少し前へ!

歩いてきた道をもう少し前へ

葛籐

2023年09月09日 | うさちゃん

これは前にも書いたものです。

葛籐

拓野20歳過ぎたある日私の家に初孫が生まれた。拓野も含め皆でうぶゆのまわりに集まり笑顔笑顔でした。

それからなんか月過ぎたでしょうか?赤ちゃんはスクスクと育ち始めていたころ

拓野デイサービスへ行く時間なっても喜ばない食欲もなく楽しみな(つどいの家)へも行かないといい始める。

このところ元気がなさそうだし

今日は赤ちゃんも来ない家には誰もいないから拓野とゆっくり話をしようと

拓野の布団に入り寝ながら、

言葉のない拓野の気持ちをじっくりと聞き伝え合うのは難しいけど

私は覚悟を決めこんなにゆっくりと話すのはしばらくぶりだね

それでも拓野は浮かぬ顔

体どこか痛いの?(拓野首を振り違うという)

みんな赤ちゃんがかわいくてやきもち焼いている?(また首を振る )

体もいたくない、、やきもちでもない、それでもおきないというの?(うん)

ご飯も食べないんだよね(うんの合図)

ご飯食べないと死んでしまうよね(うんうん)と反応する

拓野は死にたいわけ又(うんうん)

言葉のない拓野の言い分を解すには会話が延々とっずく

ようやくわかってきたのは

あかちゃんは訓練しなくともなんでも自分でできてくる。

自分は毎日毎日何年も訓練がんばっているのに何にもできない情けない、悲しい、苦しい、

死んだ方がいいと思うのはそのこと?(うんうん)

私は拓野をしっかり抱きしめて(拓ごめんね、)お母さんも悔しい、悲しいつらいと

2人で大きな声で泣き合いました。

思いっきり泣いてから拓本当にごめんね、お母さんは拓にお詫びしてもお詫びしてもお詫びしきれない本当に申し訳ない

あなたが生れたとき、首にへその緒が巻かれていたの、なかなか出てこれなくて先生は思いっきり引っ張ったそうです。

すると首に二重にへその緒が巻かれていた跡がついていた、その色は赤黒くとても怖かったそして死んで生まれたのです

もう命の保証は無理です。そうやって父親にいったそうです。

でもね拓野は六時間後かすかに呼吸し生き返ってくれたのです。

家族中みんなで喜んであなたを大事にしたよね。

拓は病気と闘い、訓練が始まるとみんなで応援したよね。わかる?家族みんなで応援したこと

毎日頑張っている姿を見て、おねいさん達も自分のことのように

家のお手伝いをみんなで協力していたこと知っているよね

家族ばかりではなくおそとにでれば知り合いの方は頑張っている姿を見て、

毎日頑張っていて偉いねとご近所さん   町へ出ればいろんな方もいたけど

中には拓野を見て

健康な自分はもっと頑張らねばと思う方もたくさんいたと思う。

拓野が何もできない、死んだ方がいいと思うけど、あなたの頑張りを見て

自分ももっと頑張らねばと思う方もどれだけいたか?

だから拓野は家族にとっても社会にとってもひつようなひとなの。

高校も卒業したし

今まで20年も訓練頑張ってきたのでこれからはあなたのやりたい楽しいこと沢山できる、わかるかな??

例えば野球観戦や、旅行や楽しいこと沢山できる、わかるか?

必死で話して聞かせる私の言葉を理解できたか分からないけど、拓野のため私自身を鼓舞するため

無心で話しかけている私がいました。

拓野はジーと聞いていました。

気が付けば二人で寝ていた枕や布団は涙とよだれでびしょぬれになっていました。

朝九時はじまりもう午后四時を回っている

拓野は身動きもせずいつまでもジーとしていた。その後

朝から何も食べていないのでおなかすいたから御飯にしようね

、、

その夜拓野が寝てから私は父親に今日の出来事を全部報告しました

父親もまたいつまでも無言のままでした。

拓野は私の話をどう理解したか?自分の気持ちは切り替えられない

そんな拓野の様子を不憫でならなかった

そして時は

薄紙一枚ずつはがれるように気持ちを切り替えてくれていきました。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


