バチあたり自堕落生活

旅と音楽と写真…
好きなことをだらだら語ります

壮年会出席

2020年05月31日 | バチあたり里帰り
この同窓会、壮年式ということでした。
壮年会て…
でも
彼らも
そんな歳になってたわ…

見てわからないくらい
激変してたのは
1人(それも男子)だけ。
あとはみんなそのまんますぎ…

そして
私をおちょくってくる子も
そのまんま…

先生私のこと覚えちょる?
って言われて
覚えてるよ〇〇やろ?
って頭で思い出すより先に
名前が出てくる自分にも驚き…

この学年は
常にトップ集団がものすごい
ライバル心で燃えてまして
勝手に勉強してくれるし
その熱意に他の子も
引っ張られていくので
普通に文法とか
教えるのはとても楽ちんでした。
(それがなんか物足りなくて
外国人助手とコミニケーションが
取れるような授業がしたかったんです)


その一方で
スポーツ特待がくることを
期待して全く勉強しない
あるクラブの子たちがアタマ痛くて
そして本当に特待で早めに決まってしまったりするからまたやっかいで…
その子たちとは授業の度に戦争で
挙句に
エリート集団が
そのクラブの子らと私に対して
授業中はやめて
他でやってくれ
…と怒り出す始末。

両極端で
中間が少ないという…



さてやっかいなクラブの子たち…
その中の2人
教え子タカシと教え子タクヤに
再会しました。
教え子タカシは今回幹事もしてくれました。
全くなんも考えずに
参加するって
言ったものの
当時のお礼参りが今頃きたら…
…と受付の直前頭をかすめましたが
そんなことは全くありませんでした。
逆に会うなり教え子タクヤに
先生変わらんなぁ
よう来たなぁ
あんな大変やったのに…
…と労られてしまいました


教え子タカシは
悪いヤツではないんですが
当時はそのクラブのスポーツのことしか考えられない子で
その顧問の先生から認められればそれでいいというところがあって
私もそうですが
それ以外の教員の話は
全く聞き入れない
本人悪意はないんですが
ほんとに勉強を全くしない子でした。
でもそのスポーツのおかげで
高校も大学も進学したのです。
実はインターハイの季節には
新聞でずっと彼のことをチェックしていました。
今は地元に戻り
母校の外部コーチとして
当時顧問だった先生と一緒に
選手育成に励んでいるとのことです。

教え子たちと話していると
昔のままで…
教室のHRとか給食の時間とかのようでした。
でもそれぞれのこれまでの時間が
みな驚きで…(特に女子)
なかなかみんな波乱万丈で…
なんでこんなにそんな人ばっか
集まってきてんの?…地域性か??
…というくらい
揃いも揃ってみな大変だったみたいです。

その中の1人
教え子シホ
この子は
顔とかは変わらないけど
雰囲気がすごく変わってびっくり
大人しくって
ひっそりしてて
そんな積極的に話しかけてくる子じゃ
なかったのに
がっつりグラス持って席移動してきて
ずっと隣にいて
先生インスタやってたらアカウント交換しようや
…とぐいぐいきました
この子は
あの頃はまだ自分が確立されてなかっただけなんだな…
例にもれず波乱万丈な話を聞かせてくれて…
まだ傷が癒えてなさそうではありましたが
前向きに頑張ってて
すんごい素敵でした。

で、この同窓会。
当時の同僚…というか
先生方は
誰一人出席してなくて
あぁ、やっぱりそんな感じなんや…
…と思いました。



教え子タカシが幹事でしたが
相変わらず無計画なので
二次会が中途半端になり、
なんだかバラバラと解散することになりました。
私は教え子ナチにホテルまで送ってもらうことになり、
そこに便乗してカラオケBOXまで行くという
教え子タカシ、タクヤ、シホと一緒の車に乗りました。

その車の中で教え子タカシに

先生ほんと俺らみたいなん大変やったね

…とあらためて言われて
泣きそうになりました。

いろんなことが頭をかけめぐりましたが
立て続けに教え子タクヤが

俺らアタマ悪くて勉強はせんかったけど
悪党ではなかったから

…と言われもう撃沈でした


辞めた理由は
生徒が問題だったのか
周りの先生が問題だったのか
3年生を持ったのが問題だったのか
授業方針が問題だったのか
そもそも私に適性がなかったのか
いろんな原因があったのでしょうが

