは必ず成功し、失敗も成功への踏み石となる。自然界にある全てのものと同様、我々の脳は進化している。我々は、歓び、愛、そして叡智をこの世にもたらす進化の中における「意識」の「代理人」になることが出来る。

以上

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瞑想により怒りを理解し、制御する

2018-07-21 11:56:18 | スピリチュアル
BKYJ 2018 Summer
By M.G.サッチダナンダ

瞑想により怒りを理解し、制御する


 怒りは苦痛の原因であり、現れである。それはまずメンタル体での敵意と否定的な思考を伴う生気体における不満の不愉快な感情として経験される。それは通常我々の執着の一つに関係している、例えば地位や名声、あるいは正しくありたい、勝っていたいという欲求に対する執着である。それは常にエゴイズムから生じる。その源は恐れ、苛立ち、切望、フラストレーション、自己防衛の感情、傷つけられたあるいは侮辱されたとの思いである。

 例えば誰かがあなた個人に対し、またはマスコミ等であなたを見くびるような発言をする。あなたは怒り、自己防衛の反応をする。あなたに対して不当に裁いた人に対する否定的な考えのみならず、なぜ彼らの発言がそれほどまでに不正確で、あなたが自分に対して懐いている見解と一致しないのかとの否定的な考えによって満たされる。
 
 怒りの感情にどのように対処するかは、通常その人が住んでいる(社会の)文化に依存している。ある文化において、怒りを露わにすることは強く否定されている。怒りを抑制することが要求される。しかしこれはしばしば抑うつと絶望を招く。我々は怒りを表現するときに気が晴れる。そこで西洋の心理学においてはそれを表現することを推奨し、その結果他人が怒りを表現するのを聞くことでお金を稼ぐセラピストの職業があるほどだ。しかしそれを表現することは、否定的な反応の習慣としてそれを強化するかもしれない。怒って我々の愛する者に対してどなったり罵ったりした後、我々は気分が晴れるかもしれないが、良くない結果が待っている。我々はまた、怒りを爆発させて口にした言葉についても通常後悔する。その言葉は取り返すことができない。それらの言葉の相手への影響の結果に向き合わなければならない。それらは我々の生理学上の、そして心理学上の修正を蝕む方向に影響を与える。我々が怒りを表現する時は常に怒りを発する習性が強まる。また、怒りを表現することでその原因を取り除いてもくれない。

 あなたがおかした何らかの過ちについて腹立たしく思い、それに拘り続けるのであれば、罪悪感、自身喪失、焦慮、抑うつなどを含む他の形態の心の病を発症するかもしれない。

怒りに対するヨーギのアプローチは、それを抑圧したり表現したりすることよりも、観察することから始まる。これは、怒りを感じることは、それを表すこととは同じではないという認識に基づいている。これには二つの段階がある。まず、それを最初に感じた時、裁くことのない気づきでその存在を確認する。呼吸がどのように変化するか、体の中でどこが緊張しているか、どのくらいあなたの心拍数が上昇したか、今あなたの考えがどれだけ混乱しているかに気づくことで、あなたの体を入念に調べて怒りの感情とそのような感覚を関連付けなさい。注意してそれを観察しなさい。あなたが怒りに馴染めば馴染むほど、それに対する恐れや反感は少なくなるだろう。痛みと苦悩の違いを認識しなさい。怒りという感情に対してどのように反応すべきか、そしてその反応にどのように反応するかに関連して仏陀が言ったように、危害を及ぼすのは第一の矢ではなく、第二、第三の矢なのだ。

 次にそれが存在することを受け容れなさい。そうすることであなたは心の平衡を維持するだろう。通常人々は、その不快感に対する反感の故にそれが存在することを受け容れず、それを表に出す、あるいは抑えつけることで、それから逃れようとする。苦悩を生み出すのは、この瞬間が現実に今起きていることではないことであって欲しいと願う抵抗なのだ。それが怒りとして感じられたのかあるいは恐れだったのかに拘わらず、その抵抗が大きければ大きい程苦悩は大きく、拙い仕方で反応する可能性も高くなる。受容とは、如何にすべてのことが現時点で現に生じているかを全面的にそして喜んで認めることだ。

 怒りの感情と共にあることで、心に空間(余裕)が生まれ、これにより、いつものように自動的に反応するのではなく、怒りを引き起こしたことに対して最善の方法で対処することができる。あなたが言葉を発するのか、それとも行動するのかを意識的に選択する前に、あなたは怒りが湧き起こり、静まって行く時間をいくらか自身に与えることができる。数回呼吸しなさい。五つ数えなさい。あなたが敵対的に反応したり、罵ったり、他の否定的な仕方で反応することはより少なくなるだろう。あなたが子供の愚かな行動を抑える必要が有ったり、誰かが別の人を肉体的に傷つけたりするのを抑制するような状況にあったとしても、あなたは怒らずにそれを行なうことができる。心の空間が広がることであなたは賢く、適切に、思いやりのある対応をすることになる。

誤った自己認識を捨てるプロセス
 誰かがあなたの人格に対して評判を貶める発言をするという前述の事例で、あなたが感じる反応はすべて、あなたの自己認識を反映している。悟りに至る過程の中には、我々の本来の姿である「人」と「もの」があることを忘れてはならない。

 あなたが自分自身であると思い込んでしまう可能性があったり、本当に思い込んでしまったりすることがあるが、実際には本当の自分ではない状態というものが数多く存在する。たとえば、ストレスを受け、疲労している人の状態がある。あるいは「私がやらなければ」とか「かわいそうな私」とか「私にはそれはできない」というような強迫観念がある。そうしたバリエーションは膨大だ。そうした考えが幾重にも積み重なっている。こうした誤った自己認識の層が「マインド」(心)と呼ばれるものを作り上げている。ストレスと疲労がなくなった時、あなたはもう他の心配事、感情、感覚を持っている。こうした状態の多くは、あなたが生き残る助けになるという理由から、悪いことではない。しかし、誤った自己認識の層に出くわし、真の「個人」がそれに自身を重ね合わせることに固執するとき、それらすべては悟りへの障壁となる。

