麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

★街の守護神だった銀杏の巨木を枯らしたのは再開発?

2010年02月26日 | 店声仁語
★港区三田小山町、現町名は三田一丁目、大きな再開発が進んで100mを超す高層マンションが二棟ほぼ完成しています。久しぶりに近くを通りかかり、「なんてことをするんだ!」と思わず声を出してしまいました。左の写真は工事の始まる四年前(2006.6)のものです。樹齢400年以上と言われる大銀杏は根元に銀杏稲荷大明神(白瀧稲荷神社)をお祀りして、地域のシンボルになっていました。小山町地域は戦災にあわず、戦前からの古い町並みを残していたのが今の再開発につながったのでしょうが、この銀杏の巨木は遠くからも目印になるものでした。もしかしたら小山町地域を戦災から守ってくれたのは、ここにお社を建て銀杏稲荷として大切に見守ってきた地元への巨木の木魂だったのかもしれません。昨日私が目にしたのは、切り倒されきざまれた銀杏の木の残がいでした。作業員に聞くと、「樹に空洞ができ、枯れて傾きかけてた。倒れると危ないので…」とのことでした。「馬鹿な、あんなに樹勢豊かに生い茂っていた巨木が、そんなに簡単に枯れるわけないだろう。枯れたんじゃなくて枯らしたんだ。再開発が地域の守護神を、ご神木を枯らしたんだ」と、何とも情けない思いでした。根回り7、8mはあるだろう巨木の根は、まだしっかりと大地をつかみ生きているように見えてならないのです。100mもの高層ビルを建てるのですから深く地下を掘るでしょうし、水脈にも影響を与えるでしょう。しかし、それだけの建築技術があるゼネコンなら一本の樹を生かせないはずはないと思うのです。枯れたのではない、枯らしたのだと思わずにはいられないのです。
 この銀杏の木は白瀧稲荷神社(銀杏稲荷)のご神木で、かつてはすぐ隣にあった権太夫稲荷神社のご神木と寄り添うように二本の銀杏の木があったそうです。権太夫稲荷神社は明治の末に市電開通の際遷座しましたが、銀杏の木は伐採されてしまいました。その時伐採に携わった人々は次々に原因不明の病気や事故で亡くなりました。お稲荷さんのたたりと恐れた地元の人々は京都の伏見稲荷神社まで出向きお祓いを受け、その後は不思議と事故もなく平穏無事に過ごしたと言われています。長い間、地元の人々が大切にお守りし育て、ランドマークとして親しまれていた樹木が失われるのは、何とも寂しく情けなく、残念でなりません。その巨大プロジェクトのコンセプトに「都心の杜、都心の芸術、都心の癒し・・・」と書かれているのをみると、「ふざけんじゃねぇよ!一本の樹木も救えないで…」
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★青春とは・・・

2010年02月07日 | 店声仁語
★青春とは 人生のある期間ではなく 心の持ち方をいう 大切にしたい「心の若さ」を
      ・・・・・・(NPO PTPLのHPより)

短いことばに なんと意の多いこととあらためて感じています
三度目の成人を過ぎて 還暦 そろそろ古希
「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」
酒債はありませんが それでもこの不況ですから「債はちっぴり有り」
今の七十歳 高齢者ですが 稀ではないですね
現代の杜甫はどんな詩を書くだろう
「国債は尋常行く処に有り 人生九十古来稀なり」かな

―― 追記 ――

曲江 その二     杜甫

朝 囘 日 日 典 春 衣  朝(ちょう)より回(かえ)りて日日(ひび)春衣(しゅんい)を典(てん)し、
毎 日 江 頭 盡 醉 歸  毎日 江頭(こうとう)に酔(え)ひを尽くして帰る。
酒 債 尋 常 行 處 有  酒債は尋常、行く処に有り。
人 生 七 十 古 來 稀  人生七十 古来稀なり。
穿 花 蛺 蝶 深 深 見  花を穿(うが)つ蛺蝶(きょうちょう)は深深(しんしん)として見え、
點 水 蜻 蜓 款 款 飛  水に点ずる蜻蜓(せいてい)は款款(かんかん)として飛ぶ。
傳 語 風 光 共 流 轉  伝語す 風光、共に流転して、
暫 時 相 賞 莫 相 違  暫時(ざんじ) 相(あい)賞して 相(あい)違(たが)ふこと莫(なか)れ、と。

         ホームページ 『小さな資料室』より

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