どうしても
私の心が
開かなかった

それが原因だと
彼らに再会して知りました。
そして
私が苦しかったことにも
やっと意味があって
今に繋がっていることに
納得できました。

教え子タカシ、タクヤに
そして今回来なかった
アキラ、ケイスケ、マサカズにも向けて…

あんたたちにおちょくられて
私は鍛えられたよ
たまにブチ切れたけどね…












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新しい風景変わらない風景

2020年05月30日 | バチあたり里帰り
そして目的地到着。





駅は全く生まれ変わってました。
サンリオさまさま。









これがちゃんとしたJRの駅とは思えません。
ファンタジーな駅に生まれ変わってました。









駅ももちろん
周辺の道路も一気に変わってしまっておりました。

教え子ナチの情報で
駅前にビジネスホテルがあるとのことで
そこに宿泊。

ま、
なんちゃないホテルでした。





眺めはまぁまぁ
高崎山見えるし


サンリオ駅もよく見える


お迎えがくるまで
ちょっとお散歩することに

駅から
最初の赴任校だった中学に歩いて行ってみようとしましたが
全く道を覚えてなくて
スマホで地図を見るハメに…

そうだったであろう道を見つけて
曲がってみたけど
全くピンとこない…


立派な家屋が続くのに
なんで記憶ないんだか…




でも合ってた
辿り着いた



この学校に
残れたら
きっと教員辞めることには
ならなかったと思うくらい
ここにはわりとよい思い出が詰まってます。



外から失礼して覗いた教室は
私が一番大好きだったクラス。
ここで転勤することを伝えた日のことが
忘れられないです。


さすがに正月ですから誰もいないので
中まで入ることはなく、
グランドに…



この学校
教室もグランドも海に面していて
とってもいい眺めでした。



さらにグランドの下にある遊歩道へ。


この海で獲れるカレイが
城下カレイ。
当時は当たり前に出てくる宴会メニュー。
この町以外では
食べたことないです。



この学校に赴任が決まって
挨拶に来た日も
この遊歩道を歩きました。


夕日が鶴見岳の向こうに沈んでいきます。




西側に大きな山があるので
この町は日没が早いです。
もう少し歩きたい気分ではありましたが
約束の時間があるので戻ることにしました。



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ニホンの旅には弱いワタシ

2020年05月29日 | バチあたり里帰り
連絡来たのがちょうど
11月の終わりで
同窓会は年始早々です。
新幹線の切符は帰省ラッシュに
かかるのでちゃっちゃか手配しました。
帰省のついでもあるので
いつものように
とりあえずは
新大阪〜博多間をおさえて





博多からはとりあえず別府まで…





九州の特急列車って個性があって
乗るのすごい楽しいんです。
大分方面にはソニック号というのが
走っております。

車内も椅子も
だいぶくたびれてきたけれど
なんだかテンションが上がるのです⤴️






懐かしい景色をみながら
ふと…
あれ…??
私…
なんで博多まで新幹線乗ったんだ??
…ということに
小倉駅到着直前に気がつきました。

はい、
常日頃実家帰る時は博多駅で乗り換えるんですが
今回は実家に向かう前に同窓会なので
いつもと違ってたことに気づきました
一駅前の小倉で降りなきゃ…
韓国だったらめちゃめちゃ効率考えて
1秒たりとも無駄にしないように動くのに
日本じゃダメダメです…

でもすぐ気を取り直して
景色を楽しみます。
昔はうんざりするほど同じような
田舎の景色と思っていましたが
これだよ…






この奥行き感じる
山の重なり方…
これぞ九州ってカンジ…
すごい懐かしくて
(そんな都会に住んでるわけじゃ
ないんですが)
貴重な景色に癒されました。

大分県民なら知らぬ人はない
トキハだ…
看板見えただけでも懐かしさ炸裂





こちらUSA
よくテレビで悪ノリしてますよね






そして別府駅に到着。
ホームが昔とおんなじ。





一度改札を出たのですが
乗り換える電車の時間があまり残ってなく
お土産屋さんをチラッとみた程度ですぐに
ホームへ戻りました。
無計画すぎ…
駅の構内はすっかり変わってましたが
駅周辺の町の雰囲気はけっこうそのまま…
大分駅はすっかり様変わりしたと
テレビやらで知ってましたが
別府は嬉しくなるほど変わってません。