 パタンジャリがヨーガスートラ(以下、YS)で我々に説くのは、
・ヨーガとは意識(内に生じる)揺らぎ(と一体になること)を止めることである。そうして見る者が本来の姿に留まる。(YSⅠ-2.3)
・継続的な修練と無執着によって(意識の揺らぎと一体になることが)止む。(YSⅠ-12)
・無執着は欲を抱かずに対象物を見聞きする者の完成の印である。(YSⅠ-15)

 真の個人は、如何なる「状態」でもない。それは状態を超えており、「非存在」すら超えている。それは如何なるものにもなることが出来るが、決して如何なるものでもない。もし我々が究極的に存在しないのだとしたら、我々は決して存在する(生まれてくる)ことができなかっただろう。もし我々が究極的に「ある特性」であったなら、我々は幸福にも他の如何なるものにも決してなれなかっただろう。

 脱自己認識(訳注:自分の感情などと一体になることから脱却すること)のプロセスは、悟りのレベルを説明するものだ。自身を愛として経験している人達は、普通経験されるより彼らの本当の性質の深い層に触れることだろう。しかし更に深く脱自己認識を続けて行くのなら、(自分は)何物でもないとか、全てであり、全宇宙そのものであるといった状態を含む更に多くのレベルがあるだろう。瞑想のプロセス全ては、我々が無意識の内に自己認識され、それらとの同一視を脱し、それらを解き放つ処の隠れた状態を明らかにする。脱自己認識の瞬間がある時は常に、直接経験が生じるための即時の機会でもある。あなたが怒りを感じる時は常に、「怒っているのは誰なのか」を自身に問いかけなさい。

瞑想と怒り
 多くの人達が瞑想は単なる現実からの逃避として、あるいはよくてもせいぜいストレスを管理する手段として見ている。しかし瞑想は、怒りにくい健全なマインドを養う手段として見ることもできる。我々の精神的な状態が、怒るか怒らないかを決める要因であるということは事実であり、それはまたあなたが感じ、それを表出する程度を決める。それ以外の決定要因には、あなたが空腹かどうか、疲労しているか、肉体的に不快かどうかなども含まれる。

 他の多くの問題でも判るように、予防は対処よりも効果的である。以下は、瞑想によって心を養うことで怒りを抑制する方法である。

1. その瞬間その瞬間の気付きを養うことを日々の生活の中で練習しなさい。例えば、ウォーキング中、坐っている間、車を運転している時といった日々のルーティンの間にどんな感覚があるのかあなたの体を調べなさい。それは、想念・感情・感覚が湧き起こり、去って行くことに対する観察者となることだ。継続的な気付きを練習することはまた、不注意に因る過失のリスクをも軽減するだろう。
2. 健全な思考を養いなさい。否定的な考えは捨てなさい。智慧若しくは霊感による書物を定期的に学習しなさい。あなたの否定的な考え又は心の性癖と反対の自己暗示を作成し、深くリラックスした状態にある時、少なくも一カ月は毎日続けなさい。これらは怒って反応する癖を置き換えてくれるだろう。例えば、「予期しない出来事が起こった時、それに反応する前に、私に生じる感覚、感情、想念の流れを観察することを楽しみ、関係者にとってただ有益な方法によってのみ行動する」と繰り返しなさい。又は、「自身に対するフラストレーションを感じる時、または他人に邪魔された時、私は許すことを忘れない」と繰り返しなさい。
3. 簡素さを養い、あなたの所有物、関係性、更には評判といったような無形資産すら永遠ではないことを良く考えることで無執着を実践しなさい。
4. 精神的な好き嫌いを超越することについて瞑想しなさい。「誰が怒りを感じているのか?」「私は誰なのか」を自身に問いかけ、真実で唯一の信頼と幸福の源泉、真我について瞑想しなさい。
5. すべての社会的制約(禁戒:正直、非暴力、不貪、禁欲、不盗)を遵守する修練について瞑想しなさい。(BKYのブックストアにある)『反対の行動:良好な人間関係の為の、ヨーガの五つの鍵』を読み、これらについて広範な議論を行いなさい。
6. 好奇心をもってあなたの反応のパターンを研究しなさい。何があなたを怒らせるのか?何があなたを触発するのか? 長い間存在していたそれらの事柄を突き止めなさい。あなたは何か恨みを懐いていないか?恨みは怒りへの執着であり、それを持ち続ける人だけを傷つける。瞑想日記の中にそれを記録しなさい。それが日々の生活の中でいかに繰り返されるのかを観察しなさい。
7. 「許し」を実践しなさい。単に「私はあなたを許します」と言ったり思ったりするだけでは不十分だ。許しとは、通常長い期間の葛藤の後にのみ到達する。あなた自身を怒りと憎しみの破壊的な影響から解放するためにそれを行ないなさい。人をその言葉と行動から識別しなさい。我々が一体であることを自覚しなさい。瞑想と日々の生活の間に、「それを解き放つ」と繰り返す練習をしなさい。

 カール・マルクスは怒りを革命的な感情と呼んだ。それを上手に経験することであなた自身と社会の中に多大な変化を創り出すことができる。それを上手に行う鍵は、敵対的になることの危険を回避することだ。今日、あなたは怒りと一体にならない、そして怒りがあなたの行動、言葉、想念を決定することを最早許さないという決意(サンカルパ)を固めなさい。肯定的な自己暗示でそれを行ないなさい。許しの意味について深く瞑想し、日々の生活の中で自身と他者に対してそれを実践しなさい。


以上


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8.ババジのクリヤーヨーガ、その神秘と素晴らしさ

2018-06-27 10:49:17 | スピリチュアル
BKYJ 2018 Summer
By M.G.サッチダナンダ

ババジのクリヤーヨーガ、その神秘と素晴らしさ

 我々は、1992年8月15日に設立したケベックのアシュラムの25周年、1997年5月31日に設立したババジのクリヤーヨーガ教師団の20周年、そしてブラジルで実施された第一イニシエーションの20周年を祝う予定である。2018年6月28日から7月3日にかけて、ケベックのアシュラムでは大勢の教師(アーチャリア)と修行者と共に、そして11月15日から20日にかけてはブラジルのクンハで祝うことになる。(一方で)我々一人ひとりは、ババジのクリヤーヨーガの恩寵が如何に我々の生活の神秘を照らすのに役立ったかを祝うことができる。