通園センターみつばち

2023年08月10日 | うさちゃん

通園センターみつばち入所

東北で初めてできたA型通園センターみつばち(医療を要する通所施設)

ここは重症心身障害児者を守る会の運動の中でできた入所施設(15年前開所)この度通園施設

医療を要する方たちが通園できるところのです

センター長はお医者さんです、うーさん27歳

生れてはじめて自宅まで送迎車が来てくれました

今まですべて自主送迎でしたからうーさん生れてはじめて母は

自分の時間ができました(今まで分刻みの時間に追われていたので)

朝の着替え食事じゅんび食事介助デーサービスへの送迎、帰宅すると朝の片づけ

お風呂の準備、買い物夕食の準備様々な諸用をするのでした

送迎がないだけ、時には体を休め 時間に余裕をもって友人とお茶をしたり出来ました。

4時に帰る心まで豊かになった気持ち’(せねばならないことはたくさんあるけど)

ここは医療(小児科、歯科、摂食指導、検査体制など)しっかりできまたリハビリが充実していました

短期入所もあり重度の子を持つ家族にはありがたいところでした

15年ほど通い同施設に入所となりました。

 

 

 

 

 

 


トランプで

2023年08月05日 | うさちゃん

トランプで

何をするにも勝つことの好きなうーさん

夕食後祖母も含めたトランプ七並べ、ババ抜き、等‥等母は解除をしながらカードを選ばせる

このカードで勝ると思い喜んでワクワクしてくる、みんなはそれを察して意地悪を始める

今度はだめだと思い、しょぼんとするうーさんを見てみんなで大喜びをする。

うーさんくやしく真剣な顔になる。

みんなはそれが面白くてまた大笑い

勝負、それでも主人公はうーさんではない

みんな平等

さすが何度も負ける時は、かわいそう

 

 


支援学校 高等部高校合格

2023年04月28日 | うさちゃん

中学は訓練主体の支援学校でしたが高校は訓練ばかりではなく

様々な学校教育を終え新たな環境の場でもあった。

うーさんは今まで何事もできない、人一倍頑張っても

何ひとつ成果がなく落ちこむことの多い生活でしたので(本人の思う)

ほとんどの方が受験するので高校受験で又自分だけがダメなこと

受験しないと言っていた。私も今まで十分頑張ってきたので

うーさんのできることをしっかり伸ばして心穏やかに過ごしていけばよいと思っていました。

が、その後学校で話し合ったのか受験することとなりました。

苦しむこともあったろうに本人が決めたので受験することになりました。

高校合格発表は河北新聞に掲載されました。私は喜んでいるだろうと切り抜きをもって

うーさんを迎えに行きました。

喜んでいるだろうとの思いとは別に無言のままでした。学校へ見に行きたいとのことで

うーさんと合格発表を見に行きましたました。ジーとみていて私はもういいと思いましたが

帰ろうの掛け声に頭を振りいつまでも発表の名前をじーと満足するまで見続けていました。

名前欄を見続けて何をかんじたのでしょうか?

 

 

 

 


葛籐2

2023年04月16日 | うさちゃん

うーさんは私の話をジーと聞いていた。

何の反応もなくいつまでもジーとしていた。

朝からなにも食べないのでおなかすいたから

ご飯にしよう

その夜うーさん休んでから私は父親に今日の出来事を全部報告した

父親もまたいつまでもむごんのままでいた

うーさんはその後私の話は分かったけど自分の気持ちが切り替えられない

そんなうーさんの様子を又不憫でならなかった

そして時は、薄紙一枚づつはがれるように気持ちが切り変えてくれていった。

この話

亡父親の誕生日に集まってくれみんなに話してあげた

この話をジーと聞いていた姪が、ポツリと

私 うーちゃんが私に何か言おうとしてうなりながら声を出していたんだけれど

私はうーさんの言うことが何もわからなかった

その時から今までずーとわかってやれなくて胸の中がもにゃもにゃしていたの

彼女は20年近く思い詰めていたのです

姉もまた私もそんなときがあったと

そんな会話をみんなで話しあい心を通い合った