バチあたり自堕落生活

旅と音楽と写真…
好きなことをだらだら語ります

バチあたり里帰りの目次

2020年06月06日 | バチあたり里帰り
こちらを起点にしてお読みください。









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変わらないもの 変わったもの

2020年06月05日 | バチあたり里帰り

さて、その後は
「元」地元民がおススメする
由布岳が最も美しく見えるポジションです。
こちらは青春18切符のポスターにもなった
アングルです。


小さな町なのに
空も山も広くて大きい…
その大きさに比べたら
ホテルが増えたとか
あそこの家がなくなったとか
全くわからない
ずーっと
ずーっと
変わらないまま
由布岳は
そこに座ってたんですね…
これだけは変わらないもの
…それを確認できて満足しました。

実は
家族の中で私だけが
関西にいることもあって
引っ越して以来
由布院に足を踏み入れることは
なかったんです。
なんとなく…
この風景をみたら
引越したことへの後悔に苛まれそうで…
(私自体は内心引越しに反対だったので)

私の人生に縁が深い
アーティストさんが
由布院でMVを撮った時
その後
私も帰ってみたいと初めて思うようになりましたが
なかなかその機会が来ず…
3年近く経ってやっと実現しました。



自分の勤めた中学校は2校とも
全く当時のままでしたが
自分の母校は…

全く違う学校に…



校庭は変わってませんでした。



あまりにも
変わってしまうと
なんか諦めのようなものがつきました。
私にとって中学校時代というのは
とても特別な思いがあり、
それで中学の教員になったとこもありました。

不思議なものです。
辛かった(職場としての)中学校の方が
変わらない姿で
そっちの方が懐かしさにあふれました。


ちなみに小学校は体育館が変わってましたが
基本構造は変わらず…

あ、4年生の時
このブランコから落ちて骨折しました






駅前に車を停めて
教え子ナチがおススメだという
「旅の図書館」というところに
やってきました。





隣にある駅舎のデザインを損なわない
ステキな建物でした。








見ただけでわかる人にはわかる坂茂デザインです。

ステキな窓に映る木の枝の影。
いいなぁ…
外にも中にも木があるわけです。




1階は観光案内所
荷物預かり所
お手洗いなどがあり、
2階は
由布院だけでなく
九州中心のあらゆる旅のパンフレット
世界中の旅行本
旅に関する書籍がたくさんありました。


この建物内から見える由布岳の姿は
私には新鮮でした。
駐車場の向こうにある道は
私が小さい時からのまんま、
全く変わってなかったです。




いよいよ立ち去らねばならない時間になったので
駅舎へ…
こちらは磯崎新のデザインです。





この場所こそMV撮影地だったんですが
(ピンクで囲んでるのが私の家だったとこ)






奥の踏切手前のフェンスまで…







あまりにも時間がなくて
行けず…
結局こんな風にしか撮れず…
それが唯一のココロノコリ






だって
え?もう?ってくらい早く
ゆふいんの森号が入って来ちゃって…



なんやかやで
初めて乗りました




中はお客さんいっぱいで写真無理…
自分の家やら見える方向の窓に
へばりついて
しっかり目に焼き付けました。

最後の最後まで
諦めきれずに撮った写真






時々よい景色になったりすると
速度がおちまして
よく見えるようにしてくれたりしました。

この滝の存在とか
すっかり忘れてました。
あと写真撮れてないんですが
切株山って呼んでた山のあたりも
徐行しましたね。


そして
一見済州島っぽい景色もありました。






そして現在の実家の最寄りの停車駅まで
豪華列車の時間を堪能しました。




今回
自分の気持ちの整理もしながらだったので
結局旅から半年がかりで完成した記録です。


今思うのは
一番つからかった日々が
実は一番よい時代に変わりうる…
そして人生は常にConnected…
これに尽きます。


韓国ネタでもないのに
お読みいただきありがとうございました。

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バチあたり里帰り

2020年06月04日 | バチあたり里帰り
午後からは
予定通り
里帰り。
それも20年以上ぶり。(多分23年??)

教え子ナチが車で連れて行ってくれたおかげで
行きたいとこだけ行けました。

まずはやはり
ここ…



由布岳の登山口です。
毎日この山を見て育ちましたが
登ったのは一回だけ。
その後はなかなか機会がありませんでした。


この由布岳の横顔ってのも
味があると私は思ってました。
そしてこの草原。
春は野焼きで真っ黒になります。
夏は美しい緑
風が吹くと波みたいになります。
秋から冬はこんな色。
外国っぽい…と思ったりします。