 人生は神秘に満ちている。科学者と哲学者は、人生の神秘のいくつかを解き明かそうと試みているが、彼らが理性の限界、そして経験的な証拠の収集と測定の限界に達した時、それは失敗する。前号で取り扱った通り、科学者は意識とは何かということすら判断できない。なぜなら、それは対象物ではないからだ。しかしながら(真理の)探究者は神秘主義の道を辿ることで洞察力(叡智)を獲得する。

 「神秘」は、『ティルマンディラム』のような、ヨーガ・シッダの詩の中で、時として“曖昧化”(という言葉)で言及される。これらの詩の中、そしてカシミール・シャイヴァニズムの哲学的文献の中で、曖昧化とは、シヴァ神の五つの行為の内の一つである。五つの行為とは、創造、維持、破壊、曖昧化そして恩寵である。宇宙的、そして形而上学的視点から、「神」は全ての魂が善悪のカルマの帰結を経験することができる肉体を創造する。「神」は一定の期間、魂が人生の試練を通じ、叡智において成長するよう本人の肉体を維持し、家族、友人との幾つかの親密な関係を維持する。「神」は魂の成長にとって別の関係が必要な時、またはその魂のカルマがそれを必要とするとき、(当人の)肉体、人間関係、状況を解消する。「神」が曖昧化を創造する理由は、人生のはかない歓楽と苦悩を越えて、魂が勤勉に真理を探究し、そうして叡智と真我実現と多様性の中の統一に目覚める必要があるからだ。「神」の恩寵、即ち五つ目の行為は、他の四つの全ての行為に浸透し、ワンネス又は非二元性を悟る過程で、魂を抱擁する形で魂を支援する。『ティルマンディラム』の著者、ティルムラルが言うように、シヴァ神、「神」、個我(ジーヴァ)に関し、魂は「二つのものではない」のだ。

 ヨーガの修行者によって、しばしば理解されなかったり、十分に認識されなかったりすることは、シヴァ神のこの五つの行為は、我々一人ひとりの中でも毎瞬起こっている点である。更に言えば、シヴァ神は、“シャクティ”として知られる“彼”の創造する力が、我々を含む全てにおいて働いているのを目撃している。あなたが心のお喋りから一歩引き下がった時、シヴァ神のこの宇宙の視点を目撃者として共有するかもしれない。あなたが、自分の心の動きとではなく、純粋な意識またはシヴァ神と一体になった(同一視した)時、あなたは自分の想念、感情、感覚が創造され、暫くそこに止まり、そして消えて行くのを目撃するかも知れない。我々が想念、感情、感覚を自身と同一視した時、如何にそれらが意識の光と本質的なワンネス(の感覚)を曇らせるかを賢者は認識している。この曖昧化と誤った同一視はエゴイズムから生じるが、それ(エゴイズム)は意識が個別化し、結果的に収縮して特定の肉体のみならず、個人の心の動きとも(自身を)同一視する自然の法則である。執着または反感、欲望または恐れがあるとき、自身の精神体と生気体を通じたそれらの動きは、観察することによって消化され、解き放たれない限り、或いはその時まで、執拗な循環の繰り返しに捉えられてしまう。結果的に恐れや欲望が習慣となり、心地よい或いは苦痛の記憶としてそこに止まるので、それらは更なる曖昧化を形作る。

 我々が魂または観察者の視点からこれらの心の動きのヴェールを通してはっきりと(実体を)理解し、それらを解き放つときには必ず恩寵が働く。ヨーガスートラ第一章2節に言う“心の動き(或は散動)”は、我々を時間、欲望、限られた能力、限られた知識、そしてカルマとして言及されるマーヤー(幻力)の媒体によってすっかり心を奪われた状態に置くことで曖昧化の状態に留める。瞑想の実践を通じて働く恩寵は、我々がこれらを目撃し、消化し、終結させることを可能にしてくれる。聖典の学習と熟考も有り難いことに、叡智を明らかにし、苦難を克服するために我々が忘れていたかもしれないことを思い起す助けとなる。恩寵は、我々が(真理を)明らかに見て、心を静め、純粋な気づきを持ち、心と感情の動きによって生じる誤った同一視による曖昧化のヴェールを突破することを可能にしてくれる。それは、“私は光を見た”、またはその後“私の心を吹き飛ばした”とか“呼吸が止まった”とか、“「神」の臨在を感じた”或いは“それはとても素晴らしかった”といった最高の経験として現れるかも知れない。ヨーガとタントラの目標は、他の四つの行為(訳注:創造、維持、破壊、曖昧化)の橋を渡ることによって、それらの動きと同一視すること、換言すればエゴイズムを止めることによって、この恩寵の状態を維持することにある。ヨガナンダは神を、“永遠の新たな歓び”と定義している。

 ここにババジのクリヤーヨーガの素晴らしさと、我々一人ひとりの人生にもたらされた恩寵を祝う理由がある。間断のない無執着、或いはヴァイラーギャを通じ、我々は自身を心の動きと同一視すること、そしてそれにしがみつくことを止める(ヨーガスートラ第一章12節)。クリヤー・クンダリニ・プラーナヤーマとビージャマントラの実践を通じ、我々の潜在的な能力と意識、つまりクンダリニである音速の針は、結節点即ち中心にある気脈を通るスシュムナの中のチャクラの障害物を突き抜ける。ババジの五重の道の実践を通じてこれらの障害物が取り除かれるにつれ、我々はより高次のチャクラの視点から物を見、世界の中で行動する。我々は“愛は神なり”を神秘主義として悟り、万物とのワンネスを経験する。

