麻布十番未知案内 BLOG編

麻布十番のこと、赤い靴の女の子「きみちゃん」と「きみちゃんのチャリティー」のこと(HP編 http://jin3.jp)

★向こう三軒両隣に挨拶もない開店、それが今風ですか?

2009年07月20日 | 店声仁語
★「引越し蕎麦」という言葉はもう死語なのだろうか。江戸時代に始まったと言われる「引越し蕎麦」は、「おそばに参りましたので、細く長いお付き合いをよろしく」という江戸っ子の洒落からきているそうだ。近所に住んでいても、面識のない人には声をかけにくいという雰囲気がお互いにあるので、ここは新しく転居してきた方から「引越しそば」を片手に一声かけておいた方が、その後の新生活が円満に充実したものになるのではないかと、本来はそのような 意味合いで始まった「引越し蕎麦」は、東京では昭和の初め頃までごく一般に行われていた風習だった。
 最近では元来の意味も薄れて、引越し当日に家族や手伝いをしてくれた人達と一緒にお蕎麦を食べることが「引越し蕎麦」と言われているとか、今風なの だろうか。近代化されたマンション生活では隣人がどんな人かもわからないことがごく普通のようだが、商店街に新しく開店したお店がそんな感じだとしたら、挨拶がないことに不快感を感じるのは高齢者のひがみ、歳とったせい だろうか。長い間空き店だったビルが改装工事はじめたときは、よかった、どんなお店がオープンするのかと喜び期待しながら見ていたのだが、「工事中ご迷惑をおかけします」のひと言もなく、「新しく開店しました、よろしくお願いします」のひと言も、向こう三軒両隣にさえない新店舗。そんなものか、マニュアル以外のことはやらない、そんなものかと思いながら、それでもオープンの日にはお祝いにと買い物に行ってみたが、挨拶がないくらい だから誰が店長かオーナーかもわからない。
 売れればいい、流行ればいい、これが現代風の経営だとしたら寂しい限りである。それとも前期高齢者に片足がかかった私の考えが古いのだろうか。いや、そんなことはない、麻布十番は温かな心のふれあう街づくりをしてきたのだから、ごく普通の挨拶ぐらい出来る店、店員マニュアルをもって欲しいと思う今日この頃である。
 因みに、一年間工事が止まっていた向かいのビルの責任者は、工事再開にあたって「長い間ご心配をおかけいたしました。また工事が始まりますのでご迷惑をおかけいたしますがよろしく」と挨拶にきていった。「よかったね、気をつけて工事して」と返す言葉、それが近所付き合いではないだろうか。

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★遅バカうどん??

2009年07月03日 | 店声仁語
一年前のこの欄に、こんな息子との親バカ会話を書いたのですが、その後の報告です。

 ★連日の暑さ、さっぱりした昼食をと冷や麦を用意した家内、息子に
   「お昼よ~、早く食べて学校行かないと遅刻するわよ」
   「わかった。で お昼 なに?」
   「暑いから 冷や麦よ、Mさんにお中元で頂いたから」
   「冷や麦とか素麺とか 好きじゃないんだなぁ」
   「しょうがないでしょう まだいっぱいあるわよ」
   「今度さ おそばかうどんにして下さいって言ってよ」
言えるわけないけど、Mさんこのサイト見てるかもしれないから来年に期待して、今日は冷や麦食べて行きなさい。アハハ。

P.S.Mさんから早速メールがきました。
 『おっ!店声仁語が更新されてる!って身を乗り出したら、何!コレ僕のこと?全国サイトに出ちゃって嬉しいな・・・って感 じ。来年から、おそばかうどんにします。悠貴くん、 奥さんに宜しくお伝えください。アハハ。 ところで 「遅バカうどん」 なんてうどんがあったら面白いね。今後も店声仁語楽しみにしています。』 

「おそば か うどん」が「遅バカうどん」?面白いですね。来年は「遅バカうどん」をよろしくお願いします、Mさん。 アハハ。


 そのMさんから昨日お中元が届きました。一年前のコラムを忘れずに、今年は例年の「冷や麦」ではなく、「遅バカうどん」ならぬ「美味しいおそば」がいっぱい でした。 (^_^)v 今日のお昼にさっそくおそばを頂きました。お返しは例年通り「ビール」。景気悪いから発泡酒かな?

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★森光子さん 国民栄誉賞 おめでとうございます

2009年07月01日 | 店声仁語
★「十番だより」7月号に寄稿しました。
DISCOVER JUBAN   麻布十番再発見  ─ 17 ─  

 私が「十番だより」を編集していた1986~1996年まで、「好きです十番」というコーナーがありました。毎回著名人にインタビューしたり、原稿をお願いしたりして、読者の皆さまに親しまれ楽しみにされていました。森光子さんが、「放浪記」二千回公演を達成され、今日国民栄誉賞を受賞されることを聞き、「好きです十番」のインタビューに芸術座の楽屋をたずねた時を思い出し、懐かしく「十番だより」のバックナンバーをひもといてみました。
 「放浪記」の初演は1961年、インタビューにうかがったのは1994年11月23日に1200回公演という大記録を達成した何日か後の芸術座の楽屋でした。その時、「回数より34年という年数が大変でした。34才若かったわけですから・・・」とおっしゃっていたのを覚えています。それから更に15年、800回もの回数を加えて2017回、48年間の公演というのは本当に驚きですし、まさに国民栄誉賞にふさわしいことですね。

 「好きです十番」は、1986年9月号が第一回でした。最初のゲストは、文豪谷崎潤一郎夫人の谷崎松子さんでした。続いて、上村香子さん、石井ふく子さん、赤木春恵さん、杉村春子さん、山本学さん、山岡久乃さん、東てる美さん・・・と毎月ビッグなインタビューが続くのですが、もちろん直接訪ねられるわけではありません。大勢の方々に助けられ、紹介されてのコーナーでした。フクヤ化粧品店の藤和子さんにはずいぶんと助けていただき、森光子さんも藤崎さんの紹介でした。いつも一緒にインタビューに同行してくれた栗原智山の栗原秀夫さんが健在だったら、あの頃を思い出しながら一杯飲んでいたかもしれませんが・・・。
 健康であることの大切さをあらためて感じながら、森光子さんの受賞をこころからお祝い申し上げます。

↑この写真は、平成7年1月号の「十番だより・好きです十番」です。
「健康であること、身体も心も大切ですね・・・」と話され、「花はいろ、人はこころ」のサインを頂いたこと、昨日のように思い出します。この「好きです十番」のタイトルは杉村春子さんに書いていただいたものです。

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