この日は
なんだか面白い模様の雲でした。


その後
もう少しだけ町に近づいて
盆地を見下ろす
狭霧台に来ました。

このアングルは超有名です。
朝は霧が溜まっていてとても神秘的です。
この朝霧、住んでる時は
朝学校に行く時
真っ白で前が見えないのは
全国共通だと思ってました。



65倍ズームで
自分の住んでた家周辺を撮ってみました。



中学校です。
やっぱりこの時代のことが
自分の人生に一番影響あったと思うので
大事な思い出です。


こちらは小学校。
高校時代の友人が
教員としてお勤めだそう…


真ん中なにょきっと生えた
ドーム状の屋根が由布院駅です。


このまーっすぐな道は
私の通学路でした。
単なる農道なんですが
実はこのあたりが昔から
写真スポットでして
よくカメラマンさんに出会いました。
撮られたりしたこともありましたが
アングルのメインは山です⛰



狭霧台に纏わる思い出は
手前にあるピンクの三角屋根。
今は知りませんが
当時は「ハイツ」と呼ばれてました。


このハイツには
テニスコートやプールもあり、
私はよくここに連れてきてもらってました。
右側の広場には
昔ブルートレインの車両があって
夏休みには子ども会キャンプで来たり…
考えてみるとめっちゃハイツのお得意さんだったみたいです。
そしてこの広場のくぼみ…



昔は池だったんですが
山っていうカタチだったんです。
6才くらいの時に父が狭霧台で
そのことをおしえてくれたのを
いまだに覚えています。
まだ痕跡があって良かった。

そしていよいよ
住んでいた家へ…
この家には私は8才から17才までしか
ちゃんと住んでいませんでした。
(高3から1人暮らしでした)
帰る家として存在していてくれたのも
結婚して1年くらいではなかったかと…
両親置いておくには
あまりにも不便で…
寒いし
お店はないし
外食するには高い店ばかりだし
大きい病院がないので
何かの時に不安…
何より両親が望んだことなので
ここを出て
私の帰る家は
九州の別の場所にあります。

その後この家は
グループホームになったようです。
あの当時は珍しかったカウンターキッチンだったので
使い勝手としては良さそうです。

しかしベランダ
(こういうマンションぽいのは
やはり当時は珍しがられました)の下はもっとちゃんと片付けないと…



この家の前から見える由布岳はこう…
これだけは観光客には見れない地元の姿。


そして夕陽はこの山の向こうに
沈んでいくのを
いつも犬の散歩しながら見てました。




いわゆるテレビでよくみる
由布院っぽいとことは
これくらい離れてます。
歩いたら40分くらいかかります。




かといって住宅ばかりでもなく、
ここに家を建てた理由は
この裏に
老舗のホテルがあるんですが
そこが親戚なんです。
なのでお風呂は毎日ホテルの温泉
(家族湯で内鍵付き)入ってました。
露天風呂もあります。
お風呂の後のプリンが有名…
…というとわかる人にはわかるかも??







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温泉街で素敵ランチ

2020年06月03日 | バチあたり里帰り
ランチの時間になりまして
どこに行きたいか予め聞かれていたのですが
自分が知ってるお店がまだやっている保証もないし
教え子ナチがワークショップやら
展示やらやったりするいくつかのお店の中で
この日唯一営業していたお店に行くことにしました。
途中から前夜の同窓会でぐいぐいきてくれた
教え子シホが合流。
彼氏とお出かけするのでランチだけご一緒しました。

教え子シホは現在庭師。
昔のおとなし〜いイメージとは
かけはなれたゴリゴリな4駆車で登場。
かっこよかったです

さて
目指したのは別府の鉄輪温泉。
石畳の風情がよかったです。





こちらがおじゃましたカフェです。
古民家をリノベした
風景にマッチしたたたずまい。


むすびのさんといいます。
穏やかなマスターが出迎えてくれました。


玄関の傘立てがなんか気になりました。
本気アンティーク感が…


店内にはアート雑貨の販売もあり
教え子ナチの作品も…


こちらはまた別のアーティストさんの作品。


展示のような
インテリアのような…


数字のペンダントちょっと買おうか迷ったり…


楽しいランチタイムを過ごしました。
むすびのランチをいただきました。



釜山の屋台を思い出す
砂肝の炒めもの
パセリのナムル(これ真似したいと思った)
スンドゥブ



トムヤムクン風魚介スープ
豚の角煮
玄米ごはん

ボリューム満点でした


お店を出て少し散策。
湯煙が温泉地らしい…
この湯煙なるもの
温泉地育ちには全く無意識でして
大人になってから
湯煙っていいな…と気づいたのです。


鉄輪温泉て
あんまり馴染みがなくて
旅行で行ったという人から
蒸し湯が良かったというのを
聞いたことがあったんですが
まさにそれがココ


公営らしいです。
さらに道端には
足だけの蒸し湯〜
やりたかったけど
私タイツ〜〜〜


ここに足つっこみたかった〜〜


また来ることがあるのかどうか
わかりませんが
この辺に泊まってゆっくりするのも
いいなと思いました。
大分ってもともといいとこ多いんですが
行きたいところはキリがない…
韓国みたいに通ったらいいのかな…
でも交通費が韓国行くより高いんだよな…




