この同窓会、壮年式ということでした。
壮年会て…
でも
彼らも
そんな歳になってたわ…
見てわからないくらい
激変してたのは
1人(それも男子)だけ。
あとはみんなそのまんますぎ…
そして
私をおちょくってくる子も
そのまんま…
先生私のこと覚えちょる?
って言われて
覚えてるよ〇〇やろ?
って頭で思い出すより先に
名前が出てくる自分にも驚き…
この学年は
常にトップ集団がものすごい
ライバル心で燃えてまして
勝手に勉強してくれるし
その熱意に他の子も
引っ張られていくので
普通に文法とか
教えるのはとても楽ちんでした。
(それがなんか物足りなくて
外国人助手とコミニケーションが
取れるような授業がしたかったんです)
その一方で
スポーツ特待がくることを
期待して全く勉強しない
あるクラブの子たちがアタマ痛くて
そして本当に特待で早めに決まってしまったりするからまたやっかいで…
その子たちとは授業の度に戦争で
挙句に
エリート集団が
そのクラブの子らと私に対して
授業中はやめて
他でやってくれ
…と怒り出す始末。
両極端で
中間が少ないという…
さてやっかいなクラブの子たち…
その中の2人
教え子タカシと教え子タクヤに
再会しました。
教え子タカシは今回幹事もしてくれました。
全くなんも考えずに
参加するって
言ったものの
当時のお礼参りが今頃きたら…
…と受付の直前頭をかすめましたが
そんなことは全くありませんでした。
逆に会うなり教え子タクヤに
先生変わらんなぁ
よう来たなぁ
あんな大変やったのに…
…と労られてしまいました
教え子タカシは
悪いヤツではないんですが
当時はそのクラブのスポーツのことしか考えられない子で
その顧問の先生から認められればそれでいいというところがあって
私もそうですが
それ以外の教員の話は
全く聞き入れない
本人悪意はないんですが
ほんとに勉強を全くしない子でした。
でもそのスポーツのおかげで
高校も大学も進学したのです。
実はインターハイの季節には
新聞でずっと彼のことをチェックしていました。
今は地元に戻り
母校の外部コーチとして
当時顧問だった先生と一緒に
選手育成に励んでいるとのことです。
教え子たちと話していると
昔のままで…
教室のHRとか給食の時間とかのようでした。
でもそれぞれのこれまでの時間が
みな驚きで…(特に女子)
なかなかみんな波乱万丈で…
なんでこんなにそんな人ばっか
集まってきてんの?…地域性か??
…というくらい
揃いも揃ってみな大変だったみたいです。
その中の1人
教え子シホ
この子は
顔とかは変わらないけど
雰囲気がすごく変わってびっくり
大人しくって
ひっそりしてて
そんな積極的に話しかけてくる子じゃ
なかったのに
がっつりグラス持って席移動してきて
ずっと隣にいて
先生インスタやってたらアカウント交換しようや
…とぐいぐいきました
この子は
あの頃はまだ自分が確立されてなかっただけなんだな…
例にもれず波乱万丈な話を聞かせてくれて…
まだ傷が癒えてなさそうではありましたが
前向きに頑張ってて
すんごい素敵でした。
で、この同窓会。
当時の同僚…というか
先生方は
誰一人出席してなくて
あぁ、やっぱりそんな感じなんや…
…と思いました。
教え子タカシが幹事でしたが
相変わらず無計画なので
二次会が中途半端になり、
なんだかバラバラと解散することになりました。
私は教え子ナチにホテルまで送ってもらうことになり、
そこに便乗してカラオケBOXまで行くという
教え子タカシ、タクヤ、シホと一緒の車に乗りました。
その車の中で教え子タカシに
先生ほんと俺らみたいなん大変やったね
…とあらためて言われて
泣きそうになりました。
いろんなことが頭をかけめぐりましたが
立て続けに教え子タクヤが
俺らアタマ悪くて勉強はせんかったけど
悪党ではなかったから
…と言われもう撃沈でした
辞めた理由は
生徒が問題だったのか
周りの先生が問題だったのか
3年生を持ったのが問題だったのか
授業方針が問題だったのか
そもそも私に適性がなかったのか
いろんな原因があったのでしょうが
どうしても
私の心が
開かなかった
それが原因だと
彼らに再会して知りました。
そして
私が苦しかったことにも
やっと意味があって
今に繋がっていることに
納得できました。
教え子タカシ、タクヤに
そして今回来なかった
アキラ、ケイスケ、マサカズにも向けて…
あんたたちにおちょくられて
私は鍛えられたよ
たまにブチ切れたけどね…