修行者としての我々の進化
 人類としての我々の進化は、我々の生存を安全にするための神経とホルモンのシステムを与えてくれた。我々は、エゴと記憶力と五感を持つマインドを含む、生まれながらの組織を持ち、それは生存の脅威に対応することを可能にし、恐れや欲望といった肉体と感情の反応を指図する。それは習慣を通じ、素早く、自動的に、かつ効率的に反応するようプログラムされている。それは現在我々が何を為すべきかということに関連して意識を収縮(限定)する。瞑想は我々の脳の他の場所へ、つまり我々が視点を変えて、否定的な想念や感情を認識することができ、肯定的な反応を求めることを可能にする現在の中枢組織に連れて行ってくれる。それは、我々が不快に感じる時、「何か問題があるぞ」と認識し、「自分には何か問題がある」とは認識しないが、それはエゴの声である。瞑想している間、否定的な感情の記憶が湧き起こるにつれ、最初から「自分は怒っている」とか「自分は恐れている」という声が聞こえる。しかし我々は静かになるにつれて、これらの感情とそれに関係している記憶は、我々の分離感や生存の必要性が最早脅かされない、より深いレベルの脆弱性を指し示しているメッセンジャーとして理解することが出来る。我々は、「私が平衡を保つことができるような健全な立場から、この感情に対する反応として、何が私に出来る最も適切な対応なのだろうか」と自身に問いかけることができる。我々が感情を、個人的な出来事として、そして非個人的なメッセンジャーとして目撃する時、それらを消化し、その帰結を素早く見届け、そしてそれらが真実を明らかにする。

 我々一人ひとりは感情的に反応する癖を蓄積してきた。それらを、生存のためのメカニズムと見ることができる。しかし、それらに制限されてはならない。我々はそれらを解消し、癒すことができる。それらは、電球を覆うティッシュペーパーのように内なる意識の光を曖昧にする。瞑想とは、我々が平衡の光を絶えず、そして容易に見ることができるように、ティッシュペーパーを取り除くようなものだ。

 仏陀は言った。「危害を及ぼすのは最初の矢ではない。それは、第二、第三の矢である」彼の言葉は、最初の感情(が第一の矢)、そしてそれに対する反応を第二の矢とし、その反応に対する反応が、サンスカーラ(感情の癖)とヴァーサナ(苦痛や快楽の記憶に留まる傾向)であることを意味している。

 エゴと五感は分離の感覚を維持する。本当は、分離は存在しない。全てのものの中に、調和した統一体がある。社会のレベルでは我々は別々である。しかし、瞑想の中で、我々一人ひとりはその底流にある他者との繋がり、調和そして統合を感じることができる。これは、瞑想が情け深くも現わしてくれる神秘である。瞑想は統合の第七番目の感覚を目覚めさせる。人生は、「真理」「善」「美」の終わりのない現れとなる。今年の我々の記念日のみならず、驚きと畏れと共に、もはや求道者としてではなく、人生の全ての瞬間を、神秘を悟った者、そしてヨーギとして祝うことができる。

以上

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7. ババジの教え

2018-05-30 10:52:24 | スピリチュアル
ヴォイス・オブ・ババジ(以下、同書)のBook第三章に記載された「ババジの教え」の要点。以下、同書からの引用。

普遍的な展望
宗教改革者の今日的な任務は多くの点で困難である。最初で最重要な仕事は、宗教(信仰)なくして幸せにはなれないことを世界に知らしめなければならないことだ。彼はその信念を両面から強固なものにしなければならない、つまり如何に宗教が人類を救済するために現れたのかのみならず、高度な文明が宗教を基盤とすることなく、退化し、腐敗させる「時」の影響によって一掃されてしまったのかをも示すことによって。現代においては、単に「真理」を語るだけでは十分ではない。全ての個別の宗教において、普遍的な展望を導きださなければならない。過去の叡智のエッセンスを、それ以上簡単に出来ない処まで抜き出して、統合し、一つにしなければならない。金の砂をふるいにかけ、全ての宗教に対して本質的なものと非本質的なものの価値を確立しなければならない。(教義の)独占を排除して、権利の乱用や搾取を最小化しなければならない。霊性に対する理解の一般的な水準と神聖な知識、簡素な生活と高邁な理想に対する理解を高める必要がある。文化的、そして道徳的背景を強化する必要がある。宗教の名のもとに行われる全ての弊害を根絶する必要がある。最善で最も効果的な生活のルーティーンを示し、湧き上がってくる新たな切迫した問題に対する最良の解決策を考えなければならない。

時が経つにつれ、社会と家庭生活の統治に対する安全弁とブレーキを導入する必要があることは云うに及ばず、様々な喉の渇きや飢餓も考慮しなければならない。様々な情熱のエネルギーを昇華させて、異常な人口の増加を防ぐため、人生の段階ごとに何らかの基準を設けることによって生活の水準を均等化する方策を提案しなければならない。どんな規律であれ、それがなくなることは、荒れ狂う不満、反抗、不均衡、堕落への突入という結果をもたらす。この世界と天界に対する配慮を織り交ぜるため、創造主、被造物、創造の認識を創り出さなければならない。一人ひとりすべての人を活性化させることで世界中の「眼」を「一つの生活」に対して開かなければならない。現代世界に適する宗教の理想は、人類全体を包み込むものでなければならない。宗教は、良心、道理、経験、科学を敬い、それを自由に追求させるものであるべきで、全ての者が良い人生を送ることを許容すると同時に、他人が良い人生を送ることをも許容することを教える必要がある。この宗教は全ての魂が、それぞれ独自の方法で救いを達成するための完全な自由を保障するだろう。宗教は平衡感覚を維持するとともに、本質的なものと非本質的なものの価値を見極めるものでなければならない。それはある固定化された「価値」によってではなく、その行為と行為者が基本的な真理を満たしているかを試すことによって、全ての行為と行為者を判断する能力を発達させるだろう。それは脅しとか精神的な奴隷化抜きで、(人々の行為を)導くだろう。それは人間同士の優越性や劣等感の信念(思い込み)から人を解放するだろう。最後に、宗教の改革者は、実践的な姉妹愛、兄弟愛を日々の生活のルーティーンの中で発展させることになるだろう。現代風の考え方に適した大衆向きの宗教は、次のような特徴を持つべきだ。(1)宗教は明確な形を伴うものであるべきで、単なる理想論や混乱を招く、理解しがたく空虚で軽率なものであってはならない。(2)宗教は迷信の源泉となってはならない。(3)人間関係は何層倍も良くなければならない。宗教はまず我々を人間らしくし、兄弟とし、然る後ただ信仰心の篤い人間を(現在形で)作らなければならない。 (4)宗教は生きる生活の本質であり、経験を意味するものと考えられなければならない。 (5) すべての者は「神」から直接守られて導かれる権利があり、そうあるべきだと考えられねばならない。(6)説教師は信者であるべきであり、法律家や教授(学者)であってはならない。 (7)神に対する概念と、無邪気で害意がなく自由な規則(があり)、男性と女性の生活に対して課される制限は最低限とすべきである。(8)すべての(祭儀に関わる?)装飾品と付加物は、それらが障害であると判る段階に達するや否や徐々に緩和されるか、むしろ取り除かれるべきである。(9)宗教は受容性があり、魅力的、建設的、進歩的であるべきだ。それは代々(庭の植木のように)剪定を実施しなければならない。