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知らなかった景色

2020年06月02日 | バチあたり里帰り
この日は
自分が生まれた町を
見に行こうと思ってました。

別府まで行って
そこから更にバスで行くつもりでしたが
教え子ナチが
先生に見せたい景色があるから
それは見て帰って欲しい
…というので
午前中はそうすることにしました。

車で迎えに来てくれて
まずは中学校に行くことに…
ここの校舎も全く変わってない。



自分で運転してくる時は
吐き気と戦いながら
この門をくぐってました…

そういえば
この門に入る直前に
見事な銀杏の大木があって

この木は相変わらず秋はキレイなんですよ〜

…と教え子ナチに言われましたが
全く記憶にない
かなり目立つ木なんですけどね
多分学校が目前すぎて
なんも見えてなかったんでしょうね

この学校は1階に職員室があります。


お正月三ヶ日でも
出勤してる先生がいました。
こういう風潮は相変わらずなんだな…
そしてこのドアを開けると
すぐのとこに私の席があったので
放課後になると
このドアから
教え子ナチを含むいろんな生徒が
下校前に覗きにきて
いろんな話をして行きました。
あ、このドアは通用口というか換気用で
出入りするのは体育の先生くらい…
玄関は別のとこにあります。

周囲をひとしきり見たあと
私のリクエストで
海岸へ…


ここは
遠足の引率できたことがあって
ちょっと前に
テレビ観てたらでてきて
すごい懐かしくなったのと
どんな海だったのか
もう一度確認したかったので
連れてきてもらいました。


すると
遠くから

先生〜
ナチ〜

…と私たちを呼ぶ声が…

近づいて来たのは
教え子アキ
彼女も前夜の壮年会で一緒でした。
お母さんと
娘ちゃんと
息子ちゃんと
朝の海岸をお散歩してました。



教え子アキは東京に住んでるので
子どもたちには
すごいいい環境。




その後は
美術館へ…



この旅もNo museum No trip
実はここ
教え子ナチの実家の隣にあるのです。
教え子ナチのご両親がやっています。
教え子ナチの叔父さんは画家だったので
その叔父さんの作品を展示しています。
叔父さんが画家だったことは当時も知ってはいまして
確かに絵が好きみたいだし
(テストの答案の裏にすごいの描いてました)
教え子ナチはそれで美術系に進むとばかり
思っていたので
私の姉が美大出身なので姉が行ってた
県内に唯一ある美大&芸術高校進学用の塾を紹介しました。
夏休みに数回行ったのですが
体験した後
なんか違う…
絵は学校じゃなくても描けるし
…といい始め
その後の進路は急展開。
ちょっとすったもんだしましたが
当の本人は
やりたいことがいっぱいありすぎる
…とのこと。
そしてそのやりたいこと
一通り「全部」やって
今また絵に戻ってきたのです。

この美術館や
別府市内のカフェなどで
パステル画の教室をしたり、
オリジナルマトリョーシカや
描いた絵で
ポストカード
Tシャツ
マウスパッドなどを作って
販売したりしています。









絵本も出しています。





…でも
小学校の非常勤講師もやってます。
やりたいこと
まだたくさんあるらしいです。



叔父さんの絵に囲まれた空間で
お茶をいただきながら
この美術館を開くことになったはなしを
聞かせてもらい、
教え子ナチの一番下の娘ちゃんにも会いました。
お母さまにも久しぶりにお会いしました。
このご両親の教育方針が
当時苦しかった私の支えになりました。
やりたいことはしぼる必要はない、
順番にやればいい…
問題はその順番の付け方なんですよね。
そこをうまく誘導するのが大人の役割だったのかな…
そして娘ちゃんと会話する
お母さんの顔をした教え子ナチは
やっぱり本人のお母さまとそっくりで
子どもの気持ちを尊重する
いいお母さんでした。


最後は
港に行きました。
ここの地名もまんま「港」です。




城下カレイやら
アジやらサバやらで
このあたりは有名でしたが
当時驚いたのが
大漁、もしくは「ものすごいイイモノ」が
釣れたりすると
私たち教員に招集がかかって
その漁師さんち(生徒の家)で宴会になるんです。

あの頃の贅沢は夢のようです。
城下カレイの味はこれで覚えた😋
私はお酒が弱かったので
イイモノひたすら食べてました。











そして教え子たちには
漁師を継いだという子が
意外と誰もいないと知りました。
時代かな…

教え子ナチが私に見せたいといった風景は
これ。
ここが季節によって様々な色に変わる
お気に入りの場所なんだそう…

ちょっとした北海道みたいな場所…






こんないいところだったのに
知らなかった景色をたくさん見ました。
全くどこも自分の足で歩こうとしなかった
あの頃。
少しでもこの町のことを知って
町の中に溶け込もうとしていたら…
多分私の人生ちょっと変わったかな…






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