電車が来たので乗りました。
この時も別府からまた元来た方向に
少し戻らなきゃなりませんでした。
効率よく移動できませんねぇ…

期せずして途中の駅で特急の追い越し待ち。
その駅は当時自分が一人暮らしをしていた町の駅だったので全然許せました。





少しホームに降りて写真を撮ったりしてましたが
なぜか当時のこの駅の自分の記憶が全くない。









駅前の道とか改札とか
今はすっかり様変わりしてましたが
いかにも手付かずなホームは忘れてる。
なんだろなぁ…
一時期は電車通勤もしてたんだけど…

そして電車の窓から見えただけですが
当時1人で住んでた2LDKは
まだ残ってました。
あの頃ですら
駅まで徒歩7分で38000円(共益費込み)
ということから新しい物件ではなかったのですが
四半世紀も経った今
どんななんだろう?
…とちょっと気になりました。
でもまだ残ってて嬉しかったです。
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知られざる過去

2020年05月28日 | バチあたり里帰り
今年のアタマのはなしなんですが
アップすること自体悩んでまして
今頃になりましたがようやく
気持ちの整理がついて
アップすることにしました。
韓国旅行のはなしではありませんが
よろしければお付き合いください。



その昔
関西にくる前…
かれこれ四半世紀前のハナシになりますが
ワタクシ中学で教員してまして
しかし
これがなかなか辛くて
特に二校目に勤務した学校で
ありとあらゆる
ハラスメントを受けまして
(当時はそんな言葉すらなかったですが)
思いっきし鬱になりまして
これまた当時はそんなことへの
ケアもない時代。
激痩せして生理も止まり
毎朝吐き気で目覚め
無理してなんとか
持ち堪えて離任式まで勤めました。


そんなツライ時代。
私の人生の暗黒時代。
教務日誌のカレンダーに
1日乗り越えたらバツつけて
「(離任式まで)あと◯日」
って書いてました。
今考えてもあれは途中で辞めても
良かったし
みるみる痩せこけていくのに
時代のせいか
親ですら「正式に離任するまで頑張れ」
って言いましたしね…
今の時代じゃありえない。

もともとその学校に
行くことになったのは
その前にいた学校の英語指導助手の
イギリス人のジリーという子が
その学校のせいで
先に鬱になりまして
ホームシックも重なって
えらい取り乱して
大騒ぎになった時に
あの学校には行きたくない
とゴネまして
教育委員会までひっくるめて
解決策を考えていた時、
私は当時県内の英語指導助手の子たちとは
学校関係なく仲良くしてましたが
なんやかやでやっぱり一緒に授業する
ジリーが一番仲良しだったので
(今だに繋がってるし
再会も果たしてます)
彼女がなんと
Bachiatariと一緒だったらその学校に
授業しに行ってもいい
…といい始め、
私は違う学校が赴任先なので
そこにその日だけ出向するわけにはいかず
まだ転勤のタイミングでもなかったのに
超例外で行かされたわけです。

ジリーとは
2人で授業を話し合って組み立て
できるだけ私は通訳しないように
ジリーはCDプレーヤーみたいにならないように
会話しながら授業をしたのですが
最初の赴任先では受け入れられてたし
もっとすごい授業する先生たちもいたのに、
その学校では
校長はじめ
他の先生たちに
遊んでるだけだと批判されまくりました。
ジリーが嫌がるのは何でなのか
数日でわかりました。

それでもジリーの精神状態は
良くなって任期を終え、
無事にイギリスに帰りました。
しかし
残された私はその後
職員室で孤立しました。



あんな辛かった日々はないし
あれ以上はない。
今だったら新聞やニュースで取り上げられても
おかしくないようなことがいっぱいありました。

でも
あれを乗り越えたから
なんでも乗り越えられたと思ってます。

学校に行く道が坂道で
その坂道を運転しながら
毎回
都はるみの
この坂〜を越えたなら〜
幸せ〜が待って〜いる〜
という演歌がマジで頭に浮かんで
学校に着いたら
車のドアを閉めながら
「あと〇日!」って思いながら
自分に喝を入れてました。

年の近い同僚もいなかったし
相談できる人は
現夫の彼氏しかなく、
精神的にはかなり追い詰められてました。
夫が当時住んでいた京都に
呼び寄せてくれたことだけを
生きがいとしておりましたが
結婚するというのに
私が準備のために
関西に行けたのは
ほんの2回。
ドレスの試着と家の下見。
かなりのズタボロな生活でした。

しかし出会いもありまして
最初の赴任校にも
その辛かった二校目の学校にも
いまだに連絡を取り合っている
生徒が何人かいます。
そう、生徒たちには助けられました。
手強いヤツらもいるにはいましたが
そこは新米教師なら誰にでもあることです。