個人の宗教
クリヤーヨーガはあらゆる宗教の、もしくは無宗教者の、カースト、心情あるいは肌の色を問わない一人ひとりすべての者に対する心理学的な宗教だ。クリヤーバン(クリヤーヨーギ)はヒンドゥー教徒でも回教徒でもクリスチャンその他でも構わない。クリヤーババジの宗教は、生まれついた祖先からの宗教ではなく、判断能力が生じてから受け入れられるべき個人の宗教でもある。このヨーガのもとでは、すべてのクリヤーバンはすべての女性を、大母神を代表する形として尊敬することを期待されているので、女性の男性に対する服従の余地や、型通りの宗教による非難はない。以下は、クリヤーヨーガの基本的な信条である。(1) すべての宗教の統合。(2)一つの家族の構成員としての、全人類の宇宙的な繋がり。 (3)自民族中心主義、愛郷心、国粋主義、民族主義の否定。 (4)クリヤームーラグル(ババジ)の愛、恵み、献身、慈悲を受けるためには、日々のクリヤーのサーダナと、姉妹愛は言うに及ばず兄弟愛の実践は不可欠の要件。 (5)自身の進化の方向性を選ぶ権利をすべての人が持つこと。 (6)基本的で永遠の真理という試金石によって信仰の本質的なことと非本質的な事を精確に評価すること。 (7)宗教は分裂、支配、偏見、搾取あるいは迷信の大義として許されるものではなく、科学、道理、良心、経験、人間心理、個人の長所と短所に対する尊敬をないがしろにすべきではない。(8)個々人の優越性は僅かで、一過性で、付随的で、独力で手に入れたものではないと考えるべきだ。(9)高いものにも低いものにもほとんど差はなく、そうしたことはしばしば偏見に基づくかほとんどの場合想像上のものに過ぎない。(10)クリヤーババジの恩寵のもと、修復不能なもの、達成不能なものは何もないが、陽気さは決して失われるべきものではない。(11)常に楽観的でありなさい。人々の間の最も大きな違いも、サットグルデーヴァの恩寵が(何ごとであれ)瞬時に可能にすることと比べれば無に等しい。(12)破壊は建設の為、疑いは信仰の為、悪は善の為、罪深いことは潔白のために存在する。

すべての迷信を超えて立ち上がりなさい。真のクリヤー・ヨーギにとってオーム・クリヤーババジ・ナマ・オームのジャパ(復唱)、ババジの恩寵、大母神の慈悲、最高の努力、世界への同情こそあれ、神隠しや手品のようなものは何もない。クリヤーバンの最も高い基礎は、「神」の「母性愛」と「普遍性」であり、その人生の最高の格言は愛、奉仕、献身、そしてババジの神聖な「御心」に対する無条件で快い明け渡しである。クリヤーバンの幾つかの尺度は、あらゆる名前または形の神、そして聖者、預言者に対する祈りの実施(グループ瞑想)、バジャン(献身歌)、キルタン(聖歌斉唱)を共に実施すること、講話の実施、一般的で霊的な成長をもたらすツアーを引き受けること、クリヤーババジの集会(サンガ)を設立し、開催し、奨励することである。クリヤーバンは、宗教と関連する一般的な書籍を普及させ、全ての宗教に関する研究を奨励し、貧しい、あるいは保護者を失った家庭と有望な生徒を援助し、日々の生活の中で普遍的な姉妹愛と兄弟愛を発展させることに関わるべきである。クリヤーヨーガは民族的、国粋主義的、地方主義的、社会的、宗教的な偏見を廃止することと、名誉ある平和、公正な妥協、端的には友愛、団結、既成事実をもたらすための友好的な協議を提唱すべきである。

サットグル、クリヤーババジの信者が、恩寵と慈悲を達成する進化のプロセスは次の通りである。ジャパ、礼拝、慈善、献身の実施によって得る功徳は、先ずは(信者を)合法的かつ道徳的な願望の充足に導き、次にそれは忍耐となり、三番目には高徳で信心深く、神聖な人達と彼らの生活方式に対する理解をもたらす。修練により一旦、愛、奉仕、献身、明け渡しの行為と特性が熟成すれば、信者がその日々のルーティーンと俗世の生活から持ち上げられ、高徳で信心深く、献身的で神聖な人々との交友の輪へと導かれるよう、サットグルデーヴァがその環境と機会をもたらしてくれる。

自我(エゴ)と「至高の真我」が接近するにつれ、全ての手配の中に、「神」の御手が感じられる。我々は、「神」がお喜びになる時、「神」または大師を見るようになり、大師と同調していることを感じ始め、自己の明け渡しと(神に)受け容れられたことに対する内面の満足感を感じる。我々は「神」と大師との永続的な関係を築き始め、ババジが喜んで与えて下さる力や愛と共に、大師の壮大な仕事において手助けをするようになる。大事なことを言い忘れていたが、我々はクリヤーババジに合体しはじめる。あなたのハートの中心において、あなたの信仰を最も単純で、簡潔で、安全で、最小でありながら最も確実なクリヤーヨーガにしなさい。

