少し前へ!

歩いてきた道をもう少し前へ

コロナ感染

2023年01月03日 | うさちゃん

新年にまとめて

昨年12月コロナ感染になってしまったうーさん

施設から―毎日「今日は熱39,2の発熱、食事もできず

苦しんでいます本当にごめんなさい」と連絡が入る

「本日も39,食欲もなく苦しそう 治療薬を使いました」

等の連絡が入る私は思わず「命だけは守ってください」と

言ってしまう、「食事は胃瘻を全面的に、胃瘻をすると排便が緩くなるので

おむつを確認していただきたいです」とはなす。点滴だけでは栄養面で不足ですので、

うーさんは胃瘻をしていますが「口から食すことをモットウに頑張っているので」

普段は朝食だけ胃瘻、昼、夕食、は口からの食事をしています。その対応ができるような

胃瘻の手術をお願いして行ったのです。もちろんプールまでできています。が

今はコロナ感染が終わるまで頑張ってほしい

 

2週間後うーさんのコロナ感染治療終了しました

今は笑顔で食事等楽しんでいますとのことでした

無事終了本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


もう一つのクリスマス

2023年01月03日 | うさちゃん

昨年クリスマスイルミネーション

我が家のお向さんのご主人

道路挟んだ自宅、この日、ゴミ出しをしていたらお向かいのご主人さんも来た

挨拶を終えてからイルミネーションきれいですね、毎年増えてきて楽しみですね

ご主人「娘が今はまっていて毎年増やしているのですよ、うーさんに見せてやりたいですね」

有り難うと私、 普段会話することなどないご主人さんの一言に心を打たれました。

すぐ、仏壇の夫に伝え、時折見える娘たちにもこの言葉を伝えたかった

共に喜び会いたかった。

娘たちはその言葉うれしい

すてきな言葉と喜んだ 

              

 

 

 


小学校4

2022年11月21日 | うさちゃん

普段思うように訓練ができず

夏休みは力を入れて取り組む

朝早く児童公園へ行く誰もいない公園でござを敷いて寝返り腹這い

課題の訓練を済ます。

何事もなかったように朝食の準備や食事介助

だんだん気温が上がり熱くて体が動かない

ゆっくり休んで市民プール(当時長町市民プールがあった)

自宅で水着を着てすぐプールへはいれるように準備をして車に乗る

うーちゃんは直径50センチの浮き輪(体にぴったりのもの)に入り

子供たちが騒いでいるところへちかづいていく

足も頭もぐんぐん動かし子供たちの笑いの中へ進む

同じようにみんながふざけると自分も笑う、

分かっているのか不思議に楽しそうにして体を存分に動かす

うーさんの喜ぶ顔がうれしい

雨が降らない限り毎日通う

これが夏休みの遊びだった

夏休みが終えるころ

日焼けして裸にすると水着を着ているように

日焼けをしていた。

おかげで年中風邪もひかず元気に過ごすようでした。

どんなに努力しても、首のすわり寝返りも麻痺の力にはかなわない
精一杯喜びを持ち頑張れば麻痺を背負いながら
生きていくしかない

うーさんの満面の笑顔を見ながら思う私がいた




 

 

 

 

 

 

 



運動会

2022年11月20日 | うさちゃん

運動会、ここの学校は知的障害を持つ方が主なので超重度の子供の運動会って

どんなこと?になるか?

初めての運動会

校庭の真ん中に青い大きなシートが敷かれて生徒さんがシートを囲み

待っていた超重度学級の子供たちがそれぞれ介助されながら

シートに入りスタートラインに立つ、ゴールあらかじめゴールまでの

タイムを登録しいざ、寝返りで、いざりで、ハイハイで 四つ這いで

出発の合図でみんな自分の移動手段を使いゴールまで移動

介助をいただきながら 最後は登録したタイムに一番近い方が一等

シートの周りで皆大きな声で頑張れ頑張れのコール

初めての様子に泣き出す方もいたがそれぞれ頑張りました

感動の運動会でした

40年前の出来事を今も鮮やかによみがえってきます

 

 


小学校3  通学バスに乗った

2022年11月09日 | うさちゃん

当時、養護学校、重症児の入る学校は仙台市に一つだけ

通うためには、自家用車、タクシー、家族に送ってもらう、でした

昭和56年この年から重度の子供たちの通学バスが配置された。

このばすに乗るには親が一緒に乗らなければならないのです。それは

障害が重く何かあったら大変で、寝たきりの方お座りできない方、たとえお座りできても手を離すとどこへ転がり込むか?  それで必ず親付きが条件でした

一台のバスは仙台中から通学する方を乗せるので全員が下りるまでかなりの時間を要したのです、

帰りなど抱っこして出発するのですが、

親たちは気持ちよく眠ってしまい、あっと子供から手を放しそうになり

びっくりすることが度々ありました。2年から

我が家はうーちゃんの姉たちが学校から帰るころになるため

自家用車で通学をすることになりました。

私は運転免許を取っていたのでおおたすかり

今後、車はうーさんを育てるための必要不可欠の移動手段となっていきます。

帰宅後母少しの休憩と家事です早めの夕食を終えうーさんの簡単な訓練があります

うーさんの車のナンバーは彼の生年月日  12月14日

1980年 普通車、車椅子ごと乗れる車は市場に出でいませんでした

2007年 ラクテス~初めて車椅子ごと乗れるスロープ付きなので快適になる

      12年後、体も車椅子も大きくなりつぎの 

2019年 シェンター車椅子使用者リモコンによるリフトなので83歳の私でも

    一人で乗降させれて助かります。年々快適な走行ができ、車の構造?の

     進歩は急速に技術が高まり時代の流れを感じるこの頃です。

     後どのくらい乗れるか分からないけど、無事故無違反をこれこれからも

     貫きうーさんの大切な足となって移動しよう