今でも旅行や出張で関西にくると
連絡をくれて
会ってごはん食べたりもします。
本当にありがたいことです。 

その中の1人
教え子ナチが
昨年末に
同窓会をすると知らせてくれて
九州に帰省するついでに出席しませんか?
…と言ってきました。

ナチは3年生で出会ったということもあり、
進路でちょっと密に関わりました。
ものすごい転換をしたことと
チャレンジをしたことで
私は進路指導が悪いと職員会議で
集中的に叩かれましたが
教え子ナチのご両親が素晴らしい方で
「やりたいことをさせたい」と
おっしゃってくださったので
本人の希望通りとなりました。

その後もずっと付き合いがあり
ここ数年では
SNSでもつながっていたので
今回のお誘いを受けることになりました。


あんなに辛かったのに
全く断るなんてこと思うことなく、
行こうと思いました。
もうこれを逃したら
一生会うことないかも…

今でも覚えているんですが
最後の日
もう一生来ることない
やっと縁が切れる
…と思いながら校門を出たくらい
辛い思い出がつまった場所に
敢えて突っ込んで行く意味って
なんかあるのかなと
思ったんだけど
これも何かに繋がっているのかな…と思い
「是非とも出席させていただきます」
…とお返事しました。




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なんとレギュラー

2020年05月24日 | クォン・スングァン No Reply
最近収録したナンジャンという
ライブ番組が近々放送されるんですが
それが終わったらもう活動がなんもなくなって
韓国に行けない今、
このままな〜んにもないまま
私はファンとしてフェイドアウトなんかなぁ…
…と考えておりましたら

なんと
スングァンくんが
ラジオのレギュラーコーナーをやることに…



MBC표준FM22:05〜24:00
毎週土曜日のコーナー
우리 삶이 음악이 된다면
「人生が音楽になったら…」を担当します。
毎週です…
毎週ですよっ

聞き逃しても再放送がちゃんとHPにあります。
お相手のキム・イナさんはこんな方



人気作詞家でして
この方にアルバムの紹介文をお願いした
…という経緯があります。

さすが作家さんで
「このアルバムに出会ったあなたへ」
という手紙形式で6ページもありました。






この方が今回の番組改編前にやっていた
別のラジオ番組に
スングァンくんはアルバム発売後に
ゲストで出演しました。
それが良かったからでしょうか?
いずれにせよ
もうすぐ2人目のお子さんが生まれるので
定職??についてくれて安心しました

このブログ内でも載せてますけど
アルバム発売以降
やたらとおススメの音楽のハナシをしてまして
さらにはNoreplyのSNSでもやってました。
moment’s playlist と
TUNE’s(ウッチェくん)playlist があります。









そういうことを元々やりたかったのかどうかわかりませんが…
今から思えば昨年の小劇場でもそんなハナシをする映像が流れました。





コーナーは番組にメールをくれたファンに
似合う曲を選んであげる…という主旨で
曲に対する蘊蓄を語るのですが
初回はこれまでいろんな場で紹介してきた音楽でした。
ま、基本自分が好きな曲選びますよね。

こんなプレイリストでした。



坂本龍一の話がでたんですが
彼の音楽との出会いについて
語ったところ
アイドル音楽だったと…
おそらくYMOもしくは一風堂でしょう…





あれはあれで立派な世界観なんですが…
幼きスングァン少年にあれはアイドルと映ったのですね

本人の曲は選曲しませんが
そのかわりこの番組のロゴソングが
긴 여행을 떠나요で一回だけ流れます。
スングァンくんの曲が
ロゴソングとして聴ける日がくるなんて
夢のようです






ちゃんと替え歌になってまして
原曲は

到着したら日が沈むでしょう
ゆっくりご飯を炊いて食べて
いろいろ話でもしよう
特別なことじゃなくていいから…

なんですが

到着したら星が見えるでしょう
ゆっくりボリューム上げて
いろいろ語りあいましょう。
特別なことじゃなくていいから…

…というラジオらしい歌詞になっとります。


さらには…
なんとライブで一曲。
毎週やってくれたらいいなぁ…
来週も期待しよう
今回はLean on meでした。
番組インスタを録画しました。
繋がりが悪いですがお許しを…





これって多分
クウェートに布教に行った時に
教会のみんなと歌って盛り上がったというやつだったと思います。
宗教番組で歌ってた気が…
スングァンくんの洋楽カバーは貴重だわ

あっ
でもGWの始まりにやってしまった
カフェライブでの
Ribbon in the skyがYouTubeにあります
これは直接観たかったなぁ…



本来ライブでも
そんなお喋りが上手な人では
ないんですが
音楽の話だからかめっちゃ饒舌です
観客がいなきゃそんな緊張もしないみたい…



とりあえず
毎週楽しみができて
なんとか私フェイドアウトせずに済みそうです。


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