若しあなたがただ一つの言葉からなる信仰を欲するのであれば、それはババジに対する「明け渡し」だ。大師に深く集中し、常に彼について瞑想しなさい。それが出来ないのであれば、少なくとも彼の使命に関わり、世界の最も遠い片隅までも彼の福音を広めなさい。そしてそれが出来ないとしても、少なくとも彼の名を讃え、彼に対する感謝を表現しなさい。ここまでは、行動と活動に関する話だ。あなたの想念に関しては、謙譲を旨としなさい。あなたの著作権とか、肩書き、所有権といったその考えを、心の中で捨て去りなさい。それを記憶にすら留めてはいけない。以下のような三つの考えを十分に発達させなさい。(1)私は何もしていない。(2)私のものは何もない。(3)私は何をする能力も持たない。信仰は人間のためのものだ、いやそれ以上に、人は信仰の為に存在する。信仰の究極的の目標は、人をより良く、そしてより幸福にすることだ。

以上
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6.愛は神なり Anbu Sivam

2018-05-06 11:28:00 | スピリチュアル
BKYJ 2018 Spring
By M.G.サッチダナンダ



愛は神なり、(Anbu Sivam)

 私の人生の目的は何なのか? どうして私は苦しんでいるのか? 私という存在は誰なのか? いつかはすべての者がこれらの基本的で「存在」に関する疑問に直面しなければなりません。これらの質問は、我々一人ひとりを、人間の性質に関わる制限から解放する動機になるということをヨーガは教えます。これらの質問に対する答えを見出すことは叡智或いはジニャーナ・ヨーガです。ヨーガの修練を実践する者、即ちサーダカは、人間の性質の限界を克服し、シッディとして知られる潜在する完成の域に達したシッダの叡智の教えを理解することで恩恵を享受します。

 シッダ達は、我々人間の性質は、マーラーとして知られている三つの汚れまたは足枷の支配下にあると教えています。その第一は、アーナヴァ・マーラーとして知られている、我々の本当の正体を見誤っていること、或いはエゴイズムであり、その第二はマーヤー即ち精神的な錯覚であり、その第三は過去の想念、言葉そして行為の結果としてのカルマです。ヨーガとは我々の持つこれらの三つの汚れを浄化するプロセスだと彼らは教えています。それにより、我々は苦しみの源である苦痛の種を弱め、真我実現に至ります。パタンジャリはヨーガスートラ(以後、YS)で次のように言います。「無知、エゴイズム、執着、反感そして生への執着が五つの苦痛の種である」(YSⅡ-3) 「これらの精妙な形での苦痛の種は、その原因まで遡ることで破壊される」(YSⅡ-10)「動的な状態にあり、意識の中から生じるこれらの心の揺らぎは瞑想によって破壊される」(YSⅡ-11) 五つの苦痛の種が我々の誤った自己認識と、真我からの分離を維持しています。(意識の)精妙なレベルで、それらは潜在意識下の印象(サンスカーラ)として存在します。これらは、その間あなたが繰り返し真我と同一化する様々なレベルのサマーディ(認識作用の没入)を通じてその源にまで戻ることによってのみ取り除くことができます。小さな自我(偽我)は徐々に偉大な「真我」に包摂され、それにつれて潜在意識下の印象は溶けていきます。YSⅠ-12でパタンジャリは、その手段を我々に教えていますが、それは「無執着の継続的な練習によって(達成される)」ということです。自分自身に聞いて見なさい、誰が執着しているのか、だれが苦しんでいるのか、誰が反感を持っているのかを。パタンジャリは続けてカルマについて説きます。「苦痛の種の中に根を持つカルマの貯蔵庫は、現在現れている人生と、将来の未だ現れていない人生の中で経験される」(YSⅡ-12)「その根が存在する限り、その果実もまた存在する、即ち誕生(再生)とその(人生での)経験である」(YSⅡ-13) 「有徳と不徳のカルマの為、それに対応する歓びと苦痛に満ちた結果がある」(YSⅡ-14) 彼はクリヤーヨーガを定義付けて、その目的をYSⅡ-1で次のように語ります。即ち、「苦行(厳しい修練)、自己探求(聖典読誦なども含む)、『神』への献身がクリヤーヨーガを構成する」 「これらはあらゆる苦痛の種を弱めてサマーディを育むために用いられる(手法である)」(YSⅡ-2) 無想三昧(アサンプラジュニャータ・サマーディ)として知られる悟りの状態に到達するためとして、パタンジャリは次のように言います。「それ以外のヨーギンにとって、無想三昧の前に、強烈な献身、勇気、正念正知、サマーディ(三昧)そして真の洞察力(叡智)が現れる」(YSⅠ-20)

これらの章節に対する説明については、私の本、『パタンジャリとシッダのクリヤーヨーガ・スートラ』(訳注:日本語版は現時点で未刊)の第1章と第2章を読みなさい。

愛はクリヤーヨーガの手段であり、目的地です 
叡智と明確な目的を持たないヨーガの実習者にとっては、物質的な文化の価値、即ち競争、名誉、見せかけ、個人主義、健康、富、成功によって動かされてしまうことが簡単に起こります。ヨーガといえども、ある者によって、このような物質的な目的を達成する手段として売り込まれることがあります。そのような道を辿ることは、前述したような苦痛の種、即ちエゴイズムの汚れ、錯覚そしてカルマからあなたを解放しないでしょう。それ故、あなたのヨーガの修練の目的を真の目的に沿ったものにしなさい。その目的を愛そのものとして定義づけることから始めなさい。あなたがそのようにすれば、愛があなたを変えるでしょう。愛があなたの目的となった時、愛に対するあなたの理解は深まるでしょう。それは無条件のものになります。愛はクリヤーヨーガの手段であり、目的地となるでしょう。愛とは全ての存在の魂の中にある神聖な火花です。それは、無私の性質、慈悲深さ、そして生きとし生けるものに対する同情の中に現れます。真の愛はエゴを犠牲にすることです。それは魂の中に組み込まれた神の光です。魂がそれを見る時、「真我」は愛によって圧倒されます。ティルムラルは” Anbu Sivam”即ち、愛はシヴァ(「神」)なりと私たちに告げています。

