アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

阪神淡路大震災

2012年10月04日 | アユと凛のこと
阪神淡路大震災でお子さんをなくされた方のブログを読んでいます。
自分と重ね合わせてしまって辛い でも読みたい。
知りたい。
自分のこのどうしようもなく切ない気持ちの行き場所はどこなのか
だからムシャぶり読んでいます。
17年の記録は1~2日では読みきれません。
しかも泣きながらだから時間かかります。

思えば阪神淡路は人事でした。
酒田にはこんな地震はこない と変な自信がありました。
酒田には来ない=うちには関係ない でした。
その時にそう思った自分を今更反省しています。
人事じゃぁなかったんだよね。

こんな切ない苦しい思いを17年も・・・
自分もそうなるのかな?
アユは帰って来ないんだよね?
凛は  いつか帰って来るかな?
どこにいるかわからないから、
他人には帰って来ないと思えても
私はいつか帰って来るとずーーーっと思いたい。
それが私の凛への愛情
アユにもいつかまた会える。
人生の折り返し地点は過ぎたから
あともう少しでアユにも会える。
そう思っています。

これからもずーっとアユと凛を想いながら
中心はそこに置きながら
生きていくんだね 私




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人違い

2012年10月02日 | アユと凛のこと
アユと凛は空にいるのでしょうか?
どなたか行って会って来た方がいらっしゃるらしい

私には3人の子どもがいて
今はアユだけいない
2人の子どもは一緒に住んでるし
「くーちゃんはこう思ってるかもね」とか
「タカはこう思ってるよきっと」と
他人に子どもの言葉を代弁されるのは、
今いる子どもの言葉は代弁されても、後で本人に
「そう思ってた?」って聞けばいいから
どうでもいいんだけど、
アユや凛の言葉を代弁されるのは嫌だ

まして知り合いでも何でもない人に
「娘さんはあなたに少しでも楽な日々を送ってほしいと
空の上で願っている」って
聞いて来た様な言葉
って言うかその人うちの娘ではありません。
アユはそんな生半可に優しい事は言わないし
「楽」なんて言葉は使いません。

それからね
どんなに辛い日々でも
死んでしまったのと大変でも生きているのとでは
全く違います。
恐怖との戦いの日々でも
生活の中で笑う事もあるでしょう、泣く事もあるでしょう。
それが「生きる」事で
死んでしまったら何もないんです。
「何も」です。
子どもを失くさないとわからない事です。

アユと凛はいつもは空の上にはいません。
ゆう君の所や私の所にいるのです。

空の上にいる方はどなたか別の人だと思いますよ
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