無知なる者は「愛」と「シヴァ」は異なると言う
「愛」は「シヴァ」なることを彼らは知らない
「愛」は「シヴァ」なりとひとたび知れば
「愛」は「シヴァ」として(そこに)とどまる

神の恩寵は愛の最高の形であり、純粋で汚れがありません。その唯一の関心事は魂のためです。神の恩寵は、全ての俗世の出来事を通じて魂がそれ自体を学び、(自身を)取戻し、神の至高の愛を体験し、それと一つになることを可能にします。神は我々に愛する力を与えましたが、魂はそれによってそれ自体を「シヴァ」の世界に押し上げます。愛は我々をより神に近付けます。他の宗教では「神は愛なり」と教えるかも知れませんが、ティルムラルは「愛は神なり」と教えます。この神聖な一節は、本質的に神秘主義的であり、真に理解するためには経験されなければなりません。

 ヨーガの全ての主たる形式(バクティ、カルマ、ラージャ、ジニャーナ)とタントラ(人間的な性質の神性への変換手法)において、愛はヨーガの基礎です。YSⅡ-30で、愛は八支分のヨーガの禁戒に表されています。それらは非暴力、誠実、不盗、純潔(不邪淫)、そして不貪です。これら五つの社会的な制約は、我々の社会生活を律し、調和させるとともに、修練の基盤を作り上げます。

 愛は、あなた自身を愛することから始まります。もしあなた自身を愛せないなら、どうして他人を愛することが出来るでしょうか? あなたはどんな方法で自身を愛することが出来ますか? 肉体的に、感情的に、精神的に、知性的に、そして霊的に・・・。

あなたはどのように自身を肉体的に愛せますか?
 この質問に答えるに際し、私があなたに与えることのできる最良の助言は、あなたの人生の中で食べ物が果たす役割にますます気付き、意識して食事することです。観察者でありなさい。食事も含め、全ての行動の間、意識していなさい。あなたの食べる者が有る無しに拘わらず、それが美味しいかどうかに拘わらず、ニッティヤーナンダ・クリヤー(訳注:第二イニシエーションで明かされる技法)の修練をしなさい。気づきと平衡(静けさ)を養いなさい。本能の奴隷になってはなりません。研修を受け、本を読み、完全で美味しく健康によい簡素なヴェジタリアンの食事を試しなさい。消化の具合に注意しなさい。あなたを元気づけ、あなたを支配しているドーシャのバランスに役立つ食べ物を選びなさい。

 あなた自身を肉体的に愛するということは、疲れた時に休息することも含んでいます。真我の気付きの妨げとなる疲労困憊を避けなさい。あなたの腺が十分なエンドルフィンを分泌し、あなたの内なる様々なシステムが健康を維持するよう十分肉体的な運動を行いなさい。ストレスの影響を制御するために、クリヤーヨーガの五重の道の修練を行いなさい。定期的な18のポーズとプラーナヤーマと瞑想の修練はこれに十分なはずですが、それらを補うために他の運動を行うことも歓迎します。

あなたはどのように自身を感情的に愛せますか?
 自身の感情を蚊のように扱う者もいますが、感情はメッセンジャーなのです。我々はそれらを殺したり抑圧したりしようとするより、メッセンジャーが運ぶものを理解しようと努めるべきです。あなたが怒り、心配、恐れ、憂鬱を感じる時にはいつも、自身に「何故なのか?」を問いなさい。四番目の瞑想の技法を使い、その感情が湧き起こり、それがあなたに何を教えようとしているか熟考しなさい。あなたが感情的になった時、その状況をコントロールしたいのか、それとも愛されたいのかを自身に問いかけなさい。そして「誰がそれを望んでいるのか」、「私という存在は誰なのか」と問いかけるのです。執着によって愛が汚れた時、あなたの期待通りにならなかったとき、あなたは苦しみます。無執着により、即ち他者から何かを得ようとの期待を手放すことにより、あなたは苦しみを避け、エゴイズムからも自由な、無条件の愛を経験することができます。

 聖歌や献身の歌、儀式や巡礼といったバクティ・ヨーガの実践を通じてあなたは否定的な感情に関わるエネルギーを肯定的な感情に変換することができます。例えば、あなたが落ち込んでいると感じるとき、感情を込めて聖歌を歌いなさい。これは厄介な感情を解放するのみならず、あなたのハートを愛と献身で高揚させることでしょう。これは否定的な感情を過食、飲酒、喫煙または他の中毒症になりやすい行動を通じて解消することより遥かに勝ります。感情はあなたの友とも敵ともなりえます。すべてあなたがそれらをどのように扱うかにかかっています。

あなたはどのように自身を精神的に愛せますか?
 このレベルにおいて、我々は五感を通じてあなたのマインドに入ってくるものについて気にかけます。あなたは眼、耳、皮膚、鼻そして舌を通じて自分をどのように養っていますか? あなたは暴力、欲望、怒り、恐れといったイメージ(映像)で、あなたの潜在意識を満たすたぐいの娯楽を求めていませんか? 単に気を紛らわすための行動であなた自身を養おうとしていませんか? それともあなたに霊感を与えるイメージと、平衡と自己覚醒を養う助けとなる行動を選びますか?

 あなたの家またはアパートはどのように見えますか? 散らかったスペースはありませんか? あなたが最早必要としていないものを手放すことで、新たなスペースを作ることができますか? あなたの居住空間を清潔にし、整理整頓なさい。清潔は敬神に次ぐ美徳です。ババジがあなたを訪ねて来るその日に、あなたがそうするであろうように綺麗にしておきなさい。香を焚きなさい。装飾をやり変えなさい。献身の歌を歌いなさい。あなたのマインドと魂を高揚させる音楽を演奏したり、聞いたりしなさい。あなたの家の一部をヨーガの修練の為に確保しなさい。そこを道場とし、ヨーギーでありなさい。他者に奉仕するための音楽、芸術そして環境を創造することで、「神」があなたのマインドを通じて「愛」を表現するに任せなさい。

あなたはどのように自身を知的に愛せますか?
 あなたは何を読むべきでしょうか? あなたが読んでいる本はあなたを向上させるものですか、それともそれは単なる気晴らしですか? あなたの健康を増進させ、精神を向上させ、瞑想を実践することを促し、あなたの個人的な成長に役立つ、感激するような物語を多く読みなさい。それらがあなたの問題を解決する助けとなるでしょう。愛には拡大が伴い 、知性は好奇心を持ち、質問をして答えを求め、熟考することを許された時に拡大します。人々は余りにもしばしば、そのリーダーが真理の唯一の貯蔵庫だと主張するスピリチュアル系のグループや宗教に参加します。多くの場合彼らに遵う者に対して、他の何物も読まないように、更に悪い場合、質問をしないように・・・つまり彼らの言うことを何でも盲目的に受け入れるよう伝えます。率直に言って、これが宗教の問題です。あなたは神から与えられた知性を拒むことで自身の知性を欺きます、そしてこれは、知性を愛することの逆なのです。もし「神」があなたに羊であって欲しいと望んだなら、「神」はあなたに人間の頭脳を与えなかったでしょう。科学的に取り組みなさい。質問し、答えを求め、実験し、自身の経験を記録し、自身の行為と反応を研究し、他人のものと比較するのです。全ての典籍(情報源) から学びなさい。あなた自身の主人になりなさい。他の誰かにあなたを支配させてはなりません。誰に対してもあなたの力を明け渡してはなりません。考えて熟考する力を放棄してはなりません。知性が必ずしも全ての質問に答えられる訳ではありませんが、多くの問題を解決することができます。あなたの経験を、聖典で教えられていることと比較するのにその知性を使いなさい。神の導きと霊感により、「神」があなたの知性を通じて働くに任せなさい。

あなたはどのように自身を霊的に愛せますか?
 本来霊的な(スピリチュアル)という言葉は、愛そのものを意味していました。しかし今は、死人と言葉を交わしたり、霊媒、サイキックパワー、体外離脱といったりするものを意味するあいまいな言葉になってしまったかもしれません。しかしこれらは、真の霊的な愛とはほとんど無関係です。霊性を開発するための最良の方法は、あなたの考え、言葉そして行動のすべて、そして日々の生活の最も小さな仕草までも愛のネクターの内に浸すことです。例えば、あなたの友人、家族、他人を配慮と愛情をもって扱いなさい。あなたが他人に対しどんな考えを持っているかに気づきなさい。あなたの想念を変えなさい。それぞれの人の中に、良い点、優れた点を見るよう努めなさい。他人を悪く思うことであなたは彼らとあなた自身の中の否定的な傾向を強化しているに過ぎないのです。

 他人にとって役立つこと、向上に資することだけを話しなさい。さもなければ、沈黙を守りなさい。

 バクティ・ヨーガを定期的に実践しなさい。家の中に祭壇を設け、そこにあなたが崇拝すべき「神」の様相を示す肖像か象徴を置きなさい。聖歌を歌って祈りなさい。それがあなたの無条件の愛に相応しいと考えることで、あなたはその愛を味わうことでしょう。そうした経験は余りにも素晴らしいので、その対象が人々であれ動物であれ対象物であれ、あなたの経験すべてにそれを付け加えたいと思うことでしょう。もしあなたがある集団に惹かれるのであれば、そのグループの奉仕活動に参加しなさい。

あなたのグルの導きに任せなさい:「神」との共同創造者になること 
「神」或いは至高の存在は、それに何という名を付けようが、あなたを愛しています。それは、グルを通して、またシュリ・オーロビンドが「霊的存在」として言及している自然の中に必然的に含まれる魂を通してあなたを導くことも求めています。「神」とその道具である人間の「グル」は、同情と叡智をもってあなたの本当の性質、即ちハイアーセルフまたは魂においてあなたを愛しておられます。しかし、もし「神」と「グル」がただ同情しているだけであるなら、彼らはあなたを生活の幻影から救い出すことはできなかったでしょう。あなたは彼らの同情を、現在のあなたの在り様に対する愛と誤解してしまうことでしょう。もし「神」と「グル」が単に聡明であって同情を欠くのであれば、恐らくあなたは弟子として、自己変容に対する要求のもとでつぶれてしまうでしょう。弟子というのは、グルとの建設的な関係を妨げたり、遅らせたりする誤解、期待、幻想、錯覚に陥りがちなものです。

 あなたが「神」を愛するある段階で、あなたは自身の人生を創造する能力と責任を持つことに気づくでしょう。通常の「眼を開けたまま夢を見ている状態」を超えて、創造的な段階に到達するでしょう。あなたは創造的になるのです。叡智と真我実現の道に沿ったものだとあなたが知っている夢、そのあなたの夢に対して忠実であり続けます。「神」は最早離れた存在ではなく、あなたは「神」との共同創造者だと感じます。

 「神」は慈悲深く与えます。「神」は霊感を与えます。あなたが何かを起こそうとの意図を固めた時、宇宙はそれを成就させるためにあなたをサポートする力を下さいます。あなたはそれを実現させる為、一生懸命働かなければならないかもしれませんが、自分が行為者ではなく、単なる道具だと感じます。宇宙がその面倒を見てくれると信じ、あなたは忍耐強く結果を待ちます。あなたは現在にとどまり、あなたが必要とすることを行っている間にものごとが成し遂げられます。あなたはますます「神」の御意思に自身を同調させます。しかし、こうしたことは、エゴの要求や好みを純化するにつれて生じるのです。その結果が何であれ、あなたは(「神」の)祝福を感じます。
以上
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